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一縷の望み。

 ◇


 ずるいなぁ。それが最初に脳裏に浮かんだ言葉だった。

 けど人のことなんて言えやしない。私だって約束を本気で守ろうとしてくれているアークァスに対し、ずるい選択を迫ったのだから。

 周囲にリムリヤの姿はない。近くの部屋に隠れているのか、それともこっそりとこの館から抜け出しているのか。

 急いで抜け出した音は聞こえていない。どこかに隠れている可能性の方が高い。

 けれどアークァスはここで時間を稼ごうとしている。もうリムリヤはこの場から離れつつあるのだと言わんばかりに。

 けどその二択を考えるよりも、先にこの子をどうにかしなくちゃ。


「じゃあ、そうするわね」


 私が大切に想っていることを理解しているからこそできるアークァスなりの妨害手段。でも私の覚悟を見くびっている。反撃すらない相手なら、殺さずに無力化する方法はいくらでもあるわけで。

 アークァスを攻撃するのは正直嫌だけれど、この子のためならば嫌われても憎まれても構わない。

 剣を鞘へとしまい、そのまま打突する。まず狙うのは膝、鞘越しに骨が砕ける感触が腕へと伝わってくる。

 魔力強化を解き、驚くほど脆くなっている弟の体。無抵抗を貫き、私の心を揺らそうという魂胆なのはわかっている。

 でも私はこの子の両腕と両足を斬り落としてでも、危険な場所から遠ざけるつもりだ。ただ痛めつける程度で覚悟が揺らぐことなどありはしない。


「別に、剣は抜いたままでも構わないんだがな」

「出血させたら、止血してからじゃないとリムリヤを追えなくなるでしょう?」

「姉さんに看病されるのは悪くないけどね」


 それでも流石にリュラクシャで育っただけはある。普通なら片膝を砕かれたら立っていることすら辛いはずなのに、アークァスは涼しい顔のまま真っ直ぐに立っている。

 負傷した場所だけ魔力強化を行って、力技で支えているのだろう。

 このまま両足を砕いても、この子なら平気で動いて私の妨害をしてくるだろう。なら、魔力強化をできなくすれば良い。

 狙いは肋骨、ここを砕けば呼吸が一気に苦しくなる。呼吸の乱れが生じれば、平然とした顔で魔力強化を続けることも難しく――


「――っ!?馬鹿っ!」


 アークァスの行動に咄嗟に後方へと飛ぶ。肋骨を狙うことを読んでいたアークァスはこともあろうか、前に踏み込んできた。

 攻撃を防ぐためじゃない、受けるダメージを悪化させるために。

 肋骨だけを砕くはずの一撃は想定よりも深く突き刺さり、折れた骨が臓腑に突き刺さる感触が伝わってきた。


「ケホッ。反応早いなぁ……流石は姉さんだ」


 軽い咳に見えるが、アークァスの口からは間違いなく血の匂いが漂ってきている。

 致命傷ではないにせよ、決して浅い一撃にはならなかった。

 剣を鞘に収めておいて良かった。これ、打突だけでも手違いを起こされかねないじゃない。

 無抵抗なんてもんじゃない。この子、自分から致命傷を受けようとしている。

 もう、私も馬鹿っ!覚悟を見誤っていたのはあの子ではなく、私の方だ。


「それ。貴方のそういうところがあるから、私は貴方の邪魔をしなくちゃならないのよ?」

「俺ももう成人なんだし、仕事にまで干渉は止めてほしいんだけどな。やりがいのある良い仕事なんだから」

「どうせやりがいしかなくて、ろくな報酬もない仕事なんでしょう?」

「……ソンナコトハナイヨ?」

「図星が過ぎて声の抑揚なくなってるじゃない……。普通に姉として止めたくなったわ……」

「ふ、副収入はある……よ?」


 あの隠し事が得意な弟が誤魔化しようのないほど酷い仕事らしい。けどそれはどうでも良い。いや全然どうでも良くはないのだけれど、一旦保留。

 アークァスは私の技術を完全に信用している。自身がどれほど無謀な真似をしても、私ならギリギリ取り返しのつかない事態を避けられると。

 この子は普通に戦っていても、ある程度は私に食らいつける技術は持っている。それが全力で攻撃を受けに来ているわけで……やりにくいどころの話じゃない。

 私はやり過ぎないように加減しないといけないのに、その手加減に勢いよくぶつかってこようとするんだもの。ほんと、狂ってる。


「いいわ。痛めつけられるのが好きだなんて、特殊な好みであっても、それを受け入れてあげるのが姉の役割だもの」

「痛いのは普通に嫌だよ?あと姉の役割じゃ――」


 ようは打ちどころが悪くなっても問題がない程度の威力で無力化をすればいい。

 道具も必要ない。魔力強化で防御もしてこないのだから、素手で十分。

 殴る回数は増えるし、時間も手間も、この腕に残る感触も、全てが増えることにはなるけれど……それだけで済むのなら、それで良い。


「丁寧に、丁寧にするから。いつでも気を失って良いからね。ちゃんと地面に倒れるときには抱き止めてあげるから」


 数年ぶりに触れるアークァスの体は想っていたよりもずっと硬い。きっと常人には真似のできない領域まで自分を追い込み、鍛え続けていたのね。

 本当は再会を喜び優しく抱きしめ合う感触と温もりが欲しかったのに、今伝わってくるのはこの子の体を傷つける衝撃と、まとわりつく血の生温かさだけ。

 アークァスの顔を覆っていた蔦が千切れ、懐かしい面影がある顔が顕になっていく。

 見たかったのは私を慕う笑顔なのに、苦痛を誤魔化し耐え続けている顔しか見えない。

 ああ、でもその眼だけは本当に変わらない。今眼の前にいるのは愛しい愛しい私の弟。私が本気で守りたい人なんだって誤魔化しようがない。

 そのためにこの拳を振るっているのだと思えば、耐えられる。この弟を傷つけている事実が生み出だす悪寒さえも快感に変えられる。

 アークァスを前にして、私も少しはこの子の狂気に近づけたのかもしれない。それはなんて――


「いい加減に……しなさいっ!」


 何かが飛んできて、視界が傾く。それが攻撃なのだと気づき、視界の先に排除すべき障害がいることを理解する。

 本当ならば獲物が姿を現したことを喜ぶべきなのに、もうアークァスを傷つけなくて済むことになったのに、今は彼女の存在がひたすらに邪魔に感じた。


 ◇


 声を殺して部屋に隠れていたら、部屋の外で凄まじい家庭内暴力が繰り広げられていた。

 カークァスを大切に想っていると言ったミュリエールが嬉しそうに彼を殴り続ける光景は、普通ならドン引きするだけなのだけれど……それが私のためだというのならば話は別だ。


「あー……感傷的に動かれることは悪い気がしないんだが、今出てこられると殴られ損なんだがな」

「うっさいですわね!?他人の家で血飛沫飛び交う家庭内暴力繰り広げられて我慢なんてできませんわよ!ヨソでやりなさいな!ヨソで!」

「それはそうなのだが……今日は色々と反論が難しい日だな……」


 どうして私は今、私のためにボロボロになっている男にクレームを入れているのかしら。でもまあ言いたくなったものは仕方ない。


「――ええ、そうね。危うく本来の目的を忘れるところだったわ。やっぱり他人の家なら傷つけるべきは他人よね」

「それはそれで違いますわよ!?」


 というか私、中々に重い純金製の花瓶を魔力強化で補強しつつ思い切り投げてぶつけましたわよね?完全に死角から綺麗に命中したのに、首が少し傾いただけなのだけれど、あの女。

 花瓶は……見事にひしゃげているわね。まあ趣味の悪い商人から贈られた使い道のないやつだったからどうでも良いのだけれど。

 それよりも私への再び殺意を思い出したミュリエールをどうしたものか。


「……お前がもう少し打算的だと思っていた俺の落ち度だな。墓に添えてほしい物の希望があれば聞いておくぞ」

「もう私死ぬ前提ですの!?って貴方……」


 軽口を叩いてはいるものの、カークァスはかなりボロボロ。あれだけの攻撃を受けていながら、傷の再生を一切行っていないのだから当然といえば当然。

 他の領主達との戦いを見た時にも思ったけれど……この男、自己再生能力が全くといってない?

 顔を覆っていた蔦がほとんどなくなっていて、今はその素顔がすっかりと顕等になっている。思っていたよりも若く、優しい顔つき。


「俺が気を失ったあとに姉が中か外、どちらかにお前を探しにいくかの二分の一の賭けを狙っていたんだが……。これ以上俺にお前を守る術がない……悪いな……」


 本当は謝る余裕なんてないくらい意識も朦朧としているでしょうに。

 ガウルグラートやジュステルを相手にしていた時は、戦いそのものを心の底から楽しんでいるように見えたカークァス。

 ミュリエールを前にこんなにも弱々しく見えるのは、相手が姉だからなのか、それとも勝機を抱くことすらできない実力差があるからなのか……。


「赤の他人にそこまでされる理由はないわよ。自分の身くらい、自分で守って――」


 続く言葉を言おうとして、体が硬直していることに気づく。

 ミュリエールは剣を抜き直しているけれど、先程の場所から動いてはいない。

 ただ私を見て、明確な殺気を飛ばし続けているだけ。なのにどうしてこの体は動かないのか。

 まるで体が空間に縫い付けられているかのような感覚。

 世界から色が消える。何もかもが白く見える異様な光景。

 迫ってくる。これはなに、逆らえず、抗えず、防ぎようもない、一方的に決められた結末が迫ってくる。

 そう認識した途端に軌跡が見えた。黒く、ただ黒い無慈悲な結末が。私の体を両断しようとする彼女の剣から放たれる黒き結末の軌跡――


『他者に結末を押し付けようなどと、女神の真似か。驕りが過ぎるな』


 世界に亀裂が走る。黒い軌跡が砕け、視界に色が戻って来る。体中に熱が戻ってきて、呼吸ができるようになる。

 何が起きたのか、それを正しく理解できる状況じゃないのは確か。けれど今、眼の前にはさっきまで存在しなかった男が立っている。

 それは数多の死を纏いながらも、不死の象徴として君臨する存在。死の因子を持つヴァンパイアの頂点。

 不死族領主、ハンヴァー=ルブックル。


「ハンヴァー?どうして貴方が……」

『貸し一つといったはずだ』

「その声……ソロス!?」


 ハンヴァーの手の中に握られている水晶から聞こえるのは、忌眼族領主であるソロスの声だ。


『貸しの精算を踏み倒していては、俺の信用にかかわる。先に動いた者が使えるのならと静観していたが、ハンヴァーを送り込んだ甲斐はあったな』


 え、貸しって……くじの時のよね?あれってソロスが私に貸し一つじゃなくて、私がソロスに貸しを作ってたってこと?紛らわしくない?そもそもあのやりとりでソロスに得とかあったのかしら?って今はそんなこと考えてる場合じゃなくて……っ!


「よくわからないけど、助かったわ!それじゃあこのままミュリエールを――」

『今のハンヴァーは本気では戦えない。その女との殺し合いは不毛な時間となるだけだ』

「……えっと、勝てないってこと?」

『全ての面倒を見るつもりはない。時間くらいは稼いでやる。この土地から逃げるか、その男と立て直し一縷の望みを掴め』


 救いに来たって感じなのに、できるのは時間稼ぎだけってこと!?そりゃあ今の様子見る限り、善戦しそうな感じはあるけども!

 仮に今は逃げられたとしても、このミュリエールから完全に逃げ切ることなんてできるとは思えない。

 だからといって、カークァスと一緒にどうにかって言われても……こんな状態の上に、当人が実力差から戦うことを諦めているのよ!?


「どっちも無理じゃないの!なんか助言とかないわけ!?」

『――ハァ、あの男の思惑に加担することになるのは業腹だが、仕方あるまい』


 あ、いまこいつため息吐いたわね。普段顔とか見せないから感情とかほとんど読み取れなかったけれど、不満とかちゃんと態度に出すタイプなんだ。


『リムリヤ、鍵はお前の特異性だ』

「私の特異性をカークァスに使えってこと!?そりゃあ多少はマシにはなるかもしれないけど、限度ってものがあるのよ!?」


 カークァスにもミュリエールにも通じないだろうと、選択肢から外れていたけれど、同意があれば手段の一つにはなるのか。

 でもカークァスの技術は粋を極めた先にあるものだ。私の特異性を使ったからといって、そこに大きな変化があるとは思えない。


『ついでに一つ教えてやる。その男に剣の才能はない』

「……マジで言ってますの?」

「酷い言われようだな」


 嘘でしょ。あれだけ剣を使った絶技を披露しておきながら、剣の才能がない?その道を進んでいない私でも、カークァスの剣技が途方もない修練の先にあるものだということくらいは理解できている。

 これまでの人生をほぼ全て鍛錬に注ぎ込んで磨き上げてきた彼に、その才能がなかったってこと?

 いやいや、才能の有無なんて道を極めて行けば自ずと自覚できるようなこと。ないとわかっていながらあの領域まで進み続けることなんて、人生を無駄にする行為と何ら変わらないわよ!?


『だが事実だ。道は示した、あとは好きに選べ。ハンヴァー』


 ソロスの声を聞き、ハンヴァーがミュリエールへと奔る。しかしその距離が縮まるよりも先に、ハンヴァーの体は見えない斬撃によって縦に両断される。


「――っ!」

『戯れの時間だ』


 二つに両断されたハンヴァーの体が黒い影へと変化し、ミュリエールを飲み込む。そしてそのまま床までをも飲み込み、影は階下へと潜っていった。

 流石不死族、真っ二つで平気な様子にはちょっとドン引き。コア関係なしに普通は死にかけると思うんだけど。

 ただハンヴァーがミュリエールを倒せるイメージがあるかと言われると微妙だけど、それでもあの様子なら時間は稼げそう。あとは……


「逃げる方が確実に助かるぞ」

「私もそう思うわ。けれど、ソロスは貴方に一縷の望みがあると言った」

「話を聞く限りじゃ、他者を強化する特異性のようだが……」

「……私の特異性について説明しておくわね。私の特異性は――」


 カークァスに私の特異性の説明をする。私の特異性は夢魔の持つ能力の延長線上。要するに相手を支配する類の能力だ。

 でも私の特異性はただの支配じゃなく、副産物とも言える効果が発生する。あの言い方からすれば、ソロスが言う望みとはこの副産物のことで間違いないはず。


「なるほど。俺としては中々複雑な気分になる話だな……」

「ちゃんと最後まで聞いてね。私の特異性は相手を支配……傀儡とすることが本質なの。私がその気になれば、貴方は今後一生私の奴隷に成り下がる。こうして説明しているのも、普通に貴方の精神を支配することが難しいから同意を得る必要が――」

「良いぞ。お前の支配を受け入れれば良いのだろう?使ってくれ」

「な……」


 カークァスが私の誠実さを信用し、迷うことなく特異性の使用を許可している。それだけなら私がちょっとキュンとしちゃって終わる話だろう。

 けどそうじゃない。この男は己を代償とすることに抵抗がなさすぎる。うん、ミュリエールがなんでこの男から魔王の座を奪おうとしたのか、私を本気で殺そうとしているのか今ならちゃんと理解できる。そりゃあこんな身内を想ってしまったのなら、あんな無茶だってしたくもなるわよ。


姉にプレッシャーを掛けつつ気絶するまでボコられ、「ここまで時間を稼いだのならリムリヤも外に逃げているだろう」と思わせる作戦。

しかしリムリヤの真面目さによって失敗。内心では「師匠のようにもう少し嫌われるように立ち振る舞えば良かったな。でもまぁアレに似るのも癪に障るんだよなぁ」などと思っているアークァスであった。


そしてソロス。恩を受けたら借りと言いなさい。貸しを作られた奴が貸し一つとか言わないの。

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― 新着の感想 ―
いい子だなぁ… 場の空気を無視してでも動いてしまうくらいには
[一言] またキュンさせてる...
[一言] >「どうせやりがいしかなくて、ろくな報酬もない仕事なんでしょう?」 やりがい搾取……いや、この場合当人がやりがいだけでやってるから、搾取でもないんだが……
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