せめて看板くらいは見よう。
「結構な移動距離だったわねー」
「陸路を移動するよりはずっと早いわよ」
「でも空路って冷えるのよねー。ねぇレッサエンカ、もうちょっと体温上げてよ」
「……ああ」
四族同士のような密接な関係ならば例外となるが、他種族の領土を越える際に飛行での移動は偵察や威圧行為に該当しかねないため原則禁止となっている。
悪魔族の領土に向かう場合、陸路では炎族の領土から不死族と牙獣族の領土を渡る必要がある。
陸路ならば手続きはそうは掛からないが、当然その領土の領主には移動情報が筒抜けとなる。イミュリエールの目的が目的だけに、ハンヴァーにこちらの動向を知られるのは避けたい。
そうなると利用できるルートは中立地帯の経由。それぞれの領土の北側に存在する魔王城側にある領域での移動だ。
「ほとんど一面海だったんだけど、魔王城への道って海を越えなきゃダメなの?」
「樹華族や地族の領土からは地続きダ。独自の移動手段を用意している種族もあると聞ク」
「鋼虫族はどうなの?」
「鋼虫族の領主が聞く質問じゃないわよ。自力で飛べる連中は大抵空路じゃない?」
「そっかー」
魔王城近辺まで近づくことは許されずとも、大陸間で距離が離れた友好的種族との交流や物流に使われており、空路や海路として日夜数多の種族が利用をしている。勿論それぞれの領土からの監視はあるが、直接領土を越えるよりかは大分緩い。
人間界で生きてきたイミュリエールにとってはこういった常識も新鮮な情報となる。この説明がどれほどの意味を残すかは定かではないが、今は少しでも本来の目的から意識を逸らし、時間を稼げるように立ち回る必要がある。
クアリィはオウティシアと連絡を取り、『できる範囲で時間を稼いでほしい』と返事を貰っている。
ただこのできる範囲というのが曲者だ。イミュリエールは勘が鋭く、半端な嘘は直感的に見破ってくる。陸路や海路を利用する『いかにも』な時間稼ぎに対しても不審を抱くだろう。
表向きはイミュリエールの目的達成のために尽力しつつ、それでいて不自然のないよう少しずつ時間を稼ぐ必要がある。
「誘導灯が見えタ。着陸するゾ」
「あ、私やってみたーい」
「……慎重にナ」
「はーい!ところでルーダフィンこのままでいいの?」
我々が騎乗している大鳥の足に結び付けられたロープの先、そこには拘束されたルーダフィンがいる。
途中『ウワハハッ!やはり自分で飛んだ方が速いな!』と大鳥に乗り続けることに飽きたルーダフィンは自力で飛行を始めた。そこまでは良かったのだが、我々の周りを旋回し始め、目障りだとクアリィによって縛り上げられてしまった。
「良いのよ。着地のクッションにでも使いなさい」
北側の海岸沿いには移動用の飛行魔物が離着陸、休息するための施設が多く設けられている。
その中で来賓向けの施設へと無事(?)着陸し、魔物を預け来賓室へと向かうと、そこには事前に知らされていたリムリヤの側近が待機していた。
「皆様、ようこそおいでくださいました。本日案内を務めさせていただくヒュールと申します」
「ああ、よろしく頼む。リムリヤは領主の館か?」
「はい。本来ならば領主自ら出迎えるべきではありますが、今回は皆様に指南を仰ぐ立場。リムリヤ様は常在戦場の心構えが未熟だと自認しております。少しでも調子を整えるためにと既に鍛錬に入られております」
「そうか。それは立派なことだ」
「それではご案内します」
悪魔族領主、リムリヤ=アガペリオから受けた印象は武人というよりも支配者。領主としての対応を重視するかとも思ったが……根が真面目なのだろうな。
側近のヒュールにしてもそうだ。彼女から感じ取れる魔力量や所作から戦闘が得意という様子はないが、領主である我々を前に臆する様子もなく淡々と案内をしている。きっとリムリヤの影響が現れているのだろう。
飛竜に繋がれた籠に乗り込み移動を始める。他種族を空路で運ぶことは上空からの情報を提供することに等しく、大抵の種族は避ける行為だ。
だが樹華族や悪魔族のような他種族との交流が盛んな種族は条件付きであるが、他種族の領土内での移動手段は豊富に存在している。今乗っているこの飛竜も、天竜族との交流の際に手に入れたものなのだろう。
「わー、結構他の種族もいるのね!」
「娯楽多いものね、悪魔族の領地は」
地上よりも雲が近い高度から見落とす光景は、その種族の繁栄の程度を如実に語る。
情勢は知識として頭に入れてはいたが、実際にこうして見る街並みを歩く種族の多さには目を見張る物がある。
「はい。悪魔族は『心』の因子を持つ魔族。自他ともに心を満たすことに貪欲ですから」
「同種族同士だけじゃ需要も供給も単調になって、物足りなくなるってわけね」
「はい。様々な欲求を知りたい、満たしたい。その欲求を効率よく叶える手段が娯楽ですので……というより、この高度から街を歩く種族を見分けられるのですか?」
「うん、それくらいはできるわよ?」
俺も注視すれば出来なくはないが……素の状態で見分けが付いているかのように語るイミュリエールの言動は、ヒュールの反応的に異質に感じられているようだ。
側近相手とはいえ、あまり逸脱者としての片鱗を見せる行為は控えてほしいのが本音だ。ヒュールはイミュリエールが悪魔族として紹介されている情報を知っている。無意識の内にイミュリエールを同族として、リムリヤと比較してしまうだろう。
少なくとも我々がこの領地を離れるまでの間は、イミュリエールが悪魔族でないことが明るみになることは避けたいのだ。
「領主クラスなら、それくらい当然よ。ま、目新しい景色でもなければそんなに目を凝らすこともないけど。ていうか田舎者丸出しなのは止めなさい」
「ぐぅっ!?そりゃあ田舎暮らしだったけどぉ……」
流石はクアリィ。イミュリエールがこの光景を新鮮と感じ、意図的に注視しているかのように伝えている。
とはいえだ。ヒュールの様子を先程から観察しているが、どうも彼女はイミュリエールを特に意識しているように感じる。何か思うところでもあるのだろうか、気がかりではあるが……。
「ミュリエール様は人間界で育ったそうですが、やはり違いましたか?」
「うーん。魔界の方が豊かに感じるけど……似たようなものじゃない?」
「似ている……ですか……」
「人間も欲には忠実だもの。思想の違う他国と交流をして、互いの欲を満たし合う。欲を糧に生き、欲の果てに死ぬ。人間も魔族も心ある生物らしくあり、心ある生物でしかないもの」
人間は敵。我々は歴史を通してそれを学んできた。それは精神的な話ではなく、生物としての本能によるものだ。
闇は光を、光は闇を疎む。魔族は闇の因子を、人間は光の因子を。その魂の奥底に潜め、相反する因子を忌避する。
力あるものならばその相反する因子の反発に抗うことはできる。しかしこの世界に生きる多くの者はその因子の反発に影響を受けてしまう。
力ある者がどれほど歩み寄れようとも、大多数を占める力なき者の意思を無視するわけにはいかない。故に互いの総意として敵対する道を選び続けているのだと。
「……本質は同じだと?」
「ええ。あ、でも魔族の方がちょっと分かりやすいかしら。内面が純粋って感じ?」
「……素朴な質問なのですが、ミュリエール様は人間を敵視しておられないのですか?」
「私の敵は私にとっての敵だけだもの。人間だろうと魔族だろうと味方は味方だし、敵は敵よ?」
「……なるほど。芯が通っておられるのですね」
我々はイミュリエールやカークァスが人間であることを知っている。そして彼女達が心ある存在であることを理解している。
イミュリエールの言葉の通り、人間もまた我々と同じ心ある存在であることには違いない。ただ相容れぬだけというだけで……。
思うところはあるが、それでも初めて出会った人間がイミュリエールで良かったとは思う。人間を敵に回した時、迷うことが命取りになることだと実感できたのだから。
領主の館が見え、その隣にある鍛錬場と思われる場所へと飛竜は着陸する。広場ではリムリヤが武装した悪魔族の兵士を相手に素手のまま立ち会いをしていたが、我々に気づくと兵士達を解散させていく。
「来たわね。こっちも丁度いい感じに温まってきたところよ」
「随分とやる気に満ちているわね」
「魔王を目指す上で貴重な機会なんだから、張り切る方が普通じゃない?」
「それはそうなのだけれど、よくあんな胡散臭い話を信じようと思うわね」
「信じてるってわけじゃないわよ。でも可能性が眼の前にある以上、目を背けるのも違うんじゃない?」
確かにオウティシアの話す内容は信憑性に欠けていたが、それでも先代の魔王の言葉だ。端から信用しないというわけにもいかないだろう。
「根拠もない話を信用するのもどうなのかしらね」
「私にはなかったけれど、誰かがくじに細工してたじゃない。それが根拠よ」
「……そうなの?」
「ま、その末に私になったってことは、誰かの失敗か、私を利用したいって魂胆なんでしょうけどね。なんにせよ、協力してくれることには感謝しているわ。ありがとう」
気づいていたのか。彼女の様子を見る限り、我々が細工をしていたと確信を持っているかは判断できない。それでもリムリヤに直接暗示を掛けていたクアリィからすれば、多少の戸惑いは感じるだろう。
どこまで把握されているのか、場合によっては今回我々がこの場に招待されたことにも意味があるのではとさえ勘ぐらざるをえない。
「――では始めるとするか」
「ええ、対近接戦の訓練だから……うーん段階的にやりたいかしら。貴方達って近接戦の腕って比べたこととかあるの?」
「私とゴアガイムはただの付き添いね。レッサエンカとルーダフィン、そしてミュリエールの三人が得意かしら」
「ならば一番手はどちらにも負け越してるワシだな!」
「そう、じゃあよろしくねルーダフィン。今日は他の皆は……未熟な私の戦いなんて見ててもつまらないでしょうし、好きに観光でもしててもらえる?」
「そうね。折角だから色々勉強させてもらうわ」
ルーダフィンが残ることになり、我々はヒュールに宿屋へと案内された。
来賓向けの宿なだけあり、窓から見える景色は街を広く見渡せる良景。暗殺を企ててやってきたはずのイミュリエールは楽しそうに外を眺めている。
「良い宿ねー!鋼虫族の寝床も嫌いじゃないけど、こっちの方が人間向けっぽいかも!」
「とりあえずは自由行動かしら。イミュリエール、貴方お金は持ってるの?」
「ええ!サロナイトからお小遣い貰ってるわ!日用品とか私向けのものがあるかもしれないから自由に買い物してきてって!」
「領主がお小遣いって……まあ良いわ」
この状況は喜ばしいとも言え、芳しくないとも言える。今日一日を利用し、リムリヤはルーダフィンと鍛錬をする。つまるところ今日はイミュリエールがリムリヤを強引に暗殺しにいく可能性は低い。しかし問題は後日だ。
実力順にリムリヤの相手をするとなると、次の順番はイミュリエールとなる。死合ならば俺の方が死んでいた結果ではあるが、俺達の戦いのことをリムリヤは知らない。
今日のように我々とイミュリエールを引き離し、二人きりになるようならばほぼ間違いなく彼女はリムリヤを殺しに掛かるだろう。
だが俺がここで二番手に出るのは流石にワザとらしい。イミュリエールの目的を知っている以上は彼女に順番を譲るべきではある……か。
「……イミュリエール。一応確認するが、ルーダフィンの次は君で良いのか?」
「うん。サクって終わらせたいし、その方が嬉しいわ。でもなんで確認するの?」
「俺は君に負けたと思っている。純粋な序列では君の方が上だ。君を差し置いて最後の手番を取るのは多少気が引けてな」
「貴方変なところで真面目よねー。別に気にしないわよ。他人に比べられることなんでどうでもいいし。私は私のやりたいことをやれればそれで」
「そうか。では次の順番が来た時は口裏を合わせてくれ」
「ええ。それじゃあ折角だし、適当に観光してくるわね!」
窓から元気よく飛び出していくイミュリエール。似たようなものと言っていただけに、悪魔族の街並みが人間にとっても興味深いものに映っていたのだろうか。
クアリィの方は……特に不満があるという感じはない。可能ならば引き伸ばしたくはあるが、俺と同じく無理に順番をずらそうとするのは不自然になると考えているのだろう。不甲斐なくはあるが、優先すべきは我々四族の安全の方だ。
「……よし、上手くいったわね」
「あア、これで数日は稼げるカ?」
「……どういうことだ?」
クアリィだけではなく、ゴアガイムもどこかホッとしている様子だ。何か上手くいったようだが、何が成功したのか俺にはピンとこない。
「貴方もしかして意図せずに話題を逸らしてたの?」
「話題を……逸らす?」
「流石ねと褒めてあげたかったのに……まあ良いわ。ファインプレーには違いないもの」
「むむ……?すまないが説明してもらえるか?」
「あの子、私達という道案内を付けずに飛び出していったわよ。見知らぬ土地で」
そうだ。イミュリエールは極度の方向音痴。始めてきたばかりの土地で考えもなしに出歩けば、この宿にすら戻ってこられるかも怪しい……って待て待て。
「流石にその辺りの者達に尋ねるのではないか?」
「宿の名前、確認してなかったわよ。来賓向けの宿屋なんて他にも沢山あるし」
「それは……だがリムリヤの場所を聞けば良いだろう?」
「自称サキュバスが自分達の種族の領主の館を尋ねたら怪しまれるでしょ」
確かに。イミュリエールは人間界で生きてきた悪魔族の『外れ者』……そういう設定で誤魔化している状態だ。
悪魔族の領地で『外れ者』を名乗ることがあまり良くないことは彼女も知識として学んでいる。表面上は悪魔族の領地に住むサキュバスとして振る舞わざるを得ない。
やむを得なくなれば、不自然さを出しながらでも通行人に道を尋ねることにはなるだろうが……彼女の性格を考えると『とりあえず探すだけ探してからにしよう』となるだろう。
「……確かに一日以上は稼げるかもしれないか……」
「実際、風族の土地でも数日くらい帰ってこなかったものね」
「鋼虫族の土地でも迷子になっていたと聞いたゾ」
「貴方が浮足立っているタイミングでクソ真面目な話題に切り替え、彼女に『さっさと出かけたい』って気持ちを高めさせてくれたおかげよ」
「ぬ……」
「ついでに『うわ、レッサエンカと一緒に出かけたら真面目な話とか振られて観光気分じゃなくなるなー』って一人で出かけたくなるようにも印象付けていたもの見事だったわよ」
「ぬぬぬ……」
それで話題を逸らしていたことを褒められかけていたと……。そんな意図はなかったのだが……それって単純に俺が空気を読めていなかったというだけではないのだろうか。
順番にすら気を使うレッサエンカ。
深く考えず「じゃあ一番手はワシだ」と出るルーダフィン。
どっちも本人らしさがあるからこそ、イミュリエールに不満を持たれないでいられますが実は結構な綱渡り。不自然さを感じた瞬間、目つき変わるお姉さんは油断ならないのです。