隣の芝生はエグい。
◇
風族の領地は鋼虫族の領地と地続きであり、もっとも連絡が行いやすいからと我々は風族領主の館の傍に仮初の拠点を造り、そこで交流をするようになっていた。
四族の領主が頻繁に集うことに疑惑の目を向けられることも想定はしていたが、領民達の反応は良好。領主達が自ら歩み寄る姿勢を積極的に見せることに感銘を受けている様子だった。
これはルーダフィンの影響が大きいのだろう。自らの力よりも、宿敵の強さを誇る。その想いを隠そうともせずに皆に共感を求める彼の姿勢は、互いの違いを尊重する切っ掛けを与えていた。
「馬鹿なの!?自殺志願者なの!?」
「まぁまぁ、落ち着けクアリスィ!一緒に送られてきた茶菓子、これ美味いぞ!」
「あんたは落ち着き過ぎなのよ!」
「ボォフォッ!?」
そのルーダフィンが窓を突き破り吹き飛ばされていく。外からは『うわああっ!?ルーダフィン様が窓からきりもみ回転をしながら飛び出してきたぁっ!?』という叫び声も聞こえる。
なんというか、すまない。風族の皆々。性格の相性というものは時にどうしようもない時もあるのだ。
「ああもう、私が折角色々なプランを計画していたのに……っ!全部っ!全部台無しじゃない!」
「イミュリエールを遠ざけようと画策する中……リムリヤの方から招待状が届くとはナ……」
「しかし実際どうしたものか……。オウティシアからはなるべく時間を稼ぐように言われていたのだろう?」
「ええ。時間を稼げば稼ぐほど、止める手段がより確実になるとは言われていたわ」
「それがまさかこんなあっさりと邂逅しかねようとしてるとはな……」
イミュリエールがリムリヤの命を狙おうとしている。彼女に協力する立場ではあるものの、魔界の領主として、むやみに領主を失うような出来事を見逃すわけにはいかないと我々は日夜どうにかリムリヤを救うべく計画を練っていた。
だが先日リムリヤから我々四族とイミュリエールに対し、白兵戦の稽古をつけて欲しいとの連絡が届いた。
リムリヤがイミュリエールの狙いを知っているとは思えない。これは純粋な協力要請なのだろうが、我々としては非常に困ったものである。特に率先して考えていたクアリィの心労は察するだけでも胃が痛む想いだ。
本来ならばもう少し時間の猶予はあったのだ。イミュリエールの方向音痴は人間界を移動する予定が十二魔境を越え魔界にまで迷い込んだほどだ。自分一人で向かうと宣言した彼女が悪魔族の領地に辿り着くことはほぼ不可能であり、どこかのタイミングで我々に協力を願い出てくるだろうというのが当初の考えだった。
そこから如何に誤魔化しながら時間を稼ぐか、諦めさせるかの計画だったわけで……。
「イミュリエールはまだ自己鍛錬中か?」
「あア。そろそろ顔を出しに来るとは思うガ……」
「ウワハハッ!こちらに向かって来てるのが見えたぞ!」
頭から血を流しているルーダフィンが、窓から這い上がってくる。この様子なら風族の者達もそこまで心配はしてなさそうだ。してはないのだろうが、罪悪感は拭えないな。
「我々四族全員で拒否するのはどうダ?」
「理由はどうするのよ」
「ウムム……罠の可能性を示唆したところデ、イミュリエールならバ……」
「私がどうかした?」
「「っ!?」」
そこには先程のルーダフィンと同様、窓から這い上がってくるイミュリエールがいた。扉から入れとツッコミを入れるべきなのだろうが、ルーダフィンが窓から入る姿を目撃して真似て入ってきたのだろう。そうなるとルーダフィンに先にツッコミを……いや、そうではない。
どう誤魔化す?口裏すら合わせていない状況で下手な嘘は危険――
「いや、特に何でも――ギョフッ!?」
「わっ」
再び吹き飛ばされ、窓から飛んでいくルーダフィン。イミュリエールはそれを軽々と回避しながら部屋に入ってくる。いくらなんでもその誤魔化し方はダメだろうルーダフィン。
「……悪魔族領主、リムリヤから招待状が届いたのよ。白兵戦の鍛錬をしたいから、四族の皆さん、それと懇意にしている様子のミュリエールも是非にって」
クアリィの取った選択は嘘偽りなく伝えることだった。そこは仕方あるまい。この招待状は今頃我々四族、そして鋼虫族の領主の館に同様に届くだろう。
ここで隠したところで、そう遠くないうちにイミュリエールは招待状の存在を知ることになる。下手に隠せば我々がリムリヤ殺害を阻止しようとしていることにすら勘付きかねない。
「そうなの!?わぁ、渡りに船ってこのことね!」
嬉しそうに飛び跳ねるイミュリエール。殺そうとしている相手が、わざわざ招いてくれる。自らの思惑が想像以上に上手くことが進むことに不穏さを感じとるような性格ではないだろう。
「それで、どうして貴方達は拒否しようとしてたの?」
油の海の中にでも放り込まれたかのように、全身にまとわりつく視線。ゴアガイムの発言までしっかりと聞かれていたのか。殺気にこそ変化していないが、これは明らかに疑いの意思を向けている。
不味い。これはかなり不味いな。ルーダフィンの適当な嘘も相まって、誤魔化そうとした疑惑すら掛けられている。
「知りたいの?」
「ええ。さっきルーダフィンもはぐらかそうとしてたわよね?それを無理やり黙らせていたし。どういうことなのか、説明は欲しいわ」
「あの馬鹿がくだらない気遣いをしようとしたからよ」
「気遣い?」
「貴方、悪魔族の領地に行くためにここ数日地図とにらめっこしてるんでしょ?」
「え、あ、うん」
「その無駄な努力が無駄になるのが忍びないって、招待をなかったことにしようとしてたのよ」
「無駄な努力っ!?」
「無駄でしょ、どうせ私達に泣きつくんだろうし」
「えぇ……酷くない?」
「目的はリムリヤを斬ることなんでしょ?なんで過程のグダグダまで尊重しなきゃならないのよ」
「ぐすん……」
イミュリエールの感情の昂ぶりは収まったようで、重苦しかった空気も一気に軽くなる。これが殺気に変化していようものなら、外にいる風族達の心境は……危なかった。
「そんなのいらないから、一度サロナイトのところに戻りなさい。貴方のところにも同じように招待状がきてると思うから。ちゃんと領主として招待を受け取ってきなさい」
「あ、そっか。ここに招待状が届いたってことは私のところにもきてるわよね」
「ええ。それなのに変に嘘をついて拗らせようとしてたから、あの馬鹿鳥をふっ飛ばしたのよ」
「それはそれで酷くない?」
さすがクアリィだ。ルーダフィンならば実際に考えつきそうな発想を提示し、ついでにイミュリエールの感情をすり替えている。
上手い感じに誤魔化せたようだが、一応は口裏を合わせておく必要が……多分大丈夫か。窓の外に入りにくそうにしているルーダフィンの頭の羽が見えるし。
「貴方とリムリヤを二人きりにする作戦を考えつつ、すぐにでも向かうわよ」
「うん?出会い頭に斬れば良くない?」
「良くないわよ。貴方がリムリヤを斬る現場に私達がいたら、共犯になるもの。止める義務があっただろうって他領主に責められたくないの」
「えー」
「えーじゃない。貴方に協力はするけれど、全てを捧げるつもりはないわ。私の平穏を侵すというのなら、知恵すら貸さないわよ」
「わかったわよ……」
イミュリエールは自らの目的のためにはあらゆる躊躇が存在しなくなる。だが意思疎通の不可能な自己中心的な人物というわけではない。邪魔は許さず、非協力は許容する。匙加減を間違えれば即座に危うくなる距離感で、クアリィは自らの譲れない点を明確に主張してみせている。というか出会い頭に斬るつもりだったのか……。
「ほら、ルーダフィン。さっさとイミュリエールを連れていきなさい。貴方は余計なことを考えずに、飛んでたらいいの」
「う、うむ……。では行こうかイミュリエール……」
「可哀想なルーダフィン……。あとで美味しいおやつあげるね?」
「おお、そうか!そうだそうだ!悪魔族から招待状と一緒に送られてきた茶菓子は実に美味であったぞ!」
「え、そうなの?じゃあ一緒に食べましょ!」
「うむ!では出発ッ!」
ルーダフィンの背中に飛び乗り、飛んでいくイミュリエール。なんというかあの二人は平常時の性格が似通っているような気もする。
しかし誤魔化せないから正直に伝えるしかなかったというだけで、相変わらず状況は厄介なままだ。クアリィも重い溜息を吐いている。あとなんか持参した胃薬を飲んでいる。
「はぁ……こうなるとイミュリエールとリムリヤが二人きりにならないように画策するしかないわね……」
「それが上手く行ったとしテ、痺れを切らしたイミュリエールが強引に動くだろうナ」
「そうなったらもう知らないわ。先生にはなるべく引き延ばせって言われたんだし、なるべくの範疇でやるしかないわよ……はぁ……」
「そうだな……。とりあえず先程は良く立ち回ってくれた。助かったぞ。俺にはできない芸当だ。いずれは身につけたいところだ」
「……そう思うなら貴方ももう少し乙女心を学んでほしいものね」
「む……そうだな……善処する。……ちなみにどこで学べば良いのだ?」
「……は゛あ゛ぁ゛……」
今日一番の深い溜息を吐き出しながら胃薬を飲むクアリィ。そこまで愚かな質問だったというのか……。
◇
師匠との鍛錬が始まってから一週間が経過。結果だけで言うのなら、ボロ負け続きのまま。とはいえ、全く収穫がないというわけでもない。
「流石は私の弟子。学ぶべきことをちゃんと理解してきたようだね」
「これだけ本能に死を訴えられたら、嫌でもなぁ……」
鍛錬時間は徐々に伸びてきている。瞬殺されるのがちょっとばかり先送りになりつつある程度ではあるが、この修行で何を身に付けるかが見えてきた。
死を錯覚する痛みに本能が抗おうとする。その僅かな刹那に感じるモノの正体。それこそが俺の『見』を先へと辿り着かせるモノであり、姉さんと戦う時に必要な武器となる。
「とはいえ、ここからは地道な作業だ。『見』の精度向上もそうだけど、基礎能力の向上も並行してやっていかないとね。通常の鍛錬は今まで続けてきた分、成長の期待は薄いけども」
「わかってるさ。それでも伸びてはいるだろ」
師匠は格上の相手だ。生存本能を刺激されながら格上と戦い続けることは、通常の鍛錬とは感触が違う。
同じ鍛錬だけでは打ち止めになる成長も、刺激が変わればその限りではない。事実この一週間だけでも、実感できるだけの成長はしている。
とはいえ階段を数段登った程度。見える景色が変わるほどではない。姉さんの高みはまだまだ先。この数ヶ月で追いつけるのかと問われると答えたくない気持ちにはなる。
「私との戦いだけではなく、これまでの領主達との戦いもあるからね。彼らとの戦いの経験も今こうして紐解き、君の成長の糧になっている。確実に成果は出るから、今は耐え忍ぶ時だ」
「もとより弱音を吐くつもりなんてないさ。そんな暇すら惜しいからな!それじゃあ――」
「あ、少しタイム」
「えぇ……」
一羽の鳥が師匠の肩に止まる。様子から見て使い魔の鳥なのだろう。ただ妙に魔力を感じるのには違和感がある。師匠のではなく、別の誰かのものか。
師匠はその鳥と戯れるように触れ合いながら、鳥に施された魔力を解析している。
「おや。おやおや」
「どうしたのさ」
「いや、少しばかり想定外のことが起きてね。どうやらリムリヤが四族とイミュリエールを自領地に招待してきたようだ。数日内には両者が出会うことになるね」
「なんでさ……」
「君との白兵戦の対策として、鍛錬相手として招待状を送ったようだ。いやぁ、まさか殺される側が殺す側を招くとは。私としても驚いたよ」
姉さん側の事情を知らないとはいえ、魔王候補争奪戦で姉さんの強さはその肌で感じたはずだ。だからこそと言う可能性はあるが、それにしても間が悪すぎる。
「どうするのさ」
「うーん。リムリヤは諦めて、イミュリエールが次の対戦相手にならないように、的を絞る方向でいこうか?」
「……冗談?」
「半分本気かな。いくら私でも一週間程度で君にイミュリエールを止められるだけの実力をつけられるわけじゃないからね」
「それはその通りだけどさ」
先程姉さんの強さにはまだまだ遠いと感じたばかりの状況で、姉さんを実力で止められるとは思ってはいない。だがそれはあくまで実力行使で止める場合の話だ。
別に姉さんを止めるために戦う必要があるのかと言われれば――
「対話で誤魔化すことはできないよ。イミュリエールは既に覚悟を決めている。君が魔王候補という危険な道を歩まないためなら、自らの立場なんてどうだって構わない。そして君がその障害となるのであれば、彼女は君の腕を斬り落としてでも君を保護しようとするだろう」
「……背負わせたくはないんだよなぁ」
腕を切り落とされるくらい別に構わないが、問題はその先だ。そうなった場合姉さんは一生罪の意識を背負い続けることになる。それは論外だ。そんな未来はどちらにとっても救いがない。
「最低賃金で軽々しく世界の命運を背負い続けてる君が言って良い台詞ではないのだけれどね」
「それはそうなんですがね!」
姉さんに並ぶために己を鍛え続け、それが人生の楽しみとなり、その効率性を求めた結果が今の状況だ。それで姉さんに覚悟を決めさせてる時点で酷い弟であることは否めない。とはいえ、既に俺と姉さんだけの問題ではなくなっているのも確か。
「まあ、とりあえず行くだけ行っても良いんじゃないかな。ダメそうなら君だけでも無事に帰ってくれば良いわけだし」
「雑ぅ……。師匠は手伝ってくれないよな?」
「私は彼女にアドバイスをしている立場だ。その私が彼女の邪魔をするのはちょっとね」
「そらな」
そもそも姉さんが魔王候補争奪戦で俺との一騎打ちを望んでいるのは師匠の入れ知恵だ。俺に今の立場を止めさせるには姉さんが奪うことが最も手っ取り早い。リムリヤの殺害を狙うことはその手段の延長線上なのだから、師匠が俺に直接助け舟を出すわけにはいかない。
今こうして俺の修行を見てくれているのは、過去からの約束の続きだからこそ。詐欺師ではあるが、師匠は交わした約束事を違えるようなことはしない。……本人の意図した形になるかはさておき。
「ここで私を責めない姿勢は評価するけど、もう少し若者らしい葛藤は見せて欲しいものだ」
「なら八年前からもう少し労ってやるべきだったな。うっし、支度するか」
招待を受けている四族と姉さんはおそらく転移紋を使って悪魔族の領地に飛ぶことになる。だが俺は招待を受けるどころかリムリヤとは敵対関係のままだ。
幸い悪魔族の領地はここから最も近い還らずの樹海に接する樹華族の領地の東にある。更に東にある牙獣族の領土からでも侵入は可能だ。ララフィアとガウルグラート、どちらに頼むか……。
「私ならララフィアかな」
「だよな」
樹華族は穏健派の魔族で他種族の来訪を基本的に拒まない。ヨドインとの一件の際にも二百の兵を文句一つ言わずに通していたほどだ。
当然悪魔族との交流も十分にあり、地続きということは整備された陸路もある。
争奪戦でララフィアが俺を認めてくれた関係上、多少の警戒はされているだろう。だが樹華族との交流を無しにするほど極端な対応はしないはず。
「ちなみに私が彼女を推薦するのはまた別の理由さ。面倒だから割愛するけども」
「そこは補足してほしくはあるけどな」
「なんだか聞いていて頭が痛くなる会話をしているな……」
途中から接近には気づいてはいたが、渋い顔をしたマリュアがこちらを見ている。手にはノノアの作ったと思しきお弁当がある。
師匠、ノノアをヴォルテリア(マリュア)に返したくせに未だに世話焼かせてるのはどうなんだ。
「おや、マリュア。ノノアのお弁当を届けにきてくれたのかい?」
「ああ。ウイラスのように直接心を読んでるわけでもなしに、よくもまあそこまでアークァスの思考を読みながら会話できるものだ」
「慣れさ、慣れ」
「アークァスも気味悪がったりしないのか」
「慣れだな、慣れ」
「この師弟……。君がウイラスと平然と会話ができている事の理由が実感できたよ……」
俺から言われせれば、この短期間で俺達に順応しつつあるマリュアも大概なんだよな。ケッコナウの旦那を相手にしてきた慣れなんだろうが、それを指摘すると悲しい顔をするのは目に見えているので言わないでおこう。
「マエデウスの部下をやれている君ほどではないさ」
「うぐぅ……」
言いやがるよな、この師匠は。
こんな奴と何年も生活してたらね。
クアリィ、レッサは意図的に恋愛ムーブをさせても全く良いところはないぞ。自然体で待つのだ。
最近暖かくなりそうでならない。布団を減らすというよりかは横に畳んで寝てる日々です。
これまた急に気温上がって5月ごろからエアコン生活になるのかなぁ……。