これをなんと呼ぶのか。
◇
「リムリヤ様、お茶の用意ができました」
時間を忘れ没頭していた早朝からの鍛錬は、側近のヒュールの呼び声によって終わりを告げる。
「――そう。ありがとう、ヒュール。貴方達も今日の鍛錬はおしまい。あとは通常業務に戻って良いわよ」
鍛錬に付き合わせていた子達を解散させ、汗を流して着替える。執務室に入ると鼻腔をくすぐる私好みの良い匂いが充満していた。
「新しい品種の茶葉を仕入れてみましたが、お好みには合いそうですか?」
「ええ、良いセンスね。普段のレパートリーに加えても良いわ」
ヒュールは魔族としての実力はさほど。でも彼女が時折見せるモノ選びのセンスはとても良い。良いのだけれど――
「そうですか。加える気はありませんが」
「どうしてですのっ!?そこは加えるところでしょう!?」
「新商品の評価が欲しいという依頼でしたので、お出ししただけです。最高級品なだけに割高なので普段遣いには流石にコストがかさみます」
「私領主ですわよね!?最高級品を普段遣いしてもよろしいのではなくて!?」
「どうせそこまで違いがわかる舌じゃないでしょうに」
「ぬぐ……」
この通り、マジで無礼。なんで解雇しないかっていうと、そこ以外敏腕過ぎて代わりが見つからないレベルだから。
ヒュールの代わりを補充するのに必要な人件費を考えると、この無礼千万な側近を残す選択肢しかなかったわけで……くぅ。
そういやミーティアルのとこの双子の部下も似たような境遇って聞いたわね。これが二人もいると考えると、ちょっと同情したくなっちゃうわ、ほんと。
「あと口調、乱れていますよ。庶民の出のくせに、冷静じゃなくなると言葉遣いが丁寧になるのはどうなのでしょうか」
「う、うるさいわね……。癖なのだから仕方ないでしょ!?」
アガペリオ家は過去に貴族であった時期もあったけれど、すっかり衰退し今では農家が生業。
以前私は悪魔族領主となったからには、一族の過去の栄光を取り戻すんだーって、目一杯勉強した。それはもう熱が出て寝込むほどに。その甲斐もあって仕草から言葉遣いまで、自然に出るようになったんだけど――
『魔王を目指すのに、貴族を極めてどうするのですか。逆に小物っぽくなりますよ』
とヒュールにぶった切られてからは素に戻った。多少の品格くらいは示そうかなとは思ったけれど、娘が領主になったのに少しも野心を抱かず採れたての野菜を抱えて持ってきた笑顔の両親を見て、その気は微塵もなくなった。気負っていたのが私一人だと気づいたときの虚しさって、ほんと……。
ただ培った努力って無駄にならなくて、むしろ無意識の時に漏れ出しちゃうようになったわけで。
「ツッコミの時だけ丁寧になるとか、貴族というより色物コメディアンですよね」
「誰のせいとお思いかしらっ!?」
これでも落ち着いた方。ヒュールのように思わずツッコミを入れたくなる相手でもない限りは、私は普段通りのリムリヤ=アガペリオとして振る舞えているのよ。多分。
「先程の白兵戦の鍛錬、次の魔王候補争奪戦に備えてですか」
「ええ。ガウルグラートやジュステル相手に白兵戦で打ち勝つ相手だもの。付き合うつもりがなくても、白兵戦は避けられないでしょうし」
いやほんと、冗談抜きで一つの間違えで私の首が撥ねられかねないのよね。一応ジュステルを倒した一撃とかも見えてはいたけれど、アレを直接受けることになれば避けるのも一苦労しそうだし。
「相手はインキュバスなのでしょう?ならばリムリヤ様が負ける道理はないと思うのですが」
私は悪魔族の夢魔。相手の心を掌握する術に特化してる。もちろん誰でも自在に支配できるというわけじゃなく、同格の魔族同士ともなれば相手の同意でもない限りほぼ無理。
ただ同じ夢魔同士に限っては、互いに精神と肉体の構造の基礎を把握しきっているということから、僅かな格差であっても容易に支配することが可能。
夢魔同士の戦いなら、夢魔としての格だけで勝ち負けがつく。さらに私の特異性もその類の延長線上だから、実質私に勝てる夢魔はこの世界には存在しない。
私は彼に指一本動かすことすら許可せずに屈服させられる。屈服させられるのだけど……。
「本物のインキュバスならね。アレを見て、インキュバスだって思える方がどうかしてるわよ」
カークァスは人間界で生きる上で、他者の目には紛うことなき人間に見えるような性質を手に入れた。
ワテクア様はそう説明していたけれど、その戦闘能力は明らかに異常。精神干渉に類する力を何一つ披露しないまま、白兵戦だけで領主クラスを相手にするとか夢魔の存在を全否定してるっての。
彼をインキュバスと見れない自分がいる以上、同じ夢魔だからと余裕を見せることなんてできるわけもなし。
「ワテクア様が嘘をついていると?」
「……どうかしらね。本物だとしても完璧な人間への擬態ができるってことだし、夢魔の常識すら通じない可能性だってあるわ。だから敗因になりそうな要素は少しでも減らしておきたいの」
夢魔目線なら絶対に勝てる勝負。けど私の本能はそうは言っていない。あの男をナメたらきっと酷い目に遭う。
そんなわけで、現在は対戦に備えて白兵戦の感覚を養ってるわけ。今のとこ、開幕に何もできないままいきなり斬られるってのが想像できる負け筋だし。
「つまりビビってると」
「ビビってなんかいませんことよっ!?……コホン。仮に私の特異性が通じなかったとして、そうなった場合は純粋な戦闘になるもの。備えは必要でしょ?冷静と言いなさい、冷静と」
「ですが相手は牙獣族や鋼虫族領主相手に白兵戦で勝つほどの方なのでしょう?この領土にいる夢魔程度で鍛錬になるのですか?」
「……そこなのよねぇ」
とりあえず腕に自身のある子達を集めてみたは良いけど、私でも難なく対処できちゃう程度だった。良い鍛錬に感じられた分、カークァスに比べ私の技量の低さが浮き彫りになったのを実感できたくらい。この調子でカークァスに通用するレベルになるにはあと数十年は余裕でかかる。
「リムリヤ様、なんだかんだ特異性以外の能力も高水準ですからね」
「なんだかんだは余計よ。でも領主クラスで見たら下位でしかないの。全然足りないわ」
「でしたらどなたか、白兵戦に強い領主の方にご協力を願い出ては?」
「あー……」
確かに、領主クラスの戦いなのだし、本格的に対策を身につけるのなら同じ領主クラスに鍛錬に付き合ってもらうのが一番効果的よね。ただ問題は誰が付き合ってくれるかって話。
対戦するカークァスは当然として、ガウルグラートやナラクトもカークァス派だから論外。ミーティアルは最近音信不通だし……。
「白兵戦が得意そうなのって……他にいたっけ。ジュステルは死んじゃったし、レッサエンカやルーダフィン辺りとかかしら」
もしかして意外とあり?ていうか名案?って私が勝っちゃうと、私が魔王になる術を手に入れることになるわけで、領主達が素直に協力するわけないか。
「悪くないと思うけれど、ダメね。魔王の座を奪おうとしているライバル相手に協力してくれるとは思えないわよ」
「それはどうでしょうか」
「……どゆこと?」
「リムリヤ様は領主の中では弱い方じゃないですか」
「まあ、認めたくないけどね」
「最弱じゃないですか」
「言い直す必要ありましてっ!?多分クアリスィよりはマシですわよっ!?」
あ、でもどうなんだろ。クアリスィは強くなさそうに見えたけど、あの先代魔王が先生してたって話だったわよね。もしかして実力隠してる?そうなると確かに私最弱かも。
「なので誰もリムリヤ様がカークァスに勝てるとは思ってないはずです」
「そんなことは……あるかもしれないわね」
「なのでほとんどの領主は次の魔王候補争奪戦に備えて、カークァスの対策を練りたいはずです。リムリヤ様は前座のようなものです。いえ、前座と断言しても良いでしょう」
「断言は止めてくれる?」
「そこで逆に考えるのです。前座様」
「前座様っ!?」
「誰もがカークァスの手の内を少しでも探りたい。そのためにもリムリヤ様には少しでも長く戦ってもらい、カークァスの実力を引き出して欲しいと考えるはずです」
「……だからむしろ協力してくれると?」
「はい。たかだか二ヶ月程度、強さが激変するはずもないでしょう。ならばせめて少しでもリムリヤ様には長持ちして欲しいと考えるかと」
「長持ちやめて?」
酷い言われようだけれどヒュールの言う通りか。夢魔としての常識が通用しないって感覚は多分他の領主も同じのはず。そうなると私に勝てる見込みはないって思うのが自然。
ただ私の特異性を正しく知っているのは私だけだ。カークァスの心を支配することは難しくても、実はちゃんと活路はある。
白兵戦で何もできないまま一方的に敗れることがなければ、私にも勝機は十分にあるのよね。
「一割くらいは勝機あるのでは」
「もう少しあるわよ……多分。でも悪くない考えだわ。確かにその視点を活かせば、案外協力してくれるかもしれないわね」
「では早速四族の領主に連絡を取りましょう」
「ええ、お願いするわ」
「そういえば、鋼虫族領主だったジュステルを倒したミュリエールという方は?確か四族の方々が推薦したという話ですが。それならば一緒に声を掛ければ、案外来てくださるのでは」
「ああ、彼女も白兵戦得意そうだったわね。ふむ……」
ミュリエールの強さは対峙してすぐに分かった。ジュステルを斬り殺したという話だって、少しも疑わずに信じられたもの。
自分の強さを見せないようにしているカークァスと、少しも隠そうとしていないミュリエールからは真逆なようで、近しい何かを感じた。
カークァスの剣に備えるのなら、彼女に教えを請うのは確かに悪くないわね。ただ物凄く物騒な殺気をばら撒いていたけれど……まぁ、流石に四族達と一緒に招けば問題ないか。
「ええ、是非一緒にとお願いね」
「畏まりました。そういえばこのお茶は飲んだ後、器に残った茶葉で簡単な占いができるそうですよ」
「あら、そうなの?ちょうど飲み終わったし、見てもらえる?」
「ええと……『多分近々死ぬ。頑張れ』ですかね」
「茶葉占いでそんな物騒な結果が出るわけないでしょうっ!?」
「占いなんて、そんなものですよ。当たり障りのない結果で感覚的に当たったって感じるものですし」
「近々死ぬは当たり障りありまくりですわよっ!?」
せめて悪魔族陣営内ではほのぼのした関係であってほしいと願ったのに、この側近はどうしたことか。
次回、『クアリスィ再び吐血』。乞うご期待。