思惑は多方にて巡る。
とりあえず新章です。
◇
「カークァスさんに確認すべきか、どうか……うーん……」
伏せるべき情報なのか、それとも公開すべき情報なのか。この判断を見誤りたくないと悩む時間に価値はない。大事なのはそれぞれの判断の末にどういう展開になるかを予測すること……なのだけれど、先が全く読めないと悩まざるを得ないというもの。
先代魔王、オウティシア=リカオスの乱入の際。僕はある事実をオウティシアやカークァスさんに確認することを躊躇した。
それはオウティシアがセイフという名を名乗り、ニアルア山で槍の潜伏者と協力関係にあるマリュア=ホープフィーと共に行動していたというもの。
弓の撃墜者との関係があることは明白だし、そうなると先代魔王と旧神の使者は何かしら繋がりがあることは想像に容易い。
だけどあの時マリュアと行動をしていたオウティシアは、隠れ潜んでいた僕の存在に気づいていた。それを知っていながら堂々と魔王城で登場してくれたものだから、本能的に危険を感じ取ってしまったわけで。
「あそこまで堂々とされると、下手に聞き出すのも怖いんだよなぁ……」
僕がカークァスさんにオウティシアとの関係を確認した時、彼は自分の師が先代魔王であることを最近になって知ったと言っていた。
その際に、女神ワテクアすら知らなかったと質問の答え以上の情報を溢していたほどだ。それほどまでにオウティシアの乱入に動揺があったのは間違いない。
カークァスさんのような人物は基本嘘を付かない。嘘を付くくらいならば、別の言葉で有耶無耶にしてくるだろう。
そこから考慮するに、女神ワテクアはカークァスさんを次期魔王候補として選んでいたけれど、オウティシアの関与を知らなかった……つまりオウティシアは女神の目すら欺いて活動をしていたと判断できる。
「ミュリエールの件も考えると、相当な裏がありそうだしなぁ……」
さらにカークァスさんの姉でありながらジュステルを殺し、四族が突如推薦したミュリエール。クアリスィもオウティシアの弟子らしいし、こちらも無関係とは言えないだろう。
カークァスさんにミュリエール、旧神の使者……それらに全て関与しているのが先代魔王オウティシア……底が見えなさ過ぎるし、つつくのも怖過ぎる。
ただこれらのことに対し、不思議と動揺は少なかった。それはきっとカークァスさんが原因だろう。
特異性に頼らないカークァスさんの異様な強さは、魔界の領主達よりも旧神の使者の強さのソレに近い。僕がそもそも槍の潜伏者の正体がカークァスさんなのではないかと疑っていたのも、その点に尽きる。
「いっそ槍の潜伏者も弓の撃墜者もカークァスさんの自作自演だったら、気が楽なんだけどなぁ……」
槍の潜伏者だけならば可能性はあったけれど、弓の撃墜者までもとなると流石に無理がある。
弓の撃墜者とミーティアルの戦いを監視していた者からの報告によれば、ミーティアルは突如撃ち落とされたとあった。
それは間者の目には映らない何かしらの超越した力が用いられたということになる。
特異性の二段階開放を行ったミーティアルを正面から撃ち落とすような技をカークァスさんが持っていたのであれば、これまでの対領主戦で使ってないのはあまりにもリスクが高過ぎる。勇者の扱う技、神技の存在を僕らに見せるよりも先に使っているはずだ。
「実は弓が一番得意だったとか……いやいや。それなら最初から弓を持って現れているだろうし……」
とりあえず当面はオウティシアの目論見を探ることからだろう。だけど弟子のカークァスさんや女神ワテクアにすら情報を漏らさないような男だ。どう調べたものか……。
などと考えていると、扉をノックする音がする。この鳴らし方は間違いなく彼だ。
「ヨドイン様、よろしいでしょうか」
「ん、ハルガナか。どうしたんだい?」
足音が聞こえないせいで、いつからいたのかちょっと聞きたくなったけれど、そこは我慢。一人でブツブツ言っていたことに対する気恥ずかしさを顔に出さないようにしつつ、ハルガナの入室を出迎える。
「……そのニアルア山にて回収した鎧や服について、呪物解析班の結果が出ました」
「呪物扱いで処理しておくようにとは言ったけど、本当に呪物解析班に回してたんだ」
マリュア=ホープフィーが貫通力に特化した特異性を持つシューテリアに対し、不要だからと脱いだ鎧と服だ。
調べてくださいと言わんばかりに捨て置かれていた胡散臭い代物で、報告を受けたハルガナも非常に胡散臭いものを見る目で確認していたのを思い出した。それを律儀に解析してくれたようで、複雑そうな表情にも納得。
「こちらの報告書を……」
「別に良いよ、どうせロクな情報も――」
「お願いします」
異様を感じ取り、茶化すのを止めてハルガナが渡してきた資料を読む。服は特に変哲もなく、人間界ならばどこでも用意出来そうな代物っと。鎧は――
「え……なんだ、これ。なんでこんなものが……?」
「わかりません。解析班も私も意図を測りかねております」
装備にはエンチャントが施されていることがある。コストも高いし、媒介となる宝石や装飾が傷つくことで簡単に失われてしまうので過信もできないが、備えの一つとしては悪くない選択肢とも言える。
特に鎧などには長距離の行軍を考慮した疲労回復効果や、寒暖対策。初撃だけでもその被害を減らせるようにと簡易的な結界を張るなどのエンチャントは一定以上の階級の人物の嗜みの一つになることもある。
マリュア=ホープフィーの鎧にはその内側に特殊な金属の装飾が施されており、それを媒介としたエンチャントが施されていた。
騎士団団長の鎧ともなれば、エンチャントの付与くらいは不思議でもない。ニアルア山で鎧を見つけた時にも何かしらのエンチャントが施されていることは気づいていた。
けれど、そのエンチャントの解析内容があまりにも異様なものだった。
「この鎧のことを知ってて着ていると思う?」
「少なくともまともな者なら、好んで着ることはないでしょうね」
「そうだよね……これを解析した者達は?」
「追加任務として別室にて作業を宛てがい、隔離しています」
「僕と同じ判断か。良いね。じゃあ彼等の数カ月分の記憶を消すように。呪物の解析の際に事故を起こし、その後遺症ってことで、特別手当でも与えておいて」
「承知しました」
これは人間からすればエンチャントというより、むしろ呪いだ。持ち主に対して何一つ利点がない。
杞憂の可能性はある。ただの酔狂な人物が、マリュア=ホープフィーの鎧にあんなエンチャントを施しただけなのかも知れない。
けれどそれに意図があり、あのオウティシアがワザとそれを僕らに知る機会を与えていたとしたら……。
ハルガナもそう思ったからこそ、解析班が他に情報を漏らさないよう隠匿する用意をしていてくれたんだろう。
「少し探りを入れてみるか……」
◇
アークァスとセイフの修行。場所は人間界、還らずの樹海付近の森。還らずの森を伐採し始める少し前にアークァスが修行場としていた場所。
森に不相応な広場が出来ており、言わずもがなアークァスが切り拓いたもの。人間界の森はただの森なので、一度伐採すると簡単には再生しませんからね。
「それじゃぁ準備はいいかな?」
「それは良いんだが……ウイラスはわかるとして、なんでこいつらがいるんだ?」
「せっかくだから先代魔王の現状でも確認しようとついてきた次第です」
「心配せずとも、衰えきっているよ。昔の影なんて欠片もないさ」
「だからこそですよ。その状態でイミュリエールを抑え込めるとは普通思えませんからね」
魔王の力を失いつつも、かつては勇者に匹敵する力を保有していたオウティシア。言うなれば世界最高峰の老兵とでも言うべきでしょうか。
後々厄介事を起こす可能性はありますし、どれだけ戦えるか程度は確認しておきたいところです。
ちなみに他のギャラリーはマリュアとノノア。両者ともセイフに連れられてやってきています。
「私はセイフに誘われて……まぁ、一人の騎士として、魔王の施す修行とやらに興味があったのだが……ダメだったか?」
「ダメってわけじゃないけどな」
「私は暇だったのでー」
「これは私が施す修行だ。故に私が許可するのならば問題ないさ」
「その言い分はちょっと癪に障るけどな」
セイフはゆったりとした服装のままですが、今回はアークァスと同じように剣を握っています。
それも只の剣ではなく、魔王城に眠る歴代魔王が生み出した魔剣。その銘は――
「『殺めずの剣』。相手の武器とは撃ち合えるけれど、その肉体は素通りする。歴代魔王が領主達に稽古を付ける時用に創り出した魔剣だ」
「木剣とかで良いんじゃないのか、それ」
「これはこれで便利なのさ。修行のルールを説明しよう」
セイフは静かに剣先をアークァスへと向ける。魔王であった時に比べ、威圧感などは皆無。けれど、その静けさにはまた別の何かを感じさせます。
対するアークァスは表情こそ真剣ですが、心の内は結構ワクワクしていますね。相手は性根こそ腐っていますが魔王ですし。
「私は剣技と特異性だけを使う。君はなんでもありだ。とりあえずは私から一本取ろうか」
「特異性は使うのかよ」
「イミュリエールを止める際にも使っていたからね。少なくともこの私から一本取れれば、感情に身を任せた彼女にも負けない証明にはなる」
「そっか、それじゃ早速――」
一気に距離を詰めながらの一閃。動きの予兆を消し、相手の目に残像を残しながらの奇襲。並の相手ならば一撃で決着するほど見事な仕掛けですが――
「まずは一回」
セイフの剣がアークァスの胸元を貫いている。動きは目で追えましたが、アークァスと同じようにセイフも動きの予兆を見せないまま、アークァスの動きに合わせるように姿勢を低くして突きを放っていましたね。
セイフの剣が引き抜かれる。『殺めずの剣』は相手の肉体は素通りする。なのでアークァスの体には傷一つありませんが……服の胸元にはしっかりと剣で貫かれた穴が残っています。
「――まぁ、ダメか」
「その程度で当たってたら、私はとっくにイミュリエールに斬り殺されているさ」
「というか、その剣。痛みはあるのな……一瞬死んだかと思った」
「死なないからと、適当にやられても困るからね」
そう、『殺めずの剣』はただ相手を傷つけないだけの剣ではなく、『斬られた』という痛みを相手に残すという力があります。
コアを穿けば、その相手は死すら錯覚できるほど。ただのお遊びでの鍛錬よりも一つ上の緊張感を持てるというのがコンセプト……とか言っていましたね、制作者は。
「死を体験するほどの痛みの割に、リアクションが淡白すぎないか?彼」
「『時渡り』で足を破裂させながら戦うような人ですからね。痛み程度で表情は変わりませんよ」
「えぇ……」
一呼吸を入れた後、再び仕掛けるアークァス。しかし数合と打ち合わない間に、セイフの剣が彼の体を貫く。
アークァスの剣の冴えや洞察力は変わってなどいない。ただ純粋にセイフのそれが凌駕しているというだけの話。
続けて二度、三度と剣に貫かれるアークァス。死を伴うはずの痛みを繰り返し受けたせいか、その表情にはやや曇りが見えますね。
「こんなにあっさりアークァスが負け続けるなんて……」
「自身よりも地力が秀でている相手には何度か勝ってきましたが、それは剣技や読みの鋭さで隙を付けたからです。その二つで上をいかれているのですから、妥当な結果ではありますよ」
実際セイフが自身の体に付与している魔力強化はアークァスと同等、もしかすればやや弱くもある程度。
アークァスは今全力でセイフの動きを観察し、いかに虚を突くかを考え続けながら剣を握っていますが……その思考はセイフの剣に貫かれる都度に驚きで塗りつぶされています。
「思考が読まれている……ってわけじゃないよな」
「ああ、ウイラスのように読心をしているわけじゃないよ」
なんて会話をしつつ、アークァスは無心で仕掛けましたが返り討ち。今のそこらの達人が見たら言葉を失う程に見事な無心の一撃なのですが、当たり前のようにダメでしたね。
「じゃぁ特異性か」
「そうだね。今の君の上位互換程度と思ってもらえれば良いよ」
ただ流石はアークァス。既にセイフの特異性については理解したようで、どう破るかを考え始めています。
けれど理解することと、攻略することはまた別の話。修行初日目にどうこうできるわけもなく――
「それじゃあ休憩だ。そろそろ思考もままならないだろうからね」
「……はい」
都合二十回目の死を体験した段階でセイフの制止が入りました。アークァスは体力こそまだ余裕なのですが、問題は精神の方。
痛みだけならばいくらでも耐えきれるはずのアークァスの精神が、著しく摩耗していています。『今の一撃は死んでいた』とその把握能力の高さゆえに、二十回程度の痛みが二十回の死の体験に昇華されてしまっているためですね。
これまで客観的には奇跡的に生きていたような状況でも、それは彼からすれば死をギリギリで回避して生き抜いてきたわけです。その一線を容易く何度も越えられては精神的にくるものもあるでしょう。
「くそぅ……流石に凹むなぁ……」
緊張の糸が切れたのか倒れるように地面に転がるアークァス。悔しがってはいますが、頭の中は意外と多幸感に満ちているのですが指摘しない方が良いですかね。
アークァスがボロボロになった上着を着替えていると、ノノアがバスケットを両手で掲げながら近づいてきました。あれはもしや……。
「お昼ごはんですよー。ノノア特製お弁当ですー」
「ほう。食事が出るのですか」
「俺らの分だっての」
「大丈夫ですー。どうせ野次馬がいるだろうと多めに用意してありますー。皆様もどうぞー」
「殊勝な心がけですね。女神の加護を与えたくなります」
流石はアークァスの妹弟子。しかも彼よりも素直な分、私に対する塩対応もなし。処世術は見事と言わざるを得ませんね。
「わーい」
「女神の加護を安売りするなよ」
「女神を直接喜ばせる偉業なのですから、相応の対価なのでは?」
「ぬ……」
「女神に食事を提供する機会そのものが、稀有で貴重な機会ではあるからね。その機会を活かしたと考えれば妥当ではあるかな」
「日常的にたかられているから、感覚が麻痺してるな……」
酷い言い草ですね。私としても普段の食事の礼はしようとしています。それこそ体で払おうとさえもしているのですが、拒否されてしまっているだけなのです。
なのでアークァスの食事は見返りを求めない善行として、素直に頂いている次第です。
「かたやブロンズ冒険者の作る食事と、未来のヴォルテリア女王の食事でもあるからな……」
「だいぶ畏れ多そうに食べてるな。マリュア」
「美味しいですかー?」
「はい……とても美味です……」
マリュアはここ暫くノノアと共に暮らしています。将来の上司ということで必死にお世話をしようとしているマリュアですが、家事スキルにおいてはノノアの方が秀でているとのことで逆にお世話されつつ、日々を恐縮しながら過ごしている様子。
「未来の王女に下手に加護を与えると国家間で格差が生まれないか?」
「それはそうかもしれませんね。では気持ち程度の加護にしておきましょう。希望はありますか?」
「では卵焼きが焦げにくくなる加護をー」
「採用で」
「できるのかよ……ちょっと欲しいな」
厳密には彼女が意識すると、身の回りの炎が物を燃やす力を多少失うといったものなのですが。焦がさずに食べ物にしっかりと熱を入れられるのは、咄嗟に思いついたにしては我ながら良案ですね。
「それはそうと。マリュアは形式的にはノノアをセイフから取り戻した形になっていますよね?ヴォルテリアには戻らないのですか?」
「それなんだが……」
「ノノアがヴォルテリアに帰るということは、私の教育を終え女王となる準備に移るということだ。そうなればこの子が女王になるまでの間、いや女王になってからもヴォルテリアを離れる機会は訪れないだろう」
国としての優位を築くため、世界の情勢に詳しいセイフに弟子入りしたノノア。未来の女王として、彼女の王女としての役割はまだまだこれから。そう考えれば今こうしてほのぼのとしていられるのも、最後の一時なのかもしれませんね。
「人生最後の観光旅行ですー」
「そう言われると、すぐにでも連れ帰る気にはなれなくてな……正直あの上司の元にすぐに帰りたいかと言われると、微塵もそんなことはないし……」
「マエデウスもマリュアとノノアが接触していることは承知の上さ。必要になれば帰還命令を出してくる。それまではマリュアもノノアも存分に学んでおくといい」
「先代魔王から学ぶというのも、中々複雑な気持ちではあるのだがな……。あ、それで思い出したのだが……先程の手合わせで、セイフは特異性を使っていたのか?特段何かしらの力が働いているようには見えなかったのだが……」
現状この場でセイフの特異性の仕組みを知らないのは……マリュアだけですね。初見のはずのアークァスとノノアは元々の付き合いがあったせいか、『多分こういった能力なのだろう』といった推測が見事的中しています。
「そうだね。特に隠すつもりもないし、解説しようか。ノノア、ちょっとこっちにおいで」
「はいー」
セイフは近寄ったノノアに対し、小声で指示を出している模様。それが終わるとノノアは少し離れた場所へと移動し、私達に対して背中を向けしゃがみながらなにやらごそごそと動き出しました。
「それじゃあ私の特異性を疑似体験してもらおうか」
「え、できるの?」
「視線は私に向けて。私が合図をしたらノノアを一秒間見るんだ。そして再び私の方へと視線を戻す。その後に私がその時のノノアの姿勢について質問をするから、答えてごらん」
「……ふむ?了解した」
「用意できましたー」
セイフが軽く手を叩くと、マリュアはノノアの方をさっと見て、もう一度セイフの方を向き直す。
私もせっかくなのでノノアの方を見ると、ノノアは両手を上げ、右手の方を握りこぶしに。左手の方を開いた状態で立っていました。
「じゃあ質問だ。ノノアの靴下のうち、片方が下がっていた。それはどちらかな?」
「靴下!?そんなところ見てないぞ!?姿勢と言ったじゃないか!」
「じゃあ次は十秒間あげるから、じっくりノノアを観察するんだ。またそうしたらまた同じように質問をするからね」
「……わかった」
再びセイフが手を叩く。マリュアは再びノノアの方を向き、先程よりもじっくりと丁寧に彼女の全身を観察していく。そして十秒後、再びセイフの方向を向き直すマリュア。
「それじゃあ質問しよう。ノノアの左右のおさげにある髪飾り。そのうち片方の向きが変わっている。それはどっちかな?」
「ええと……左だ!」
「正解。よく観察していたね」
「まあ……また予想外の質問がくるかもしれないと、注意深く全身の違和感をチェックしていたからな」
「それが私の特異性さ」
「……どゆこと?」
セイフは自らの目を指し示す。そこにあるのは何一つ変化のない、彼だけの瞳。
「見たものを二度見したものとして認識できる。『もう一度、この眼に貴方を』それが私の特異性の名だよ」
「……それだけ?」
「ああ、それだけさ。私は忌眼族ではあったけれど、誰にも影響を及ぼすことのできない常時発動型の特異性。劣等者扱いすらされていた目さ」
その言葉に嘘はありません。忌眼族はその名の通り、眼の因子を持つ魔族。魔眼とも呼ばれる特異性を持ち、それこそ視るだけで相手を呪い殺めることすらできる者もいます。
その中でセイフの特異性はあくまで自身の認識にのみ作用するもの。単純な脅威としては最低ランクではあるのですが――
「騙されるなよ、マリュア。かなりえげつない話だからな」
「アークァス……?」
「マリュア、お前は最初ノノアを一秒だけ見た。そしてその後の質問には答えられなかった」
「まぁ……そうだな」
「だがもう一度見た後では、更に難しい質問に答えられたよな」
「そりゃあ十秒も凝視することができたわけで……」
「たった一秒の視認を、十秒もの凝視をしたものとして認識できる。しかも咄嗟に見たものを、慎重に観察したものとしてだ」
マリュアもセイフの特異性の意味を理解したのか、顔色がみるみる青ざめていきますね。
戦いにおいて、視界に映る敵の攻撃を受けてしまう理由として、見ても気づくことができず『見逃してしまう』ことと、見てはいるけれど異なる認識をして『見誤ってしまう』ことがあげられます。
セイフの二度見するという特異性の最大の特徴は、二度目の認識が一度目と同じように見るわけではないという点。さっと流し見ただけでも、決して見逃すことなく注視していたものとして認識することができます。
「見逃さない。見誤らない。ゆえに『見切れない』が存在しない。対処法さえ知っていれば、万全の状態で反応できてしまう。俺の『見』を上回る観察眼だ」
「アークァスよりも……」
「目が良くても肝心の強さが伴わなきゃ、ただの傍観者と変わらないけどね」
セイフの言う通り、『もう一度、この眼に貴方を』は自身にとっての最上限の認識、最適解を見極められるだけの特異性。自身の能力を遥かに凌駕する相手には通用しません。
しかしこの特異性だったからこそ、彼は他の忌眼族よりも秀でた魔王になれたと言っても過言ではありません。
「私の加護で、力も伴ってたわけですがね。百年前は」
「邪神ワテクアの加護……魔王の力……」
「破壊するだけの特異性ならば、魔王となることで類似したものや、より強い力を得られますからね。それらの力を活かせる補助的な特異性の方が、魔王となる際に無駄がありません」
「今は見る影もないけれどね」
先程の修行ではセイフの動きそのものはアークァスと同等程度。全くの無駄がなく、読みの精確さ等の差ははっきりとありましたが、それでも領主クラスと比べれば明らかに見劣りするレベルです。
「……その状態で姉さんを抑え込めた。だから俺にも可能性があるってわけか」
「その通り。イミュリエールの攻撃の全てを完璧に対処できるのならば、正直今の君でも勝てることには勝てる。ただ君には知識が足りない。経験が足りない。一つ見逃したり見誤ったりすれば、即敗北だ」
「……そのためにも『見』の精度向上は必須項目ってわけか」
「うん。君がこれまで領主クラスと渡り合えたのは、その観察眼の優秀さ故だ。けれどそれをより鍛えるには同等以上の眼を持った相手と戦う必要がある。私のこの眼と、魔王としての経験や知識に並ぶくらいの武器は手に入れておきたいね」
判断を見誤れば死を誤認する痛みを受ける。生存本能を活性化させつつ、格上相手であっても戦い続けられるようにする。
修行初日ということで、ただ力の差を示しただけかとも思いましたが、想像よりも本格的にアークァスを鍛えるプランを考えているようですね。
「ま、やってて楽しくはあるからな。このまま続けてさせもらうか」
「死の疑似体験を楽しくて」
「マリュアも参加するか?」
「絶対イヤです」
「参加させたくはあるけれど、アークァスに三ヶ月でイミュリエールに勝つ術を与えないといけないからね。マリュアの参加はまた次の機会だ」
「次の機会でもイヤです」
「……ところで、マリュア。その鎧は新調したのかい?」
マリュアは現在鎧装備。リリノール騎士団の騎士団長用の鎧のようですね。ニアルア山でシューテリア=アルトニオと戦った際に脱いで放置してきたとかで、暫くの間は軽装でしたね。
鎧は以前見たときよりも綺麗な状態で、確かに新調したようにも見えます。
「ああ。ケッコナウ様が新しい鎧を手配していてくれていたようでな。『そろそろ鎧も古くなってきただろう。他国で活動するからには、リリノール騎士団団長として栄えある姿を忘れずに。予備も含め送っておく』と先日二領送られてきたのだ」
「無くしたばっかりのちょうどいいタイミングでよかったな」
「それはそうなのだが……この新しい鎧、前の鎧よりも私の体にピッタリなのだ……。体の成長まで把握されているのは流石に気持ち悪い……」
ちょうどよいタイミングですか……。ケッコナウはアークァスの手紙を元に、ニアルア山に足を運びシューテリア達を襲撃していましたからね。シューテリア付近の動向を確認していたのであれば、マリュアが鎧を失っていた経緯も知っていた可能性があります。
気遣いができるというよりは、根回しが上手いというべきなのでしょうね。
「デザインは悪くないね。ウイラス、君もそう思うだろう?」
「……妙な質問をしますね?まあ悪くはないと思いますよ」
無骨ではなく、女騎士としての個性を誇示することもない、王を守る騎士らしい鎧。ですが特段なにかに秀でているといったものではありません。
セイフは世界を渡る大詐欺師であり先代の魔王。それこそより秀でた鎧をいくつも目にしてきたはず。マリュアの鎧に特別な何かを感じるというものもないですし……。
「――なに、私好みの鎧というだけさ。マエデウスの性格は大概だが、彼のセンスには共感を得ることが多くてね」
「ケッコナウ様、性格や行動が致命的なところ以外は優秀な人だからなぁ……」
「アレで既婚者なのがな」
「ホントソレ。なんで奥方に見放されないのか……」
「おや、知らないのかい?マエデウスは奥方の前だけは完璧な旦那として振る舞っているからだよ」
「そうであっても、私を始め様々な者達が苦情とか言ってはいるんだけどなぁ……」
先代魔王に性格に問題があると指摘される人間ですら結婚できるのですから、人間というものは理解が難しい存在ですね。
あっさりと紹介される先代魔王の特異性。
観察眼の性能向上に非常に有力な特異性ではありますが、他者よりも脳に流れ込む情報量が多いという欠点はあります。
常時発動型ですが、非戦闘時は一秒を三~五秒。戦闘時は一秒を十秒~??分と調節でき、強弱を付けられるので負担は減らせられます。それでも脳負荷が大きいのでセイフの睡眠時間は他者よりも長めとなっています。