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姉の想い。

 私が先生と出遭ったのは、私が水族の領主としての才能が見出されるよりも前。十二魔境の一つ、『惑乱の湿原』で遊んでいたときのことだ。

 肉体ではなく精神を蝕む毒で満たされた湿原。近づくだけで気化した毒が肺を満たし、夢と現の区別が奪われる。正気な者ならばまず近づこうとは思わない魔境の地。


『やぁ、こんばんは。お嬢さん』


 そんな場所で夢見心地な気分を満喫していた私も大概ではあるけれど、先生はそんな場所の奥地からまるで散歩の途中かのように現れた。

 人間界の方から十二魔境を超えて現れ、穏やかな笑みからは胡散臭さしか感じない男は私の魔法の才能を見出し、魔導の叡智を与えてくれた。

 先生の正体はその領域へと辿り着くことで自然と理解することができた。世界を創造する理の根源、女神の導きを受けし者。先代の魔王、オウティシア=リカオスであると。

 魔王とならねば辿り着けぬような領域、才能があるからとただの善意で案内することはありえない。だから私は先生に目的を尋ねた。何故私を生徒にしたのかと。


『時間に余裕あってね。魔界(こちら)でも候補者を増やしておこうと思ったまでさ』


 先生は魔界でも人間界でもロクなことをしていないのだなと結論付けた。

 自身を少しもよく見せようとしない。他者を育てる才能はあれども、他者を導く才能が絶望的。普通ここまで強くしてくれたのだから、恩義を感じたり尊敬したりするするはずなのだけれど、私は純粋に『うん、未来永劫関わりたくないな』と思ってしまっていた。

 ま、今はそんなことは一旦置いておいて、先生の実力の話だ。元魔王として、強さの頂きに登った者としてその経験や知識量は言うまでもない。でもその領域に辿り着いたからこそ、私には先生の強さの限界が見えていた。

 魔王となり、勇者との激戦を繰り広げた結果なのだろう。先生のコアからは明確な衰えを感じ取れていた。ドン引きするほどに体を弄っているのも、それを誤魔化すためのもの。本人も時折口にしていたけれど、全盛期なんてとっくに過ぎているのだ。

 だからいくら先生であっても、イミュリエールを相手にすれば無事には済まない。それも対話すら成り立たなくなる状態にまで激昂している状態とあっては……。


「少しは落ち着いたかな?」


 涼しい顔のまま立っている先生に対し、あのイミュリエールが膝を地に付け息を切らしている。この眼前の光景には、私を始め四族全員が呆然とする他なかった。

 一度でもイミュリエールと戦った者ならば、その所業がどれほど異常なことなのか……いや、戦った者だからこそ理解できないことだ。

 簡潔に語るのであれば、先生はただ守りに徹していただけだ。白い軌跡も、黒い軌跡も、魔王殺しの剣も、それ以外の超越された技等も、全部。先生はおよそ三時間に渡りイミュリエールの攻撃を全て凌ぎ切ってみせた。

 数日くらい平然と戦い続けられるはずのイミュリエールが数時間程度で疲弊した理由はシンプルだ。激昂し、普段以上に体力を考えない攻撃を行っていたのもそうだけれど、一番の理由は手にしている魔王殺しの剣による消耗があるからだ。

 だからといってその数時間の間彼女の猛攻を凌ぎ続けるという行為は、立っているだけで割れてしまう薄氷の上を歩き続けるよりも困難なこと。

 言うならば間一髪の奇跡の連続。実際見ていた私は『あ、先生これ死んだわ』ってずっと思い続けてたほどだ。


「なんと……」

「あのイミュリエールヲ……特異性すら使わズ……」

「おっと。それは誤解だよ、ゴアガイム。特異性ならば()()()使()()()()()()

「なんト……ッ!?」

「ちょっとした自己強化みたいなものでね。君達領主クラスと比べれば、地味な三流品だけれども」


 忌眼族なのだから十中八九『眼』に関する特異性なのでしょう。でも先生からは特異性の恩恵らしいものを何一つ感じない。自己強化とは言っているけれど、その身体能力はそこまで目を見張るものじゃない。私達が自身を魔力強化した方がまだ秀でている感じだし。

 先生は安い嘘は言わない。だから本当に些細な特異性なのだろう。理に干渉したりするようなものなら、私が気づかないはずもないし。


「――やっぱり、油断のならない人」

「おや、会話が出来る程度には冷静になってくれたようだね。お互いアークァス(あの子)の保護者のようなものなのだから、仲良くしようじゃないか」


 先生を睨むイミュリエールの眼は依然殺気に満ち溢れている。ララフィアに向けられていたものと比べればいくらかマシではあるけれども、そのララフィアを殺す機会を奪った邪魔者として本気で憎んでいる。

 それだけじゃないか。先生はあのカークァス……人間界ではアークァスと呼ばれるイミュリエールの弟の師でもある。私の立場だったらこんな胡散臭さの権化に最愛の者を預けたいとは思わないだろうし。色々と積もり積もった想いもあるに違いない。


「貴方と一緒にしないでもらえる?」

「一緒ではないだろうね。私はあの子のためになる者で、君はあの子のためになろうとする者だ。実益の有無の差は確かに大きいだろうね」

「……ッ!」


 あの先生、今イミュリエールを煽った!?仲良くしようと言った矢先に、挑発してどうするの!?ほら、イミュリエールったら今にも飛び掛かりそうなのだけれど!?


「イミュリエール。私はあの子のことをちゃんと理解しているよ。だからこそ君のことも理解できている」

「貴方に私の何が――」

()()()()()()()()は、さぞ辛いだろう?」


 その言葉がイミュリエールの殺意を殺したのを感じ取った。私にはその真意が理解できない。言葉のままに受け止めようものなら、それは挑発とも卑下とも言えるような言葉としか思えなかった。

 けれど、イミュリエールにはその言葉が深々と突き刺さったのだろう。殺気が消え、重苦しく感じていた空気が正常に戻っている。掛かっていた重圧の反動か、むしろ普段よりも体が軽くなるほどだ。


「……どう……して」

「君の弟への愛を疑うつもりはない。異常性癖の掃き溜(リュラクシャ)の生まれに相応しい情熱だ。けれど、君は他の者とは少しだけ違う。そこには妄執的な想いが根付いている。原因は言うまでもなく、アークァス(あの子)だ」

「違……私……は……」

「彼が君をそうした。彼の危うさが君を歪めた。そうだろう?」


 イミュリエールへと語りかける先生の声色は穏やかなまま。昔私に色々なことを教えてくれた時と何ら変わらない。

 先生は少しも変わらない。世界の理について語る時も、未来に素敵な恋愛ができるようにと応援してくれた時も、今こうして相手の心の扉を無理矢理に開く時でさえも。

 ああ、そうだった。こんなにも他者の心を理解できるくせに、取り繕ったり空気を読んだりする気が微塵もないのが先生なのだ。


 ◇


 物心がついた頃にはもう自身の異質さに気づいていた。皆と立っている場所が、見えている景色が、その先に歩む運命も違うのだと。

 自身が聖剣の乙女となる運命すらも、『ああ、そうなんだろうな』と最初から受け入れていた。

 五歳の頃には、同世代は言うまでもなく私に剣技を教えていた大人達の底すら見えていた。先代の聖剣の乙女であるお母さんだけは……あの人が生きている間に超えることは流石に無理だったけれど。

 皆も私の才能を悟り、その優秀さに喜んではいたけれど……そこには見えない溝のようなものを感じていた。

 でもそれは仕方ないもの。自分が異質だと理解していたし、それが悪いということでもないとわかっていた。わかってはいたのだ。


『この子はアークァス。今日から貴方の弟。仲良くしてあげてね』


 ある日お母さんが小さな子供を連れてきた。私よりも二つ年下、寡黙でじぃっと相手を見てばかりの男の子。

 亡くなった親友の忘れ形見とか言っていたけれど、自身も病弱で死にそうだっていうのに、無理をしたものだと内心呆れていた。実際すぐに死んじゃったし。

 アークァスはずっと私の傍にいた。聖剣の乙女となる私の姿を見続ければ、この村の意味を正しく理解できるだろうというお母さんの最期の言いつけを守っていたのだ。

 始めはそこまで興味を持っていなかった。好きでもなければ嫌いでもない。私を喜ばせようとするわけでもないし、いつも静かで邪魔をするわけでもない。他の皆のように溝を感じるわけでもなかったし、いたければ好きにいれば良いと思っていた。


『姉さん。これ、もらっていい?』


 ある日私は初めてアークァスの声を聞いた。転んでも、懐いていたお母さんが死んだ時も、俯いたまま静かにしていただけのアークァスが、初めて私に話しかけた。

 アークァスが持ってきたのは私が使わなくなった木刀だった。何年も前に使わなくなった鍛錬用の木刀。奇跡的に壊れていなかったもので、倉庫の奥底に放置されて忘れられていたものだった。

 小さく驚きつつ、私はその木刀をアークァスにあげた。その返事を聞いたアークァスは小さな笑顔を見せてくれた。

 それからは鍛錬する私の傍らで木刀を振るアークァスの姿が日常となった。

 視界の隅で動かれることと、その音に少しだけ気を散らされたけれど、すぐに気にならなくなった。

 その光景を見た皆の反応も悪くはなかった。お母さんが死んでから塞ぎ込んでいるように見えたアークァスが懸命に鍛錬する姿にどこかホッとしていたのかもしれない。


『アークァス、ちゃんと前を見て振らなきゃダメだぞー』


 違和感に気づいたのはたまたま通りかかったネルリィの言葉に反応し、アークァスの方を見た時。

 始めは一心不乱に木刀を振るっているだけに見えたけれど、その視線は私の方へと向けられていた。ただ木刀を振るのではなく、私を見ながら、その動きを真似ようとしていた。

 眼の前に最高のお手本があるのだから当然かと納得しつつも、その視線を受けて妙な気分になったのを今でも覚えている。


『剣技そのものと成ったかい。イミュリエール』


 私が十歳になった頃、自身の才能の壁を超えたのを感じた。『斬る』とは何かを理解し、自身の振るうであろう剣筋を先見することができるようになった。

 その影響で目が肥えたというべきなのか。私は人の才覚を見抜くこともできるようになっていた。

 勇者に聖剣を渡す際、その可能性を見極める必要がある。人の才能を認められることは聖剣の乙女としての成長であると自分でも満足していた。

 ただ他者と感じていた溝の深さが、よりはっきりと見えてしまうのはあまり面白くなかった。


『……貴方は眼が綺麗なのね。アークァス』


 ある日、ふとアークァスの才能を見た。身近にいたのに見てこなかったのは、あの子がいつも私の後ろにいたから。あの子の振る剣の拙さを見て、きっと大した才能はないのだろうと侮っていたから。

 元々剣の才能はあまりないと感じていて、案の定アークァスには剣の才能はなかった。

 ただ他の才能は確かにあった。

 アークァスの眼は私よりも広く世界を、物事の本質を見通せるモノ。その肉体は数多の属性の因子と高い融和性を持っていた。

 雲と風から海の流れを読む航海士、星の流れから未来を識る占い師、魔導の道を極め進む魔法使い。そういった道を目指せば方向性は違えども、私と同じ、いえそれ以上に有名な人物にすらなれるだろうと直感した。

 その小さな宝石のような瞳から感じる、自分にはない才能。自分とは異なる才能の価値を、私はその時初めて認めていた。

 だから私はアークァスに将来目指すべき道を勧めた。貴方ならきっとこの道を行けば大成するのだと。けれど――


『僕は剣の道をいくよ、姉さん』


 私は少しだけ悩んだけど、結局真っ直ぐに語ったあの子の言葉を否定しなかった。

 アークァスが剣の道を歩もうとする理由はわかる。だってあの子はその道しか見てこなかったから。私しか見てこなかったから。

 まだ十にも満たない子供の憧れを正面から否定する必要はない。どうせあと数年もすれば自らの才能の限界に気づくことになる。あと数年で村の掟に従い、外の世界で暮らすことになるわけだし、最低限の武術を身に着けておくことは悪いことではないだろう、と。


『そう、好きにすればいいわ』


 それから二年、アークァスが十を過ぎた頃。あの子は初めて私に手合わせを申し込んできた。

 時折村の人達と手合わせをしている姿を横目で見ていたから、成長をしていることは知っていた。ネルリィ相手に一本取れたこともあったし、自分の成長に自信を持ったのだろうなと思った。

 花を持たせることも考えた。でも才能の差を理解させるには丁度良いだろうと、それなりに本気を出すことにした。


『――僕の勝ちだ』


 私は負けた。油断はあった。慢心もあった。けれど、負けるつもりは微塵もなかった。

 手合わせをしてすぐに違和感はあった。妙に戦いにくい、噛み合わない。その理由に気づいた時には一本を取られていた。

 アークァスは自分の成長を誤魔化していた。私の近くで鍛錬する時も、村の人達と手合わせをする時も、私の目に映る可能性がある時は数段格下の実力を演じ、私に偽の情報を植え付けていた。

 でもそれだけじゃ私に届くはずはない。私が百だとすれば、一と思い込ませていて、その実は十だったという話。

 違和感を覚え、認識を改めている間に僅かに腕が鈍る程度。でもアークァスはその僅かな私の揺れを隙にするために、何年も掛けて私から一本を取る準備を行っていた。

 私を観察し続け、動きの癖を覚え、詰める為の道筋を考えていた。私に偽りの実力を見せていたのは、この時の私の動きの選択肢を制限するため。

 慎重に、入念に、執拗に、たった一度、私から一本を奪うためだけに、アークァスは私を見続けていたのだ。

 それらを悟った私は思わず『どうして、そこまで』と尋ねた。


『姉さんがいつも独りに見えたから。隣に僕がいることを伝えるには、姉さんに勝つしかなかったから』


 アークァスは私以上に、私の内面を理解していてくれた。聖剣の乙女として十分過ぎる才能を持ち、他者との差に孤独感を感じていた私の心を。

 才能なんて関係なくても、傍にいてくれる人はいるのだと、アークァスは私に伝えたかったのだ。けれど安い言葉では私の心には届かないと理解し、私を剣で打ち倒すことで、証明してみせた。

 この時、確かにアークァスの想いは私に届いた。嬉しくて、嬉しくて、思わず泣きそうになるくらいに、あの子を抱きしめながらお礼をいった。


『そう、ありがとうアークァス――』


 ――そして、私は私の罪を理解することになる。あの時ちゃんと私の想いを伝えなかった。アークァスの覚悟を見誤っていた。あの子と、いえ、他者と向き合うことをしてこなかった私の未熟さの過ちを。

 私がアークァスの行動に興味を持たなかったこともそうだし、あの子が巧妙に隠していたのもそうなのだろう。

 だから私はこの時、久しぶりにアークァスと向き合い、その瞳の奥の才能を見ることになった。

 そこにかつて美しいと感じた才能の煌めきはなかった。あるのはただ、歪に捻じ曲げられた才能の残骸。

 目前の相手を観察することに特化するため、広大だった視野は絞られてしまっていた。

 純粋な魔力操作の精度を向上させるため、数多の因子を受け入れられる融和性は失われていた。

 アークァスは剣の才能を伸ばすために不要と感じた己の才能を、削り潰していた。

 あの子に才能を弄るなんて、特別な力があったわけじゃない。ただ私に並ぼうという信念が、あの子の肉体や才能を作り変えてしまっていた。

 そこに残っていたのは一流にも届かない不格好な剣の才能。宝石を磨り潰し、泥水で溶いた絵の具で書いた落書き。


『姉さん。すぐには無理だけど、また次に手合わせする時は必ず勝つからね。約束するよ』


 屈託のないアークァスの笑顔を見て、私は嬉しさよりも恐怖を抱いた。

 アークァスは私のために、また自分の才能を、人生を、躊躇いなく捧げてしまう。

 それだけじゃない。私だけが特別なわけがあるものか。私はただあの子の眼の前にいただけの存在に過ぎない。ただ偶然的に家族という立場になっただけ。姉としてアークァスに何をしてきたというのか。

 きっとあの子は他の誰かにも同じようなことをしてしまう。少しでも大切だと思った相手に、自らの大切なモノを犠牲にして、捧げてしまう。

 私はアークァスを愛している。けれど、愛しているからこそ自身の想いが足りていないと理解してしまっている。

 私の想いはあの子から与えられたモノと比べればあまりにも小さく、薄っぺらい。こんなのじゃ、私の想いはあの子に伝わらない。あの子が私に私の心に伝えてくれたように、もっともっと強く、強く想わなければ。

 もっと捧げなければ。私だけであの子を満たしてあげられるほどの愛を捧げなければ、あの子は他の誰かのために自分を捧げてしまう。そんな姿はもう堪えられない。



アークァスを愛してはいるが、自身に向けられた愛に比べ足りないと苦悩するイミュリエールさん。

そりゃ、自分の将来や未来を躊躇なく捧げられちゃ返すものも簡単には用意できぬとも。

劣らぬように想い続けた結果が今の状態でございます。


姉も大概だが、弟も大概なのである。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 初めて姉さんの底が見えた気がする [一言] ………姉さんギャグキャラじゃなかったんだ 今まで散々災害呼ばわりしてごめんちゃい
[一言] お姉さん大丈夫だよ その人を見るための才能であらゆる武器の扱い方を習得してるみたいだし、この前の戦いでその先への到達法も得たみたいだしね 魔法に関してはちょうどよく属性の専門家がそこにいるか…
[一言] 師匠がなぜアークァスの師匠なのかがこれからわかるのかな… にしてもやっぱりおかしかったアークァス君
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