罪な女。その四
◇
「こ、これでなんとか……」
クアリスィが早めに察してくれたおかげでなんとかなったけれど、ララフィアが特異性を解放してからは本当に生きた心地がしなかった。
周囲を囲む八つの封印魔法を施された氷柱。それらから伸びる幾重もの氷鎖に体が見えなくなるまでに雁字搦めにされ。さらにはゴアガイムが創り出した超高度の鉱石が氷鎖や氷柱に混ざり込み、女は体を揺らすことすら封じられている。
ついでを言えばそれらに対しての魔力強化は四族総出で行われており、僕の呪いによって体に力が入りにくい状態にもなっている。
歴史上、どれほどの罪人でもこれほどの拘束を受けたことはないだろうってくらいのレベルだ。多分魔王だって封じられると思うよ、これ。
「……ねぇ、クアリスィ。いっそ戦いを見えないようにしてしまえば良いんじゃ?」
「馬鹿ね、ヨドイン。今彼女は目の前の戦いに意識の大半を持っていかれているのよ。だからこそこれで抑えられているの。もしも視界情報を奪うような真似をすれば、意識が自身の拘束に向かうわ。そうなったらコレでも抑えられるか」
「うそぉ……」
まあ確かにこんな拘束をされているのにも拘わらず、女は僕らに対し一切のリアクションを見せていない。相も変わらぬ殺気に満ちた視線でカークァスさんとララフィアの戦いを見続けている。
ここまでされて自身の状況にすら気づいていないって、どれだけ感情に振り回されているんだ……。
「嘘じゃないわよ。多分視界を隠すか、本気で殺すつもりの一撃でも放たない限り、私達の存在すら知覚しないわよ」
「よくそれで僕に殺すくらいでやれとか言ったね?」
そんな僕の非難の視線も気にせず、クアリスィは自身の魔法で創り出した氷水を飲んでいる。良いなぁ、僕もさっきまで心臓が止まるほどの殺気を巻き添えで浴び続けていたから、喉が結構カラカラだったりする。
「しかしクアリスィよ、この後はどうするつもりなのだ?」
「戦いが決着した後、カークァスに宥めてもらうしかないでしょうね」
戦いの決着……最後の拘束の工程はクアリスィとゴアガイムが行っていたから、ある程度は意識的に見ることができていた。
カークァスさんの奥の手、勇者の技である神技。彼は自滅技だと言っていたけれど、樹華族の再生能力を得ている使い魔……ラーフスはそれをほぼ無制限で扱える。
それだけでも十分に脅威だというのに、二度目の試練まで達成してしまった。これによりさらなる強化が施されるということになる。
先程と同じようにラーフスの体が脈動し、体が大きくなっている。少年としか言えなかった姿が、若者と呼べる程に背丈が伸び、カークァスさんの身長へと追いつきそうになっている。
「……む」
「ご心配なくぅ……」
ララフィアの植物がラーフスの頭部を包み、カークァスさんの装備している仮面と同じような形へと変化していく。
成長した姿の顔を隠す理由は……カークァスさんへの配慮だろう。少年のときならばいざしらず、二度目の試練を終え成長したラーフスの顔は現在のカークァスさんの素顔を想像するに容易い状況。
ララフィアの戦う理由は不明だけれど、カークァスさんに対して敵対心がないのは明白。
その配慮する姿勢は感心する反面、彼の素顔を知りたいという欲求のある僕にとってはややいらぬお節介とも言える。向こうで見ているガウルグラート達も似たような気持ちだろう。
「一度目の試練だけでもあれ程の成長だ。二度目の試練ともなれば……っ!?」
ラーフスが距離を詰める。神技の歩法があれば一瞬で詰められるはずなのに、その動きは先程よりも遅くさえ感じる。
なのに、なのにだ。あの圧力は、あの異様な感覚は……ガウルグラートやジュステルと戦った時のカークァスさんとまるで……っ!
「――ハハッ!ついに踏み込めたか、ラーフス!」
戦いの質が変わった。これまでカークァスさんと領主達の戦いは見てきたけれど、その全てが技と力のぶつかり合いといったものだった。
ラーフスも身体能力や技を真似てはいたけれど、その類から漏れるようなことはないと感じていた。
だけどこの戦いは違う。技と技の応酬、武芸の先にある境地へと辿り着いた者同士による己の証明。
「複製された使い魔の身で、武の境地へと踏み込むか……」
「ウワハハ!武芸者としては複雑な心境よな!」
レッサエンカとルーダフィン。武芸よりな二人の反応からしても、僕が感じたものの正体はソレなのだろう。
武芸者が戦いの先に辿り着くとされる『境地』。そこに辿り着いた者は如何なる状況であれども、己の真価を常に完璧に発揮し続けることができるという。
極限にまで研ぎ澄まされた集中力、寸分違わずに動く肉体。己の理想を現実として体現する奥義。
産み出されたばかりのラーフスに過去はない。なのに、アレはカークァスさんの過去を背負い、自らのものとして力を振るっている。
相手を翻弄するカークァスさんの剣技には何度も息を呑まされてきたが、今はこの光景そのものに心を奪われそうになる。すぐ横に本当にどうしようもない化物が殺気立っているというのに、だ。
「ヨドイン。お前はカークァスの勝利を信じていたようだガ、これは番狂わせもありそうだナ」
「それを本気で言っているのなら、たかがしれるよ。ゴアガイム」
「……まダ、カークァスの勝利は揺るぎないト?」
「ララフィアの使い魔がここまでの成長を見せるとは驚きだけれど、それでもだよ」
確かにラーフスは成長し、その実力はカークァスさんに並んだ。身体能力も、技の冴えも、その極限にまでに研ぎ澄まされた集中力さえも。
そこに樹華族の使い魔という性質が加わり、耐久力に至っては遥かに上回り、ララフィアのサポートもある。
ララフィアの特異性が相手を完全に模倣し、超えてくるという可能性は最初から考慮していた。それでもカークァスさんが負けるとは微塵も思わない。
「良い機会だ。君達も見届けると良いよ、カークァスさんの持つ魔王としての資質をね」
◇
第二の試練を経て、ラーフスはアークァスと同じ武芸の境地に届きました。それだけではありません。あの様子だと彼の最大の強みである『見』すらも身につけていると考えて良いでしょう。
単純に戦うだけならば、『時渡り』とその応用の魔力強化による神速の攻撃を続ければ良い。四肢が爆ぜても再生してもらえますし、魔力もララフィアから補充できますから躊躇する必要はありませんからね。
けれどそれをしないのはラーフスが『見』でアークァスの狙いを看破したからに他なりません。
「どうしたラーフス!もっと楽しめ!このひとときは俺とお前のためにある!遠慮は無用だ!」
確かに神技の術を用いれば身体能力は圧倒できる。けれどその攻撃の型は全てアークァスから模倣されたもの。
目にも止まらぬ速さで動けたとして、動く前に読まれていては意味がない。むしろ神技の反動で大きな隙を晒すことになってしまう。
それがわかってしまっているからこそ、ラーフスは大技に頼る選択肢を選べなくなってしまった。
傍目から見れば強敵との戦いに狂喜乱舞しているだけのバトルジャンキーですが、ラーフスの目には底の見えない無限の罠地獄に見えていることでしょう。
「大丈夫よ、ラーフス。貴方は恐れてなどいない。好きに戦って……っ!」
けれどそれはただ臆しているというわけではありません。ラーフスはアークァスと同じように、相手を倒すための道筋を進み続けている。
相手を観察し、自らの剣によって少しずつ活路を開いていく。これまで彼が勝ち続けてきたのと同じように。
これがアークァスにとって良いコトか悪いコトか。それは……後者でしょう。アークァスの強み、それは自身よりも遥かに身体能力に秀でた相手でも対等以上に渡り合える守りの上手さ。
今両者は牽制に牽制を重ね、確実に相手を倒しうる機会を伺っている。ある意味膠着状態とも言えるでしょう。
そうなれば否応なしに時間が経過してしまう。ララフィアの特異性、最後の試練がやってきてしまう。
これまでの強化は使い魔の最終的な成長に向けての時間稼ぎのようなもの。最終的な試練の結果も純粋な強化なら問題はないのですが、試練の内容からしてそれは考えにくい。
呼吸や集中力を整えるためか、アークァスの方から距離を作る。見ているだけでも息が詰まる応酬ですからね、当人たちはそれ以上に極限状態なのでしょう。
「ふぅ。感謝するぞラーフス、そしてララフィア。これほどまでに学べた戦いは初めてだ」
「こちらこそぉ……。この子達にここまで想い入れができたのは初めてですぅ……」
「このまま続け最後の試練を待つのも手だが……ふむ」
手じゃないですよ。この手の儀式は完了させたらおしまいのパターンですよ。相手の手の内全部引き出さないと気がすまないんですか、あなたは。
などとツッコミを入れたいところではあるのですが、今のラーフスはアークァスと同等の『見』が使える状態。僅かな動揺や集中力の乱れでも命取りになりかねませんからね。
「わかってはいましたけれどぉ……焦らないのですねぇ……」
「必要がないからな。しかし、だ。お前達はここまで真に迫る成果を披露してくれているのに、それを味わうだけでは些か返礼に欠けるか」
少しでも隙を作ればそこから崩され、神技による致命的な一撃が放たれる。かといって時間を掛ければララフィアの特異性によって窮地へと追い込まれていく。当人もこの状況がわかっているはずなのですが……どうやって突破していくのか。
「私としてはぁ……今のままでも――」
「まあ十分に思い出せた。一旦倒すぞ」
「……え?」
剣同士がぶつかり合い、アークァスが剣を引く。その瞬間、ラーフスの体が前のめりに引っ張られる。アークァスが剣を通し、ラーフスの魔力を掴み引っ張ったのでしょう。
その仕掛けを見切っていたのか、即座に踏ん張り姿勢を立て直すラーフス。その軸足にアークァスの軽い蹴りが入る。
「……っ!?」
攻撃を受けたラーフスは姿勢が崩れ、地面へと転倒。即座に立ち上がろうとするも、おかしな姿勢のまま再び転倒。これは……足の関節が外されていますね。
足だけではなく右腕の関節も。あの軽い引き寄せと蹴り、それぞれでラーフスの関節が外されたようです。
この人、私が散々苦労しそうだとか感想抱いた矢先に、自分に並びあまつさえ越えようとしている相手を一瞬で追い詰めてくれやがりましたよ。
「そんな……っ!?」
「俺とラーフス。能力は同じであれ、経験と知識の差はある。ではララフィア、その中で最も重要な差は何かわかるか?」
「……如何に己を知るか」
「そうだ。ラーフスは自身と戦うのが初めてだ。だが俺は十年以上自身を倒し続けてきた」
ああ、なるほど。確かに大き過ぎる差ですね。アークァスはこれまで闘技場観戦を続け、様々な武芸を見て学んできた。
そして己の鍛錬の際に、そういった手合を想定とした想像での戦いを何度も繰り返してきたのでしょう。
けれど闘技場で戦っていた者達の大半はアークァスよりも格下。彼の持ち得ない技術を持っていたとしても、相手にならないものだったでしょう。
だからアークァスはそれらの技術を自身に与え、その状態の自分を仮想の敵として鍛錬を続けてきた。『闘技場で学んだ技を持つ自分自身』が彼の鍛錬相手だったわけです。
「これほどまで……なのですかぁ……」
「数年前の体格だから思い出すのに苦労はしたがな。だがもう掴んだ」
ラーフスが体を転がし、強引に関節をはめ直して立ち上がるも、その動きの先に放たれていた蹴りが再びその繋がりを外す。
ここまでくれば明白。アークァスはラーフスの骨格や筋肉の作りを隅々まで完璧に把握している。どこをどうすれば簡単に壊せるのか、熟知している。
それだけではありません。彼は自身の長所である『見』の崩し方すらも理解している。鉄壁とすら思える洞察力の死角をも把握しているのです。
同等の洞察力を持っているはずのラーフスが、まるで盲目になったかのように弄ばれている。
これまで互角の戦いに見えたのは、アークァスが自身の体の記憶を思い出すための確認作業。
彼は境地に踏み込み続けた状態で己と戦い続け、誰よりも自分自身を倒すことに慣れている。ララフィアの援護や樹華族の再生力が備わったところで、『戦い方が異なる多少変化した自分自身』であることに違わない。
今行われているのは何千何万と繰り返され、手慣れてしまった作業……なんて、冷静に考えれば正気の沙汰じゃないのですがね。
いくら自分を敵としてイメージトレーニングを続けたからといって、骨格や筋肉の付き方まで完璧に把握し、自身の洞察力を欺く死角まで見極められるものなのですかね。
でもできてしまっているのだから、大概だとしか言えないのですよね。
「……っ!ラーフスっ!」
このままでは不味いと判断し、接近しつつ植物をラーフスへと伸ばすララフィア。
関節の破壊なら問題なくとも、外されただけとなれば自動での再生はできません。
ラーフス自身が自力でなんとかしようとしても、その動きは完全に読まれている。樹華族のララフィアも人間の骨格に詳しいはずもなく、体勢を立て直すには相応の手順が必要となる。
そうなればそこには付け入れられる明確な隙が生まれるわけで――
「っ!?」
ララフィアの視界が一瞬遮られる。それは倒れたラーフスに気を取られている間、放り投げられていたアークァスの剣。
突然の出来事に驚き、意識と体が硬直するララフィア。そして遮られた視界が元に戻った瞬間、ララフィアの眼前には距離を詰めたアークァスの姿があった。
「――奥義、『核穿ち』」
両手から放たれる掌底がララフィアの両脇の下、左右の肋へと深々と叩き込まれた。
「――ァッ」
ララフィアは声にならない声を吐き出し、一瞬体が浮き上がった。そして地面へと倒れ、苦しそうに悶絶している。
叩き込まれた箇所も肋骨くらい軽く砕かれてそうでしたけれど、彼女の苦しみはそこじゃありませんね。
奥義『核穿ち』、相手の全身に衝撃を伝え、体の何処かにあるコアに確実にダメージを与える技。
最強格の領主達にとって、コアにダメージを受けることなんて早々ないですからね。ララフィアにとっては初めて味わう苦しみでしょう。
「さて、これで――」
背後からの攻撃に、ララフィアから離れて回避するアークァス。自身が狙われない一瞬の間にラーフスが体勢を立て直せた模様。
アークァスとララフィアの間に入り、ララフィアを護るかのように剣を構えるラーフス。
「ハァッ……ハァッ……大丈夫よ……ラーフス……」
両脇を抑え、よろめきながらも立ち上がるララフィア。元々威力に長けた技ではないとは言え、完璧な形で入った一撃のはず。
さてはアークァス、魔力量を抑えて手加減しましたね。両脇の肋をへし折っておいて手加減というのもアレですが。
肋は再生しても、コアへのダメージは抜けるものではないですからね。ララフィアはとても弱りきった表情でアークァスを見つめています。
「戦いを楽しんでばかりでは、後で色々と苦情が入るのでな。勝利の証明だけ、先に済ませておいた」
「そう……です……ねぇ……。はい、この戦いはぁ……貴方の勝利で構いません……」
「それでは最後の時を待とうか」
やっぱり。この人、勝敗に拘わらず最後の試練を見る気ですね。勝利を捨ててでも戦いを楽しもうとすれば、後から私やヨドイン達からの小言があるだろうからと、先に勝利だけ収めにいったと。
「それはぁ……興味から……でしょうかぁ……」
「もちろんだ。身に覚えなくとも、ラーフスは俺の子なのだろう?ならばその成長を楽しみにしてやるのが親心というものだ。多分な」
「多分……なのですかぁ?」
「聞きかじりだ。保護者に恵まれていないのでな」
アレが保護者では親心なんて学べないでしょうからね。
本当なら止めるべきなのでしょうが……勝負がついた以上、ここから先はアークァスの矜持の話。私の小言程度で心構えを変えるようなことはないでしょう。……私とのやり取りでももう少しこういった姿勢でいてくれたら嬉しいのですがね。
「……フフッ。まぁ……貴方のその言葉が聞けてぇ……私としても満足ですぅ……」
ララフィアが優しく微笑むと同時。ラーフスの胸、最後の蕾が開花する。白い花弁が開き、目に見えるほどに膨大な魔力がラーフスを包んでいく。……やはりこの特異性は個の領域を超えるものでしたか。
これはララフィアの魔力ではない。最後の結末という奇跡を叶えるため、世界から付与された祝福。
もしもこの魔力がアークァスの命を奪うことに使われた場合、それはミーティアル=アルトニオの本気をも超える一撃が放たれることにもなりかねない。
「さぁ、ラーフスよ。お前の願いを示せ!」
アークァスの言葉に呼応し、ラーフスは剣を手に静かに構える。それは突きの構え、魔力の流れ的にも神技『時渡り』を用いた神速の一撃を狙っている。
けれどアークァスならばその一撃が放たれるよりも先に軌道を読み切り、回避も反撃も――
「――最後の試練、『共に祝福を、これは愛しき貴方の子。この子の想いを受け止めて』」
「……ほう」
……なんということ。最後にきて、なんて試練を……。
当然『時渡り』から繰り出される突きを受ければ、無事では済まない。けれどもしもこの試練を失敗すれば、世界から付与された魔力がアークァスの運命を導きかねない……。
いえ、まだ手段はある。受け止めさえすれば良いのであれば、剣で……って剣はさっき投げてしまって――
「これは先程の手加減のお礼です……」
地面に落ちていたアークァスの剣が浮く。ララフィアの植物が剣を絡め取り、持ち上げている。
植物は僅かにしなり、勢いを付けてアークァスの方向へと剣を放った。その剣を受け取るアークァス。
この儀式はララフィアにとってもある程度の公平性を保つ必要がある……というわけだけではありませんね。
ララフィアはきっと心の奥底で期待しているのでしょう。剣を持てば、アークァスはラーフスの一撃を正面から受け止めてくれるのだと。
自身と同等以上の使い魔からの限界を超えた一撃。それを受け止めろと言われ、はいそうですかと受け入れる者はそうはいません。けれどアークァスならばきっと、と。
「……折角のご好意だが、遠慮しておこう」
「……もちろん選択は貴方に委ねますぅ……。どちらの結末でも、私はここまでこれただけで満足――っ!?」
アークァスは手に取った剣を足元へと放り捨て、ラーフスに向けて両手を広げた。それはまるで飛び込んでくる子供を受け入れるような――
「さぁ、こいラーフス。お前の想い、この体で受け止めてやる」
これにはドヤ顔のヨドインも驚愕。