罪な女。その二
◇
従来通りならば、カークァスさんと領主との決闘は玉座の間の階下にある広間で行われる。けれど名乗りを上げたララフィアは広間ではなく魔王城の外で決闘を行いたいと続けた。
彼女の言い分は分かる。樹華族は名の通り花の因子を持つとされる魔族。植物を生み出し戦うことが多い以上、雑草も生えない魔王城の内部よりも大地のある場所の方がその力を発揮しやすい。
そもそも領主達が特異性ありきで戦う場合、半分近くが周囲を巻き込みかねない大規模破壊を生み出すことになる。一対一で相手を殺すだけならば広間で事足りるが、見物人を巻き込む訳にはいかないとなると、室内は狭すぎるわけで。
そんなわけで僕らは魔王城の外へと徒歩で向かっている。相も変わらず居住性のない建物だけど、無駄な日常品がない分雰囲気は嫌いじゃない。
異なる種族の領主達が一同に歩く光景は中々に圧巻。その中でも一際身体の大きなガウルグラートはなにやら思案顔。
「しかしどうしてララフィアが……」
「それはちょっと気になるよね。樹華族領主、ララフィア=ユラフィーラ。領主の中でもわかりやすい穏健派だ」
「そして領主の中ではララらんと親しみを込められて呼ばれてる」
「それはお前だけだ、ナラクト」
なんかナラクトがガウルグラートの肩の上から這い出てきた。一応近くに女神ワテクアとかいるんだし、もう少し領主らしい振る舞いをと言いたいけれど、僕以上にそういうことに煩いガウルグラートが、小さくため息を吐いている有様なので気にしないのが一番ではあるのだけれど。
「ヨドっち、ララらんとこ隣よね?なんか盗み見とか盗み聞きとかしとらんの?趣味やろ?」
「言い草言い草。樹華族の領土は他の種族も自由に出入りできるでしょ。君らのとこの暗部の情報より詳しいことなんて知らないよ」
樹華族は言葉だけではなく、態度でも中立であることを示している稀有な種族。植物という生命体が他の生物を利用して生殖しているのに倣ってか、樹華族は他種族との交流を好んで行っている。
来る者拒まず、去る者は追わず。それでいて、多少であれば不利な条件であっても嫌な顔をせずに譲歩してくれる。
他種族もそれを理解しているからこそ、樹華族とは比較的友好的な関係を築きやすい。
「樹華族って大変そうやわ。性格悪そうな黒呪族と悪魔族に挟まれとるし」
「僕らの性格が悪いのは否定しないけど、樹華族が大変ってことはないよ。僕らも悪魔族も、樹華族に嫌われることは避けたいと思っているからね」
利用しがいのある存在ならば、他者を利用することが得意な黒呪族や悪魔族にとって絶好のカモ……とはならず、扱いが非常に難しい種族だったりする。
その原因は樹華族から得られる恩恵の大きさだ。樹華族は地族と並び農作物の生産能力に秀でており、その恩恵を他種族に躊躇なく分け与えてくれる。
食料は統治に置いて必要不可欠の要素。豊作となれば繁栄し、強固な領土作りが可能となる。
ただしこの恩恵の大小は樹華族達の能力の余力の振り分け具合に左右される。樹華族は非常に友好的だけれど、明確に差別化を図る種族でもある。簡単に言えば気に入った相手ほど明確に優遇し、嫌った相手ほど顕著に冷遇する。
友好的であればあるほど、樹華族は相手種族の繁栄に大きく貢献してくれるのだ。
「なんや、物騒な事でもあったん?」
「あったよ。樹華族絡みで歴史に残る事件がね」
簡単に話に応じてくれるということは、それだけ騙しやすいということ。過去に黒呪族……僕らのご先祖らが樹華族の温和さを利用し、膨大な恩恵を独り占めしようとしていた。
あの手この手で騙し、丸め込み、黒呪族は樹華族の余力を奪い、自国に毎年続く大豊作を起こさせ続けた。
ここで得た利益をしっかりと樹華族に還元していれば良かったのだろうけど、狡賢さが美徳とも考えていたご先祖らはケチな見返りしか与えなかった。
彼らは認識を見誤っていた。樹華族は優しくはあっても愚かではなかったのだ。
「昔、黒呪族を襲った大飢饉の件か」
そう、黒呪族だけを襲った数年に及ぶ大飢饉。大地は雑草すらも生えないほどに痩せ細り、川の水質さえもが最悪な状況になったと聞いている。
普通では考えられない作為的な状況。ご先祖らはその原因が樹華族にあると糾弾したが、樹華族は普段と同じように穏やかな笑顔のまま返答したそうだ。
『私達は貴方達の望む豊作を与え続けました。その対価も貴方達が決めたもので満足しております。それ以上もそれ以下もございません』
それが豊作続きの反動なのか、それとも樹華族の報復なのか。今ではそれを確かめるすべはない。
はっきりしているのは、樹華族はこうなる結果を知っていながら黒呪族に忠告したり、助けたりするような真似は一切しなかったということ。
多くの餓死者が生まれ全滅の危機を感じた黒呪族は、これまでに得た以上の財を投げ売って他の領土から食料を確保することを強要された。
信用の薄かった黒呪族が他種族からの助けを得るには、樹華族に課した以上に不利な条件を飲み続ける必要があり、その世代の黒呪族は魔界の歴史の中で最も衰退したものとして語り継がれている。
「『樹華族との付き合いは、如何なる策よりも誠意が最善』。黒呪族の領主が覚えるべき教訓の一つだね」
「ヨドッち、それ大半のところに通じるよ?」
「常識だな。普段からやるべきだろう」
「やだよ、足元すくわれちゃうだろ」
「「えぇ……」」
「ま、黒呪族も悪魔族も樹華族相手には良くしているよ。それが一番自分達に得があるって身を以て学んできているからね」
その後黒呪族はこの教訓を徹底し、樹華族との交友関係の改善に専念した。先人達の犯した愚行のツケを長い年月を掛けて愚直に払い続けてきたわけだ。
現在では他の種族と比較しても対等以上。僕も『可能な限り不利を背負ってやれ。どのみち返ってくる』と投げやり気味に残された先人の意見を素直に参考にさせてもらっている。
「ララフィアの行動は受け身な樹華族としては珍しい。如何なる理由があったのか」
「カークァスさんが何かしたのかな?でもカークァスさんが魔界で動く時は僕らにもある程度情報を伝えてくれるはずだし……」
「……『還らずの樹海』関係とか?ほら、ララらんってお花の魔族やし、樹華族の領地から最も近い十二魔境なんやろ?」
「んー、あそこは樹華族も避けている場所だからね」
還らずの樹海は入り込んだものを無差別に襲う魔樹の巣窟。魔族になりきれない魔物という認識ではあるけれど、樹華族は還らずの魔樹を一族に連なる存在とはみなしていない。
魔族は連なる因子を持つ魔物ならば使役できるのだけれど、十二魔境に巣食う存在達は女神が創生した魔境とあって別格という扱いだ。
樹華族の中には魔樹に似ている者もそれなりにはいる。思うところがあっても不思議ではないけれど。
「憶測の範囲内に過ぎんな。まあカークァス様ならララフィアの心情を見透かしてくれよう」
「せやね。カー君に答え合わせしてもらおか」
あまり良くない傾向だよなぁ。一応僕らも領主なのだから、もう少し自分で答えを見つける努力はすべきなのだけれど……カークァスさんの洞察力を知っていると依存気味になってしまう気持ちも分からなくはない。一応自分でもいくつか理由を考えておこっと。
移動が終わり、魔王城の外。元々高い山の上にそびえ立つ城なので外に出ても見晴らしはとても良く、周囲を見渡すとそれぞれの領土が見える。
この光景を見て、領主達は魔界を手中に収めんと夢見て高揚し、新たな魔王は世界を背負った実感を得る。そういった意味合いを持たせて造られたんじゃないかと考えられるくらいには壮観な眺めだ。
領主達が集まると、女神ワテクアが僕らを覆うように障壁を展開する。僕らが邪魔をしないように閉じ込めるというよりは、あの二人の戦いの余波に対し余計な動きをしなくて良いように計らってくれたのだろう。
「頑丈そうやね。ガウやん、破れる?」
「不敬な話を吾輩に振るな」
「やろうと思えば皆できるさ。飛んでくる砂埃や礫に僕らが対応すると、戦っている二人の気が散るからね。その程度の気遣いだよ」
「ほーん」
当然ナラクトの特異性なら問題ないけれど、問題がなさ過ぎて他者に可能かどうかの判断がし難くなっているのだろう。こうして興味を持てるだけ、中々に進歩は見られる。
少し離れたところではカークァスさんとララフィアが向き合っている。一触即発の気配と言った感じはない。多少会話をする気なのだろうか。
「……あのぅ……気にはならないのですかぁ……?」
「敵意も持たぬお前が、俺との一騎打ちに名乗り出たことか?」
お、早速僕らが知りたかった話題だ。隣にいる二人も興味深そうに顔が少し前に出ている。僕らが悩んでいた最たる理由がそこだ。ララフィアからは敵意らしきものを感じない。反カークァス派ではないことは一目瞭然なのだ。
ララフィアは静かに頷く。敵意を持たない者が名乗りを上げても、疑問の一つも投げかけないカークァスの内心を知りたいのだろう。
「目を見れば分かる。語る必要はない」
「そのぉ……一応本当に伝わっているかどうかくらいはぁ……」
カークァスさんは静かに剣をララフィアへと向け、穏やかな口調で言葉を紡いだ。
「花は任せる。俺からはコレを送ろう」
「まぁ……」
ララフィアはなにやら嬉しそうな様子。どうやら本当に通じ合っている模様。いや、分からないって。語る必要ほしいって。思わずツッコミを入れる動作をしてしまった。隣の二人も同じ動きをしている。カークァスさん、察しは良いのだけれど、自己完結し過ぎなんだよなぁ……っ!
「そのぉ……私ぃ……そこまでわかりやすい顔をしておりましたでしょうかぁ……?」
「ああ。語りはしないが、隠しもしない。そういう種族なのだな、お前達は。好感は持てるぞ」
分かるもんなの?って顔でガウルグラートやナラクトがこっちを見てくる。そりゃあララフィア、というより樹華族の思考は非常に素直だ。
けどそれはあくまで良い贈り物をすれば素直に喜び、悪い贈り物をすれば正直に拒んでくるとかそういう話だ。
カークァスさんにはララフィアから何かを感じ取った。彼の目線に立っていればわかったのだろうか。
「それではぁ……樹華族領主、ララフィア=ユラフィーラ……。手向けの華と共に、舞い踊る劇場を貴方に……」
ララフィアが仕掛けた。彼女の足元から巨大な植物の根が奔り、カークァスさんへと迫る。
魔法攻撃としてはかなりの速さだけれど、ジュステルの猛攻すら防ぎきったカークァスさんからすれば愚鈍な攻撃。根は一閃にて斬り裂かれる。
根は即座に成長し直して攻撃を続行する。構造がシンプルなだけにその再生能力は通常の魔族よりも遥かに速い。
斬り落とすだけでは時間の無駄と判断したのか、カークァスさんは根の上に飛び移り、ララフィアの元まで距離を詰める。
けれどララフィアも対策は行っている。足場にされている根を跳ね上げさせ、カークァスさんを空中に浮かせ、新たな根を同時に七本、狙い撃つように穿つ。
「花を舞わせるだけでは芸もなかろう。お前にも踊ってもらうぞ」
「あまり足運びは得意ではないのでぇ……」
カークァスさんが迫りくる根の全てを一瞬で叩き落とす。斬るのではなく叩くのは何故かと疑問に思った瞬間にその答えは出た。
剣の一打を受けた根の様子がおかしい。明らかにララフィアの支配下にある動きではない。
脳裏に浮かんだのはカークァスさんが還らずの樹海で魔樹を一撃で殺めた技。ララフィアの生み出した植物だからコアはないけれども、制御している魔力が集中している箇所は存在する。
彼の殴打はそこまで自身の魔力を届け、ララフィアの植物への支配を狂わせているのだろう。
自身の植物達が狂わされるのを見て、防御ではなく回避を選んだのか。落下するカークァスさんの剣がララフィアへと向けられるも、ララフィアの身体は周囲から生えた植物によって抱えられ、その場から離れていく。
「なに、手ほどきくらいはしてやるとも」
「お手柔らかにお願いしますぅ……」
大地の至る箇所から植物が生えてくる。最初の仕掛けは囮で、大地の中に大量の植物を根付かせていたようだ。
ほとんど草も生えていなかった大地が瞬く間に樹海へと変貌していく。その全てがララフィアにとっての武器であり防具でもある。
その光景にガウルグラートが小さく感嘆の声を漏らす。
「おぉ……ヨドイン、アレには特異性が含まれていると思うか?」
「いいや、アレは魔法の範疇だよ。効果範囲や精度が異次元ってことを除けばね」
黒呪族も呪いの扱いは上手いけれど、自身が呪いそのものというほどではない。けれど樹華族達は自身が植物そのものなのだ。
樹華族にとってあの手の魔法は手足を増やしたり伸ばしたりする行為と同義。あとはどれほど上手に扱えるかだ。
ララフィアは樹華族の中でも最優の魔族。それこそカークァスさんが魔力を扱う術に長けているのと同じように、特化し卓越した魔法技術を持ち合わせている。
「ん?ヨドっちはララらんの特異性知っとるの?」
「知ってるよ。僕の特異性を教える対価としてね」
樹華族とは良い関係を保ちたい。不可思議な現象のトラブルが起きた時に在らぬ疑いを掛けられたくないからと、ララフィアには僕の手の内はある程度見せている。
その時の誠意の対価としてララフィアは僕に自身の特異性を教えてくれた。もちろんお互いに奥の手は見せていないけれどね。
「えー。ならカー君に教えてあげれば良かったのに」
「ララフィアに対して不誠実になるからね。それにカークァスさんも楽しみが減ると文句を言いそうだし」
「「あー」」
彼女の特異性は非常に強力ではあるけれど、使用に面倒な条件がある。当面はあの戦い方で凌ぐ必要がある。
とはいえ全方位から襲い掛かる攻撃も、還らずの樹海で魔樹と戦い慣れたカークァスさんにとっては既に経験済みの戦闘。自動で反応する動きすら完璧に先読みし、動きを止めることなくララフィアへと迫っている。
ララフィアも距離を取りつつ手動での操作でカークァスさんの進路を阻もうとしているけれど、その癖も覚えられつつあるのか二人の距離は徐々に詰まりつつある。
「……まるで情人との舞踏だな」
「なんやガウやん、ロマンチックな表現使うね?」
「率直な感想だ。お互いに敵意はなく、互いの実力を確かめ合うかのように戦っておる」
「確かに二人共どことなく楽しそうやね。ああ、本当や。常に向き合って、一緒に踊ってるみたいやわー。ええなー」
正直ララフィアは強い。直接的な相性を考慮しなければ、領主の中でも五本の指には入っていただろう。
けれどそれはナラクトが覚醒するまでの話だ。今のナラクトは間違いなくララフィアよりも強く、そのナラクトを正面から打ち破ったカークァスさんの方が有利と考えて良い。
恐らくこのまま戦いが続けばララフィアは特異性を解放、多少の苦戦はあるだろうけれどカークァスさんがそれを破りララフィアの降参で決着……といった流れになるはず。
今は互いに余力を残しつつ、観察をしている段階。ララフィアが次の手を繰り出すまで……カークァスさんが彼女に肉薄するまでもう少し時間が掛かるだろう。
「ん?ヨドっち、どこ行くん?」
「暫く膠着状態が続きそうだからね。少し事情を確認してこようかなと」
気になることは他にもある。カークァスさんが話を叩き切ってくれたおかげで有耶無耶になってしまったけれど、看過できない案件がそこにいる。
ジュステルを殺めたとされる謎の女。カークァスさんやレッサエンカの会話から察するに、あの女はジュステルを殺め、鋼虫族の領主としてこの場に現れた。そして四族はその存在を認め、推薦しようとしている。
ここ暫く、鋼虫族の動向はほとんど探れなかった。ジュステルの死を四族の協力の元に隠していたのであれば納得もいく。
明らかに鋼虫族ではないし、普通なら認められるようなことではない。けれど鋼虫族の領主の館にある転移紋から現れた以上、事情はどうあれあの女は鋼虫族の領主として認知されているのは確かだ。
「……あまり刺激するなよ。どうも嫌な予感がする」
「わかっているよ」
相手の強さを刃物に例えることはよくあるけれど、あの女はその最たる例といっても良い。
カークァスさんは質素な鞘に収められており、抜けば見惚れる程に練磨された名剣。それに対しあの女は不相応な鞘を突き破り、禍々しく刃を覗かせている魔剣だ。
その異質さは四族が共に現れていなければ、間違いなく領主全員が臨戦態勢に入っていただろう。
ただカークァスさんはあの女の登場を知っていた。女神ワテクアが言及しなかったことからも、それは間違いない。
女神が言及しないということは、あの女が鋼虫族の領主として振る舞っていることは看過されているということになる。
……色々と考えは脳裏に浮かぶけれど、下手な憶測は時間の無駄だ。レッサエンカも説明しようとしていたわけだし、直接尋ねたほうが早いだろう。
四族の近くへと移動する。四族はカークァスさん達の戦いを黙々と見ているけれど、どこか興味が薄そうな感じだ。
謎の女も四族の中に隠れるようにいて、ぼうっとカークァスさんを眺めている。
「やぁ、クアリ――」
とりあえず四族で最も威圧感の薄いクアリスィに話しかけようとすると、突然念話の魔法が飛んできた。
飛ばしてきたのは接近に気づきながらも視線すら向けてこないクアリスィ当人。ちょっと驚きつつも、私語をしている姿を他の領主に見られたくないのだろうと合わせることに。
「(よいしょ、これで良いか――)」
「(ヨドインッ!急いで手伝ってっ!)」
無表情な顔からは想像もしないクアリスィの大声が脳内に響く。普段からは決して聞かないような焦りの混じった声。
「(ちょ、ちょっと、どういうこと?)」
「(見れば分かるわ!)」
クアリスィの魔力が広がり、近くにいる僕を飲み込む。普通ならば危機感を抱き、回避行動に移るようなことなのだけれど、その速度があまりにも速すぎて反応が遅れた。
景色が突然変わる。僕が見ていた四族達の姿は幻影だった。クアリスィが他の領主に見せないように展開していたものだったのだろう。その範囲が広がり、僕は幻影の中に取り込まれ、現実の光景を目撃することができるようになったというわけだ。
「な……」
クアリスィの魔力操作の技術にゾっとするも、そんなことは今目にしている光景に比べれば些細なことだった。
光景の中心にいるのはジュステルを殺した女。四肢どころか全身を夥しい氷の鎖で拘束されている。
その鎖を創り出し、維持しているのがクアリスィ。さらにゴアガイム、ルーダフィン、そしてあのレッサエンカもが必死の形相で女を取り抑えている。
「落ち着けっ!落ち着けと言っておるだろうが!」
「ヴヴヴウゥッ!」
それでもなおその女は前に、カークァスさん達の方向へと進もうとしている。氷の鎖を噛み締め、亀裂を入れながら、四族の領主を引きずりつつある。
女の瞳に宿っているのは殺意なのだと、その表情からも理解ができ……?あれ、でも何も感じ――
「ちょっとっ!心臓止まってんじゃないわよ!?」
「ゲフォッ!?」
胸部に重い一撃が入る。クアリスィの放った氷礫が直撃したようだ。その瞬間ようやく自分の心臓の動きを思い出す。
同時に全身が異常なまでに萎縮していることに気づく。呼吸がまともに出来ていない。身体が震えている。
なにかの呪いでも受けたのか、いや、僕自身の特異性は何だって話だ。そんなわけあるか。これは、まさか、冗談だよね?今、僕心臓止まってた!?この女の殺気で!?
事実を受け止めた瞬間、どうして四族達が必死の形相になっているのかが理解できた。この殺意を振りまく化物が戦いに乱入しようとしているのを全力で抑え込んでいるからだ。
その殺気の凄まじさは自身に向けられずとも、衝撃のあまりに肉体の機能が麻痺してしまうほど。正直ここにいるだけで、毎秒胃に穴があきそうになる。
「ちょ、ちょっと、これどういう状況!?」
「見ての通りよ!呪い、毒、何でもいいから、彼女を抑えて!全員襲われるわよ!?」
「わ、わかった!」
クアリスィの一撃のお陰で恐怖感は麻痺している。女は僕のことなんて気にも止めていないから、接近も全く問題ない。特異性を解放し、露出している肌の部分へと手を触れ、強めの麻痺毒を流し込む。
「……嘘でしょ」
少しも効いていない。浸透はしているけれど、効力が一切出ていない。特に対毒や呪いの魔法を施しているというわけではない。魔力強化、その密度だけで毒を無視してる!?
状況を分析していて気づいた。この氷の鎖、洒落にならないレベルの拘束力がある。多分ガウルグラートでも無理じゃないかってレベルだ。それで拘束されていて、更に領主三人掛かりで抑えていてコレ!?
「あーもう!殺すくらいで丁度いいから!もっと強いやつ!」
「この子、君らの仲間だよね!?倫理どうなってるのさ!?」
「貴方が倫理を問わないでもらえる!?」
とはいえこの女が四族の拘束から解かれてしまえば、誰も止められないのは明白。カークァスさんが巻き込まれるのはなんとしても避けたいし……仕方ない。
僕の特異性は自身が扱える呪いならば自在に魔力に付与することができ、裏を返せば自身に扱えない呪いは無理だと周知させている。
けれど実際には制約を課すことで限界を超えることができる。
「――『我が血は呪いと共に』」
親指の腹の皮膚を噛み千切り、滲む血を女の肌に擦り付ける。
これがその制約の一つ。己の血を媒介にすることでより特異性の名を体現し、呪いの効力を向上させることができる。
ミーティアルの特異性『起源よ、理をも超越せよ』に近いものだけれど、向こうは魔力量だけで良いという破格性能。比べる気にはなれない。
そしてただの強化麻痺毒程度じゃ厳しい……なら……っ!
「ヴウゥ……ッ」
「力が弱まってきたぞ!」
「――っ!これなら立て直せるわ!」
クアリスィが新たに太く強靭な氷鎖を創り出し、元からあった拘束の上から更に女を拘束する。その拘束の際に他の三人が跳ね飛ばされたけれど……まあそれはヨシ。
少しずつ動いていた女だったけれど、新たな拘束は流石に動けないのかようやく前進が止まった。
でも正直まだ殺気に当てられて心臓が……あ、急に楽になった。クアリスィが女と僕らの間に特殊な障壁を展開してくれている。
「ウ、ウワハハ……生きた心地がせんかったぞ……」
「ふぅ……助かったわ。けれど、良く彼女の勢いを落とせたわね」
あの無機質な顔しかしていなかったクアリスィが、とても感情豊かに疲弊を訴えている。というか四族皆似たような感じだ。
「どうも呪いや毒に異常な耐性があるようだったからね。やり口を少し変えてみたよ」
「――血を媒介に特異性の強化。そして身体の硬直じゃなくて弛緩。自由を奪うというより、リラックスさせる感じの効能にしたのね」
ここにきて僕の中で四族の格付けが大きく変動している。領主達の目を欺く幻影を展開、僕の呪いの詳細を一瞬で分析、そしてこの化物……女をここまで拘束している。
クアリスィ、彼女は実力を隠していた。領主の中で最弱であるかのように振る舞っていたが、おそらくはゴアガイムやルーダフィンよりも遥かに格上……まさかレッサエンカに並ぶほど……?
「手の内を見せあったのは……おあいこさまか。それよりも、コレどういうことさ?ざっくりでいいから説明してくれない?」
「ざっくり説明をするなら愛ね」
「ごめん、もうちょっと知的に喋って?」
「……この子、カークァスのことを愛しているのよ」
「……それで、どうしてこうなるのさ」
「そりゃあ愛する相手を傷つける存在や、仲睦まじくなろうとする異性がいたら憎くて殺したくなるでしょ?」
「……つまり、一騎打ちに名乗りを上げたララフィアを殺そうとしてたってこと?」
コクリと四族が揃って頷く。どうやら本当らしい。頭が痛くなってきた。って、ちょっと待った。
「この女……カークァスさんの知り合いなの?」
「有り体に言えばそうね。詳細についてはカークァス本人に聞いてちょうだい。私達だと何処まで話せばいいか分からないの」
カークァスさんはインキュバス。この女も見た感じではサキュバスに近しい感じはする。ならば人間界で育った外れ者……?人間界で育つ魔族って軒並み化物になったりするの?いやいや、カークァスさんとこの女だけが特別なのだと思いたい。
「本来は先程の場で我々もカークァス派に加わる旨を宣言したかったのだがな」
「え、レッサエンカ、それ本当?」
「見事に話を叩き切られてしまったがな。まさかカークァスがジュステルに対し、あそこまで固執するとは思わなかったぞ」
確かに不自然さを感じるくらいには持ち上げていたけれど、あのカークァスさんだしな……。一度戦って認めた相手なら、かなり甘くなるのも十分ありうる。……ん?
「――もしかして、ジュステルが殺されたのって……」
「ええ、彼女の前でカークァスの血の匂いを漂わせたから殺されたそうよ」
「そんな理由で……」
「眼の前の状況を見ても否定できる?」
視線を女へと向ける。強固な鎖で拘束され、動きは封じられてもなおその眼に宿る光は衰えていない。
クアリスィの障壁のおかげで圧力を感じないはずなのに、喉がカラカラになるほどだ。
「最初はクアリスィの拘束だけで抑えられていたのだが……二人が楽しげに戦い始めたあたりで抑えきれなくなってな」
「傷つける敵への憎しみよりも、女としての嫉妬の方が強いのよ。マジで焦ったわ……」
「そ、そうなんだ……嫉妬って怖いなぁ……」
カークァスさんとララフィアは未だに戦っている。二人の距離は先程よりも詰まってきていて、ララフィアがほんの少し動きを止めるだけで二人は触れ合う距離だ。
恋する乙女目線から見れば、仲睦まじく遊んでいるように見え……るのか?この女、目がおかしいんじゃないのか。
ま、まあ、ララフィアも敵意を持っていないわけだし、よほどのことがない限りこの女を嫉妬させて刺激するようなことには……嫉妬……あ。
「どうしたヨドイン」
「クアリスィ……拘束ってもう少し強くできる?」
「……現状でも結構しんどいわ。え、待って、なにかあるの?」
「ララフィアの特異性ってさ――」
遠くで音が響く。ララフィアが展開していた巨大な蕾を破裂させたようだ。
破裂した蕾からは棘の付いた種子が無数に飛び出し、カークァスさんへと迫る。奇襲効果は大いにあるが、カークァスさん相手にはちょっとした仕切り直しの手段程度にしかならない。
一度距離を取り直し、自身へと迫る種子を全て弾き落とすカークァスさん。そろそろララフィアの動きにも慣れてきた頃。ここから再び接近を狙う形になれば、先程よりも早く距離は詰まることになる。
そしてそれはララフィアも承知のこと。ならば次の一手……。
「強いですぅ……。ですがぁ……無理に私に合わせていただかなくても良いのですよぉ……?」
「なに、普段は見に回る側だが、今回は見られていたからな。何が出てくるか少し興味が湧いただけだ」
「そうですかぁ……。その興味に少しでも応えられれば良いのですがぁ……」
ララフィアの周囲を夥しい植物が埋め尽くし、籠のように全身を包み込む。不味い、彼女が特異性を解放する……。
戦闘においてはカークァスさんがそれなりに苦戦する程度だとは思うけれど、その光景をそこの嫉妬女に見せるのは非常に不味い。
「ちょっと、ヨドイン?」
「ララフィアの特異性なんだけどさ……強力な使い魔を産み出すものなんだ……」
「それがなんの問題……っ!?ちょっと待って、ララフィアが距離を作らず、一定の間隔を保っていたのって……」
「うん、カークァスさんの魔力を吸収、分析するため……」
クアリスィの顔が引きつる。聡い彼女はララフィアの特異性がどういうものなのか、僕のヒントと自身の観察範囲だけで理解してしまったのだろう。
ララフィア=ユラフィーラの特異性、それは前衛となる強力な使い魔を創り出す力。
ただの使い魔ではなく、相対する敵に見合った最善の能力を付与することができる。
あらゆる状況下で異なる相手に最善となる前衛とはなにか、答えはシンプルだ。相手と全く同程度の能力を持てれば良い。
僕が聞いたララフィアの特異性の解放条件は三つ。
一つ目は相手を細かく観察し、その姿を強く心に焼き付けること。
二つ目は相手の魔力を微細でも良いから吸収し、分析を行うこと。
そして三つ目は、その魔力と自身の魔力を組み合わせ一定の時間を稼ぐこと。
「『共に祝福を、これは愛しき貴方の子』」
植物の揺り籠が解かれる。中からはララフィアとその傍に一体、剣を握りしめた使い魔が佇んでいた。
使い魔の外見は利発そうな少年で、身体の所々は樹華族を思わせる造り。まあ、その……ざっくりいうと……カークァスさんとララフィアの間に子供ができたらこうなるよねって感じの……。
「コフッ」
この先の展開を予知したのか、隣にいたクアリスィが血を吐いていた。
ララフィア=ユラフィーラ、通称ララらん。イミュリエールの心の地雷の上で華麗にダンスを踊る最高に罪な女。当然無自覚。
クアリィ、ちゃんと最初からイミュリエールを拘束しておくあたり有能ではありましたが、想像以上に光景がアレでお姉ちゃんブチ切れで拘束が破れかけておりました。