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天竜族の直感。

 

 ミーティアル様があの旧神の使者とド派手に戦闘を始めてから直ぐ、崖下からシューテリア様の足跡の追跡を行った。

 シューテリア様も追跡される可能性を考慮してか、足跡は暫くすると消失していた。匂いや魔力の残滓も残さずに移動できている点は流石なんだが、助けるために追跡する側としてはいい迷惑だ。

 俺達は、シューテリア様の思考を分析しつつ捜索を続けた。天竜族として同じ訓練内容を受けていれば、移動するルートは自然と限られてくる。

 その方法は間違っていなかった。暫く進むと、シューテリア様が使用したと思われる探知魔法の痕跡があったからだ。

 探知魔法の使用により発見される危険性よりも、奇襲を警戒する方を選んだ。この時点でシューテリア様の傷の再生が進み、移動速度が上がったのだと考えられる。

 コアを損傷した状態でそこまで回復できるものなのかという疑惑はあったが、実際に痕跡があるのだから、意識のある状態で動いていることには違いない。

 使用できる魔力も限られていただろうに、よほど旧神の使者を恐れていたのだろう。探知魔法の使用間隔は定石よりも短く、その範囲も広かった。

 おかげでそこからの追跡はそこまで時間は掛からなかった。俺達が魔法を使用せずとも追跡できる状況というのもありがたかったしな。


「――いたぞ」

「ああ、だがありゃ……。周囲の警戒からだ」


 発見したシューテリア様の姿は中々に酷い有様。山林の中、呆然と立ち尽くしており、ボロボロになっていた。落下した時についたものとは明らかに違う傷が全身にある。衣服の損傷から考慮しても、ある程度の応急処理を施してこれだ。

 考えられるのはさらなる戦闘に巻き込まれたというもの。それを察して俺もチセシノアも周囲への警戒をより一層強める。

 逃走していたシューテリア様が突っ立っているだけってのもおかしい。これが罠である可能性も十分にある……んだが、今のところ周囲に怪しい気配はない。警戒心は残しつつ、シューテリア様の方へと歩み寄る。


「敵はいねぇっぽいな」

「戦闘の痕跡はあるな。あとそこにあるのは……鎧か?」


 チセシノアと目配せをして二手に分かれて行動を行う。チセシノアはシューテリア様の容態確認。俺は脱ぎ捨てられた鎧の確認。

 手に取り、軽く調べる。人間界の装備で軽いエンチャントが施されている。上質で一介の兵士よりも上、隊長クラスの者が身に纏うものだ。魔力の残滓が多少あるが、魔法の行使等ではなく魔力強化のソレの範疇だろう。

 周囲には同じように鎧が落ちており、よく見れば鎧の下に着る上着も落ちている。拾い上げ匂いを嗅ぐと、汗の中に甘さを感じる匂いがする。この鎧の持ち主は人間の女か?


「こりゃ数日は風呂に入ってねぇな。幼さ残る美人だと嬉しいんだが……ってそんな場合じゃねぇな。チセシノア、シューテリア様はどうだ?」

「傷は多いが、大体は自力で再生できている。ただ様子がおかしい」

「見りゃ分かる」


 俺達が現れたのにもかかわらず、シューテリア様は突っ立ったままでこちらを見ようともしない。チセシノアがさっきから声を掛けているのにも関わらずだ。

 時間を掛けている場合じゃない。ここに来るまでの間、ミーティアル様の特異性の二段階開放が行われたのを感じ取れた。それも一度だけではなく、二度。

 あのミーティアル様が本気で戦うだけじゃなく、二枚目の切り札まで使っちまってる。あの弓術使い、どんな隠し技を持ってやがったのか。

 失礼を承知でシューテリア様の頬を多少強めに叩く。呼びかけるというよりは気付けのようなものだが、このまま呆けられていては困る。


「シューテリア様っ!俺達です!しっかり!」

「……タス……サノア?」

「チセシノアもいます!」

「良かった。意識戻りましたか。何があったんです?」

「いや、まずは移動だろ」

「だな。背負いますんで、シューテリア様は傷の修復に専念を――」

「っ!?」


 背中を向けるのとほぼ同時、衝撃によって前のめりに吹き飛ばされた。

 振り返りながら起きる。立ち位置からして、チセシノアが俺を突き飛ばしたのだと推察する。


「おま、急に……っ!?」


 だがそんなことは直ぐに思考から抜け落ちた。目の前にいたチセシノアの胸部からは、血に染まったシューテリア様の手が突き出ていたからだ。

 攻撃を受けた。それもただの攻撃じゃない。チセシノアはシューテリア様との間に障壁を展開している。だがそれを容易く穿く一撃。それがシューテリア様の特異性『頂点をも穿通せし、竜王の槍』の恩恵を受けているものだと理解した。

 槍にしか付与できないはずの特異性を、素手にも付与。そのこと自体は驚きこそあれ、受け入れられる。特異性の本質を誤魔化すのはそう珍しいことじゃない。

 だがシューテリア様が俺達を襲うことは考えられない。理由はなんだ。いや、そんな場合じゃない。


「ぐぅ……っ!」


 自ら下がり、突き刺さった腕から逃れるチセシノア。夥しい血が吹き出し、周囲に飛び散っている。


「チセシノア……っ!」

「大丈夫だっ!一晩掛けて応急手当したばっかだってのによ……っ!」


 シューテリア様は俺達をまともに見ていない。虚ろな瞳のまま腕を突き出していた。無意識のまま俺達を攻撃した?

 アイコンタクトを取り、チセシノアと情報を共有。シューテリア様の肉体はほぼ魔力が尽きかけている。しかもコアに損傷を受けた状態で一度特異性を使用した戦闘を行い、深手を負わされているというのが容態確認の結果だ。

 さらに特異性を開放なんてできるような状態じゃない。傷の止血だけで精一杯のはず。


「シューテリア様っ!これは一体……っ!?」


 シューテリア様の体が変化を始めている。この状態は見覚えがある。ミーティアル様が特異性の二段階開放を行った時に発生する肉体の変化に近いものだ。

 だが美しさすら感じる機能美を得るミーティアル様の変化に比べ、シューテリア様の変化はあまりにも歪で醜い。


「え……あ……。俺……は……、俺……、が……?ちが、ちがう……違うんだ……っ!あああああっ!」


 シューテリア様が爆ぜるように跳躍し、距離を詰めながらその手刀を突き出してくる。重病人とは思えない速度だが、対応できない速度じゃねぇ。

 横からチセシノアが腕を剣で斬り落とし、姿勢が崩れたところを俺が蹴り飛ばす。感触が硬い、まるで全身を無駄なく魔力強化したような硬さだ。

 シューテリア様の肉体の変化は止まらない。全身の七割は変質してしまっている。その姿はドラゴニュートというよりも、野生のドラゴンに服を被せていると言った方がしっくりくるほどだ。


「竜の因子の暴走……っ!」


 魔族から自我や知能を失った魔物が生まれることはある。己の中にある因子が不安定で、個としての在り方を形成できない場合があるからだ。

 歴代の魔界の領主となりうる天竜族ではそういうことは滅多にないのだが、この症例はそういった者達の光景に似たものを感じる。

 シューテリア様の竜の因子が狂い、肉体や精神が魔物化しようとしている。それが俺達の共通の判断だ。


「コアの損傷が影響かっ!?」

「いや、違う。コア付近をよく見てみろ」


 シューテリア様の魔力の流れを再度確認する。流れがほとんど止まっているはずの魔力が、普通に流れ始めている。

 無理矢理に魔力を生成しているのか?いや、ソレよりもコアの様子がおかしい。シューテリア様のコアは魔力の流出を隠そうともしていない。おかげでコアの位置も容易に特定することができるが……あれは……っ!


「呪いかっ!」

「恐らくな……っ!」


 シューテリア様のコアに絡みつく黒い触手のような魔力の流れがある。あれは竜の因子とは違う。別の存在による干渉だ。

 脳裏に過ったのはシューテリア様のコアを負傷させた弓術使いの姿。奴の矢に呪術が付与されていた?だが奴の矢は俺達も受けてはいたが、そんな症例はなかった。

 実矢にだけ付与されていた?可能性はある。俺達は『誂貴の矢』に倒されたが、実矢の方は上手く凌げていた。

 だが解せねぇ。あの弓術使いが呪いを扱っていたのか?魔法を使わない奴なんだし、あっても毒とかじゃねぇのか。

 いや冷静になれ。あの弓術使い以外の奴に何かされたって可能性があんだろ。そもそもシューテリア様は何者かと戦闘し、この場に立ち尽くしていた。

 戦闘しておきながらこんな状態のシューテリア様を放置しておく理由がねぇ。あとは呪いでどうにかなると判断して放置して逃げた?


「って、考えてる場合でもねぇなっ!?」


 確実にわかっていることは今俺達が攻撃対象になってるってことだ。

 チセシノアが斬り落とした腕が歪な形で再生している。平常時でも難しいってのに、コアを破損した状態であんな再生速度、牙獣族の精鋭レベルだぞ。

 正気じゃねぇのは確かだし、どうにか抑える必要があるんだが……戦闘は避けられねぇ。ミーティアル様からは空に合図を送れと言われたが、ミーティアル様も本気で戦っている状況だ。旧神の使者の仲間相手ならまだしもシューテリア様を倒すために助けを呼ぶわけにはいかねぇ。


「くるぞタスサノア!」

「わかってんよ!」


 シューテリア様が仕掛けようとしている。不意の一撃をもらった分チセシノアは限界が近い。ここは俺が前に出るっきゃねぇ。

 前に出て双剣を構える。シューテリア様の特異性はあらゆるものを穿つ一撃。ミーティアル様の特異性と比べりゃ派手さはねぇが、シンプルだからこその強さがある。

 手刀の刺突を双剣の一部で受ける。綿でできてんのかってくらい、あっさりと剣が抉られるが――


「おかげでいい感じに型取りできたぜ!」


 抉られた箇所でシューテリア様の肘を引っ掛ける。そのまま姿勢を崩し、地面へと転倒させる。

 大地に対し魔法を発動。枷を作り出し、シューテリア様の四肢を関節ごと地面へと拘束する。シューテリア様は力任せに抜け出そうとするが、障壁でコーティングしてるから魔力強化の身体だけじゃそう簡単には外れないんだな、これが。


「うっし、一先ずは眠らせてっと」

「馬鹿野郎!動かせるものがまだ――」


 腹部への衝撃で体が浮く。突き刺さっているのはシューテリア様の尻尾。あー、やっぱ何にでも付与できんのか、この特異性。

 尻尾の動きで俺の身体が投げられるも、チセシノアが受け止めてくれる。


「ごほっ。俺らここ二日で穴あけられ過ぎじゃね?ピアスでも付けるか?」

「飯が通るとこになんかピアス付けられっかよ」


 シューテリア様は尻尾を使い、枷を破壊し四肢の自由を確保している。

 状況はかなり不味い。因子の暴走の影響か、停滞していた魔力の生成が再開している。つまるところ今のシューテリア様は理性こそないが、ミーティアル様に次ぐ天竜族最強格の戦闘力を持つ状態に戻っちまっている。


「俺らが本調子の時でも正直手に余るってのに……?」

「様子が変だ。いや、既に変っちゃあ変なんだが」


 敵意を放っていたシューテリア様の動きがおかしい。向けられている敵意が揺らぎ、苦しそうにふらつき、低く唸り続けている。


「うぅ……あああぁ……っ!違う……違う……俺は……っ!」

「――っ!?シューテリア様っ!」


 シューテリア様は叫び声を上げながら、山林の奥の方へと駆け出していく。


「……今の、気づいたか?」

「ああ。シューテリア様、一瞬正気に戻ってたな」


 去り際に俺達と目が合ったシューテリア様の瞳は、一瞬ではあったが普段通りのものに戻っていた。

 呪いによる因子の暴走に抗おうとしているのか。俺達の存在に気づき、傷つけないように距離を取ったのか。

 あの瞳を見た俺達に天竜族としての直感が言っている。シューテリア様はまだ戻れる。救うことができるのだと。


「追うぞ。走れるよな」

「おう。痛みで涙は止まんねぇだろうけどな」


 ◇


『ミーティアル、どうしてお前は何もかもを恐れるのだ』


 私は世界を恐れながら生まれた。他者はおろか、産みの親である両親すら恐れ、泣き喚いていた。

 その原因は他者よりも知覚が秀でているのではとされていた。天竜族最高峰のアルトニオ家。その血筋は勿論、補佐をする者達も皆優秀な者達。その才覚を感じ取り、恐れているのだろうと。

 物心が芽生えてからもその恐怖心は拭えず、内気で臆病。他者との関わりさえも恐れ、離れにある別荘の私室に引き籠もってばかりの幼少期だった。

 角や翼の比率から、素質はあるだろうにと嘆かれていたのは覚えている。私の態度を見た者達は大半が残念そうな顔をしていた。


『ミーティアル、お前はもう少し兄を見習っても良いのだが。……まあ無理強いするつもりはない。アレは別格だ。並ばずとも、目指すつもりくらいで構わない』


 私と違い、兄上は生まれながらにアルトニオ家が誇りに思えるような立派な成長をしており、未来の天竜族領主に相応しいと皆から期待をされていた。

 私が不出来であっても、『シューテリアがいるのだから』と私を非難するような者は現れなかった。私を見下す暇があるのならば、少しでも兄上の支えとなった方が遥かに有意義だと皆が思っていた。

 完璧な兄がいたからこそ、欠陥のある妹に視線は向けられず、私は私に無関心な世界に怯え続けるだけで良かった。

 けれど私はそんな兄上を恐れ続けていた。記憶のない時から、物心ついてからも、私は兄上のことが恐ろしかった。魔族として優秀だからというだけではなく、説明し難い漠然とした恐怖があったのだ。

 兄上はそんな私と距離を取っていた。初めは歩み寄ろうとしていたらしいのだが、私が過剰に恐れる姿にそうせざるを得なかったのだろう。


『ミーティアル、お前は何も背負う必要はない。天竜族の未来は全て俺が背負う』


 幼少期に行われた私の誕生会。目を合わせることもできずに震えていた私に、兄上はその言葉だけを口にした。そして玄関から入ることもなくプレゼントを置いて去っていった。

 今に思えばなんと無礼な真似をしていたのかと、罪悪感を覚える思い出だ。


『おー、ぷるぷる震えてやがる。面白れー』

『自重しろよロリコン。任期伸びんぞ。なんで俺らが子守なんぞを……』


 そんなある日、タスサノアとチセシノア。父の部下であった双子の天竜族が現れた。

 二人は新兵とは思えぬほど優秀ではあったが、日頃から不真面目で素行が悪いとされ、精神面の再教育を何度もさせられていた。

 ついには教官相手に『色々と』反抗し、再訓練の資格なしと退役直前にまでなっていたところを父に拾われたのだ。

 父は二人の素質を見抜き、このまま捨て置くのは惜しいと判断していた。そして何を血迷ったのか、私の世話を任務として与えた。


『罰則ついでに、意思疎通能力を幼少期から鍛え直せとか、そんなじゃね?』

『あー……。まあこのガキ相手ならうっかり湖に沈める気にもならねぇしな』

『しずめっ……!?』


 私としてはいきなりガラの悪い不良が世話役としてあてがわれ、泣くのを通り越して気を失いそうな気分だった

 だが見た目や態度が悪いことと、私に悪戯をして楽しむ悪癖があることを除けば、二人は家事も完璧で、私に物事を教えるのもとても上手かった。

 そして不思議なことに、二人からは他者に抱いたような恐怖を感じなかった。二人は自然体で私に接していたし、時にはふざけ……いや常にふざけられていたものの、悪くない関係を築けていた。誰もが兄上の方を見ている中、私だけを見ていてくれたのも嬉しかった。


『ねぇ、ばかども』

『その言い方、隊長が聞いたら泡拭いて倒れんぞ』

『じゃあいたずらやめて』

『そいつは無理だ。それで、なんだよミーティアル』

『どうしてばかどもは、みんなとちがってこわくないの?』

『お、喧嘩売られてるな?やんぞ、コラ』

『わきゃー!』

『んー。天竜族の直感だろうな』

『あー、それかもな』

『はぁ、はぁ……。ちょっかん?』


 二人は話した。天竜族は竜の因子を持つ魔族。竜は獣よりも五感が劣る代わりに、世界の流れを読み解く能力があるとされている。

 竜の因子を強く持つ天竜族の直感とは、時に運命の転機にすら反応することもあると。


『ま、勘が鋭いとか、運命を感じやすいとか、そんな傾向が他の種族に比べてちょっと強いってくらいだけどな』

『つまりばかどもはわたしのうんめい?』

『おうおう、俺らに惚れちまったってことか?』

『うぬぼれるな?』

『んだとこら』

『わきゃー!』

『ま、男と女の関係だけじゃねぇのよ。こいつとは上手くやっていけそうだとか、この人の言うことくらいは聞いておいてもいいかとか、普段なら選ばねぇようなことを、なんとなく受け入れちまうんだよ』

『そうだな。普通なら子守なんざやってられっかってキレてるはずが、こうしてすっかり馴染んじまってるからなぁ……』


 この時の話を本当の意味で理解したのは、私が二人と共に過ごしてから数年が経った後だった。

 いつもとは違い、神妙な顔つきをした二人。悪戯もなければ軽口もない。訊けば二人は兄上から自らの下につかないかと誘われたのだと。

 私が二人から簡易的な戦闘訓練の手ほどきを受けていた様子を目撃した兄上が、二人の才能に気づき惚れ込んだのだ。


『俺達二人なら、領主の補佐として申し分ないだとよ。買いかぶり過ぎだよな』

『ま、社交辞令だよな』


 二人の言葉は軽かったが、態度を見れば言われた言葉が本気だったのだと理解できた。

 私は、兄上や周りの人々の何を恐れていたのかを悟った。

 天竜族の直感は最初から私に告げていたのだ。『この二人は私の成長に不可欠な存在』で、『兄上達は私から二人を奪う存在』であると。

 私と同じように兄上も二人を必要と感じたのだろう。そして兄上が二人を欲せば、皆はその意思を祝福し尊重する。『未来の天竜族の領主が必要だと直感したのであれば』と。

 私は生まれた時から自身を導ける存在がいることを知り、それを世界が奪おうとしていることを恐怖していたのだ。

 兄上からの要求は数度続き、周囲の者達も隙あれば兄上の傍に付くべきだと二人に囁いていた。

 そしてついには二人の上司である父上が、直接説得に現れたのだ。


『私には二人が必要だ。誰にも、絶対に渡すものか……っ!』


 父上が持ってきた辞令書を暖炉に投げ込み、初めて私は我欲に駆られて叫んだ。


『二人が天竜族の領主に必要な存在だというのならば、私がなってやる』


 そして私はこの言葉を口にしてしまった。自らの独占欲を満たすために、恐怖していた全てを背負ってみせると吠えたのだ。

 天竜族の直感を受け入れてから、私の成長は目まぐるしかった。タスサノアとチセシノア、二人は天才と呼ばれるほどに多才だったが、その中でも物事を教える能力には一際長けていた。

 私は二人から様々なことを学び、瞬く間に二人が生涯で学んできた多くのことを身に着けていった。


『ありゃあ良い啖呵だった』

『ああ。あんなのを見せられちゃ、付き合わないわけにはいかねぇからな』


 二人は私を選んでくれた。その後も兄上からの勧誘はあったそうだが、全て断っていた。周囲の者達は困った顔をしていたが、私にとっては二人がいてくれるだけで良かった。

 そして私は二人が天竜族の領主を導く存在であると証明することに成功した。兄上を推していた者達を納得させ、父上も兄上も認めざるをえない力を示した。


『立派になったな、ミーティアル』


 兄上は静かに笑い、手を差し出した。私はその握手に応じた。天竜族の領主の座が確実のものとなり、二人を失わずに済むと自覚した瞬間から、私の中にあった恐怖はなくなっていた。


『我欲なれども、お前は力を示し証明した。ならば天竜族の未来をもその我欲で背負い続けてみせろ』


 兄上は最初から天竜族の未来を背負うつもりで己を磨いていた。タスサノアとチセシノアを欲したのも、そのために必要な人材であると直感していたのだろう。

 この一言で私は背負ったものの重さを正しく自覚することになった。兄上から奪ってしまったあらゆるものの重さを。


『そんな顔をしてくれるな。なに、俺も直ぐにお前に並んでみせるとも』


 そう言った兄上の目は笑っていなかった。その後兄上はこれ見よがしに自らの地位を高めることに固執するようになっていった。

 兄上は私を軽蔑していたのだろう。天竜族の未来を背負おうとしていた覚悟。それを我欲で踏みにじった欲深き妹を。

 私は不誠実な理由で領主の座を奪い取った。それを自覚できたのは救いというべきか。だから私は証明し続けることにした。私が領主になることは正しかったのだと、二人を手放そうとしなかった私の我欲は意味があったのだと。


『かの天竜の進む道に障害はなく、先にも後にも輝かしき道のみ続く』


 正式に領主となってからは、皆は口を揃えて私を称えるようになった。

 誰も私の過去を知ろうとはしない。兄上と同じように完璧であったと疑いもしない。障害など、常にあるというのに。輝かしき道の下にはぬかるむ大地があるというのに。

 だがそれで良い。私欲を満たすために踏みにじった誠実さに光を取り戻せるのであれば、私は皆の理想とする領主であり続けよう。だから――


「――嫌な目覚めだ」


 頬に当たる雨によって意識が戻り、今まで見ていた過去が夢であることを自覚する。状況の確認。私は旧神の使者の矢を受け、空より落ちた。死を身近にして意識を失ったことで、過去を省みていたのだろう。

 胸の傷は深いが、突き刺さっていた矢は抜けている。落下の衝撃で抜けたのか、それとも無意識のうちに自分で抜いたのか。


「くぅっ!」


 コアの損傷を確かめるために魔力を流そうとすると胸に激痛が奔る。命に別条はないようだが、これではまともな魔力行使はできない。

 傍の木に寄り掛かりながら身体を起こす。最後の足掻きの際に、肉体にも相当な負荷が掛かったのだろう。とても自分の身体とは思えない不自由さを感じる。

 私はどれほど気を失っていた?空には雨雲が現れ、日の位置による時間の計測はできない。ただ戦闘の火照りがまだ冷めていないことから、そう時間は経っていないだろう。

 旧神の使者はどうしているのか。少なくとも奴の眼ならば落下地点を見極め、追撃の矢を放つくらいはできたはずだ。

 勝負はついたと、放置された?私を獲物として見ていた以上、トドメを刺そうとしないのは不自然だ。

 奴の負傷も相当なものだった。あの一撃を最後に失神したか、タスサノア達を警戒して撤退したと考えるべきか。


「二人は兄上を見つけられただろうか……」


 兄上が無事ならば、きっと見つけられているだろう。だが旧神の使者に仲間がいれば、戦闘の必要が出てくる可能性はある。

 私と弓術使いの戦いの最中に合図はなかった。最悪の事態は避けられていると思いたいのだが……。

 雨音の中耳を澄まし、音を頼りに移動を行う。弓術使いの今を把握できない現状、速度の出ない飛行をすることはできない。

 地上を移動する以上、目印となる地形を利用した方が迷う危険性は減る。辿り着いたのは事前に地図で確認していた渓流。

 雨の勢いが増し、濁りきった川の流れは徐々に勢いを増している。その流れを辿り、移動を続ける。


「……重い、な」


 重さなど気にしたこともない装備が、雨に打たれた程度で重く感じる。それほどまでに私は弱っているのだろう。

 気づいた時には私は天竜族で最強の存在となっており、本気をぶつけられるような相手はどこにもいなかった。だからこそか、がむしゃらに己を鍛え上げていた日々の夜のような疲労感を久々に味わっている。

 兄上の救出を確実なものとするため、天竜族の領主としての力を示すためと、戦う理由は色々とあった。けれど戦っている時はそれらを忘れるほどに高揚していた自身を思い出す。


「まだまだ自覚が足りないな、私も」


 この小さな口の歪みは、自分が何者なのかを忘れたことへの皮肉か、それとも戦いを楽しんだ余韻によるものか。

 旧神の使者。奴の技には死の恐怖を感じたが、昔に感じたような奪われることへの恐怖などは感じなかった。

 むしろチセシノア達に近い親しみのようなものすらあった。先の未来に殺し合う相手に抱く感情としてはいかがなものかと思うが、恐れるよりかはマシなのだろう。


「む……っ!?」


 激しさを増す川の流れに紛れ、別の音が耳に入ってくる。そう遠くない位置から、草木を散らすように何者かが接近してきている。こちらに気取られることなど考えてもいない荒々しい移動。まるで逃走する獣のような勢いだ。

 息を整え、音の方向へと身構える。そして程なくして茂みから何者かが現れた。そこにいたのは二足歩行のドラゴンのような……いや、この魔力は……。


「――ミーティ……ア……ル……?」

「……兄上?」


 全身が変形しており、そこには耽美な容姿を持っていた兄上の面影などまるでない。それでも眼の前にいる存在が私の兄、シューテリア=アルトニオなのだと天竜族の直感が告げている。


「ア……アアアァッ!」


 異形の怪物は私の方へと突進してくる。魔力を纏った奇形の腕が振り上げられ、私へと突き出される。

 紙一重で回避すると、その腕は私の背後にあった岩を容易く穿いてみせた。この特異性は間違いなく兄上のもの。理性もいよいよ目の前の存在を兄上だと認めてきた。

 どうして兄上がこのような姿になっている。なぜここに現れた。その腕に付いている血は一体誰のものか。一体なぜ私を――


「オ前ハ、オ前ハ……ッ!」

「……いや、それは明白か」


 再び突き出された腕を正面から受ける。装備や多少の魔力強化された肉体など意味をなさない。兄上の特異性は『頂点をも穿通せし、竜王の槍』。穿けぬものなど存在しないのだから。


「……ッ!?何……ヲッ!?」


 状況がわからなくとも、私を狙う理由などわかりきっている。今の兄上にまともな理性など残っていない。けれどそれでも私を憎んでいるのだ。

 兄上は私に全てを奪われた。けれど一度として私を罵ったことはなかった。私への憎しみを全てその胸の内に閉じ込め続けていたのだ。

 私に兄上を非難する資格などない。あるのはその怒りを受け止める義務だけだ。


「……申し訳ありません。兄上」


 天竜族の直感が原因を突き止めた。兄上のコアを蝕むように蠢く呪い。それがこの状況を引き起こしているのだと。

 現存扱える魔力を全て右腕に。兄上を模すように、急ごしらえで創り上げた腕の槍。それを兄上の身体へと突き刺す。そしてコア付近にある呪いを掴み、握り潰した。


「グガ、ガアアアァッ!」


 兄上の身体が歪に脈動し、痙攣する。呪いが破壊され、暴走していた竜の因子が肉体を抑え込もうとしているのだろう。

 胸に突き刺さった腕が動き、傷口が広がっていく。この程度の痛みなど、兄上の味わった絶望に比べればなんということはない。

 のたうつ兄上の身体を抱きしめ続ける。兄上の身体は徐々に収縮し、元の姿へと戻っていく。

 兄上は立つこともできなくなったのか、その体重が私の方へと寄りかかるのを感じる。


「……っ、ミーティアル……これはなんの真似だ。お前なら手負いでも俺を殺せただろう」

「我欲であれど、天竜族の全てを背負い続けると約束しましたので」

「……馬鹿ものが、領主の取る行動ではないぞ」

「フフッ、兄上に初めて罵られました」

「いたぞ……っ!?ミーティアル様っ!?」

「んなっ!?」


 兄上が現れた方向からタスサノアとチセシノアが飛び出してきた。二人とも新しく傷を増やしてはいるが、どうやら無事のようだ。兄上を止めるために無茶をしたことについては問い詰める必要はあるだろうが、それは後で良いだろう。

 寄ってきたタスサノアに兄上の身体を預け、チセシノアから治療を受ける。全員ボロボロではあるが、最悪の事態だけは避けられた。その安堵で吐く息は血生臭く、温かい。


「正気に戻って何よりですよ、シューテリア様。しっかし、何が原因でこうなったんですか?」

「それは……っ、く、か……!?」

「待て、無理に聞き出すな。呪いの残滓が脳に干渉してやがる」

「マジかよ。どんな精度の呪いだよ」


 元を破壊しても、まだ影響を残すか。兄上に施された呪いは想像以上に厄介な代物だったようだ。心当たりはあるが、どのみち今真相を聞き出したところで何かができるというわけでもない。まずは兄上を連れて安全な場所まで避難を――


「雨。全ての者に平等に降り注ぐ、天からの贈り物。私の友は優しき雨を好んでいたが、私はこれくらい激しい無慈悲な雨の方が好きだ。君たちはどうかね?」


 その人間の男は一糸まとわぬ全裸だった。全裸の男は私達のすぐ真横で、雨を迎え入れるように両手を広げながら空を見ていた。その奇行さもそうだが、声が耳に入り横を見るその瞬間まで、この男の接近に気づくことができなかった異常さに背筋が凍った。


「な、なんだお前っ!?つーかなんで全裸なんだ!?見せびらかしか!?」

「くそ、えぐいサイズしやがって……っ!」

「この雨の中、服なぞ濡れて気持ち悪くなるだけ。しかし全裸ならば……気持ち良いだけ……っ!」

「なんだ、この異常な気迫……っ!」

「納得しそうに……いや、服を着ろよ!淑女の前だぞ!」

「……ふむ、一理あるか」

「真理だっての!」

「やれやれ、仕方あるまい」


 全裸の男はため息を吐きながら近くの茂みから折りたたまれた衣類を取り出し、一枚一枚見せつけるかのように着ていく。

 普段の私なら何を見せられているのだと、二人に悪戯をされる時と同じように苛立ちの一つでも覚えていただろう。

 けれど、なんの反応も示すことができない。奴の一挙一動に全身が警戒してしまっている。


「茂みに隠れて着ろよ!あと下から先に着ろよ!」

「隠すようなものなど、何もないのでね」

「あってくれよ!そこは!」

「……何者だ。旧神の使者の仲間か」


 異様な場の雰囲気に飲まれている二人を横目に、兄上が男を睨みつけながら問う。兄上も私と同じように、この男から何か得体の知れない物を感じ取っているのだろう。


「難しい質問だね。実に答えにくい」

「なんでだよ。はいかいいえで答えられる質問だろ」

「あと服を着る手を絶妙な位置で止めんなよ」

「どちらでもあるのだよ。君達の出会った旧神の使者とは知人ではあるが、仲間というわけではないからね」

「……何が目的でここにいる」

「それならば素敵に答えられるとも。そろそろ名乗りたかったところだ」


 ようやく裕福そうな服を着終えた男は襟元を正すと、私達に向けて優雅にお辞儀をしながら口上を述べた。


「私の名はケッコナウ=マエデウス。ヴォルテリア国大臣にして、先代勇者の仲間、剣聖ユウリラシア=リリノールの子孫。我が国の領土に侵攻せしめんとする魔族を狩りに参上した」



ほっこりした空気の中真横見たら、全裸で雨を堪能しているナイスミドルがいる恐怖。

馬鹿二人で耐性のあるミーティアルじゃなければ思考すらフリーズしていたに違いない。


そろそろ4章も終わりますね。

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― 新着の感想 ―
[良い点] へ……変態……!! [一言] 本当に過去最高にヤバいのは人類の方なんですかね……? もしかして女神、自分が加護与えた人間以外はどうせ全部モブだと思って単なる人口や国力としての数字でカウント…
[良い点] 兄妹仲良くなれそうでよかったです。これぞ呉越同舟………ってわけでもなかったかな? [気になる点] 仲直りするには生き残る必要ががが [一言] そういえば露出癖があるって言ってたな
[一言] 人族の強さは心次第 なるほど、ぶっ飛んだ変態ほど強いのか…?
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