終わりの匂い。
シューテリアを助けた理由はミーティアルの威光を減らすためだけではなく、他にもいくつかある。手負いの魔族という存在に対し、人間界側がどのようなアクションを取ってくるかの確認もその一つだ。
弓術使いに追跡する素振りはなく、ミーティアルとの戦いに専念している様子。ならば他の協力者の存在があるのではとシューテリアを監視していると、まさかの人物の登場と出くわすことになった。
マリュア=ホープフィー。旧神の使者、『槍の潜伏者』が僕らから奪った黒呪族の装備を人間界に流通させ、資金集めを行っているヴォルテリアの騎士。
僕としてはかなり有益な情報を得ることができたわけなのだけれども……その戦闘の内容はなんとも言えない奇妙さに包まれていた。
会話の内容を鵜呑みにするのであれば、マリュアはシューテリアに対し臆していた。手負いとはいえ領主クラスのシューテリアを前に人間の騎士団長クラスが怯むのは当然ではある。
マリュア自身の強さについては、ヴォルテリア側での諜報活動によりおおよその情報は得ていた。直接目で見た強さとしては、その報告よりも一つ二つ秀でている程度……まあ僕らの諜報の上をいっている時点で曲者ではある。
それでも手負いのシューテリアでもどうにかできるだろうというのが僕の判断だったし、シューテリアもそう判断して挑んでいた。
だけど問題はその隣りにいたセイフという名の男だ。奴は仲間であるマリュアの体の支配権を奪い、マリュア自身の性能をそのままにシューテリアを圧倒してみせた。
『シューテリア、君も教訓にしておくと良いよ。人間は心の在り方だけで、簡単に化けられる生き物だとね』
その言葉に嘘はなかった。セイフが乗り移ったマリュアの強さはハルガナにも匹敵するかもしれないほどだった。
あの男、一体何者なのか。魔族との戦い方を熟知しているようだったし、何よりシューテリアの特異性まで看破していた。
特異性の力を偽ることはそう珍しい話ではない。客観的に納得のいくような説明を広め、その対策の裏をかくというのは歴史的にもよく使われている手法の一つだ。
人間がシューテリアの情報を知っていたとしても、その特異性の本来の力まで知り尽くしているというのは考えられないことだ。
それに、だ。これ以上の戦闘は僕も介入せざるを得ない。そう判断した直後に奴らは戦闘から離脱した。
シューテリアの消耗は素人目にもわかるほど。あとは勝利を残すだけの状況で逃げる理由なんて、僕の存在に気づいていた以外にないだろう。
姿はもちろん、匂いも音も消し、魔力による反応も周辺の動植物程度。シューテリアのように相手を探るような真似もしていない。それでもセイフは僕の存在を看破した。去り際にこちらの方を一瞥していたし、気のせいということもないだろう。
「なーんか、誰かさんに似た雰囲気を感じるなぁ。あの人よりかもだいぶ性根が悪そうだけども」
さてシューテリアの方は……自身を仕留めうる敵が逃げたことに呆然としている。時間切れか術者が離れた影響か、体を穿いていた水晶は消え去っている。
戦闘の継続は無理だろうが、あの様子なら放っておいても死ぬことはなさそうだ。
この状況は正直ありがたい。シューテリアにはもう少し追い込まれてほしいと思って、尾行を続けていたわけだし。
これならこちらの仕込みも十分に機能するし、これ以上の監視は不要だろう。
周囲の確認をしつつ少し離れ、笛を取り出して吹く。音の代わりに定められた独自の魔力波長を飛ばし、その波長を纏っている者の耳にだけ音として届くように作られた暗部愛用の笛だ。
暫くすると、後方まで下がらせていた部下が数名姿を現す。
「いかがなさいますか」
マリュアの追跡もしたいし、そろそろ終局に向かっているミーティアル達との戦いも見届けたくはある。しかし今回は以前よりも人間界の深くまで入り込んでいる状況だ。旧神の使者に狙われてからでは逃げることも一苦労だろう。
「どうしたものかなぁ……。この装備でもバレるくらいだし、これ以上は危険過ぎる気がするなぁ……」
「相手はヨドイン様のことに気づいて……?」
「ぽいね。警戒心が強いのか、それとも僕の正体にまで勘付いたのか」
「さ、流石にそこまでは……」
「甘い考えが通じない連中だ。そこまで見透かされている前提で動くくらいでちょうど良いさ」
天竜族の双子も動いている。言い訳ならいくらでも思いつくが、あちらとの遭遇もなるべく避けたいところ。
「では退きますか」
「そうだね。旧神の使者である弓術使い……さしずめ『弓の撃墜者』の存在は確認できた。そしてそれを踏まえた僕の目的も果たせた。戦闘の記録もそれなりに取れたし、おまけにマリュアやセイフといった関係者の情報の収穫も……収穫さ、上出来すぎじゃない?」
人間界の情報は前から集めていたけれど、槍の潜伏者に襲われる時までは旧神の使者の存在なんて微塵も匂ったことはなかった。けれどいると想定した上で調べだした途端、これほどまでに容易くその存在を確認することができてしまっている。
極めつけはマリュアの存在だ。僕らが人間界で要注意人物として警戒している彼女が、別件であっさりと目撃できてしまっている。
これは明らかに異常だ。そもそもマリュアは現在ヴォルテリアではなく、グランセルのパフィードにいるはずではないのか。僕らがシューテリアにニアルア山を調査させようとしたタイミングで偶然ヴォルテリアに帰国し、あまつさえニアルア山に足を運んでいた……。
「作為的なものすら感じますね……」
「マリュア達の方は本当に偶然っぽかったけど……アレが演技なら……ううん……あながち否定できない……」
僕らが監視しているということも、こうしてニアルアに足を運んでいるということも、その全てを見通して姿を現しているのであれば……肝が据わっているとかの次元じゃないんだよなぁ……。
セイフの体は途中で偽物と入れ替わっていた。だけど注視していたシューテリアも、遠くから見ていた僕も入れ替わりには気づけなかった。
最初からセイフの体が偽物、いやセイフという存在そのものが偽物だったら?シューテリアから逃げる時、僕のいる方向を一瞥していたのはマリュア=ホープフィー本人で、全ては僕らを欺くための演技――
「ヨドイン様?」
「最悪の想定をしていたら鳥肌が立った……。帰ろ、帰ろ」
「では我々は数名ほど残り、最後の情報収集をば……」
「わかった。劇を見る観客のつもりでよろしくね」
「……はい?」
「直感なんだけど……この状況さ、事実と虚構が入り混じっていると思うんだ」
「虚構ですか……」
「うん。旧神の使者達は僕らにある程度の情報を掴ませたい。けれど全てが事実じゃない。虚構……彼らの演出もいくらかは混じっていると考えていい。その演出を楽しんでいる間は無事に帰れるだろうけど、楽屋の裏まで覗こうとすれば命はないよ」
今まで影も形も掴めなかった旧神の使者達。その存在が次々と明るみになっている理由はきっとこれだ。
カークァスさんにより魔界側にその存在が知られた以上、完全に隠し通すよりも魔界に対する抑止力として認識させていく方が良いと判断したのだろうか。
そういう前提でことが進んでいると考えると、ここまで僕らの調査が順調な理由にも納得がいく。
以前の僕やシューテリア達のように直接的に干渉しようとすれば、容赦なく牙を剝く。けれどこうして当事者ではなく、いない存在として情報を集めている分には相応の知識を与えてやるってね。
「それで観客のつもりでと……」
「偽混じりで十分だからね。見極めは僕らだけでする必要はないさ」
「は、はぁ……。あの、一つ尋ねたいのですが、ヨドイン様はどうして虚構が入り混じっていると?」
「え、臭わない?君ら暗部でしょ?」
「い、いえ……」
なんと言えば良いのか、詐欺師のような人物が関わっている時特有の臭いがするんだよなぁ。僕は暗部じゃないけれど、そういった類の側にいるから特に感じやすいのかもしれない。
ハルガナがいたら横で頷いてくれていたんだろうけどなぁ。アリバイ作りのために僕の偽物とお留守番させちゃっているから仕方ない。
まあ僕が無理をするのは論外だ。大人しく帰るとしよう。
「じゃ、最後まで楽しんでね。僕はカーテンコールの時に出演者が飛び出してくると怖いから、早めに帰るよ」
「了解です。ところで、遺留品についてはいかがしますか?」
「……あれかぁ」
シューテリアの側に放置されているマリュア=ホープフィーの鎧と服。それとセイフと呼ばれた男の偽の体の残骸。それぞれ調べれば何かしらの情報は得られるのだろうが……ぜひ調べてくださいと言わんばかりに捨て置かれているのがちょっと気に食わない。
「なんか、気が引けますよね……」
「好き嫌いはよくないと思うよ。僕も気が引けるけど。一応呪物と同じように慎重に扱って保管しておこうか……」
◇
右手を破壊した。奴が人間であり、報告通り魔法を使わないのであれば、奴はもう実矢を握ることはできない。
もっとも、先程から放たれていた白い軌跡の矢は魔力で構築されたもの。これで無力化できたなどとは微塵も考えてはいない。
「――問題ない」
弓術使いは左手で折れ曲がった指を握り締めると、一本一本強引に戻していく。そして魔力強化を利用し、形を強引に整えたのだろう。奴の右手は矢を掴む時の形に固定されていた。
白い軌跡の射撃でも動作などはある程度必要なのか。魔族でも骨が折れれば痛みは感じるだろうに、それを平然と処置している奴は本当に人間なのか。
――ああ、ダメだな。思考は変わらず勝利のために回っていても、口元が歪んでしまう。敵の揺るがない精神を前に、そうでなくてはと私の竜の因子が身体を昂ぶらせる。
「では続けようか……っ!」
距離を詰めるのと同時に、奴の弓が私の額へと突き刺さる。生身の体で触れては保たないと、弓を盾にしてきたか。
良き弓だ。私の速度と肉体を正面から受けても、まるで折れる気配がない。だが硬いだけ。私の頭蓋は疎か、皮膚を裂くこともない。
顔を上げ、その勢いで奴を弓ごと宙へと軽く放る。このまま空中戦を仕掛けても良いが、私の速度に対応できている奴の反応や読みは尋常ではない。
槍を握る腕に力を込める。狙うは宙に浮く奴の体ではなく、その下にある大地。槍を叩きつけた衝撃は大地の奥へと進むだけには留まらず、周囲の土砂や木々を空へと飛ばしていく。
弓術使いは弓を盾にしてそれらを防ぐも、続く光景に視線が揺れている。空を覆う残骸が、地上へと戻ろうとしているのだ。
押し潰されまいと弓術使いは落下を始めた残骸を足場に空を跳ね、その先へと駆けていく。しかし限られた足場、その行き先を見切ることは容易い。
奴が跳んだ先に回り込み、振り上げた槍を叩きつける。この私の膂力が伝われば、弓で防がれることなど些事でしかない。
落下する残骸よりも早く、大地へと叩きつけられる弓術使い。落下する残骸と再び舞い上がる大地がぶつかり合い、周囲の景色が煙に飲まれていく。
「――っ」
額を射抜かんとする白い軌跡。叩きつけられながらも狙いを定めていたのだろう。首を傾け回避する。
頬が切れた。この強化された私の体でさえもこの一撃は容赦なく貫いてくる。晴れていく煙の向こうには、私を真っ直ぐに見据える奴の眼の光。
特異性の開放を前にしても、決して揺らぐことのない闘志。奴の息の根が止まるまで、私の命は常に脅かされ続けるのだろう。
「ハハッ!」
漏れる歓喜の息。この力を奮い、興醒めせずにすむ。理性が本能の熱に炙られ、煮え滾るのを感じる。これが胸焦がれるということか。なるほど、これを手軽に感じられるのであれば、乙女に生きようとする者の気持ちも分からないでもない。
続く白い軌跡、しかも三本同時。右に避けても、左に避けても私を射抜いてくる。姿勢を前へと倒し、下へと避ける。流れる髪が射抜かれ、宙を舞うその感触すら愛おしく感じる。
距離を詰め、槍で薙ぐ。白い軌跡の矢を放った直後で弓を盾にすることができなかった弓術使いはその一撃を体で受け、宙へと跳ね飛ばされる。
直撃、いやそれにしては感触があまりにも薄い。全身で衝撃をいなし、回転しながら勢いを逃したか。
ならば既に反撃を狙っているだろうと神経を研ぎ澄ませる。無数の白い軌跡が私を囲むように空から伸びてきている。まるで鳥籠。当然その籠の中にも私を射抜かんとする軌跡が含まれている。
前後左右、どちらに移動しようとしても体に届く。そう直感した私の本能が選んだのは跳ぶことだった。
「――ッ!」
白い軌跡が私のいた場所に届くよりも先に、奴の元へと肉薄し槍を叩きつける。槍は弓で防がれたが、その瞬間に伸びていた白い軌跡が砕け散るように霧散していく。
矢を放つよりも先に姿勢を崩せば、白い軌跡は無力化できるのか。地へと叩き落とした弓術使いを視線で追いつつ、脅威を凌駕していくことの充実感に身震いする。
私の力や速度が開放直後よりも増しているのが実感できている。全力で戦い続けることで、私の特異性がその上限を更に突き破っているのだ。
どこまで辿り着ける。どれほどの景色を見ることができるのかと、幼子のような好奇心に身を任せてしまいたくなる。
「可愛らしい笑顔だ。嫌いではないが、少し整えてやろう」
弓術使いの声と共に、白い軌跡が私の胸元にまで届く。複数展開を見たあとではたったの一本程度、どうということもない。
半身ほど動かせば十分と体を右に傾けようとした瞬間、右肩に衝撃が伝わってきた。それが知覚できない『誂貴の矢』であるということを理性が理解していると、本能が叫び声をあげる。
肩への衝撃に、意識と思考を奪われた。今私は何をしていた。そう、必ず避けなければならない白き軌跡を――
「――ッ!」
胴が射抜かれた。コアこそ狙われていなかったが、見事に直撃を受けてしまった。
肺に穴が空き、中に血が流れ込む。瞬時に再生し塞ぐも、入り込んだ血は呼吸と共に喉を登り、思わず咳き込む。
「初陣の新兵でもあるまいに。落ち着いたか?」
冷静さを失いかけていた。能力の差は歴然なれども、奴にはあの二人をも恐怖させる洞察力がある。それは間違いなく私の持つものよりも上、忘れるな。
「……ああ、失礼した。だが私を仕留めうる貴重な機会を無駄にするのはどうなのだ」
「興醒めとなる勝ち方をしてもつまらん。戦いを享受したいのはお互い様だ。独りよがりになってくれるな」
「なるほど、謝り損だったか」
この男は私との戦いを最大限に楽しみたいのだろう。勝つのであれば、満足のいく一手で追い詰めたい。初歩的なミスなぞ犯してくれるなと。
だが致命的なミスを犯したのは弓術使いの方だ。今の一射を大切に使えば私を倒せていたかもしれないのに、その機会を無駄に費やした。
もちろん、別の方法で私を追い詰めることはできるのかもしれない。だがそれは互いに万全であればの話だ。
私の鼻が教えてくれている。弓術使いは既に瀕死だ。受け流したとはいえ、既に数度私の本気の一撃をその人間の体に受けてしまっている。
至る箇所の骨が折れ、内蔵を傷つけている。再生する予兆は全くない。
彼が人間であることを残念に思う。この戦いはもう間もなく終わりを告げる。
ミーティアルといい、ナラクトといい、戦いの中で恋心学ぶなよ。
それでは皆様、来年も良き一年となりますように。