追い詰める者と追い詰められる者。
敵を前に集中力が研ぎ澄まされ、昂ぶる胸の鼓動の音が全身に響き渡る。奴は矢を放ち、それが外れたことを認識している。
されど次なる一撃はまだ放たれていない。私の動きを待っているのか、それとも今の一射に何か思うところでもあったのか。
なんにせよ、私の障壁を貫ける一射を放つことが可能な以上、後手に回る意味はない。
「氷竜の憤りよ、その鱗を逆立て敵を穿けっ!」
自身から敵まで届く氷柱の連続隆起。弓術使いである以上、弓を精確に射るには十分な溜めが必要となるはず。ならばまともに立っていられないようにしてみるのはどうか。
眼前に迫る氷柱の波。普通ならば左右か上に飛ぶところだが……奴は隆起する瞬間の氷柱の上に乗り、魔法の力を自身の跳躍に利用した。
弓術使いは空中で弓を構え、私の方へと狙いをつけている。障壁ごと射抜かれることは既に把握済み。ならばこちらも十分に回避に専念を――
「――横かっ!?」
こちらへと一直線に放たれると思っていた矢先。視界の横から伸びてくる白い軌跡を確認。後方へと飛ぶのと同時に白い軌跡が私のいた空間を貫く。直撃こそしなかったが、髪が僅かに舞った。
曲射でもあの一撃を放つことが可能だというのか。しかしこれでハッキリした。この白い軌跡は奴が意図的に見せているものではない。原因は不明だが、これは私が見ることのできる優位だ。
その貫通力の高さゆえの代償なのだろう。奴にとって必殺とも言える一射を、私は予知して見ることができ――
「グウ……ッ!?」
突然左目に激しい激痛と衝撃。首が揺れ、姿勢が崩れる。何をされた、いや、そこは考えるまでもない。左目を射られたのだ。
戦闘を始めてからそれなりに時間は経過している。私に合わせた『誂貴の矢』が使われたと考えられる。
白い軌跡の矢の前では障壁は無意味と、私が障壁を展開していないのを逆手に不可視の矢を放っていたか。
これは私の油断。障壁を貫けると判断した奴が、障壁を貫けない一撃で攻撃してくる可能性を思考から外していた。
「片目を射抜いた程度で……っ!」
障壁を展開し、眼に刺さった魔力の塊を握りつぶす。肉体への魔力強化を残しておいたのは正解だった。もしも魔力強化まで弱めていれば、今の一撃は脳まで届いていただろう。
戦況に変化はない。既に『潜竜の眼』が展開されているのだ。例え両目を射抜かれていたとしても、私の視界は健在のまま。今も二十を超える眼が奴を捉えて――
『見えているのは、お前だけではないぞ』
そう弓術使いの口が動いたと思った瞬間、奴を捉えていた全ての眼の反応が途絶え、共有されていた視界が消えていく。
「ッ!?馬鹿な……周囲にあった眼を全て同時にっ!?」
一度弓術使いを捕捉した眼は奴から一定距離を保つようにしていたのだが、それが裏目に出たか。この短い時間で自身を見張る眼を全て把握し、一度に射抜くように狙いをつけていたとは……。
周囲に展開していた『潜竜の眼』のいくつかを奴の周囲の視界の確保のために戻しながら、新たな眼を作り出していく。仕掛けるにしても、再度奴を捕捉してから……っ!
白い軌跡、潰された左目から生まれた死角の方向から伸びている。即座に回避するも、若干反応が遅れてしまった。
「グッ!?」
障壁が貫かれ、肩の肉が抉れる。即座に軌跡の伸びてきた方向に『潜竜の眼』を飛ばすも、弓術使いの姿は見えない。
それだけではない。捕捉できないまま、一つ、また一つと眼が潰されていく。私の眼が捕捉できず、奴に一方的に捕捉され、射抜かれているのだ。
そんなことがあるのか?上空を浮遊する眼だぞ、射抜かれるような位置にあるのであれば、一瞬でも奴の姿が見えて……っ!?
潰された眼が一瞬だけ、動く物体を確認できた。だが私はそれを奴と判断しきることができなかった。
原因は判明した。全身に葉や苔を纏った装備、それが奴を山林に溶け込ませていた。これまでは奴に握る弓を目印にしていたが、奴は弓にも葉や蔦を巻き付けていた。それが一瞬の判断の遅れを生み出していたのだ
「小細工を……っ」
相手のペースに乗せられてはいけない。焦らずに一手ずつ丁寧に進めていけば良い。まずは障壁を再展開。死角からの白い軌跡の一撃を警戒しつつ、潰された左目を急速再生。そして『潜竜の眼』を補充。その数は二百、これならば潰されようと問題なく、潰された眼を起点に索敵できる。
「……いたかっ!氷竜の憤りよ、その鱗を逆立て敵を穿けっ!」
弓術使いを捕捉したと同時に氷柱を奔らせる。今度は先程よりも魔力量を増加させ、規模を大きくしている。
もちろん弓術使いにとっては多少の違いでしかない。奴は隆起する氷柱の上に乗り、勢いを利用して上空高くへと飛び上がった。だがそれこそが狙いだ。
槍を構え、砲撃を放つ。詠唱すら不要の初級魔法、その過負荷砲撃。山を削った時よりは抑えめではあるが、多少の空中移動程度では回避など間に合わない超広範囲の一撃。
「その角度ならば――っ!?」
だが奴は砲撃の予兆を感知し、空中で弓を地面に届くまで巨大化。地中に弓を引っ掛け、弓を握ったままもとの大きさに戻し、弓に引っ張られるという形で回避してみせた。
大きさだけではなく、長さも利用してくるか。弓を巨大化してくれたおかげで、纏わせていた葉や蔦が千切れ、再び弓がハッキリと見えるようになったと前向きに考えておこう。
などと考えていると白い軌跡が私の胸に向かって伸びてくる。魔法を連続して放ったせいか、こちらの位置は容易に特定されてしまっている。
障壁を展開したまま回避。障壁だけが貫かれ破壊されるが、即座に再展開。奴の性格を考えれば……っ。
「……やはり混ぜていたか。余念がないな」
再展開した障壁から響く衝突音。矢の姿は目視では捕捉できていない。『誂貴の矢』が白い軌跡を囮に放たれていた。
唇に滴る鉄の味。鼻血が出ている。『潜竜の眼』を作り出すことはいくらでもできるが、そこから得られる情報を処理するのは私の脳だ。情報の処理量による負荷に血管が破れたか。
血を拭いながら体内の再生を行う。血管程度ならば特異性の恩恵でいくらでも補強が可能だが、脳の処理能力は魔力強化でどうにかなる問題ではない。それができるのであればあの馬鹿どもはもっと賢くなってくれていただろう。
あまり脳に負担を掛けていては集中力の途切れが生まれかねない。もっとも相手は私以上に神経をすり減らしながら、次の一射を思考しているのだろうが……私の方が堪え性のない側だと断言できる。
「……まだ魔法で一帯を焼き払えるだけの索敵は済んでいないが……魔法なしで暴れる分には支障はないか。このまま競いたくもあるが……そろそろ限界か」
槍を数度握り直し、体の感覚を確かめる。弓術使いの体術はこの身で体験済み。純粋な技量も私よりも上。障壁も魔力強化も妙技によって突破されている。
それでも、やはり限界だ。正直このような手練手管で相手を追い詰めるような真似は性に合わん。なにより奴を敵として認めたことで、私の血が全力を出したがっている。
「『起源よ、理をも超越せよ。その誉望――」
特異性の固有名とは名詮自性、その者だけが扱える力だ。ゆえに特異性の開放の際に続ける文言など本来は蛇足でしかない。
私の特異性はあまりにも汎用性が広い。あらゆる方面で効果を発揮できるのは悪くないのだが、それぞれの技に類似した真似をできる者ならそれなりにいる。
「――我が身を以て示せ』」
だからこそ私は自身の特異性を唯一の力として扱う術を身に着けた。限界を超えた施行が可能である私の特異性を、一つの目的の為にだけに費やす。
これは特異性の方向性を絞ることで可能となる二段階目の開放。天竜族、いや魔族としての肉体限界を超えた魔力強化の施行。
「……フゥッ!」
「――ッ!」
周囲の木々を弾き飛ばし、捕捉していた弓術使いの正面まで一足で踏み込む。位置こそ把握していたものの、まだ距離があると思っていた奴の目には驚きの色が浮かんでいる。
踏み込みによって溜めた力を解き放ち、槍による薙ぎ払い。弓術使いは咄嗟に弓を前に出し防いでみせた。
反応できたことは見事。されどその程度の質量で防げるような一撃ではない。弓術使いの体は浮き、木々を倒壊させながら遥か奥へと吹き飛ばされていく。
「……感触が歪だな。衝撃を受け入れることで吸収してみせたか」
周囲の索敵を行わせているものを除き、奴を捕捉していた『潜竜の眼』を解除する。この状態ならばもう魔法による捕捉は必要ない。
匂いを消していたとしても、私の鼻は奴の匂いを嗅ぎ分けられる。音を消していたとしても、私の耳は奴の鼓動を聞き分けられる。魔力を抑え自然に同化していようとも、その光の属性に染まった魔力を私の感覚は見逃さない。
弓術使いは既に移動をし、私に向けて弓を構えていた。白き軌跡が私の胸へと伸びてくるのを確認するのと同時に跳び、弓術使いへと刺突を繰り出す。
視界の届く距離ならば一足で届く。視界を阻む木々などただの霧。私にとってこの戦場は平野に過ぎない。
「なるほど、素晴らしいな」
私が移動した場所に確かに奴はいた。槍を突き出した先に、奴の心臓の鼓動があった。だが槍は空を切り、私の首は横を向いていた。
目で見えずとも、肌が周囲の状況を把握している。奴は槍を紙一重で躱し、矢を射るために引いていた腕で私の顎に掌底を放っていた。
なんという男だ。一度目の突進で私の速度を把握し、距離を詰められると理解し、白き軌跡を反撃のタイミングを合わせるための合図として使うとは。
しかしそれでも浅い。魔力強化をずらす妙技を施した掌底。それを私の速度を利用して叩き込まれたのにもかかわらず、私の頭部に異変はない。
今の私の魔力強化は遥かに強固。奴の魔力への干渉をものともしていない。
懸念の一つが消える。体術による反撃を許しても、致命傷を受けることはない。それどころか奴は限界を超えた強化を施した私の体に、私の速度を加えるように掌底を突き出したのだ。
「その腕で弓は射れるのか?」
掌底を放った弓術使いの右手、その指のいくつかが歪に曲がっていた。
◇
ここは敵地。あの弓術使い以外にも敵の存在がある可能性は大いにあった。だからこそ潜伏に専念し、探知魔法もこまめに使用しながら移動を行っていた。
なのに、この目の前にいる人間の男と女は突然現れた。反応から見るに、俺の位置を特定していたというわけではない。徒歩による移動をしていたのならば俺の探知魔法の範囲内に少なくとも三度は引っ掛かっていなければおかしい。
しかし考えるべきは今からのことだ。ヨドインの秘薬のおかげで、コアの再生は順調ではあるが本調子には程遠い。特異性の開放は論外として、満足に魔力を扱うことも難しい。武器も紛失し肉弾戦のみしかできない状況ではあるが、相手の実力はどれほどか。
マリュアと呼ばれた女の方は装備や立ち振舞いからそれなりに腕の立つ剣士と判断できる。ただ内在魔力は微々たるもの。今の俺でも問題なく倒すことはできるだろう。
問題はセイフという男の方だ。見ているだけで吐き気を覚えるレベルで、何も分からない。暗部のように自身の実力を隠す者は存在するが、そういった者達は弱さを偽っているものだ。この男からは強さも弱さも感じられない。
しかし油断はできない。この男は俺の姿を見てすぐに俺の正体に気づいていた。ただの人間が俺やミーティアルの名を知っているはずがない。
「――そこの魔族。シューテリアと言ったな。すまないが我々を見逃してはもらえないか?」
今この女はなんと言った?見逃してやるではなく、見逃してもらえないかだと?奴らの狙いは俺ではないのか?
いや、騙されるな。相手は人間だ。俺の抵抗を少しでも封じるために言葉巧みに油断させるつもりなのだろう。
「身構えちゃっているね」
「ダメかぁ……。あまり自信はないのだがな……」
「そう悲観的になる必要はないよ。見たところ彼はコアに損傷を受けている。特異性はもちろんだし、扱える魔力も君と同等以下だ。身体能力の方も負傷の影響で大きく低下しているようだしね」
「……っ」
なぜ人間が視診だけでコアの損傷とその程度を見抜ける。魔族である俺の素性も知っていることから、魔族の実態に詳しいと考えられるが……。
違う。これは揺動だ。戦意がないフリをして、他の仲間を呼び寄せているに違いない。そう考えれば辻褄は合う。
「手負いだからといって、領主クラスなのだろう?私達の目的は――」
「おっと、あの子の名前は出しちゃダメだよ?お口チャックだ」
「みゅ……っ!」
セイフという男は追跡を得意とし、俺を見つけるためにこの山林にいる。そして仲間……あの弓術使いに合図を送りこの場所に誘導しようと……迷っている場合ではない。即座にこの二人を殺し、姿を隠さなければ……っ!
「ほら、くるよ」
「のわわっ!?」
まずは確実に倒せる方、マリュアという女の懐へと飛び込む。マリュアは即座に剣を抜こうとするが、そうはさせない。
掌を剣の柄へと叩きつけ、抜剣を阻害。そしてそのまま動揺した奴の喉をもう片方の手刀で――
「――は?」
天地が回る。いや、これは俺が投げられている。体が重力を感じた時には頭から地面へと叩きつけられ、一瞬視界が揺らぐ。
戻った視界の先には、振り落とされる掌底が迫っていた。地面へと指を食い込ませ、体を強引に引き寄せて掌底を回避。あと少し反応が遅れていたら、そのまま頭蓋を割られていたかもしれない。
「く、避けられた……」
「おや驚いた。剣しか振れないかと」
「酒場の酔っ払い相手に剣は使えないからな。体術も多少は覚えがある」
「そのくせに自信がないとか言うんだ?」
「彼やその姉とかと比べたら自信もなくなるの!」
体を起こし、再び構える。マリュアは俺の様子を見ながらゆっくりと剣を抜く。途端に奴の纏う空気が変わるのを感じる。
この女、最初の所感よりも一つ二つは上の実力がある。剣を抜くことで精神が切り替わるのか、それとも単純に自身の実力を相当低く意識して――っ!?
本能的に危機を察知し、反射的に体を後ろ斜めに反らす。突きが鼻先を掠め、その剣風に背筋が寒くなるのを感じる。
剣を抜いていた以上、当然俺はあの女の剣に意識を向けていた。だが奴の剣が突き出される起こりがまるで見えなかった。戦向けと言うよりは初見相手を屠ることに特化した対人剣術か。
「セイフ!ダメだ!絶対勝てない!平然と躱される!」
「いやいや、相手戦慄しているから」
「嘘だぁ……」
「私は生まれてこのかた嘘をついたことはないよ」
「嘘だあっ!」
このやけくそ気味な態度も演技なのだろう。これだけの実力があるのであれば、堂々と挑めば良いものを、姑息な女だ。
状況は芳しくない。一刻も早くこの場から逃げなくてはならないのに、即座に殺せると思った方も想像以上に面倒な実力者。このままあの弓術使いが合流しようものなら、俺は間違いなく殺されることだろう。
……やむを得ない。後遺症が残る可能性があるとしても、ここは特異性を使うしかないか。
「グ……ア……ッ!」
コアを活性化させ、全身に魔力を滾らせる。反動で再生中のコアの損傷が広がるのを感じる。ようやく塞がりかけた傷口を、塩を塗り込んだ手でこじ開けているかのような激痛。
取り返しのつかないことをしている実感がある。だがそれでも、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
「気をつけるんだよ。無理やり魔力を捻出している。特異性を開放するつもりだ」
「えぇ……っ!?使ってこないって言ったじゃないか!?」
驚いているマリュアに対し、俺の狙いを平然と見透かしてくるセイフ。だが仕方あるまい。魔族が意を決し魔力を溜める行為なのだ。特異性を使用してくると考えるのは普通の――
「『頂点をも穿通せし、竜王の槍』。素手や武器、之を以て穿つと決めたものに万物を穿つ力を付与する特異性だ。純粋な突破力だけなら最強クラス。まあ『穿つ』という行為の範疇でしか適応されないから、突きにだけ注意していれば対処は難しくないよ。剣で受け止めたりしたら、剣ごと穿かれるからね―」
「物騒過ぎないかっ!?」
「な……っ!?」
馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ!?なぜこの男が俺の特異性の名を、俺しか知り得ない特異性の本質をも知っているのだ!?
周囲にはこの特異性を『自身の握る槍に万物をも穿つ力を与えられる』というものとして振る舞っている。穿く行為の範疇でのみ効果が発揮できるということは、誰にも明かしたことがない。そんな情報は不利になるだけだ。素手に対して付与できるということも、隠しておくべき有利の情報。これは父上にさえも……っ。
特異性の名だけならば、魔界に間者でも放てば調べようはある。だが、なぜこの男は俺自身しか知りえぬような情報を知っている!?
「そもそもどうして相手の特異性を知っているのだ、セイフ……」
「知りたいかい?」
「シリタクナイ。ゼッタイニハナサナイデ」
「まあ敵に説明するわけにもいかないからね。だから後でだね」
「後デモ嫌デス」
「あとは……特異性の発動と維持で捻出した魔力の大半を消費しているから、身体強化用の魔力はほとんど残っていない。さっきまでの動きの二から三倍くらいが限度だね」
本当に何者なのだ、このセイフという男は。いや、この男だけではない。このマリュアという女も大概だ。奴は対峙している俺が領主クラスの魔族ということを理解している。特異性がなんたるかを知り、それを当然のように解説するセイフの異常な行動に対してあまりにも冷静過ぎる。
俺に対して臆している言動こそあるが、近接戦の対応の鋭さや踏み込みの躊躇のなさからフリであることは明白。
そうだ、この二人は人間の開拓の手が入り込んでいないこんな山林にいるのだ。旧神の使者である弓術使いとの関係者であることは疑いようもない。
どちらも弓術使いと同等に危険な存在だと、認識を改めねば。
マリュアへと距離を詰め、手刀を繰り出す。セイフの助言を受け取っている以上、剣で防ごうという行為はしてこない。大きく下がりながら回避を行い、こちらの間合いから離れようとしている。だが――
「あ」
ここが平野ならばその戦い方は悪くなかった。だがここは木々が乱雑に並ぶ山林。目先の攻撃に集中していては背後にある木々への認識がおろそかになる。加えて足場も悪く、足捌きにも支障が出る。
後方に下がったマリュアは木々にぶつかり、後退が封じられる。俺は迷うことなく踏み込み、渾身の一撃を穿つ。
「ウオオッ!」
「ぬおおっ!?」
しかしマリュアは身のこなしの華麗さなどかなぐり捨て、地面へと飛び込むように横に飛ぶ。そのまま一転二転と転がりながらも、俺から距離を作り直した。
不味い。この女、状況を正しく理解している。そう、この戦いは俺にとってあまりにも不利。コアから無理に魔力を捻出し、特異性まで発動してしまっている俺に余り時間の猶予は残されてはいない。
攻防一体の動きをするよりも、回避に専念した方が楽に勝てると判断ができているのだ。
「ぬおおなんて女の子が叫ぶ声じゃないよ?もっと華麗に戦いなよ」
「無理!音もなく腕が木を貫いてるんだぞ!?一撃一撃で死が迫ってる!忘れていた幼少期に食べた美味しいケーキの味を思い出して、今ならレシピを再現できる自信まであるぞ!?」
「それは朗報じゃないか。不幸中の幸いというやつだね」
「幸いの程度が低すぎる!」
あまりにも演技臭くて滑稽が過ぎる。だが、こうして俺を苛立たせるのもの奴らの手の内の一つ。確かに有効だ。焦りと苛立ちで自身の動きが悪くなっているのが自覚できている。
しかしマリュアの動きはある程度把握できた。単純な速度ならばまだ俺の方が上だ。回避に専念するつもりなのであれば、反撃を気にせずに丁寧に詰めていけば良い。
「うーん。今の君でも十分に勝てる相手だとは思うんだけどね」
「ならお前が戦ってくれ!」
「いや、私は武器とか持ってきてないからね。君の体でも貸してくれるなら、変わってあげても良いんだけど」
「貸せるものなら貸してやりたいわっ!」
「あ、良いのかい?じゃあ借りるね」
「へ?」
セイフがマリュアの体に触れた瞬間、マリュアの体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
気を失ったかのように見えたが、マリュアはゆっくりと起き上がり、自身の体を確かめるかのように動き始めた。
「――うん。やっぱり良い体だ。日頃の鍛錬も十分に積んでいるね」
マリュアの口調が変わった。いや、口調だけではない。顔つきやその佇まいまでもが完全に別物になっている。
そう、それは横にいるセイフそのもの。体の支配権を奪ったのか?いや、これは交換?ならば今のセイフの体は――
「な、なんで私が目の前に……って、えええっ!?」
突如二人の足元にいた小動物……確か人間界ではリスと呼ばれているものだったか。それが喋りだした。
いや、交換してやれよ。そういうところだぞセイフ。
なお忘れがちではあるが、マリュアはイミュリエールとの手合わせで「わりと本気でやった」と言わせている。流派を合わせられてはいるが、あのイミュリエール相手にである。