一度距離を。
◇
天竜族は独自の調査で人間界の脆弱さを理解していた。いずれかの種族が侵攻を行うだけでも十分に人間界を制圧できるだろうという調査結果に、私の勘も不穏さを感じることはなかった。
だからこそ、この光景には得も言われぬ不気味さを感じずにはいられない。
旧神の使者。カークァスからその存在を聞かされたときは半信半疑であり、ヨドインからの情報を得てもなお罠の可能性を拭えていなかったが……天竜族でも優れた戦士である二人が危うく殺されかけていた。
『情報共有を』
『りょ』
情報共有魔法により、二人の記憶が流れ込んでくる。この魔法は共有する情報を予め意識の断片としてまとめておく必要があるのだが、直前までの戦闘内容まで既に用意されているのは流石といったところか。
兄上は存命かつ意識はある。兄上が落下時に施された防御魔法は当人の意識が目覚めた時に解除される仕様となっており、その解除が少し前に行われたことを二人が確認できている。
『魔力探知に引っかからないようにってのが主な理由なんだけどな』
『まあ守られたのがバレたら拗ねそうだしな、あの人』
そして敵の情報。旧神の使者の扱う弓はその大きさを変化させてくる。卓越した観察眼の持ち主であり、『誂貴の矢』という異質な技を扱うか……。
圧倒的な力でねじ伏せるのであればまだしも、この二人を技量で追い詰めることができるとは……。
『動けるか?』
『無理だ。再生もうちょい掛かる』
『同じく。思った以上に抉られちまってる』
避けられぬと悟った瞬間、再生しやすいように傷を受けるなど、鍛錬された魔族ならば傷を負う際にも相応の技術を発揮できる。
だが完全に感知できない攻撃の前では、受ける傷は素人が負う深手と変わらない。まずは奴をこの場から引き離すか、あるいは多少の時間稼ぎをする必要があるが……。
「興が削がれたな」
だが私の思考とは裏腹に旧神の使者は弓を降ろした。直前にまで感じていた空気の緊張も解けている。
「なんのつもりだ?」
「仕切り直しだ。一度だけ見逃してやる。そこの二人を連れて一度退いて良いぞ」
「どちらが見逃される立場なのか、理解しているのか?」
「そこの二人が筆頭だと思うが」
「その通り!我ら見逃して欲しい男ナンバーワンとナンバーツー!」
「他の追随は許さねぇぜ!」
「この二人は戦士だ。この場で殉職しようとも、貴様のような人間界の脅威を排除できるのならば本望だろう」
「不本意っす!まだ生きたいっす!」
「今からでも有給申請したいっす!」
「殉職すれば一生有給だ」
「「やだー!」」
「やかましい」
「「ぐあー」」
旧神の使者と二人の会話の記憶も共有しているためこれまでの流れも把握済みだ。二人は兄上を守るために牽制を行い、それが理由で敵として認識されている。
今の状況はその再現に近い。奴が仕留めようとしている獲物を私が奪おうとしている。その状況で獲物を捨て、見逃すというのはいかなる心境の変化なのか。
「――そう深読みすることでもあるまい。食い応えのある獲物が現れたと期待していたが、それが子守に意識を割いているようでは興も削がれよう」
「おうおう誰が大きなお子様だ、髭の手入れは日課だぞ、コラ」
「子供心は捨ててないがな、酒とタバコの似合う素敵な紳士様だぞ、オラ」
「ではお前らを狙いながら戦うが、構わないな?」
「「ママー、助けてー!」」
「誰がママか!」
「「ぐあー!」」
む、いかん。ちょっと力を入れ過ぎたか。まあ問題はないだろう。
話を鵜呑みにするのであれば、この旧神の使者は強者との戦いを好んでいる。意識が削がれ半端な状態の私と戦うくらいならば、後は仕留めるだけになった獲物を逃したほうがマシということらしい。
『このまま飛び降りて、ついでにシューテリア様を回収するのが安心プランじゃね?』
『だな。コアに損傷があったし、意識が戻ってもまともに動ける状態には見えなかった。このまま放置していると、奴さんのお仲間に狙われるかもしれねぇし』
そう、敵は一人ではないのだ。共有した情報によれば、二人が攻撃を仕掛ける直前までこの旧神の使者は何者かと念話をしていた。念話が行える距離ともなれば、私達を視界に捉えられるような場所にいた可能性が高い。
この状況で二人を守りながら上手く戦えたとして、別の旧神の使者が現れたら面倒どころの話ではない。こうしている今も兄上の方に向かっていないとも限らない。
「見逃すなどと、敵の譲歩を信じられるとでも?」
「打算のある話だ。枷のないお前と戦えるということもそうだが、距離も仕切り直しになる。戦術的な意味でも我には有利な内容となる」
この二人が通常戦闘に持ち込めたのは、兄上とその部下達が注意を引き付けていたからだ。
一度仕切り直すということは、再び距離を詰め直す必要があるということ。最初から山林や森の中を経由すれば、それなりに楽に接近できるのだろうが……この旧神の使者が対策を持たないとは考えにくい。
「我々がそのまま去るとは考えないのか」
「構わんぞ。アレだけの名乗りを上げておきながら、おめおめと逃げ帰るような恥知らずならば獲物にする価値もない」
「ぬ……」
「名乗らなくて良いって言われたのに名乗ったもんな」
「それで逃げ帰ったら確かに滑稽だわな」
「馬鹿共、お前らはどっちの味方だ……。良いだろう、仕切り直しの提案を受けよう」
罠の可能性も考慮し、旧神の使者と私達の間に障壁を展開する。相手は動く素振りもないが、警戒心を残したままタスサノアとチセシノアを掴む。
「その面覚えたからな!ほとんど見えねぇけど!」
「俺らのことも覚えてやがれ!」
「お前らな……」
「覚えているとも。なかなかに楽しめた。またいつでも狩られにこい」
そのまま後ろに下がり、崖下へと体を預ける。落下しながら崖の上を見続けていたが、奴が顔を覗かせることはなかった。
地面へと激突するまであと少しというところで、翼を広げ落下の勢いを殺しながら着地する。
「はぁー、おっかなかった」
「帰ろ帰ろ。だーれが再戦なんてしてやるもんか」
周囲を見渡しても兄上の姿は見えない。意識のないまま落下したのであれば、この周囲にいるはずなのだが……。
「シューテリア様いねぇな。崖に引っ掛かったか?」
「いや、そこを見ろ」
タスサノアが指した方向に、まだ新しい足跡がある。二足歩行ではあるが、どこかふらついているのか不規則な間隔の足跡だ。
どうやら兄上は意識を取り戻したあと、旧神の使者の狙撃から身を隠すために山林の方へと避難したようだ。
魔力探知を使ってみるも、それらしき反応はない。既にそれなりの距離を移動していると考えてよいだろう。
「あの傷で動けるのかよ……。根性すげーな」
「山林の中に逃げたとなると、探すのはちょっと骨が折れるな……俺たちの回復もまだ掛かるし……」
兄上も兵として山林や森の中での生存訓練を受けている。勤勉で努力家な兄上のことだ、敵から身を隠す術も一般兵と同等以上にあると想定しなければ。
敵はまだ崖の上にいるが、いつ動き出すとも限らない。怪我を負った二人を担いだまま本気で隠れている兄上を探して救出するのは……現実的ではないか。
「……兄上を信じ、一度退くしかあるまいな」
「そうなるか……悪ぃな、任務失敗だわ」
「シューテリア様を守ることもできなかったし、敵を倒すこともできなかったなぁ……」
「勝手に失敗にするな。我々の任務はまだ終わってなどいない。お前達は動ける程度までの応急手当を済ませた後、兄上を探せ。お前達ならば、必ず兄上を見つけられる。それまでの間、旧神の使者とその仲間の眼は私に向けさせる」
「「ミーティアル様……」」
「心配するな。あと、三人の時は様はいらんと言っているだろう」
「「ミーちゃん……」」
「誰がミーちゃんか」
「「ぐあー!」」
◇
念の為の索敵を済ませアークァスの元へと移動すると、彼は近場に隠してあった予備の矢を矢筒へと補充している最中でした。
「撤退していきましたね」
「そうだな」
「その渋い声、慣れませんね」
「おっと……んん、これでヨシ。喉を開いていたから、違和感残るなぁ……」
渋い声も嫌いではないのですが、やはり元のアークァスの声の方が落ち着きますね。
「呼応の弓はどうですか?」
「良い弓だ。ここまで合わせてくれる武器は初めてだ」
「合わせる?」
「名のある武器ってのは基本癖が強いからな。担い手の技量も当然だが、武器の癖に合わせなけりゃ武器の性能は十全に引き出せない。だけどコイツには癖がない。持ち主に合わせ、その技量を最大限に引き出すことに特化している」
「つまり貴方の技量を十全に引き出してくれると」
「ああ」
名だたる武器の優劣は武器に付加されている能力に左右されるものです。それこそ担い手の持ち得ない能力であれば、その分だけの力を得ることになる。
呼応の弓は本来ならば誰にでも扱いやすいというだけの弓。名弓の中で序列を作ろうものなら間違いなく下位に位置するでしょう。
ですがアークァスという傑物の技量。それを最大限に引き出せるというのであれば、その付加価値は計り知れないものとなります。
他にも魔弓は数点ありましたが、なんとなくアークァスに似合いそうと言う理由で呼応の弓を選んだのですが……まさに女神的選択でしたね。
「どうした急にドヤ顔して」
「私が用意した弓なのですから、私がドヤ顔しても良いかなと」
「そりゃそうだ。ありがとうな」
「……どういたしまして」
いつも天や女神像に対して間接的に祈られてばかりなのが原因なのでしょうが、こう正面から礼を言われるのはなかなかに癖になりそうですね。
「ただ戻ってくるかどうか、微妙なラインだったな」
「戻ってくるのでは?ミーティアル達はシューテリアの回収に失敗したようですし」
「そうなのか?」
「はい。ミーティアル達は崖下に降りたあと、真っ直ぐにここから距離を取っていますが、そこにシューテリアの姿はありませんね」
「遠見の魔法で確認したのか?」
「ええ、こちらです」
一つ『眼』を呼び出し、アークァスの肩へと止まらせる。
「ピィ!」
「イル鳥か。何処にでも生息し、女神の使いとして絵画とかに頻繁に描かれる縁起鳥」
「はい。実際にこの子達は私の情報伝達手段の一つでして。ある程度の距離でしたら自由に視界や聴覚を共有できますし、この子達の感じた魔力の波長から、相手の特定なども可能です。また簡易的な命令も行えます」
「本当に女神の使いとして調整された鳥なんだな」
「ピィ!」
イル鳥は嬉しそうに体をアークァスへと擦り付けています。そういう命令はしていないのですがね。
「こんなに人懐っこかったか?」
「私や神聖なものに無条件で懐くように創りましたからね。今の貴方には光属性の魔力が内包されていますので」
私の関与を上手く隠せるので程々に便利ではありますが、使い勝手はあまり良くありません。魔力を隠しシューテリアを尾行していた双子の天竜族の特定ができないなど、用心深い相手からの情報収取量は限られますし。
そもそも第三者から敵対行為と受けられるような行いをするために用意したわけではありませんから。
イル鳥は私個人が人間界を視察するために用意したものです。視察の度、女神として顕現するわけにはいきませんからね。人に変装しようにも目立つ容姿ですし。
「味はかなり微妙なんだよな。食感も悪いし」
「ピィ……ヨッ!?」
「美味しいと人間だけでなく、獣にも乱獲されますからね」
「考えているんだな」
「他にも似たような『眼』はありますが、魔界では魔力の干渉に敏感ですからあまり使えなかったりします。ほら、森におかえり」
イル鳥を森へと帰しつつ、再度周辺の森にいる他のイル鳥達から視界情報を共有していく。森を抜けていくミーティアル達の姿は多少確認できましたが、シューテリアの姿は見えませんね。
「見つけられないのか」
「ええ。物騒な相手からはすぐに逃げ出す気弱な子達ですからね。逆を言えばそこから絞り込むこともできなくはないですが……探しますか?」
「いや、探している間にミーティアルが戻ってくると面倒だ。このままここで待機して迎え撃つ」
「そうですか……ところで、今調子良かったりします?」
「――ああ、良くわかったな?」
アークァスの心の中は他の者達と比べ、『広い』。境地へと踏み込める者として、雑念が少ないのが理由なのでしょう。
彼はいかなる時でも卓越者が瞑想をしている状態にまで心を研ぎ澄ませることができます。その状態は水面の広がる仄暗い世界とでもいいますか。そこを覗きながら声を掛けると、良い感じに水面が揺れて心地が良かったりもします。
でも今は違う。心の中を覗いた時に感じたのは、水面の上に立っているイメージではなく、その下、水の中。
深く、より深く境地の先へと潜り込み、心が体へと染み渡っている状態。
「ええ、心の中がとても穏やかでしたから」
「そうか。そうかもな。弓は集中しやすいからな」
やはりと言いますか、アークァスは弓との相性が非常に良いようですね。彼の強みは身体能力の高さよりも、その秀でた観察眼。体を動かさずに眼を活かすには弓はうってつけですからね。
「剣を振る時よりも集中はできそうですね」
「ただ剣を振る方が体も楽しいし、剣の方が好きなんだがな」
「そうですね。剣を握って戦う貴方の心を読んだこともありますが、今回はそこまでハイになっていませんね。でも弓の方が向いているのでは?」
「どうだろうな。久々に使う弓だから、まだ感覚とかだいぶ鈍っているしな」
「……はい?」
ウォーミングアップは済ませたな!次から本番だ!
どうも作者です。体調不良やら他の作品やら、別のお仕事やらで更新が遅れて申し訳ありません。またぼちぼちペースを戻していけたらなと。
あと一つ朗報をば。勇者の肋骨でも告知しておりましたが、今作品が『マンガBANG×エイベックス・ピクチャーズ 第一回WEB小説大賞』にて期間中受賞を受賞することとなりました。
これも皆様の応援あってのことです。誠にありがとうございます。
先にこちらで告知しろと思っているかもしれませんが、実にその通りですね。
おそらくはマンガBANG様のレーベル、マンガBANGコミックスでのコミカライズ化となります。また詳しい話を告知できるようになりましたら、重ねてご報告していきます。




