弓の撃墜者。
「シューテリア様、間もなくニアルア山を視界に捉えます」
「各自、下方に注意せよ。我々の視界に見えるのならば、敵にも捕捉されていてもおかしくはないからな」
「「ハッ!」」
大気に含まれる光属性の魔力。魔族にとっては大した影響はないものの、独特の濁りを感じずにはいられない。
だがこの不快感こそ、我々が気を引き締められる要因の一つとなる。我々が餌として、リスクある行動をしているのだと自覚するための。
ヨドイン=ゴルウェンの提案に裏があることは百も承知。黒呪族は他者を貶めることにかけては魔族の中で最も頭が回る。長い歴史がその言葉に真実味を持たせ、警戒するに値する種族であると学習をさせてくれている。
楽をして功績を得ようとする以外にも目的はあるのだろうが、くだらない罠など正面から踏み砕いてこそ天竜族の在り方。
「仮に、旧神の使者である弓術使いの存在が本物であるとして、魔族の脅威となる弓術使いとはなにか。それは遠距離戦における圧倒的制圧力に他ならんだろう」
魔族の精鋭にもなれば飛来してくる矢よりも速く動くことができる。魔力強化や魔法による障壁防御の前では矢は容易く弾かれる。当然、普通の射撃で攻撃してくるような雑魚でないことは確かだ。
想像されるのは二つ。回避する隙間のない広範囲の面攻撃、あるいは超速度による一点集中突破。旧神の使者の役割が我々のような精鋭を相手とした存在であるのなら、後者の方がより濃厚。それに――
『ニアルア山は数年前に形を変えている。ある日突如山が轟音と共に抉れた。偶然目撃していた狩人の話では、光の帯が山を貫いたという』
ヨドインの諜報部隊が入手した噂にはそのようなものがあった。それが旧神の使者の仕業なら十分脅威に値すると言える。
非効率ではあるが矢に魔法を付与すれば、超速度、超距離、そして強力な貫通性能を持たせることは理論上可能だ。
ならば我々はその理論上の攻撃が存在するものとして油断なく備えれば良いだけのこと。
「魔力の揺らぎは見逃すな。我々ならば問題なく回避できるはずだ」
「「ハッ!」」
今回俺が選んだ兵は純粋な戦闘能力の高さもそうだが、特に反応速度に秀でた者達を選んでいる。純粋な戦力としてよりも、少しでも多くの情報を得られるための時間稼ぎを目的とした選択だ。単純な回避能力だけならば、あの双子の天竜にも引けを取らないだろう。
我々を射撃してくるのであればその位置を即座に特定。接近戦に持ち込み、制圧する予定だ。
「そろそろ俺も探知範囲を広げるか」
自身の魔力の流れを下方へと誘導し、通常よりも広域での索敵を行う。強化された矢ならば視認は容易だろうが、魔法で構築された矢だとそうはいかない。
空気に溶け込み、視認性を落とすやり方もないわけではないからな。そういった類の攻撃にも対応出来るのがこの魔力探知だ。
雲の少し下の高度にいながら、大地まで届く魔力探知の網。前方はもちろん、真下やある程度後方からの魔力にも対応できる。
普通の魔族ならば魔力量の関係上、容易に使える技ではないが、天竜族の領主クラスである俺ならば山に到着するまでの間維持していようとも消耗はほとんどない。
森の中には人間界に生息する様々な獣の反応がある。だがその中に人型の反応はない。強いて気になるとすれば、後方をついてくる部下の高度がやや落ちていることか。
「おい、勝手に高度を下げ――っ!?」
俺の反応に気づいた他の者達もその者を見た。視線の先にいるのは殿にいて高度を落としていく部下の一人。
だがその部下の頭部は無かった。肉体よりも先に宙へと散らばっていく赤い肉片が、その元々の頭部だったのだろう。
その肉片に混じり僅かに見えたのは、一本の矢。全体に魔力を帯び、さらに魔力で模られたと思われる羽根が付いている。
視界情報の把握が済み、そして我々が置かれている状況を理解する。何をすべきか考えるよりも先に、口が動く。
「敵襲だ!全員備えろ!」
臨戦態勢に入る部下達だが、表情には戸惑いの色が見える。
当然だ。この俺でさえ、部下が死んでから落下を始めるまで矢の飛来に気づくことができなかったのだ。
「シューテリア様……っ!」
「誰か矢の飛来を目撃できたものはいるか?」
「……」
部下からの返事はない。あり得ないことだ。確かに魔力強化された矢ならば、部下の頭を撃ち抜く威力くらいは確保できるだろう。だが普通の矢を強化するということは、その攻撃は視認できるものでなくてはならない。
前方、下方、後方、五人がかりで注視し、俺にいたっては広域の魔力探知も使用していた。全員が見逃すなどあるはずがないのだ。
着弾するまで不可視の魔法を込められていた?いや、それならば俺の魔力探知に引っ掛かる。仮に魔力探知を無効化できたとしても、漂う魔力の中を進んでくれば揺らぎは生じる。部下の死に気づくまで俺の魔力の流れは一切淀みが無かった。認識の齟齬を植え付ける?ない。俺の魔力の流れが狂えば部下とて気づくはず。
「矢そのものは目撃できたか?」
「はい。通常の矢のようでしたが、魔力強化が施されており、異様な羽根のようなものが……」
「俺もそう見えた。あの羽根は恐らく射程を伸ばすための仕組みだろう。敵は超遠距離から我々を狙っている」
ではどこから?部下達の表情を読まずとも、そう考えているのは簡単に想像できる。あの羽根の形状、風族の羽根にも似ているがあれは……っ!?
目の前で部下の一人の頭が爆ぜる。血飛沫と共に、先程と同じ矢が視界に入る。
「全員高度上昇!雲を抜けろ!」
全員が速度を上げ、一気に雲を突き抜ける高度にまで達する。四名いた精鋭の部下が瞬く間に半分になるとは……だが、確かに見えた。部下の頭を破壊した矢の角度。
「――上だ。あの矢は我々の頭上から降り注いできたのだ」
「な……」
「あの羽根の形状で思い出した。あれは風族の者が空から滑空し急降下する時の形に類似している。本来ならば目的に攻撃を命中させる際には羽根を広げ、減速するのだが……矢ならば減速する必要はないからな」
矢の軌道は孤を描き、地面へと突き刺さる。射程の限界で的に当てるには斜め上に矢を放つ。
だがあの矢はほぼ真上に放たれ、羽根の変形によって滑空、降下をコントロールされていたのだろう。
肉片と共に落下していく矢は俺の魔力探知に反応していたが、そこには魔力強化以上の要素は感じられなかった。
仕組みとしてはこうだ。矢に魔力強化を施し、その上に羽根状にした魔力を複数上乗せしていく。そして魔力の羽根は段階的に外れ、最終的には急降下に適した形の羽根だけが残り、的の頭上から降り注ぐ。おそらく放たれた瞬間はもっと巨大な羽根が付与されていたのだろう。
雲と近しい高度にいながら、頭上から射抜かれるなどそう想像できるものではない。だがあの羽根の形状がその事実を物語っている。完全に意識の外から射抜かれた。
「そんなことが……」
「理論上では可能だ。理論上ではな」
当然そんな芸当ができる者など普通ならばいるはずもない。
我々の捕捉、進行速度や距離の正確な把握ができたとしよう。我々の捕捉圏内の外から、雲よりも上へと魔力強化された矢を放つことも可能だとしよう。
だがそこから滑空と急降下を繰り返し、我々に命中するような羽根を『事前に付与』するのは神業の域としか言いようがない。
そもそも弓矢とは常に誤差をもって命中するものだ。放つ者の腕の力の強弱、風の流れ、様々な要因によってブレが生じる。
空の上には風がある。その風の流れを完全に読みきって我々に命中させるなど、どれほどの観察力があれば可能だというのか。
「これが……旧神の使者……」
「既に我々は射程圏内にいる。だが雲の上では視野に捉えることはできん」
相手は我々を捕捉し、矢を当てる能力を持っている。だが雲の上ならば我々の姿は見えない。
ある程度の予測射撃は可能でも、完全な位置がわからなければ正確な射撃はできないだろう。
意識と魔力探知を下方だけではなく上方にも向ける。索敵距離は短くなるが、これで全方位に対応はできる。
空を飛ぶ我々の上方から射抜くということには驚かされたが、上からもくると認識できていれば、対処はできる。
「――ッ!散開ッ!」
上方から接近する魔力反応に合わせて号令を行い、俺を含めた三人がバラバラに動く。既に仕込まれた魔力ならば、少し移動するだけで避けることは可能。
感覚に少し遅れ、視界でも矢を捉えることができた。我々の動きを予測しながら放った矢なのか、その誤差は恐るべき精度。我々が三人で集まっていた場所の中央付近へと降り注いでいった。だが回避は……いやまて、今の矢は魔力強化された実物の矢ではなく、魔力だけで作られている。
「……まさかっ!?」
矢がすぐ下の雲へと突き刺さった瞬間、矢が爆ぜた。圧縮されていた魔力が解き放たれ、周囲の雲を吹き飛ばす。
雲で見えなくなっていたニアルア山が我々の視界へと再度映り込む。今の射撃の狙いは我々ではなく、我々が隠れていた雲か……っ!
「そんなっ!?」
「この距離から我々を正確に射抜けるのだ。雲に命中させるタイミングで魔力を爆ぜさせるコントロール程度、できて当然か……っ。近くの雲へと移動しろ!雲を経由してニアルア山へと接近する!」
雲を散らした理由は明白。我々の位置を完全に特定するためだ。今旧神の使者は我々を視界に捉えているということになる。
このまま滞空していてはただの的。雲の上を移動しつつ、初動となる上空への打ち上げから位置を特定しなくてはならない。
「速度を緩めるな!捕捉を急ぐぞっ!」
「「ハッ!」」
雲を狙ったということは、裏を返せば雲がある限り正確な射撃はできない。接近することは十分可能。幸いこの周囲の天候は雲の多い状態。ニアルア山の真上までほとんど雲の上を移動し続けることが――
「――ゲガッ!?」
雲の中から現れた矢が、雲の真上すれすれを飛行していた部下の胸部を貫いた。実物の矢を魔力強化によって貫通力を上げた一撃が、コアごと部下の胸部を破壊する。
馬鹿な、今我々は雲の上を飛行している。捉えることなど……っ!そうか、全力で移動をしていた部下は『同じ速度のまま』移動をしていた。速度が一定ならば、雲の上にいようとも位置の特定はできる。
全力での移動と雲を壁とする行為が仇となった。自身の最高速度が上乗せされ、雲に肉薄する飛行。さらに意識は頭上へと注がれている状態だ。
そんな中、雲の中から突如現れる矢。ここまで全てが計算づく、我々の意識が的確に誘導されている……っ。
「緩急をつけろ!速度を読まれているぞ!雲の少し上を飛べ!敵は下からも狙えるぞ……っ!」
「は、はいっ!」
緩急をつけたことが効果的だったのか、続く射撃は襲いかかってこない。時折我々が雲の切れ目から姿を見せている形にはなっているが、緩急のおかげで正確な予測ができなくなっているのだろう。
既に俺も最後の部下も意識は全方位に集中している。視認さえできれば確実に避けられる状況でもある。
届く、このままニアルア山の真上まで辿り着くことができる。
「――ッ!シューテリア様ッ!」
俺と部下はあと僅か、次の雲を抜ければニアルア山の真上という地点で急停止する。せざるを得なかったと言うべきか。目の前で壁となる雲が吹き飛んだのだ。先程見た魔力だけで作られた矢による雲を散らす射撃だ。
我々が真上から捕捉を試みようとしているのを読んだのだろう。山の真上にある雲を取り払ってきたのだ。
このまま雲から出て降下をすれば、敵に一直線へと近づく行為となる。当然視認距離も近くなり、命中精度も上がってくるだろう。最後に残った部下と視線を合わせる。
「……切り拓きます!」
「良いだろう!任せた!」
そう、ここで怯むような俺の部下ではない。剣を握りしめ、自身にできる最大限の魔力強化を施していく。
確かに敵の矢には貫通力はある。平時の魔力強化程度ではコアごと撃ち抜かれる威力だ。だが魔力強化を施した武器ならば弾くことは十分に可能。そしてくると分かっていれば、それができるだけの反応速度はあるのだ。
部下が雲から出て降下するのに合わせ、その後方に続く。最悪部下が射抜かれたとしても、俺が敵の射撃位置を特定でき、次の射撃までの間に接敵できるように。
「見えましたっ!きますっ!」
山の峰より少し下の断崖にある茂みの中、肉眼で魔力の反応を確認できた。全身を葉や苔で覆っている奇妙な格好をしているが、確かに人間の姿がそこにはあった。
その者は背丈ほどの弓矢を構え、明確にこちらを狙っている。視認に合わせ、俺の魔力探知が奴に触れる。
「――っ!強烈なのがくるぞ!」
次の一射はこれまでのものとは違う。羽根も取り付けられていないし、込められている魔力量が明らかに今までの比ではない。
矢が放たれる。やはり速い。こちらの速度に合わせ、最高速度による迎撃を狙ったのだろう。だが、想定の範囲内の速度。狙いは胸部、後方で見ている俺でさえ見切れたのだ。俺の部下は問題なく弾くことができる。
部下が矢の軌道へと剣を突き出す。これを弾き、このまま接敵を――
「――ッ!?そん――」
剣に弾かれる直前、矢の軌道が僅かに変化した。
矢に施されていた魔力強化の一部が剥がれているのが見え、全てを理解した。
膨大に込められた魔力の一部は軌道の変化の為に付与されたもの。
これまでに見せた羽根付きの一射からの比較によって、乾坤一擲の一撃と思わせることが狙い。最後まで搦め手での攻めを狙っていたのだ。
部下は寸前で剣の向きを調整し、矢に剣を当てることには成功した。だが矢を完全に弾くことができず、頭部の半分を吹き飛ばされた。
「ちっ!」
俺は飛び散る部下の肉片を避け、弓術使いへと一気に接近する。接近までに部下を全て失ったことは想定外だが、奴らは役目を果たした。
餌として食いつかれ、敵の手の内を明るみに出してくれた。そして最後の一射もその身を持って受けてくれた。
奴は矢を放った硬直から解き放たれ、新たな矢を矢筒から取り出そうと手を伸ばしている最中。だがその矢を射たせるつもりはない。弓を引くまでにこちらの剣が届く……っ!
「――あ?」
背中に何かが突き刺さる感触。視線を下げると、胸元から矢が突き出ている。この矢は奴のもの……だが、そんなはずはない。奴はさっきの一撃から新たな矢を放っては……っ!
その一つ前、ニアルア山の上空の雲を吹き飛ばした一撃。アレか。あの一射には通常の矢も含まれていたのか。
周囲に纏わせていた魔力を爆ぜさせ雲を散らし、それを煙幕として矢を遥か上空へと届ける。滞空の終わった矢は落下し、羽根の加護を受けて加速。俺に命中させたということか。
矢を放った硬直すら囮、矢を放つまでに接敵できるとなれば俺は奴の頭上まで移動すると……そこを狙って……っ。
「……だ、がっ!」
コアは完全に撃ち抜かれてはいない。コアごと胴を撃ち抜かれた部下の姿を見て、コアの位置は念のために少しずらしておいたのだ。コアに傷はついたが、死へは届かないっ!
奴は俺を騙すために矢を手に取れてすらいない状況、このまま――
「――ッ!?」
今までの光景にも驚かされてきたが、この瞬間ほどではなかっただろう。
奴は弓をまるで剣のように両手でしっかりと握りしめて振り上げていた。
そしてその弓は、先程構えていた背丈ほどの大きさから、気づけば奴の身長の十倍以上の大きさにまで変化している。
具体的に言えば真っ直ぐに振り下ろせば、俺まで届くほどの長さ。
それはもう弓というよりは巨大な棍棒。うん、その、弓の装飾とか、もう、棍棒のトゲトゲだよね?あ、やっぱり振り下ろすんだ。うわー。
弓を作った魔王「その使い方はどうかと思う」
次話でも説明しますが、アークァスは特定の形状や特性を持たせた魔力を複数組み合わせ、矢をカスタマイズして放っています。
・貫通力用に矢じりを硬質化する純強化。
・形状を固定した魔力。(滑空用の羽根、急降下用の羽根、軌道変化用のパージ部品)
・一定時間や着弾で弾ける圧縮魔力。(矢そのものとして放てば雲を吹き飛ばせる。矢じりに付与するとダムダム矢じりと化す)