双子の天竜族。
ミーティアル様の侍従として勤務を始めてから数日が経過しました。
侍従といっても、身の回りのお世話を補佐するといった形で、炊事洗濯などをするわけではなく、家政婦さん達に具体的な指示を伝えて回ったりするのが主な役割です。
どのような内容になるか色々と心配はしていたのですが、流石はミーティアル様。私が任に付く前から、私がやるべきことのリストとそのマニュアルを用意してくださっており、この数日はそのマニュアルを覚えながらの研修期間のような形でした。
そのマニュアルがとても詳しく自己分析をされており、『こういう感じの日はこういう食べ物を食べたい』とかまで書いてありました。基本的にミーティアル様をしっかりと見ていれば、何も聞かずに業務ができるほどです。
「ええと、午前の分は……消耗品の発注はよし、家政婦さん達に伝える夕食の献立もよし……。次は武具の点検を――」
「いえーい!ステちー!」
「元気にしてるぅー!?」
「うひゃぁっ!?」
突然肩を組んできたのはタスサノア様とチセシノア様。声を聞くまで一切気配すら感じなかったので、つい変な声が出てしまいました。
「おいおいステちー、急に大きな声を出すなよ。ビックリして心臓もコアも止まっちまうぜ」
「こっちの台詞ですよ!?」
「これお土産のベリーパイ!一緒に食べようぜー!」
「仕事中ですよ!?」
「おう、その仕事には慣れたか?」
「え、ええ。まあなんとか。基本的な家事とかは家政婦さん達がやってくださるので、私はその手配とかですし……」
「そういえばそんな話だっけか。じゃあミーティアル様の下着は見てないのか」
「見てませんよ!?」
「もったいない」
「歳の割に可愛い下着なのに」
「普通だ、馬鹿共」
「「ぐあー!」」
目の前で光に飲み込まれる双子上司。この数日の間何度も見ていてそろそろ慣れてきている自分がいます。いや、慣れちゃったらダメじゃないかな。この光、私が飲まれてたら死んでるよね?
このお二人もお二人で、吹き飛ばされる直前にお土産のベリーパイを私に持たせてくるくらいに余裕があるんですよね……。吹き飛ばされてから気づきましたよ……。
「ミーティアル様、おはようございます!あとは武具の点検で一段落するところです!」
「それならそこの二人にやらせておいた」
「えっ」
「そう、我等既に一仕事終えたあと」
「仕事のあとの駆けつけ一杯ならぬ駆けつけステちー」
「私飲まれてる!?……でも、どうしてですか?」
「私の予定が変更になったからな。この後在外公館へと向かう」
在外公館……他の領土の領主達が、他の領土で外交等の事務を行うために許可を得て設置している建物ですよね。
領主同士の場合だと、魔王城にあると言われる転移紋から互いの領主の館に直接移動できますけど、使いの使者達はそうはいきません。
直接他の領土へと赴く必要がありますが、そんな彼らが毎回直接領主の館まで移動すると領土内の情報を必要以上に得られてしまうから、互いの領地から近い場所に専用の施設を立てるとかなんとか。
「他領土からの使者さんが来るってことですか?」
「そう、来客の応対だ。黒呪族の領主、ヨドイン=ゴルウェン」
「領主様が直接!?あれ、でも領主様なら魔王城から直接ここに転移できるのでは?」
「ヘイヘイ、ステちー。できることにはできるが、腹に一物を抱えていそうな相手を、自領土の最奥に招くようなことは普通しねぇぜ?」
「転移を許可するのは、よっぽど慕われているか、領主の館に戦略的価値がねぇとかだな」
「そ、そうですよね……」
「まあその特別な例が、最近ではちょこちょこ行われているようなんだがな」
「……?」
支度を済ませ、飛行しながら在外公館へと移動を開始。昼食はタスサノア様とチセシノア様がお土産と一緒にサンドイッチを用意してくださっていたので、そちらを飛びながらいただくことに。
一応私も飛行しながら食事を取ることは多々ありましたけど、ミーティアル様達の速度に合わせながらの食事は当然無理です。実際今の速度は私が全力を出しても追いつけないほどの速度。
そんな速度の中、タスサノア様とチセシノア様が私を抱えながら飛行。和気あいあいと食事をしながら飛んでいます。
前方の風もしっかりと魔法で防いでおり、ほとんど地上で食べている時と同じ感覚なのですが……。
「……シュールですね」
「ステちーは高速移動しながら食事とか、まだできないだろうからなぁ」
「防風の魔法さえ覚えりゃすぐすぐ」
「そもそもこの速度が出せないのですが……あ、美味しい……」
「だろー?」
サンドイッチもベリーパイもとても美味しかったのですが、目の前で見せられている超高速飛行と、肌に微塵も風を感じない防風の魔法の練度に、兵士として磨き上げてきた自信とかが砕かれていくショックの方が印象的でした。
ミーティアル様は昼食の方は既に済ませていたようで、横で並んで飛んでいます。
「ミーティアル様ー、前飛んでくださいよー。俺らの風の抵抗減るんですからー」
「この程度影響ないだろうに。魂胆が見え見えだ、馬鹿共」
「スパッツ見ながらの飯が乙なんですよー」
「……お前ら、地上に降りたら覚えておけよ」
一瞬ミーティアル様が魔法を放とうとしていましたが、私の存在を思い出してくださったのか、思い留まってくださった模様。この双子上司……最強の天竜族相手に容赦ないセクハラですね……。
そんなこんなで在外公館前へと到着します。
「到着っ!」
「かーらーのー」
「制裁だ」
「「ぐあー!」」
私を二人から引き剥がしつつ、魔法で吹き飛ばすミーティアル様。空で何度も弄られていたせいか、いつもよりも威力が高め。空気に残った残留魔力からもそれが伺えます。
「あの……ミーティアル様?このお二人が大概なのはわかりますけど、毎回魔法を打ち込んでいたら、魔力が保たないのでは?」
「大概だとわかってしまわせてすまないな……。だが心配は不要だ。この程度の魔力なら、在外公館に辿り着く前には回復する」
「……え?」
残留魔力から考えても、今ミーティアル様の放った魔法に込められていた魔力は、私が一日に使える魔力量を遥かに超える量。……なんでこの双子上司がピンピンしているのかは謎で仕方ないのですが、今は後回し。
それほどの魔力を消費しておきながら在外公館に辿り着く前に回復って……徒歩で一~二分も掛からない距離ですよね!?
「ステちーは天竜族が魔族の中でどれくらいの強さにあるか、知っているよな?」
「え、ええと……。純粋な戦闘能力だけなら魔族の中でも最強格……ですよね?」
「ああ。でも単純な膂力だけなら鋼虫族や牙獣族、一部の鬼魅族の方が強い。魔法における属性の親和性についちゃ、四族がダントツだ。あいつらの魔法効率は一生真似できん」
「特異性の異質さについても、天竜族はどちらかと言えばシンプル寄りだ」
「「では聞こう。なぜ天竜族は最強と呼ばれているのか?」」
「……魔力量、ですよね?」
竜の因子を持つ天竜族。その最たる特徴は他種族よりも基礎魔力量が高いところにある。私の魔力でさえも、他の種族からみれば精鋭の兵士に並ぶくらいにはある……らしい。
「そう。ミーティアル様はそんな天竜族最強の領主。そのコアから生み出される魔力量は、間違いなく魔界一だ」
「他の領主達の魔力の総量と等しいと言えば、どれほど規格外か分かるか?」
「こと戦闘において、ミーティアル様の魔力が枯渇することは未来永劫存在しない」
「……っ」
「なお俺らへのツッコミではたまに枯渇する」
「枯渇するんですか!?」
「そりゃもう、俺らのタフネスを前にミーティアル様もヘロヘロよ」
「気力的な問題だ。今日はまだまだ余力はあるぞ」
「「ぐあー!」」
確かにこの双子上司を相手に、朝から晩までからかわれていたら精神の方は枯渇するかもしれない……。
在外公館の入り口へと到着すると、そこには受付の方以外にも天竜族の姿が。ってこの方は――
「おや、ミーティアル。こうして顔を合わせるのは久々だな」
「――お久しぶりですね、兄上」
シューテリア=アルトニオ様。ミーティアル様の実兄であり、ミーティアル様が天竜族の領主の座を得るにあたり、最大の障害になったとされるお方。
視線が合う。ミーティアル様と似てはいるものの、どこか冷たさのようなものを感じる魔力が全身を突き抜ける。体が硬直し、息が止まる。
え、私、今立っているよね?体が傾いているかのように、感覚がおかしい。息が苦しい、呼吸を、あれ、どうやって呼吸をしていたっけ。
『はーい、落ち着いてー』
「――っ」
『魔力にあてられただけだ。体の方は整えたから、ゆっくり息を整えようなー』
頭の中に響くチセシノア様の声。同時に背中から暖かい魔力が駆け巡り、全身の機能が正常に戻っていく。落ち着いてくるとチセシノア様が私の背中に手を当てているのが理解できた。
「おっと、すまないな。この程度であてられるとは思わなんだ。新入りにしては貧弱過ぎないか?」
『説明してなかったな。まあ、アレだ。シューテリア様は正直ミーティアル様のことをよく思っちゃいない。妹に領主の座を奪われたわけだからな』
「彼女は私の侍従です。抑えていただけると助かります」
「それは失礼。一応抑えてはいるのだがな。だが、潜伏するつもりでもう少し抑えるとしよう」
『多少の嫌がらせは平気でしてくるんで、注意しておけよ。ま、俺達が守るから心配はいらねぇけど』
シューテリア様から感じる魔力が弱くなっていく。体から溢れる魔力は、意識の方向へと流れていくというのは知っていたけれど、視線を向けられるだけでこんな風になるなんて……。
ミーティアル様は普段から私のために相当に魔力を抑えてくださっていたのだろう。
「タスサノアとチセシノアも息災のようだな」
「ええ、楽しく仕事をさせてもらっていますよ」
「楽しく、か。その堅物の面倒に飽きたらいつでもうちに来ると良い。席はいつでも開けてあるからな」
……あれ、なんだかシューテリア様の態度が明らかに違う気がする。ミーティアル様や私に対してはなんか冷たさを感じていたのに、タスサノア様とチセシノア様には妙に優しさを感じるというか……。
『簡単な話さ。シューテリア様は領主の座をミーティアル様に奪われた。その原因が俺達にあるとしているのさ。ミーティアル様の面倒を見た俺達が優秀だったからこそ、ミーティアル様に今があると。そうでなきゃ、ミーティアル様の才能が自分を凌駕しているって認めなきゃならねぇからな。才能を持つものとしてのプライドがそれを許さねぇのさ』
な、なるほど……お二人を神格化することで、ミーティアル様と自分に差はないと自尊心を保っていると……って私の心を読んでます!?
『お、今日の下着の色は水色かぁ』
合ってる!?考えてないですよ!?このタイミングで今日履いている下着の色なんて思い出すわけないですよね!?
『ネタバラシをすれば、さっき抱えて飛んでいる時に服がずれてたからな』
『ちゃんと食べろよ。大きくならないぞ。見えた時に喜びが少ないからな』
タスサノア様まで思考に乱入してきた!?どっちも余計なお世話ですよ!ちゃんと毎日しっかり食べてます!そして喜ばないで!?
「それで、兄上はどうしてここに?」
「俺とてある程度の情報は握れる立場だ。黒呪族の領主からの連絡があったことは聞いている。どのような情報を持ってくるかも含めてな」
『表向きは兄妹仲良く天竜族の覇権を握ってる形だ。ミーティアル様や俺達の手が届かないところはシューテリア様が掌握している』
『優秀な人材は大抵向こうに持っていかれちまうんだよなぁ。お陰でミーティアル様の周囲はいつも人材不足だ』
『スパイもいたよなー、俺らのイビりで速攻止めたけど』
『三日間地面に埋められてた程度で、情けなかったよなー』
三日間地面に!?それってイビりの範疇を超えてませんか!?……でも確執があるのは確かなのですね。ひょっとしてお二人が普段から巫山戯ているのも、ミーティアル様を守るため――
『え、あ、うんそうそう』
『い、いやぁ、バレちまったかー』
じゃないですね!?念話でそんなに動揺します!?
とりあえず今日シューテリア様がこの場にいらしたのは、ミーティアル様とヨドイン様の話し合いに加わるため?シューテリア様が関わりたがるような内容ということなのでしょうか。
「……そうですか。どのみち共有する内容です。側で静かに聞かれるのであれば、私から言うことはありません」
「無論だとも。どのみち私の管轄になるのだ。問題はあるまいよ」
全員で応接間へと行き、気まずい空間のまま時間が過ぎること十数分。扉が開き、一人の魔族が入ってきました。
「おや、随分と大所帯だね」
「きたかヨドイン。時間よりもだいぶ早いようだが」
ヨドイン=ゴルウェン。呪の因子を持つ黒呪族の領主。その表情こそ温和だけれど、肌に感じる魔力の質は、まるで彼の全身が呪いに包まれているかのようで、あまりにも禍々しい。種族の違いだけでなく、生き物としての在り方があまりにも違うのだと本能で感じてしまう。
「僕は空を飛べないからね。魔物を使った飛行は何があるかわからない。アポイントを取ったのに、君を待たせるようなことをしては心証を害することになりかねない」
「私がそのようなことで気分を悪くするとでも?」
「僕はカークァス派だからね。慎重に行動させてもらっているだけだよ」
他愛のない会話のはずなのに、側にいるだけで喉が乾いてくる。さっきベリーパイ……は食べた後にしっかり飲み物はのんだから、関係ないはず。こうやって雑談している間も、互いの腹の中を探っているに違いありません。
それにしてもカークァス派って?そんな名前の領主っていましたっけ……?
「随分と執着しているようだな。それほどまでに利用価値を見出しているのか?」
「そうだね。単純な実力だけなら、君の方が優れていると判断できるけれども、あの方には癖になる魅力があるからね」
「そうか」
「君もいずれ気づくかもね。それはそうとして、ご挨拶が遅れてもうしわけない。そちらはミーティアルの兄君、シューテリア=アルトニオ。後ろの護衛はかの双子の天竜、タスサノアとチセシノアだね。そして君は……最近ミーティアルの侍従となったステラチノ=メティオだったかな」
「――っ!?」
私のことまで把握している!?黒呪族は諜報に長けているとは聞いていたけれど、私のことまで調べているの!?
『へ、俺らはステちーの親父のことまで知っているぜ!』
『なんなら生き別れの妹さんのこともな!』
そこ自慢にならないですよ!?妙なところで、しかも人の脳内で張り合わないでください!?
『いや、だってここ空気悪いし』
『ステちーの頭の中なら癒やされるかなって』
私の頭の中ですよ!?そんなところに癒やしを求めないで!?
「……あまりうちの新入りを怖がらせないでもらえるか?」
「ごめんごめん。ミーティアルが突然身の回りに人材を増やしたと聞いてね。ちょっと興味が出ちゃっただけなんだよ。君のお父さん、生き別れの妹がいるんだって?大変だね」
「えっ!?」
この方もお父さんのことを調べてるぅ!?お父さん、他種族の領主にまで調べられちゃってるよぉ!?
『こいつ……出来る!?』
『いや、落ち着け。俺達の方が先に仕入れている情報だ……狼狽えるな……っ!』
「樹花族の里で目撃証言があったそうだけど、それ以上は流石に脱線し過ぎかなって、調べてないんだ。あとは頑張ってね」
「あ、はい……」
『馬鹿な……俺らよりも……!』
『これが黒呪族領主……!負けた……っ!』
すごくどうでも良い話題で格付けが済んでいるのですが……いや、お父さんにとっては結構重要な話なのでしょうけど……。帰ったら手紙に書いておこう……。
「お前は何をしているんだ……」
「気になったことは調べたくなる性格なんだよ。調べてみた子がただの一般兵だったとしても、その血筋の中に不審な点があったら洗いたくならない?」
「……まあいい。本題に入ろうか」
「そうだね。お土産話はこの辺にしておこうか」
お土産話だったんだ……。渡す対象がほとんど私なんだけれど……。いや、お父さんか……。
「旧神ウイラスの使者、その潜伏先についての情報を共有したい……だったか。何が目的だ?」
「端的に言うと、僕は旧神の使者に殺されかけたからね。直接関わるのを避けたいんだ。そこで他の種族の精鋭に任せたいなぁって」
「……なぜ私なのだ」
「消去法かな。現在魔界から人間界に向かうのに最も向いているのは空路だ。空を飛ぶことが得意なのは鋼虫、風、そして天竜族。鋼虫族のジュステルは明確な反カークァス派だから話を持っていっても取り付く島もないだろうからね。風族のルーダフィンはノリ気になってくれそうだけど、仲の良い慎重派のゴアガイムが横槍を入れてくるのが目に見えている」
旧神ウイラスの使者?旧神ウイラスは知っているけれど、その使者がいるって話は初耳だ。勇者とは違うのかな?
『そんな貴方に』
『お手軽情報共有魔法!』
うわああっ!?突如脳内に雑に情報が流れ込んでくるぅ!?そんな人の頭の中にスープを流し込むような勢いで情報を流さないでくださいっ!?
『いや、さくっと共有しないと話聞き逃すじゃん』
『どうせステちー、ミーティアル様の侍従なんだし、この先色々知ることになるしな』
うう……信用があるのは嬉しいけど、扱いがちょっとアレ過ぎる……。うわぁ、知らない情報がどんどん浮かんでくるよぉ……。ええと、最近領主達の間で話題になっている人間界にいるとされる旧神の使者……。ヨドイン様が一度人間界で遭遇して……二百の精鋭が為す術もなく全滅っ!?あ、カークァス派のカークァスって方はここで出てくるのですねって創世の女神ワテクア様が連れてきた魔族なんですかっ!?
こんな情報知っちゃって良いのかな……いや、良いって言うのはわかりましたから、そのサムズアップ止めてください、二人共……。
「その情報を流して、お前に得はあるのか?」
「あるとも。もしも天竜族がその詳細を突き止め、なんなら旧神の使者を取り除くことに成功すれば、その情報を集めていた僕の手柄にもなる。ついでに僕は危険を冒さずに済むからね」
「よほど恐れているのだな。その旧神の使者を」
「今君と戦えと言われた方がまだマシだね」
「ほう」
真顔で返事をするミーティアル様に対し、笑顔で応えるヨドイン様。その笑顔を見ると背筋に冷たい汗が流れてくるのが分かる。これほどの方が恐怖を覚える相手……しかもミーティアル様相手に戦う方がマシって、どんな恐怖を植え付けられたんだろう……。
「ヴォルテリアのニアルア山。そこに旧神の使者である弓術使いが潜伏している可能性が非常に高い。森林に囲まれた見渡しの悪い山の中だ。歩兵は使わない方が良いだろうね」
「お前の部下達は容易く敗れたのだったな」
「音もなければ魔力も感じない。眼の前にいるのに接近に気づけない歩法を使い、こちらの動きは一挙一動先読みしてくる。そんな相手を想定とした訓練なんて積んでなかったからね」
なにそれ怖い。基礎能力は相当に低い種族って聞いていたんだけれど……人間ってそんな芸当ができるの……?
「黒呪族の練度についてはある程度こちらも把握している。その隊でその有様なら、油断はならないのだろうな」
「数はどのみち目立つからね。やるなら少数精鋭だろう。あ、これヴォルテリア領土の地図ね。ニアルア山付近は詳細な地図は作成していない。うちの部下がうっかり旧神の使者と遭遇しても困るからね」
ヨドイン様は数枚の地図をテーブルの上へと置く。ミーティアル様が手を伸ばそうとすると、その横から別の手が伸び、その地図を手に取った。
「――兄上」
「なるほど、面白い。この一件、俺が預かろう」
「兄上、この情報はまだ信憑性に欠けます。兄上に任せるとしても、もう少し私の方で調査をしてから――」
「その調査も俺がやれば良かろう。なに、そろそろ一度人間界に足を運んで見たいと思っていたところだ。ヨドイン、別に俺が動いても構わんのだろう?」
「ええ、構いません。ミーティアルの側近は超少数精鋭ですが、それゆえに人間界に回す余裕はあまりないでしょうし。ミーティアルの兄君である貴方なら、十分に適任だ」
「……そうですか」
ミーティアル様は静かに息を吐き、姿勢を戻しました。この場でシューテリア様を諫めることは難しいと判断したのでしょう。
「人間の住む区画への侵攻は避けてくださいね。抜け駆けは他の領主達の反感を買いますから」
「それくらいは分かっている。だが土産程度に多少持ち帰るくらいは構わんのだろう?」
「ええまあ、でも村一つくらいの規模で抑えてくださいよ?」
『あー、やっぱこれが狙いか』
『そうだな。こっちのことよく分かってやがる』
狙い?ってまた私の脳内で会話してるぅ……。
『ヨドインはシューテリア様が食いつくのを分かっていて、今回の来訪の情報を伝えていたんだろうよ』
『ミーティアル様だけなら簡易的な調査で終わる可能性が高かった。けどヨドインとしちゃ本格的な調査がしたいわけだ』
『だから野心家のシューテリア様を利用したってわけだ。シューテリア様はミーティアル様よりも功績を残したがっているからな。』
『旧神の使者の討伐とか、間違いなく箔がつくし』
うわぁ……なんだかドロドロな面を垣間見ちゃった気がする……。でも領主を差し置いて、この行動はどうなんだろう。ミーティアル様は領主なんだし、もう少し強くシューテリア様を諌めても良いんじゃ……。
『それが難しいところなのさ、ステちー』
『ミーティアル様は色々とシューテリア様に負い目を感じている。だから丁寧に扱わざるを得ないんだよな』
負い目……?でも確かにミーティアル様の態度は妙に感じる。実の兄とは言え、傲慢な態度を見せるシューテリア様に対して、一歩引いて宥めようとする言動が多く見られる……。
「それでは吉報を待っているよ」
「うむ。任された」
ヨドイン様は静かに立ち上がり、その場を後にしました。何故か最後に私と目があったのですが……やっぱりあの方も私のお父さんに……いやいや……。
「……では兄上、旧神の使者の件についてはお任せしますが、くれぐれもお気をつけて」
「誰に言っている。俺がお前以外に遅れを取ることなど、ありはしない。ましてや人間など――」
「いいえ、気をつけるのは人間だけではありません。ヨドインの狙いは他にあるかと」
「――ふん、あの程度の輩に出来ることなどたかが知れている」
そういって地図を握りしめたシューテリア様も部屋を後にしました。ヨドイン様とシューテリア様、空気を重くしていた二人がいなくなったのにもかかわらず、部屋の雰囲気は暗いままです。
「……二人共、地図の記憶はしたな?」
「勿論。寸分違わず頭の中にあるぜ」
「言われりゃすぐに複製可能だ」
「できるんですか……」
「そりゃもう。俺達は天才だからな」
「自重以外のことは大概できるぜ」
ミーティアル様は最後に一つ、大きなため息をつくとすっくと立ち上がった。そこにはいつもの様子のミーティアルが戻っていました。
「ステラチノ、嫌なものを見せてしまったな。このように私の周りはロクな環境ではなくてな」
「い、いえ、そんなことは……」
「そうそう、そんなこと俺達は気にしないぜ」
「今更なんだよって話だよな」
「お前らも込みだ、馬鹿者」
「「ぐあー」」
「さっさと複製に取り掛かれ。兄上が問題を起こした場合、フォローする準備をしなくてはならないのだからな」
「「へーい」」
ピンピンとしながら部屋を去っていく双子上司。地図の複製ってそんなに簡単にできるものだっけ……いやいや、無理だよね?チラっと見たけど結構複雑な地図だったし……。
「兄上があの二人を高く評価しているのは気づいているな?」
「え、ええ……」
「あの二人は兄上が私の才能を認めたくないからだと言っているが、実際のところあの二人は本当に優秀だ。私とて戦い以外ではあの二人に勝てることはほとんどない」
「そ、そうなんですね……」
「……私がある程度成長した頃、あの二人には父上から辞令が下っていた。私の世話役から、兄上の仕事の補佐に移れというな」
「そうなんですか!?」
ミーティアル様のような一目で分かる絶対的存在とは違い、タスサノア様とチセシノア様は知れば知るほど多才であると理解できるタイプの方達だ。巫山戯た態度はさておき、優秀な人材として欲しがる者は多くいるのでしょう。
「当時は兄上の方が領主に相応しいと言われていたからな。あの二人にとっては確かな出世の道だった……。だが私は相当にゴネた。その結果辞令を辞退させてしまったのだ」
「ミーティアル様が……相当に?」
「相当に、だ。なにせ奴らの辞令書を目の前で暖炉に投げ込んでやったくらいだ」
「そこまで!?」
「皆が兄上の側に寄る中、あの二人だけが私の側にいてくれたからな。未熟だった私の独占欲というやつだ」
そう語るミーティアル様の表情は、昔を思い出しているのか、どこか恥ずかしそうで、それでいて懐かしんでいるかのようだ。
「だが私はその時の判断が間違っていたとは思っていない。こうして私が天竜族の長になれたのはあの二人のおかげだ。才能はあれども、領主になろうと思えたのはあの二人がいたからこそだからな」
「そうだったんですね……」
「逆を言えば、兄上もあの二人がいれば盤石に領主になれていただろう。そういう意味では私は兄上の未来を奪ったことになる」
それがミーティアル様の抱いている負い目なのですね。
ミーティアル様があの二人に感謝をすればするほど、自分にとってかけがえのない存在であればあるほど、それを奪ったという負い目は増していく。
自分の才能を誇示するため、自分の才能を導いてくれたため、意味合いは違うけれど、天竜族最高峰の兄妹にとってタスサノア様とチセシノア様は大きな影響を与えているのですね。
ああ、それで、さっきの魔法の一撃はどこか優しめに感じていたんですね……まあ、私は即死するレベルでしたけど。
茶番いれるとすぐ尺が伸びる。