水。
◇
ひゅう、挙式から第二子の誕生までのビジョンが脳内を駆け巡ったわ。本人は無自覚なんだけど、これだからレッサはやめられない。
「待たせたわね」
「何か準備でもしてたの?」
「色々とね」
「?」
意識が夢の世界に飛んでいたけど、とりあえず一瞬の出来事だったようでなによりね。死因レッサは素敵だけれど、レッサが生きる目的の方がまだ濃密に生きられるもの。
さて、正直このまま墓に入るまでの終活コースまで妄想を捗らせたいところだけれど、流石に相手が相手なので自重はしなきゃ。
「一応名乗っておくわ。水族が領主、クアリスィ=ウォリュート。とりあえず死にたくはないからそこの線引は忘れないようにね」
「もちろん!貴方達が必死で生き延びようとすればギリギリ大丈夫なラインでいくわよ!」
ルーダフィンもゴアガイムも、途中明らかに死にかねない攻撃を受けていた。二人共持ち前のスペックと判断力があったからこそ生きながらえていたけれど……そうなるとイミュリエールは両者の底を見切っていたということになる。
対する私達は未だに彼女の底を見ていない。聖剣を使う素振りはないようだけれど、勇者の使う神技は既に披露済み。なにより脅威なのは――
「斬るという行為を概念にまで昇華させた剣士。剣技というよりは魔法や特異性のそれ。斬撃魔法のスペシャリストくらいの気持ちで相手をしなきゃね」
イミュリエールは『斬る』と決めた物を斬る斬撃を、『どのように斬るか』で軌跡として具現化している。距離、硬さ、数、それらの要素も全て彼女の認識の中で斬られているのよね。
その軌跡が私に見えたのは、イミュリエールが軌跡を置いている領域を認知できているからだ。
魔王や勇者が超越者たるのは魔族や人間よりも遥か先の領域に存在しているから。理にも干渉する能力は超常的な現象を引き起こし、他の追随を許さない……はずなのだけれど。
目の前にいるイミュリエールは、私と同じ。世界を創造した女神達とその使者だけが存在できる絶対の領域、神域へと足を踏み入れている。
「へぇ、そういうふうに捉えるんだ。貴方は魔法のスペシャリスト?」
「剣術家とかではないわね」
では目の前にいるイミュリエールが勇者なのか。答えは否。超絶的な剣術を使い、聖剣を持ち、勇者が勇者たる神技を使うとしても、彼女が勇者でないことは確かなこと。
理由は明白。彼女には旧神ウイラスの加護がない。魔王と勇者は女神の加護を受けた存在、それがない以上はただの魔族と人間に過ぎない。ま、強敵には違いないのだけれども。
ルーダフィンから得られた情報としては剣を握っていること、剣を握った腕が自由であることが発動可能となる条件。
ゴアガイムから得られた情報としては、握っている剣は飾りに過ぎない。条件さえ満たせれば剣の斬撃の規模は彼女の意思の範囲で自在に変化する。
それこそ彼女が本気になれば全身を消し飛ばすような斬撃の雨を放つことができるのでしょう。
「じゃーまずは軽めにいくわね!」
イミュリエールから飛んできた白い軌跡、それはゴアガイムを倒したものと同じ極太の剣による薙ぎ払い。じゃあゴアガイムは軽めの攻撃で倒されたのかとツッコミを入れたくなる。
「――もう少し見くびってくれると楽なのだけれどね」
白い軌跡は一瞬で現れるけど、しっかりと見れば始点と終点は存在する。斬撃である以上、それはどちらもイミュリエールから伸びているものだ。
斬撃を映し取り、同じタイミングで発動させる。同規模の斬撃が同時に放たれることで、衝突と共に白い軌跡は完全に具現化することなく消滅した。
「……わお。私の剣筋、鏡映しにしたのね」
「ええそうよ」
仕組みを見切られた以上、わざわざ隠す必要もない。不可視の魔法を解除し、赤い縁を持つ大きな楕円形の鏡……私の特異性を見せる。
「『留意せよ、汝の刃は我が刃』。私の背中に展開された巨大な鏡は、私への攻撃を私の攻撃として再現することができるわ。欠点は雑魚過ぎる攻撃相手に使うと、私の方が燃費悪くなることなのだけれど……貴方なら無用の心配ね」
白い軌跡は単なる予兆。映し出しているのはその後の刹那に具現化する斬撃。それが刹那にしか存在しないものであろうとも、私の鏡は完全に再現し相殺することが可能。
反射に必要な魔力はほぼ一定。相手の攻撃の規模が大きければ大きいほど、私の特異性の燃費は良くなる。ことイミュリエールの斬撃ならば過去の記録を更新しかねないほどには効率が良いと言える。もっとも、イミュリエールの消耗具合からみて、そんなことを誇っている余裕などはなさそうだけども。
「じゃあ、どんどん行くわね!」
今度はルーダフィンを追い詰めた籠のような白い軌跡。もちろんそれも映し出し、相殺していく。ただその直後、イミュリエールが真正面に現れた。白い軌跡を目眩ましとして、『時渡り』による接近。狙いは直接的な攻撃なのでしょうね。
「もちろん通常の殴る蹴る斬るも映し出せるわよ」
「わっと」
虚空から現れたイミュリエールの腕と剣の鏡像がイミュリエールの斬撃とぶつかり合う。鏡が映し出すのは魔法の域にあるものだけではなく、近接攻撃も全て再現できる。
武器同士がぶつかり合うことで生まれる余波も映し出せば、衝撃でどうこうなる心配もない。
「で、こういう能力を見せると、大抵の輩は『相殺するだけなら攻めには使えない』とか言い出すのよね。そんなわけないんだけど」
「――二枚目……っ」
イミュリエールの身体を飲み込む白い軌跡が現れるのと同時に、イミュリエールは瞬時に距離をとった。もう一枚の方は不可視のままだったのだけれど、簡単に看破されちゃったわね。不可視の魔法を解除し、もう一枚の青い鏡も展開しなおす。
「そう。完全に同じタイミングで反射する鏡とは別に、任意のタイミングで反射できるもう一枚の鏡。相手の攻撃は基本倍返しにさせてもらっているわ」
「硬いだけが取り柄の相手とか、倒すのに苦労しそうね」
「それ、わりと深刻な悩みなのよね」
私の特異性は基本的に相手依存の攻撃力となる。自身の攻撃で自身を倒せない相手がいた場合、不毛な消耗戦が始まりかねない。どこかの硬さが売りの牙獣族とか、自身の呪いに耐性を持つ黒呪族とかね。
「そういえば別に技名を口にしなくても神技使えるのね」
「最初のうちは言霊で身体を馴染ませる必要があるんだけどね。何度か使っているうちに身体が馴染むの」
「便利な精神調整ね。私も精神を落ち着かせる処置は持っているけど、戦闘中には向いていないのよね」
「じゃあ今度教えてあげるわよ!んで、ようは鏡に映らなきゃいいのよね?」
イミュリエールの姿が再び消える。どこにいるかなんて考えるまでもない。鏡に映った攻撃を反射するのであれば、鏡に映らない位置から仕掛ければ良い。それはどこか、鏡の背面、即ち私の背後だ。
「回り込めば良いとか、その程度で攻略できるほど優しくないわよ」
「――ありゃ。この鏡、私にしか見えてないのね」
背後に回り込んだイミュリエールの視界には既に自分の方を向いている赤い鏡が存在している。
私の特異性、『留意せよ、汝の刃は我が刃』はあらゆる攻撃を反射する鏡を召喚する特異性ではない。
鏡は必ず相手から見て私の後方にあるように見える。鏡の存在はあくまで相手に視認性を持たせるためだけの制約要素に過ぎないのだ。
この制約により燃費が向上しているので、相手に身構えられる事以外は特に不都合はない。
強いて言うのであれば、鏡には私の姿も写るから、頭上から仕掛けられる際に私の足元に鏡が出現することになる。なのでスパッツが必須というのが欠点かしら。
まあレッサに前の姿も後ろ姿も同時に注視してもらえるというご褒美制約だったりするからメリットの方が大きいわね。
「正面にいながら背後から攻撃とかもダメよ。この特異性は私を中心として発動しているのだから。あとほら、忘れてない?貴方、私に何回攻撃をしたかしら?」
「っ!」
背後に回り込んでいたイミュリエールの後方から、白い籠の軌跡が現れる。
跳躍し、その軌跡から逃れた先には、彼女が直接仕掛けた鏡像による一撃が放たれていた。
イミュリエールは空中で不安定な姿勢のまま、自身の近接攻撃を受けて弾かれていく。
赤の方は操作的に厳しいのだけれど、青の方は鏡の角度、距離をイメージする要素で、反射の向きや位置はある程度自由に操作することができる。
相手の視野的には、常に私の背後に赤い鏡が展開していて、青い鏡が神出鬼没に現れている感じなのでしょうね。
「赤の鏡と青の鏡。貴方が二つ見せたから、私も二つ紹介させてもらったわ」
「えー、それ同じ特異性なんじゃないのー?」
「……実は二つの特異性なのよ」
「うそだー!」
現状、イミュリエールが見せた技は全てこの鏡で対処できる。『時渡り』を使った体術も相殺されると理解している以上は使ってこないでしょうし。
けれどイミュリエールの表情は涼しいまま。多分だけどこの鏡の弱点とかもう気づいているわよね。
「攻めないのなら、こっちからいくわね」
氷の槍を創り出し、イミュリエールへと放つ。弾速としては悪くないのだけれど、相手が相手なので当然最小限の動きだけで回避される。
「――む」
そのタイミングに合わせて槍を炸裂させ、破片を飛ばす。けれどその予兆に気づいた彼女は即座に射程外まで離れていた。
「風馬鹿と土馬鹿ほどじゃないけど、面制圧は得意な方なのよ。威力もイマイチかもしれないから、持久戦は覚悟してね?」
槍を量産、牽制程度の感覚で撃てるのは百程度。面制圧としては弱いけど、元々イミュリエールを追い込むためのものだから問題はない。
それぞれの槍に乱数を設定。射出の順番と速度、炸裂を行う際に参照する対象との距離をランダムに。
イミュリエールは相手の癖を簡単に読んでくる。なら私自身も把握できない乱数で余計な情報は与えない。
「ええい、面倒くさいわね!」
槍を丸ごと薙ぎ払う巨大な軌跡、当然赤の鏡で反射して相殺。半数は撃ち落とされたけど、残りの槍はまだイミュリエールへと向かっている。
逃げた方向に青の鏡の反射を狙いたいところだけれど――
「使われても良いように間合いを詰めてくるわよね」
「えへん。そしてそして――」
イミュリエールが握りしめた拳を繰り出す。当然赤の鏡が鏡像で迎え撃つ。
互いの拳がぶつかる直前、イミュリエールは拳を解いて掌を広げる。そして手首を捻りながら僅かに上側へと逸らす。完全に反射している鏡像も同じ動きをし、互いの掌がすれ違い、手首付近が軽くぶつかり合う程度に終わる。
「かーらーのー、よいしょー!」
それで終わりではなかった。イミュリエールは鏡像の手首を掴んだ。鏡像も同じように彼女の腕を掴んでいる。
イミュリエールはそのまま腕を引く。鏡像も同じように引く動作となり、拮抗した力はその場から動かない。代わりに足を浮かせていたイミュリエールの身体が前……私の方へと接近する。
この女、私の反射を移動手段に利用してっ……!
「これは返せる?」
イミュリエールの身体が私に触れる。攻撃ではなく、全身で触れてくるような完全な密着状態。
それが危険だと判断し、移動しようにもピタリと張り付かれて離れることができない。更に動こうとした瞬間、自身の重心が崩れ天地が反転。背中越しに強い衝撃が伝わってくる。
「いっつ……っ」
「やっぱり、投げ技は反射できないみたいね。じゃあ絞め技はどうかしら?」
イミュリエールの腕が私の首周りに纏わりつく。この女、剣術だけじゃなくて体術も相当……いや、私がほとんどダメなだけなんだけれどっ!そりゃあレッサとの寝技なら脳内で何億通りも想定してきたけど、実践はほとんどなかったし!
やっぱりこの特異性の弱点を見切ってきたわね……っ!物理攻撃、魔法攻撃、これらの衝撃とは違い、投げはただの重心操作。反射しようと思えばできるけれど、鏡合わせで重心の加速を反射した場合、投げの威力が増すことにもなりかねないと自動での反射は設定していない。
そして絞め技だけど、反射はできる、できるけど……っ!
「ぐっ……!」
「む、二倍で締め付けてくるわね。でも私はこの程度簡単に耐えられるわ。貴方はどう?」
自分が締め付けている倍の圧力を首に掛けられても、イミュリエールの腕の締め付けは緩まない。単純な耐久力の勝負となると、『時渡り』のような強力な魔力強化に耐えられる肉体を持つイミュリエールに勝てるはずもない。
槍を展開しようにも、私の方へと矛先が向くように身体を動かしてくる。喉周りを凍らせて耐えようにも、『時渡り』の要領で腕を強化されたら詰みだ。そこまでの強化はしなくても、私の方が先に絞め落とされるというか首が引き千切られる。これは流石に詰みかしら。
この状況でもどうにかする方法は存在する。けれど、これは命のやり取りをする場ではない。望遠の魔法対策の結界は展開しているけれど、どこで誰が監視しているかわからない状況で、手の内を晒すわけにもいかない。
……まあ、癪だけど負けを認めるしかない。別にこの人間が魔界の領主になることに反対する気はない。ジュステルを倒し、なんならルーダフィンとゴアガイムも黙らせたのだから実力は確かだ。
いっそレッサと共にイミュリエールを魔王として補佐した方が、レッサとの二人きりの時間も作りやすいし、あれこれってさっさと降参した方が得じゃない?
「……私の負――」
「そこまでだ」
風切り音と共に、拘束が解かれる。何が起きたのかは明白、普通にレッサが接近し、イミュリエールに攻撃を仕掛けた。
高熱を纏わせた腕による正拳突き。その予熱が私の肌まで届いている。あー、これ。このチリチリ感、最高に好き。全身これで日焼けしたい。レッサの熱で日焼けサロンの経営をして魔界市場独占したい。
「あと少しだったのに。いいところで助けに入ったわね」
「助けたわけではない。これ以上続ければ彼女は奥の手を使わざるを得ない状況になっていた。そうなれば終わっていたのはお前の方だろう」
はー照れ隠し、照れ隠しありがとうございます。あとで振込しておきます。私周囲の状況ずっと見てたから、レッサが内心ハラハラしながら助けに来てくれたのまるわかりなのよね。
「私の方を助けたってこと?」
「それも違う。二人がこのまま戦い続ければ、勝負はそこで終わる。それでは俺が不完全燃焼のままで終わってしまうのでな。クアリィ、送り出した手前で悪いのだが、久しく心に火が着いた。この火照りを冷ますまで少し休んでいてもらえないだろうか?」
炎族特有のやる気ムーブありがとうございます。いつもボコボコにプライドへし折って泣かせたくなるそのドヤ顔強者ムーブの顔、とっても好きです。
あ、でも火照りを冷ますなら私の身体でどうぞ。基礎体温低いからいくらでも冷めるし、私もレッサの火照りを全身で感じられるからこれもう実質ウインウインのウインよね。
「――貴方もその女の実力を確かめたいってだけでしょ、好きにすれば?」
「う、うむ……。では炎族が領主レッサエンカ=ノーヴォル、道を焼き拓こうぞ!」
でもその決め台詞はちょっとどうかと思うのよね。でもそんなダメなところも好き。
後日炎族宛に匿名で多額の寄付があったそうですが、それはおいといて。
クアリスィは水族の長としての実力のみを使い、それではイミュリエールは勝てないと負けを認めた状態です。