迎え撃つは。
「うーん、疲れた!サロナイト、喉乾いたー!」
目一杯に背伸びをするイミュリエール様。そしてその周囲には無数の鋼虫族の猛者達が転がっている。
彼等は死んではいない。イミュリエール様が全力で手加減をしたから、全員致命傷だけは避けられている。
イミュリエール様が疲れたと言っているのは、その手加減故だ。あの御方が最初から殺す気ならば、この戦いはとっくに終わっており、地面でうめき声をあげられる者など一人もいないだろう。
「お心遣い感謝致します。反対派の戦士達を皆殺しにしては、民の総意が得難いですからね」
樹木の蜜を水で薄めたものを差し出す。人間が口にできるものは鋼虫族とは違う。それでも辛うじて共有できるものを見つけたり、機転を利かせることで対応できたりした。
これは私と言うよりはソウネスカのおかげだ。イミュリエール様の食生活などを聞き、彼の突拍子もない発言から活路を見出すことができていた。
「んー!甘くて冷えてて美味しい!それでいて含まれている魔力の毒々さがお酒っぽーい!」
「魔界の魔力を自浄できる方で助かりますよ……」
それでも本来人間は魔界では生きられない生物。理由は全てにおける魔力の質が異なることにある。
魔界には闇属性の魔力が含まれており、これらは人間の体内に多少なりとも存在する光属性の魔力と相反するからだ。
普通ならば衣食住を確保しても、全身の魔力バランスが崩れ、体調を悪くするはずなのだが、この御方から感じる魔力は少しも淀みがない。
優れた魔界の戦士は人間界でも長期の滞在が可能だと言われている。それは己の魔力の質が高く、光属性の影響を受けにくいからだとされている。
当人は闇属性の魔力を体内で自浄し、栄養素だけを取り込んでいると説明していたのだが……そもそも闇属性の魔力にも適応しているのではないだろうか。
個として優れていれば、住む世界の影響にも負けない。この方は居るだけで己の価値を示しているのだ。
「それじゃあ皆!またねー!」
既に意識があるかもわからない戦士達に手を振るイミュリエール様。この御方が鋼虫族の領主となるために、選んだ道はシンプルなものだった。
まずは確固たる地位を持つ者達の前で堂々と領主になることを宣言。当然反対意見ばかりの状態だったが、イミュリエール様はそんな彼等を全員半殺しにした。
『将来的に下につく子達なんだし、殺しはしないわ。気の済むまで何度でも相手をしてあげる。あ、でも一つだけ条件を出しておくわね』
イミュリエール様の出した条件、それは再挑戦する際には必ず前の挑戦よりも質を上げてくること。
人数、戦略、武器、いかなる手段でも構わないから、質を上げて出直してこい、さもなければその時の挑戦者は皆殺しにするとあの御方は言い放った。尤もこの条件は中々に曖昧なものではあったのだが……。
最初に挑んできた戦士がいた。単身で挑み、一瞬で失神させられた。次の挑戦では戦士が二人掛かりで挑み、これも一瞬で失神させられた。
これを見て、前の戦士達三人掛かりでも勝てない強さを誇る戦士が前に出た。彼は一瞬で細切れの亡骸となった。
『あ、ごめん!言い忘れてた!貴方達の強さって正直区別つかないから、ちゃんと一目で分かるようにしてね!』
ジュステル様でさえ一合で殺されたのだ。個々の強さなど何の意味も持たない。その認識の甘さによる死者ではあったが、鋼虫族達に格の違いを思い知らせるには丁度よい犠牲でもあった。
こうして一ヶ月が経過、今日は五十名、小隊規模での挑戦が終わったところだ。イミュリエール様にとっては日頃の鍛錬のオマケ、昼食前にお腹を空かせる運動程度にしかなっていない。
「あ、お疲れ様す!お昼ご飯できてるすよ!」
「わーい!でもソウネスカって妙にエプロン似合うわね」
「でしょ!俺この装備、今世紀最高に着こなしている自信あるんすけど!」
「本当に似合って見えるのが怖いわね……でも裸エプロンなのよね……」
ソウネスカの存在は実にありがたかった。ジュステル様を殺め鋼虫族の領主の座を奪おうとしているイミュリエール様を相手に、物怖じせずに対面できる者は、ソウネスカを除いて一族の中には存在しないだろう。
始めのうちは多少怯えていた様子ではあったが、今ではすっかり最初に会った時のようなテンションで会話をしている二人。
これが私だけだったら、一体どれほど重苦しい雰囲気となっていたことやら。下手をすれば不快に感じられ殺されていたかもしれないと思うと、ソウネスカは命の救済者とも言えるのかもしれない。言いたくはないが。
「裸エプロンってなんすか?」
「特殊なプレイをする時以外、普通エプロンは服の上から着るものなのよ」
「へぇ、鎧にマントを付けるようなもんすか」
「そうそう。どちらかというと前掛けだけど。あ、これ美味しい」
「つまりこれは俺にとっての階級を示す装備ってことすね!どやっす!」
「く、料理が美味しいせいで本当に似合って見えちゃう……!男に裸エプロンの着こなしで負けを認めるの……私っ!?」
あとこういう会話に巻き込まれないのは思考を正常に保つ上でありがたい。多分人間界の常識が含まれていても混沌とした会話なのは想像に容易い。
「それはそうと、イミュリエール様、領主の道の方はどうっすか?」
「うーん。挑戦自体は毎日くるのだけれど……殺されないことを利用して、持久戦を仕掛けてるって感じよね」
イミュリエール様の強さを侮るほど、反対派も馬鹿ではない。例え全軍を投入しても敗北するだろうと理解はしているのだ。
だからこそ質の向上を最小限に留め、可能な限り戦士を使いまわしながら時間を掛けている。
如何に優れた個であっても、個は個。代わりがいない以上、消耗させ続ければいつかは崩れるだろうと、イミュリエール様の体力を削りにきている。
「疲れてないすか?」
「うーん体力的には全然だけど、精神的にはちょっとね」
「大丈夫なんすか?」
「ちょっと不安かも。今日もうっかり何体か殺しかけちゃったし」
「そっちの不安すか……」
正直な話、心配はない。イミュリエール様の精神がどうこうなる前に、戦士達の心が折れる方が先なのは間違いないからだ。
初めて挑むのならばまだしも、二度、三度と圧倒的な実力差をその身で受けていては、戦士達も心境に変化が訪れるというもの。
「申し訳ありません。本来ならばもっと早くに決着すると踏んでいたのですが……」
「殺さないじゃなくて、なるべく殺さないって言えば良かったわよね」
「多少は殺しても良いとは思いますよ。そもそも守る方が無茶な内容ですので」
「えぇー。でもせっかく有言実行できてるんだし、そこは守りたいー。領主になるのって大変なのねー」
しかしこのままでは反対派もジリ貧だろうに。正面からダメならば暗殺等も考えられるが、はっきり言ってイミュリエール様相手にそういう真似は不可能だろう。
一ヶ月、この御方の戦いを見て理解したのは、異常なまでの視認能力があるということ。
武術における技というものは、本来初見性を活かして相手に対応を取らせないためのもの。しかしイミュリエール様はどの様な技であっても、その本質を看破することができてしまう。
体の構造がまるで違う鋼虫族特有の体術でさえも、技を放つ前に初動で潰せてしまわれた程だ。暗殺術においても通用することはないだろう。
「ですが反対派の動きは気になりますね。自分達でイミュリエール様をどうにかしようとする素振りは見られない。まるで何かを待っているかのように――」
「サロナイト様!大変です!」
賛成派の仲間が慌てて報告に現れた。イミュリエール様の機嫌を損ねれば無事では済まないということを知っていながら、昼食の最中に乱入してくるということは、余程の事態なのだと思われる。
「イミュリエール様は食事中だ。報告をするにしても声を荒げず、端的に説明を行え」
「……は、はいっ。先程領主の館に他種族からの伝令用の魔物が送られてきました」
ジュステル様がいなくなってから、領主の館の管理はジュステル様達の側近……中立派によって行われている。
ジュステル様を心から慕っていた側近達からすれば、イミュリエール様は怨敵であることは確かなのだが、私がジュステル様の意思と特異性を引き継いでいることも認めてくれている。
彼等は話し合った結果、中立を保ち『互いに納得のいく形となった時、我々はこの館を明け渡すと約束しよう』と告げた。
鋼虫族の未来だけではなく、ジュステル様の意思をも汲んでくれた彼等のためにも、我々は反対派を納得させなくてはならない。
現在中立派は賛成反対両方の派閥に対し、平等に情報提供を行ってくれている。他領主への連絡についてはジュステル様のご意思で音信を断っている体を装っているらしいのだが……。
「内容は?」
「それが……領主間会議を欠席した件について、明確な説明を求めるとのことで、炎族領主レッサエンカ=ノーヴォル、地族領主ゴアガイム=スアオンザ、風族領主ルーダフィン=テロサンペ、水族領主クアリスィ=ウォリュートの四名がこちらに向かっていると……」
「なん……四族全て領主が!?」
「サロナイト、四族って?」
「……四大属性をそのまま因子に持っている魔族で、魔界最長の歴史を持つ種族達の総称です」
反対派の狙いはこれか。領土内の管理は中立派が対応しているが、領主なき現在では外部との連絡はほぼ断たれている状態だ。
そうなれば他領土の領主はこちらの様子を確認せざるを得なくなる。しかしこれ見よがしに隠密を放てば領土間の問題にも発展する。
だからこそ、領主達が領主間会議の欠席等を理由に堂々とした探りを入れてくる機会を待っていたのだ。
当然ながら他の領主達が人間であるイミュリエール様を領主と認めることはない。そうなれば対立は必然……。怪物を止めるためには、怪物をぶつける……理には適っているが……そこまで手段を選ばないのか……っ。
「なんだ、他の領土の領主さん達が遊びにくるのね?丁度いい機会じゃない」
「丁度いいってどゆことすか?」
「自分達じゃどうしようもないから、他領土の領主達が足を運んでくるまで待っていたのよね?なら領主達を黙らせたら、反対派も良い感じに心が折れるんじゃないかしら?」
「あーなるほど。流石っすね!」
確かにこれは反対派にとって最後の希望なのだ。このまま延々と時間稼ぎをされ、イミュリエール様の気が変わるよりは、この機会を利用して一気に雌雄を決してしまった方が良い。
ジュステル様にも勝てたイミュリエール様だ。他領主達に遅れを取ることはないだろう。だが……それでも相手の中にはあのレッサエンカ=ノーヴォルがいる。
他種族に疎い者でも、レッサエンカの逸話は耳にしている。史上最強の炎族、その強さは歴代の魔王にも匹敵するとさえ言われているほどだ。
「強い領主さんでもいるの?」
「……ええ。噂通りならば、歴代の魔王にも並ぶとの評判の方が」
「へぇー!それは面白そうね!私一度魔王と戦ってみたいと思っていたのよ!あ、ソウネスカ、これおかわり!」
「りょ……了解っす!」
「……流石ですね。それでこそ狂いがいがあるというもの」
そうだ。悩む必要はない。私の取っている行動は既に常識の範疇を逸脱し、自滅行為にも等しい。
嘆き悲しむことはとうに済ませている。今は恐怖に笑い、絶望を堪能しよう。この御方の破滅への道を最高の位置で見届けることが、私の唯一の願いなのだから。