炎と水。
「時間だね。それじゃあ領主間会議を始めよう」
場を仕切るヨドインに対し、異を唱える領主はいない。既に形骸化しつつある会議、わざわざ口を挟む必要もない。
でもガウルグラートはちょっと不機嫌そう。直前にどちらが仕切るか揉めてたのが原因よね。子供のやる遊戯のようなもので決めていたみたいだけど、ヨドインったらイカサマをしていたのよね。
目撃しちゃった私としてはガウルグラートに教えるべきか、気づかない方が悪いって知らんぷりするのか、どっちが正解なのかしら?むむむ……。
「……クアリスィ、なにか睨んでいるけど、僕何かしたかな?」
「――貴方が仕切るのだから、貴方に視線を向けていただけよ。睨んでなんかいないわ」
「そ、そうかい?」
ふぅ。いけないいけない。悩んでいる顔が睨んでいるように思われちゃったっぽい。変にいちゃもんをつけられたくないのに。今日のために目元周りのマッサージを徹底してきたのに、私の表情筋硬すぎない?
「待テ。二人ほど姿が見えないガ」
地族の長、大地の精霊ゴアガイム=スアオンザが口を挟む。派閥については静観を決めている彼だけど、体裁には口煩いのよね。堅物さで言えば鋼虫族のジュステルと同じ……ってあら本当。ソロスがいないのはいつものこととして、ジュステルとナラクトの姿が見えないわね。
「ジュステルとナラクトなら、欠席すると連絡が届いているよ」
「何故お前に届いていル」
「やだなぁ。以前各種族への連絡用のルートを提供したじゃないか。あの水晶捨てちゃったの?」
「邪な魔力を感じたのでナ。砕いて土に還してやっタ」
ヨドインは『いつでも連絡してきてね』と各領主に通信用の水晶を配布していた。微塵も隠す気のない盗聴、追跡機能が付与されていた水晶をだ。
一部の領主は即刻処分したし、一部の領主は情報漏洩の心配のない適当な場所に保管して一応の連絡手段として残している。私は後者。いざという時の窓口はないよりあった方が便利だもの。
「酷いなぁ。そりゃあ盗み聞きとか、保管場所の特定くらいはするけどさ。それを踏まえてちゃんと場所を選んで保管してくれれば良いんだよ?あ、でもルーダフィンはちょっと別の場所に保管してくれない?雑音があんまりにも酷いんだけど」
「ふむ?通信環境を良くするため、兵舎の屋根に設置しているのだが、いかんのか?」
「兵士達の飛行訓練の風切り音がいつも煩いんだよ。練度が高いのは良いことだけども」
「ウワハハッ!すまん、すまん!だが風族にとって風切り音の大きさは魅力の一つなんだぞ!なんならワシの羽ばたく音、聞いてみるか!?一度翼の魅力が何たるかを語りたかったところだ!」
「室内で翼を広げないでもらえるかな、なんで微妙にいい匂いが広がってるんだよ、この脳筋鷹男」
「ウワハハッ!最近の流行は翼にも香水を付けることでな!ギャップで雌を落とすのが若い層にはウケておるのだ!」
風族の長、風の精霊ルーダフィン=テロサンペはいつもこういった意趣返しを好む。普通に話している分には普通に会話してくれるから、私としてはとっつきやすい相手ではあるのだけれど、ヨドインのような皮肉や悪戯心のある相手だとちょっとウザったらしいレベルで絡みだしていく。
「四族と話すとリズムの違いに疲れるよ……まあ良いや。ついでだし、物言いたそうにしているレッサエンカ、言いたいことがあるなら聞くよ?」
「カークァスがナラクトの里を襲撃したという話は事実か?」
好き。今日も最高、愛してる。ああ、レッサ。今日も凛々しくて真面目で熱のこもった眼差しが素敵。できることならその視線を毎日私に向けて。私いつでも嫁に行けます。でも婿入りの方がもっと良い。
「事実だね。カークァスさん曰く、『挑発されたので撫で斬りにしようと思った。楽しかった』だそうだ」
ワクテア様が連れてきた男、カークァスと名乗ったインキュバス。本当に物騒な人よね。
ガウルグラートやジュステルと戦っていた時も、ずっと心の底から笑っていたし、戦闘狂っぷりだけなら確かに魔王に相応しいって感じ。
「魔王を目指すものが、領主とその民を皆殺しにしようなどと、正気とは思えんな」
はぁーもう好き。貴方の声を聞くだけで私の正気が失われちゃう。その不機嫌そうな顔も私の歴史に刻まれる一ページ。絵画に仕上げて最高級の額縁に飾って毎日おはようとおやすみを言いたいの。
「反抗的な種族を律するのも魔王の役目だろう?それに鬼魅族の動きを見るに、彼等はこれ以上カークァスさんに敵意を見せるつもりはなさそうだよ」
私の方にもある程度の情報は流れてきている。カークァスが鬼魅族の領土へと赴き、集落の長達を殺し、ナラクトと激戦を繰り広げたと。
かなりの多くの死者が出たらしいけど、それで文句がでないなんて余程の恐怖をばら撒いたのかしら。ナラクトはいつも飄々としていたけれど、そこまで好戦的な子には見えなかった。そんな子が戦わざるを得ない状況に追い込むなんて、あまりにも強引な……ううん。詳しい情報がわからない以上、憶測で考えるのはあまり良いことではないわね。ヨドインはさておき、ガウルグラートが心酔している相手。ただの狂人ってことはないはずだし。
「ふん、奴の報告を聞けばどれも蛮行ばかりではないか。力尽くで全てを従えようなどと、とても魔王の器には思えんな」
あーもうだめ。押し倒したい。鼻で息をするだけでピクリと動く、あの逞しく引き締まった胸板を力尽くで押し倒して私の寝床にしたい。絶対私の頭に世界一フィットするわ。そう、アレは私だけのオーダーメイド。だって彼『お前に負けないように鍛えていく』なんて言ってたものね。そうよ、レッサは私の為にあの素敵な体を磨き上げてくれているの。はぁー私が理性の塊でなきゃもうノータイムで彼の服を胸元から全部破いているわ。命拾いしたわね、レッサの上着さん。今度洗ってあげるからうちに遊びに来てね。色々使わせてもらうけども。
「魔王の器は語るものじゃなく、示すものだ。非難するだけで魔王の座が手に入るのなら、僕はとっくに魔王になれているよ。ま、今はそういった問答をする場じゃない。クアリスィにすっかり睨まれちゃっているよ」
「……確かに時と場所を弁えていなかったな。不快にさせてすまなかったな、クアリスィ」
はー申し訳無さそうな顔もたまんない。不快なわけがないでしょ。貴方が私の視界に入るだけで、快絶絶快最高潮よ。もっと弁えないで、日中問わずに私を狂わせて。どうして私は今ここに食事を持ってこなかったの?レッサのこの顔だけでご飯三日分はペロリと食べられるわよ。そのままレッサごとペロリといきたいとこだけど、ああ、ダメ。レッサを食べるのならしっかりと味わいながらって決めているじゃない。
「――別に、不快じゃないわよ。互いの心情を語ることが無駄だとは思わないもの」
「それにしては異様な圧を感じるんだけどね……。とりあえずナラクトについてはそんな感じってことで。ジュステルについては……誰か何か知ってる?」
ヨドインの言葉に応えるものはない。あの真面目の塊であるジュステルがこういった場を理由も説明せずに休むなんて、普通なら考えられないもの。
ワテクア様の治療は完璧だった。既にカークァスとの戦いの傷は完治しているはず。精神的ショック……はないわよね。リベンジに向けて特訓とかしそうなタイプだし。今日はカークァスがいない場なのだから、休む理由にもなっていない。
「こう音信不通が続くと流石に気になるね。カークァスさんを闇討ちしようとか考えているにしても、彼ならもう少し上手く立ち回っているはずだし。誰か様子を確認してもらえないかな?本当は僕が自分で調べたいんだけど、ほら、僕一応カークァス派だからさ。あんまり反対派の領地で堂々と情報収集するのはね」
「我が行こウ」
挙手したのはゴアガイム。人選としては妥当よね。領主の欠席を一番気にしていたのは彼だし、互いに堅物同士、仲が特に良いってわけじゃないけど、喧嘩にはなることはないでしょうし。
「じゃあお願いするよ、ゴアガイム」
「ルーダフィン、貴様もこイ。転移が使えない以上、飛行能力があった方が早く済ム」
「うむ、良いぞ!駄賃はいつもの肥料で頼む!そろそろワシの家庭菜園も拡張したいと思っていてな!」
「良いだろウ」
ゴアガイムとルーダフィン、この二人結構仲が良いのよね。四族の中で属性的には真逆の二人なんだけれど、だからこそ上手く凸凹がハマるように気が合うのかしら。
まあその気持も分からなくはないわね。私だってレッサエンカとはなんだかんだで付き合いが長いわけだし――
「ゴアガイム。鋼虫族への訪問、俺とクアリスィも同行したい」
はーい対抗心、対抗心ありがとうございます。お捻りはどこにねじ込んだらよろしいでしょうか。きっとゴアガイムとルーダフィンが仲良さそうに行動しているのを見て、『俺とクアリスィの仲の良さだって負けちゃいない』って、奮起してくださったんですね。
もう嬉しすぎて宝物庫開けちゃう。その胸板で持ち上がった腹部の隙間にコロコロと宝石を転がして上から……はっ、これはまさか最新式のマッサージ道具……っ。我ながらなんて恐ろしい発明を思いついてしまったのかしら。
「四族総出カ。ジュステルに事の重大さを認識させるには丁度良いカ」
「そういうことだ。構わんな?」
構いません。ついでに挙式会場の予約もお願いします。鋼虫族の皆々様方、六泊七日の新婚ハネムーン旅行、たっぷり見せつけちゃいますけど許して下さいね。
「構わんぞ!だが、クアリスィの意思は良いのか?気温が下がるレベルで睨まれているぞ!」
「そうだナ。四族である自覚は大切だガ、領主の意思を確認せずに提案するのはどうかと思うゾ。お前の力ならバ、それも不可能ではないだろうガ」
「……ッ」
「――良いわよ、別に。レッサ……エンカの私を巻き込む癖は昔からだもの。もう慣れたわ」
「……助かる」
その助かるで全私が救われた。うっかりいつもの調子で誘っちゃって、周りに諌められた顔も、私の言葉に内心安堵しながらもやらかしたって反省している様子ももう万能薬。不治の病でも恋以外は瞬く間に完治です。これはもう水族の歴史に刻まれる究極至高のレシピだわ。
「……ま、まあ、穏便に済んでなによりだよ。それじゃあ残る報告も進めていくね」
◇
領主間会議が終わり、領主達が各々の領地へと帰っていく。暗躍が好きそうなヨドインでさえ、『カークァスさんへの報告は後日でいっか。お先にー』などと乾いた声で逃げていった。
気持ちはわかる。現在ここ玉座の間の空気は冷え切っている。こんな場所に残りたいと思う酔狂な者はそうそういないだろう。
俺もできることならば早く帰りたいところではある。だが、彼女……クアリスィの視線が俺に向けられている以上、それを無視して帰るわけにもいかない。
「……クアリィ、本当にすまない。さっきの発言は水族の領主であるお前の立場を蔑ろにしたものだった」
「別に怒っていないわよ、レッサ。提案そのものは理に適っていたし、貴方が言わなくてもゴアガイムかルーダフィンが声を掛けてきたと思うし」
怒っていなければ、その射殺すような冷たい視線はいったいなんだというのか。
クアリィとは互いに略称で呼び合う程に昔からの腐れ縁。幼くして四族の中で頭角を現した俺とクアリィは互いの両親に『相反する属性の天才同士、凡夫達と並ぶよりは良き刺激となるだろう』と一緒に鍛錬をすることが多かった。
互いの領地の境界線上に用意された何もない訓練場、そこでいつも二人きりでその力を磨き続けていた。
当時の俺は傲慢だった。自らの才能を理解し、他者との差に優越感を覚えていた。だからクアリィに対しても、調子に乗った言動を繰り返し、挑発的だった……初めのうちだけは。
クアリィは俺よりも強かった。何度挑んでも結果は同じ。俺の自尊心は容易くへし折られることになった。
ある日のこと、俺達の両親が交流し合う場で、俺達の鍛錬の成果を尋ねてきた。クアリィに対し劣等感を抱いていた俺が言い淀んでいると、彼女は迷わずに言った。
『彼の方が強いです。とても』
俺の両親は自慢気に俺のことを褒め、彼女の両親は俺達に下手に出るようになった。
俺はクアリィに嘘をついた理由を聞いた。君ならば領主達の頂点にもなれるはずなのに、どうして弱きふりをするのかと。何故何の得にもならない嘘で自らの地位を貶めたのかと。
『私は頂きに興味なんてないの。だって横を向いた時、誰もいないなんて寂しいでしょ』
とても魔界の未来を背負う領主を目指す立場とは思えない台詞に、俺は初めて他者の才能が埋もれていくことを勿体ないと思ってしまった。
だから俺は言った。お前が俺よりも弱い地位を選ぶのならば、俺が強くなってその地位を上げて見せると。お前に負けないように鍛えていくと。
『――あ、そう。じゃぁ精々頑張って私の横に居続けたら?期待していないけど』
しかし俺の覚悟を決めた言葉は不評だった。それ以降俺への評価は著しく下がり、多少のミスをしようものならこうして睨まれるようになった。
正直アレから事あるごとに睨まれ、謝り続ける日々。完全に見捨てられないのは、彼女の忍耐強さ故なのだろうが……。とりあえず怒らせてしまった以上は、謝るべきだろう。どうにか機嫌を取る手段を得られれば良いのだが。
「ではそういうものだと受け止めておく。だが俺自身が失態だと思っている以上、埋め合わせはしたい。要望があれば、何でも言ってくれ」
「――なんでも?」
「あ、ああ……できる範囲ではあるが、尽力すると……っ」
クアリィの眼力が増している。また怒らせてしまったようだ。謝罪の形を他人任せにしたことがいけなかったのだろうか。
「いや、その……すまない。具体的な謝罪内容を思いつかずに……」
「じゃあお弁当。鋼虫族って私達と食べているものが違うでしょう?日帰りにしても、一食くらいは向こうで食べることになるでしょうし。私の分も準備しておいて」
言われてみれば、失念していた。戦場では三日三晩飲まず食わずでも戦えていたのだが、それがかえって悪癖になっていたようだ。
今回はジュステルの元へと向かい、話を聞きに行く程度だ。食事をする時間や余裕は十分にあるだろう。
「わかった。すぐに手配しよう」
「贖罪を部下に押し付けるの?当然貴方が作るのよ」
「お、俺がか?だが俺は料理の経験はほとんど――」
「知っているわよ、貴方が簡単にできることを要求しても、意味がないでしょ」
「確かに……死力を尽くすとしよう」
「ちゃんと食べられるように作りなさいよ」
なるほど。あえて俺が不得意としていることを強制し、その上で一定水準を求めるか……。これは敵軍を燃やし尽くすよりも困難なことだろう。流石はクアリィ、着眼点が違うな。
癖が強い奴ばっかりだ。