鬼磨の儀
優れた個が優れた成長を成し遂げ、群の頂点へと立つ。魔族を束ねる領主とは、魔族の成長における完成形の一つだと認識していた。
けれど今、ナラクトは進行形でさらなる進化を遂げつつある。十分に使いこなしていた特異性の新たな可能性の開花。そして彼女自身が圧し殺していた、才能を活かすための暴力的な感情。それが彼女の理性と混ざり、最適化されつつある。
戦闘に向き不向きな性格はある。村娘として育ったナラクトの性格は本来、争い事には向いてないものだった。
けれど彼女の本質、才能に恵まれた体はその才能を活かせる心を内に育てていた。カークァスさんとの戦いの中、ナラクトの動きは熟練の戦士にも劣らない洗練さを見せ始めている。
「強いなぁっ!嬉しいわぁっ!」
同格以上と限界の中で戦い続け、己を領主に相応しい器へと磨き上げる行為。私はこれが何なのかを昨日ナラクトの口から聞いている。
鬼磨の儀。そう、皮肉にも彼女が妨害した鬼魅族にとって最も神聖なる儀式。それをあの二人は再現している。
いや、ナラクトにその自覚はないのでしょうね。ただカークァスさんの方は……どうかしら。
『お前の本気を出してみたい』
あの方はこう言っていた。ナラクトの本心を知り、鬼魅族のあるべき所作にてそれを引き出している。
形式化したお祭り騒ぎとしてではなく、種族の存亡をかけて行われる正真正銘の鬼磨の儀。全てを背負い戦うという『業』。その因子をより強く目覚めさせるために、この状況を作り出した?
どこまで計算していたのかは不明。けれど、その効果は確かに出ている。
周囲で二人の戦いを見守っている鬼魅族の様子に変化がある。
初めはカークァスさんの無双に恐れ、絶望の色を浮かべていた。
ナラクトが駆けつけ、戦い始めた時には両者を忌避するかのように、早く終わって欲しいと願っているようにも見えた。
それが今、彼らは瞬きもせずにその戦いを見守っている。
声援も野次もない。そんな余分な物を吐き出す余裕すら、彼らにはないのでしょう。
外野である私にもわかる。これが本来あるべき姿の鬼磨の儀。大衆に受け入れられ、形骸化したお遊びなどではなく、内なる因子によって求められた進化の儀式。
ナラクトの『業』の因子に影響され、鬼魅族としての本能が呼び起こされているのでしょう。
「――ハハッ!」
それはそうとして、そんな状況であんなに嬉しそうに笑うカークァスさん。忘れがちだけれど、あの方ってインキュバスよね?一周回ってカッコ良いとさえ思えてくる清々しさを感じるのだけれど、そういう魅了の能力があったりするのかしら。
けれど状況は芳しくない。あの状態のナラクトを相手に、確実にダメージを与えられていることや、ただの一撃として直撃がないのは流石としか言えないのだけれど……あの方は自身の傷を治す力を持っていない。
ナラクトは受けた傷を瞬時に再生させている。対するカークァスさんは魔力強化による止血を行うだけ。破れた衣服から覗く肌への傷は着実に増えている。
飛び散る破片一つ一つが飛び交う矢と同じようなもの。どれほど超絶的な技量を持っていても、あの戦いの衝撃や余波を全ていなせるわけじゃない。
「なぁ、カー君、どうしたん!?動きが鈍くなっとらんっ!?」
確かにカークァスさんの動きに機敏さが失われているようにも感じる。二人が戦い始めてから、二時間は経過している。
魔力の消費量だけならば、ナラクトの方が遥かに多い。けれどナラクトの魔力量は領主クラス。加えてあの魔力効率の良い特異性……下手をすれば自然回復量が消耗を上回っている可能性すらある。
気力や体力についても、鬼魅族の代表達ですら七日間戦い続けていたのだから、ナラクトならそれ以上動き続けることもできるはず。
いくらカークァスさんでも持久戦は不味――
「なに、不要な動きを絞ったに過ぎん」
「っ!?」
ナラクトが自身の拳の間合いまで踏み込んだ瞬間、カークァスさんが彼女の膝を踏み折った。その傷を瞬時に再生させ、拳を振り上げた彼女の腕がだらりと落ちる。剣の柄による的確な打突が、彼女の関節を外したのだ。
剣に二重に魔力を纏わせ、彼女の特異性による武器破壊を防いだと思っていたら、今度は靴にも同様の処置を!?一歩間違えれば自身の足が砕け散るというのに、なんて無茶を!
いや、それ以上に今の動きはなんですの!?ナラクトが接近するよりも先に、足を出していましたわよ!?
「念の為にと必要以上に『見』を行わせてもらったが、もう十分だ」
「『見』……っ!?」
外された関節を戻そうとしていたナラクト。けれどその動きを予知していたかのように、カークァスさんは意識の薄れた彼女の足を払い、姿勢を崩した。
「詰めていくぞ」
「――っ!?」
異質さを感じたナラクトが離れるまでの間、指が三本斬り落とされ、片目が抉られた。瞬時に再生を行うも、既に距離は詰められている。
咄嗟に反撃を行おうとする彼女の体は、打突など簡易的な攻撃により始まりの段階で抑え込まれている。そして崩れた姿勢に、容赦のない斬撃が放たれている。
「再生が追いついていないな。一呼吸いるか?」
「そんなもん……いらんよっ!」
斬り落とされた指を、再生しながら殴りつけるナラクト。しかしその動きに合わせるかのように、剣の一閃が彼女の喉を斬り裂いた。
カークァスさんの動きが急に変わった。これまではナラクトの動きに対し、無駄のない動きで回避を行い、その隙を狙った的確な一撃を放っていた。
それが今はナラクトが動くよりも先に、その動きを見切って仕掛けている。初動を潰し、強制的に無防備にし、そこに殺意を込めた一撃を叩き込んでいる。
「無防備な首ですら落とせんか。俺の剣もまだまだだな」
「カ、フ……んのっ!」
ナラクトは大地を踏み抜き、その衝撃波で周囲を吹き飛ばす。けれどカークァスさんは既にその余波の届かない位置まで離れていた。彼女が足を動かすよりも先に、回避行動をおこなっていた模様。
流石に異質過ぎて不気味さを覚える。いくら技量に差があっても、相手の行動すべてを読み切るなんてそうそうできるものじゃない。
ましてやナラクトは直感的かつ突発的に行動できる。彼女の心を読めていたとしても……直感的?
「流石にそれをされると、距離を取る他にないな」
「……読みが鋭過ぎるなぁ。いや、違う。誘導されとるんやね。うちが次にどう動くかを見切るんやなく、うちを次にどう動かすかを考えて戦っとる。誘導さえすれば、その後の潰しも、追撃も簡単と」
そういうこと……ナラクトの動きは依然洗練され続けている。けれどカークァスさんは常にその動きの一手先にいた。それは余力がなければできないこと。ならばその成長を完全に見越した上で、先に全力を出してしまえば……っていやいや。
直感的に動いて、その動作も洗練されてきているナラクトなら、そりゃあ次の手を誘い易くはあるでしょうよ。
でもそれは相手を仕留める時や大技を誘う時に用いる技術。相手の情報や癖を把握し、戦況の優劣を意図的に傾ける。そういったものを積み重ね続けて、ここぞという時の為に誘導するものよ?相手の動き全てを誘導するなんて行為、それこそ相手のことを何から何まで見切らないと……『見』ってそういうこと?
「――怖い眼差しやわ。そういう趣味はないんやけど、味見したくなるわぁ。きっととろけるように甘いんやろなぁ……」
「そういうお前は硬過ぎるな。煮込んでも食えるか微妙なところだ」
「酷いなぁっ!魔力強化がなければふわふわもちもちなんよ!?」
「それはそれで食い応えがなさそうだ」
遥かに技量の高い相手が、自身の手の内を完全に読んだ上で完封しようと先手を取ってくる。
うわぁ……そんなもの、剣を覚え始めた子供相手に、領主である弟が先手必勝と斬りかかるようなものじゃない。そりゃあ驚きと同時にどん引きしたくもなるわ。
遠目で見ている私でさえ背筋が凍るのを感じている程。きっとナラクトはそれ以上の圧を受けているのでしょう。会話の内容は酷いけど、さっきまで一心不乱だったナラクトに理性の感情が宿っている。
「……このままでもいつかは届くかと思うたけど、足りんね。技の磨きに差があり過ぎるわ」
「そうだな。では諦めて首を差し出すか?」
「まさか。このままダラダラ続けても、うちに勝機がないのが分かったって話なだけ。せやから……本当に、本当に勿体ないんやけど……全部注ぎ込んでいくわ」
ナラクトの体を覆っていた魔力が肥大化していく。その変化は腕周りに顕著に顕れ、揺れ動く魔力は徐々にカタチを成していく。
それは彼女の凶暴性を象徴するかのような、鋭利な爪を携えた全身よりも遥かに巨大な腕。その大きさは体躯だけは一人前の弟の全身を片手で覆い隠せるほど。
特異性の魔力を体外であんな風に安定させるだなんて……いや違う。安定なんかしていない。
よく見れば、巨大な腕からは徐々に彼女の魔力が霧散していっている。
あんなもの、常時全身から魔力を放出しているようなもの。いつ魔力切れになるか分かったものじゃない。
「より大きく、より長くか。浅知恵だな」
「ダメなん?」
「いいや、最高だ。童でも理解できる強さだからな」
「せやろ、せやろ」
二人は軽口を叩きあう。互いにこれが最後の会話になるのだと理解しているのでしょう。ここから先はもう死力を尽くしての戦いになる。言葉を交わす余裕すらなくなるのだと。
「それに名詮自性でもあるしな」
「……?」
「お前の特異性の名は何だ?」
「――『我が御手への接触を禁ず』!」
ナラクトが跳ぶ。そして巨大な魔腕を、自身の腕のように振るう。速度は彼女の腕の速度と変わらない。けれどその長さ、巨大さ、そこからくる体感の速さはこれまでの比じゃない。
それでもカークァスさんは魔腕を躱す。骨も筋肉も存在しない、軌道も読みづらい攻撃を、滑り込むように潜り抜ける。
狙いの逸れた巨大な腕は彼の背後にあった大地、瓦礫をまとめて吹き飛ばした。特異性の破壊力は健在で、触れる範囲が強化されたことで規模も増加している。
「フゥッ!」
今度は上空からの叩き潰し。矢よりも早く、降り注ぐ巨大な掌。これが魔法による爆撃ならば、カークァスさんの『空抜き』で滑るように回避することもできる。けれどあの掌はナラクトの特異性の塊。触れた時点でカークァスさんの剣に纏っている魔力は砕けてしまう。それが二層であっても、触れ続けなければならない以上は使えない。
と思っていたら、カークァスさんは既に掌の範囲から抜け出していた。ナラクトが魔腕を振り上げた時には既にどのような攻撃か推測できていたのでしょう。
ただ駆け抜けた先は左右や後ではなくナラクトの方。下手に距離を作れば、一方的に攻撃されるのを嫌ったのかしら。
あ、違った。掌が地面に衝突して地面を吹き飛ばした際の大地の破片がカークァスさんの逃げた方向以外へと飛び散っている。
広範囲の攻撃がナラクトから放たれているから、ナラクトの方に回避した方が余波は弱くなる。カークァスさんはそれを理解した上で前に回避していたのね。
「読んでたわっ!」
ナラクトがもう一本の魔腕を拳の形で振り下ろす。けれどカークァスさんのいる位置は振り下ろしたばかりの魔腕の腕の下。あれじゃ魔腕同士がぶつかって……って新たに振り下ろした魔腕が既にあった魔腕をすり抜けた!?
そっか、魔腕は魔力の塊、同じナラクトの魔力でできているからぶつけても一つになるだけ。けれど振り下ろした分の勢いは残っているから、結果として腕同士は互いにすり抜ける。
「―ッ」
振り下ろした魔腕の拳が地面を吹き飛ばす。カークァスさんは直撃を受けて砕けて……いない!横側に吹き飛ばされたのが見えた。
けれどほとんどまともに受け身を取れていない。まるで意識のないかのように、地面を跳ねながら転がっていく。
回転が止まると、カークァスさんは鞘を杖にして立ち上がる。体に纏っていた鎧がなくなっている。それに上着もない。魔腕の拳を回避しきれないと判断して、鎧と服、肉体でそれぞれ別の魔力の性質を持たせて、それで受けきった。
三層、いえ、ひょっとすれば体の表面をあわせて四層もの異なる魔力強化を施しての防御。神業と言わざるを得ない……けれどその後の地面を吹き飛ばした衝撃を生身の体でまともに受けてしまった。上半身は擦り傷だらけで、夥しい血が流れている。
「ふぅっ……ふぅっ……」
ただナラクトの消耗も激しい。あれほど長い時間を戦って、ほとんど息を切らさなかった彼女が、今は全身汗だくで今にも倒れそうな顔色をしている。
当然と言えば当然よね。あの巨大な魔腕の表面からはどんどん彼女の魔力が失われている。両腕の表面積は彼女の全身の何倍、いえ何十倍もある。それだけの速度で魔力を体内から出し続けていれば、コアに掛かる負担も尋常じゃない。
短期決戦に全てを注いだ攻防は一気に互いの体力を奪っている。けれどあと数度、あの魔腕の攻撃を回避すれば、それだけでナラクトは倒れるかもしれない。
「……コフッ」
カークァスさんが血を吐き、膝をついた。特異性による破壊を防ぐため、何層にも魔力強化を分断したせいか、衝撃を受ける分の魔力強化が弱かった……!?
よくよく見れば、カークァスさんの片足は完全に折れている。転がった際に折れたの!?あれじゃもう回避どころか、歩くことさえできない。
そしてナラクトは両の魔腕を組み合わせ、遥か頭上から振り下ろそうとしている。もう回避も、防御する術もない。
これは決着だ。もう勝負はついている。『嘆き、唄う紫電の金狼』を発動し、助けに――
「――ッ!?」
『くるな』
カークァスさんは私が見ている位置の方へと僅かに顔を向け、口の動きでそう伝えてきた。
戦闘の最中、よそ見をする理由などあるはずがない。今のは間違いなく、助けに入ろうとした私を制止するものだ。事実、彼のその行動に思わず私の足が止まってしまった。
いけない、もうこれじゃ特異性の速度を利用しても、助けに入ることはできない……!
「――神技、『時渡り』」
カークァスさんの姿が消え、ナラクトの正面へと現れた。遠方から見ていた私ですらその動きは全く見えなかった。
ナラクトもその異様な移動速度に驚きの表情を浮かべている。そしてカークァスさんの両手には剣と鞘が握られている。
「ッ!」
「奥義、『核穿ち』」
彼の両腕が動き、剣と鞘が左右から同時にナラクトの腹部へと叩きつけられた。鞘は当然として、剣の方も斬れてはいない。全身を覆うナラクトの特異性によって、表面の魔力強化が砕かれ、その反動で跳ね飛ばされたのか、既に彼女の体からは離れている。
あの状況で距離を詰め、一撃を入れたのには驚いたけれど、威力としては、ナラクトの初動を止めていた打突程度のものくらいだろう。
最後の足掻き、いえ、今彼が口にした言葉を確かに聞いた。奥義……核穿ちと。
「……ナラクト=ヘスリルト。ここまで追い込まれたのは久方ぶりだった。これにて鬼磨の儀は終了……。実に見事な戦いだったぞ」
カークァスさんが再び崩れ落ち、膝をついた。それに合わせるかのように、ナラクトの魔腕が爆ぜるように消えた。そしてそのまま彼女は膝を付いているカークァスさんの方へと倒れ込む。全身の脱力具合、完全に気を失っている。
「――ロミラーヤ。手を貸せ」
その声を聞き、紫電となって即座に二人の元へと駆け寄る。寄りかかったナラクトの重さに耐えきれなかったのか、カークァスさんはそのまま押し倒されたかのような形で地面へと倒れている。
そっと彼女の体を起こそうとするも、完全に意識を失っている。憔悴が激しいけれど、生きてはいるみたい。
「一体何が……」
「いいから肩を貸せ。もう立てん」
「そりゃあ片足が折れて……ってこの状態でどうやって二足で立っていたんですの!?」
カークァスさんの足は両方とも折れていた。先に確認した方よりも、もう片方の負傷の方が酷い。ナラクトの攻撃……は直撃していれば跡形もなく砕けているわけだし、余波……だけでこんな風に足だけが壊れるはずもない。考えられるのは……。
「そこはほら、気合いだ」
「気合て……。先程口にした『時渡り』という技の反動ですの?」
彼の体を起こしながら、あの時耳にした言葉を口にした。
最後に見せたあの移動速度は間違いなく、紫電となった私よりも速かった。いえ、そもそも見えるような速度じゃなかった。それこそ時の流れを渡って移動したかのように……。
「流石狼。耳が良いな。まぁ……俺では使えん技を無理に使った代償だ」
「……普通使えない技は使えないものですわよ?それに最後の――」
「聞きたいことはあるだろうが、今は俺が語るべきはお前ではない」
「えっ」
カークァスさんの視線に合わせ周囲を見ると、鬼魅族の者達が私達のことを見つめていた。二人の戦いを見守っていた位置よりも前に出ているあたり、ナラクトのことを多少なりとも心配してくれたのかもしれない。
「さて、鬼魅族よ!お前達の領主は敗れた!次はお前たちが存亡をかけ、武器を取る番だ!」
「ちょっと!?その怪我でまだ戦うつもりですのっ!?」
「いや、お前に任せる。流石に疲れた」
「他種族の存亡をかけた戦いを押し付けないでもらえますっ!?」
「なら帰るか。邪魔をする者は適当に殺して構わん。笑いながら焦がしてやれ」
「私にも血は通っていましてよ!?」
けれど鬼魅族の者達は誰一人として前に出てこなかった。気まずい沈黙が流れ、我慢できなくなった私は、カークァスさんを担いで集落を後にした。
彼らはその様子を見届けはしたものの、攻撃はおろか、言葉を投げかけてくることもなかった。
ただ見届けただけ。怒りや憎しみはなく、恐れすらも含まない。それは他者を見るというよりも、沈む夕日を見送るような、俯瞰した眼差しだった。
奥義と神技についての説明は次回。