鬼らしく。
◇
目を開いているはずなのに、いつも瞼が閉じているような気分だった。
鬼魅族として育てられたからこそ、彼らの気持ちや考えは十分に理解できていた。
だけど『彼らはきっとこう考える。彼らはきっとこう思う』と理解した内容に、共感できたことは一度もなかった。
うちは眠かっただけなのに、皆が煩いから。互いに高め合う鬼磨の儀って言うても、チビ達のチャンバラと何が違うん?って。
皆の心が理解できても、何一つそれがうちには響かんかった。でも、でもうちは鬼魅のもんやから。分かっている風には取り繕わんと。
『――ヒィッ!?』
ああ、うん。チビ達のあの顔を見て、ちょっとだけ思うたんよね。これはいけないもんやって。抑えとかな、ダメなもんなんやって。
ずっと閉じて、閉じて、覚えてきた常識と理性で、昔からのうちとして、鬼魅のもんとして、振る舞って。取り繕って。
でも皆、うちを怖がってしまうんよね。ちゃんと振る舞えてたと思ってたのに。鏡も見て、可愛い笑顔で皆と接してきたとおもってたのに。
誰も、うちと同じやない。見下さな、見えない位置におる。でもアレって、うちと同じ鬼魅のもん達やしな。
魔王城で領主達と出会ったのは、少しだけ新鮮な気持ちやった。なんだか落ち着いて、傍にいたくて、ちょっとお腹が空いて。
でも、鬼魅の領主だから、あまり近づいたらあかん。鬼魅のやり方は、皆に任せとるからね。ちゃんとうちらしくせなあかん。うちらしく?
『――ハハッ!捌ききれぬ猛攻!防ぎきれぬ殺意!素晴らしい!ああ、こうでなくては!この座を脅かす強敵であってこその戦いだ!』
せやけど、なんなん、アレ。魔王になろうとしてるもんが、あんな自由に狂ってええの。いやいや、うちの知っている常識じゃ、あんなの皆納得せぇへんし、最後には皆の敵になる。
ああ、でも良いなぁ。あの笑顔、あんなん皆に見せたらドン引き間違いなしやろうけど、あそこまで心の底から笑えたら、きっと楽しいんやろな。
「――まだ寝ぼけているのか?」
額に強い衝撃。視界に映るのは粉々になった槍らしき破片。ええと、ああ、そうやった。今うちはカー君と楽しい殺し合いをしよう思ってて……今夢でも見てたんかな?
「気付けにはちょっと優し過ぎるなぁ。なんかまだちょっと眠いわ」
「理性の抗いだ。今お前を寝かしつけなければ、手がつけられなくなるとな」
「詳しいんやね。どうすればええ?」
「一発、気合を入れることだな」
瞼が重い。ようやっと開きかけた眼が閉じようとしているかのよう。瞼だけやない。眼の奥もどんよりとしてるし……なら。
「――あはっ、自分の目玉潰す感触って意外と面白いね」
瞼ごと、両目を親指で貫く。流れる血と共に凝り固まった何かが溢れていくような、そんな感覚が痛みよりも心地よさを与えてくれる。
普通ならこんな真似はせぇへんけど、今のうちならこんな怪我大したことないってわかる。
ほら、こうしてすぐに視界が見えるように再生できた。まあ腕だって生えてきたんやし、目玉くらい造作ないやろね。
「異常な再生速度……。全身に特異性の魔力が満たされたことで、肉体の質そのものが変化したといったところか」
「そうやね。今まで肩周りで堰き止めてたもんが、全身に一気に流れてきたわ。もっと早くに試しておきたかったわ」
言うて、触れた物を砕く魔力。そんなものを全身に回そうとすれば、そら理性も本能も制止してくる。抑えきれんかった時の代償は、アホでも想像に容易いからなぁ……。
でも今はとても心地良い。相手と殺し合いたい、そんな物騒な欲求一つを表に出しただけなのに、こんなにも体が軽くなるなんて。
「では再開といくか」
カー君の姿が揺れたと思ったら、懐に飛び込んできていた。速さだけやない。きっとよく分からん歩法とかの応用なんやろうけど、反応が遅れる。
側頭部に衝撃、視界には砕け散る金棒らしき残骸が映る。その辺に転がっていた鬼魅の兵の武器をまた拾ってたんか。
さっきの槍の時よりも魔力強化量が多いのか、より派手に砕けてる。全身に回った『我が御手への接触を禁ず』の効果を探ってる感じやね。
「こちらからの衝撃も破壊の力に利用されているか。全身が武器破壊の凶器というわけだな」
「響いてはおるよ。かすり傷もつかんけど」
調子は最高やけど、慢心はできん。今の状態でもカー君の仕掛けを全部回避することは無理やろし、何より『魄剥ぎ』がある。
アレを受ければ、下手すれば全身に付与されている特異性の効果が失われる。しっかり対策を……そや、試してみよか。
「これからが長い。色々と試行錯誤させてもらおうか」
今度は反応できる速度での距離詰め。咄嗟に右手が動くけど、それを狙っていたのか紙一重で躱される。そしてさっきのように、感触のないままに右腕が掴まれた。
「――っ」
けれどすぐにカー君はその手を離し、距離を取った。そして自分の手を見て、手のひらの皮が肉ごとズダズタになってるのを確認していた。
「くるタイミングがわかっていれば、なんとかなりそうやね。それ」
「……力みで肉体を膨張させ、その反動で特異性の効果を適応させてきたか」
あの技は厄介やけど、素手で触れる必要があるからね。腕が掴まれる前提で構え、掴まれたのを見てから反射的に腕へと一気に力を入れる。筋肉を潰す勢いで力むことで、肉が倍……まではいかんけど、それなりには膨らむ。その膨らむ速度分、膨らんでいるカー君の手に特異性のダメージを与えられた。
けれど、本来ならカー君の手が破裂していてもおかしくなかったはずなんやけど……どんな反応速度なんやろ。
でもこれで厄介な技の対策も大丈夫。肉のある部位なら、大体似たような芸当はできるし。それ以外の箇所はそう触れさせん。決め手がないことには、有利なのはうちや。
「素手じゃさわれん。武器も壊れる。そうなると残るは魔法とか?カー君、そっち側の引き出しはあるん?」
「実践向けのものはないな。それに活路は見えた。使う必要もあるまい」
「ええね。ハッタリなんて思わんよ。その活路、存分に見せてな」
カー君の方から距離を詰めてきた。手にはまた拾ったのか、鬼魅の兵の剣が握られとる。
手順は同じ、武器が壊される前提の斬り込み。破壊された武器による目眩ましで、視界の外からうちの体に触れるつもりやろか。掴まれる場所が分からんと、さっきの対処法は上手くいかんしな。
なら頭部を狙った一撃は無視。目を凝らして、その次の動きを確実に見極め――
「っ!?」
これまでとは比較にならない衝撃。体が反射的に後ろに逃げたから追撃はなかったようやけど、今意識が一瞬飛び掛けとったわ。
カー君はそもそも追撃するつもりはなかったのか、手にした剣を振りながら感触を確かめて……って剣が壊れとらん!?
「――よし。これなら問題ないな」
そういって手にした剣を投げ捨て、本来の自分の武器、鳴らずの剣を抜いた。それはつまり、もううちに対して使用しても壊されんという確証を得たということ。
全身の状態は変わらん。うちの特異性は全身に行き届いていて、どの部位、どの方向からの攻撃にもきちんと作用する。
なのに、なんでさっきの剣は砕けんかった?鬼魅の剣だから特別な性能があるわけでもなし……。
「考えるよりも、確かめた方が早いね」
間合いを詰め、拳を振るう。武器で受けようとする素振りはなく、紙一重の回避。けれど、既に反撃の一撃が振るわれとる。
本来なら防ぐ必要もない。けどさっきの一撃が本能に防御を選ばせた。
空いた腕を差し込み、剣の一撃を受ける。衝撃の強さに体が僅かに浮き、数歩たたらを踏みながら下がる。
剣は……砕けとらん。それどころか、防ぐのに使った腕の皮膚が斬れとる。骨までは届いてへんけど、肉までしっかり斬れとるね。
特異性の状態も変わらず。そもそも感触があった。確かにうちの特異性があの剣を砕いたという感触が。
「やはり硬いな」
「……砕けた感触はあったんやけど、砕けてないね」
「いいや、砕けているぞ」
そういってカー君は剣を構え、うちの視線もその剣へと注目する。通常通り、魔力強化を施した状態で特に変化は……っ!?
今、見えた。魔力を帯びた剣に、更に別の魔力が覆われているのを。そういうことか。カー君は剣に二種類の魔力を纏わせておったんやね。
うちが砕いとったんは表面の魔力の層。それを砕いた先に、本命の斬撃が届いた。気づくのが遅れたのは、うちが自身の特異性を正しく把握しきれていなかったから。
瞬間的且つ部位的なことやけど、特異性の効果が発動した瞬間、その部位は特異性を再発動できていない。
うちがうたた寝しとった時、カー君は槍をうちの頭に投げ、その反応を見てた。あの時、僅かながらだけども衝撃があった。投げられた槍の持っていた力と、槍を砕くのに使われた力、その差がうちの頭部に届いとった。
金棒での一撃は更に威力を込め、特異性のさじ加減を見極めるため。そしてさっきの剣で答えは出た。
「凄いね、カー君。うちよりもうちの特異性のこと、分かってくれてる」
うちの特異性を見極めるため、様々な方法で試してきよる。もしかしたら、あの技の対処法をうちが行ったときも、対処される前提でうちの特異性の効力を肌で確かめようとしてたのかも。
そもそも剣に二種類の魔力を別々に帯びさせるってどういうこと?特異性も使わず、別種の魔力を練り出せるとか、どんな技術やの。
ああ、キュンときた。口がニヤける。でも、だって、仕方ないよ。
うちを知ろうと、殺そうと、全力で見てくるんやもん。あんな真剣な眼で、うちと向き合ってくれてるんやもん。胸が焦がれん方がどうにかしとる。
「存分に吐き出せ。いくらでも測ってやる」
「アッハハハッ!うんっ!そうさせてっ!」
どれほど吹っ切れても、うちはうち。戦術や武術が突然頭の中に湧いてくるようなこともない。
愚直に動く。動きを読まれても良い。どうせどんなに取り繕っても、見透かされて滑稽なだけ。
「――っ」
「なぁ!これは避けられるっ!?」
カー君の目の前で両拳を思い切り叩きつける。皮は裂け、肉は千切れ、骨は砕ける。魔力強化を施したうちの腕がそうなるほどの衝撃は、空気越しでもカー君の体重くらい容易に吹き飛ばせる。
斬られても再生すれば良い。掴まれないよう、全身を一瞬たりとも止めなければ良い。触れられずとも、その圧力で削りきる。
瓦礫を飛ばせ、衝撃を飛ばせ、殺意を飛ばせ!何でも良いから届かせろ!今しかうちはうちでいられんのやから!