鬼の目覚め。
◇
二人の戦いは、才能を持つ側の立場として複雑な気分にさせられた。
自分には才能がある。だからこそ、他の者達がどれほど努力しても追いつけないことは当然なのだと。彼らに失望を持たず、希望を持たせるようにと生きてきた。
だけどこの光景を見てしまうと、つい彼らにもまだ成長の余地はあるのではないかと期待を抱いてしまいそうになる。
培った技の極地。練磨の果て。それらが稀代の才能を打ち破る。ああ、子供達への教育には良いおとぎ話になるのでしょうね。実物は見せちゃダメだと思うけれども。
でも違う。カークァスさんの強さはれっきとした才能によるもの。自らを磨き上げることに至高の喜びを感じられる努力の才能。
アレほどになるまで、いったいどこまで自身の心身を追い込めたというのか。
「さて、ここからが正念場だな。ナラクト」
これがただの戦いなら、勝敗は付いている。けれど、ナラクトは鬼魅族の長として、カークァスさんを止めるためにあの場所に立っている。
両腕が斬り落とされたからと、降参することはできない。そのことをナラクトも理解しているのか、既に傷口から血を止めている。
カークァスさんの刃すら弾く魔力強化、血の流れを止めるくらいは造作もないでしょうけど……正直これ以上はやり過ぎだとしか思えない。
そもそもナラクトと鬼魅族の関係を改善するのが目的じゃないの?鬼魅族をナラクト共々斬り殺すつもり?
考えていても仕方ない。カークァスさんは黙って見ていろと言った。彼が無力化され、トドメを刺されかけない限りは動かないと決めている。
「正念場って……。もう詰んどる感じなんやけど」
「特異性を使うための腕が二本落ちた程度だろう。お前はまだまだこれからだ。さぁ、本気のお前を呼び出してみろ」
「いやいや、とっくに本気でやっとるよ!?いざとなればロミやんが出てくると思って、カー君殺すつもりで戦ってたし!」
ナラクトから手加減の様子は感じ取れなかった。動きも以前見せたものよりも遥かに早かったし、その頑丈さも初めて見せていた。
それにカークァスさんの奥義『魄剥ぎ』にも、私以上に対応していた。魔力強化こそ間に合わなかったけど、あの一瞬で魔力を全身に満たし直す行為は十分驚愕に値するものだ。
「お前は本気を出していない。力も、心も。だからこの状況でも笑っている」
そう。ナラクトは両腕を斬り落とされたのにも関わらず、飄々とした顔のままだ。額から汗を流したりしてはいるものの、動揺の色をまるで感じさせない。
ただこれは余裕というよりも……。
「――これは笑うしかないから、そうしてるだけなんよ」
自分がどのような感情を示そうとも、周囲がそれに応えてくれることはない。それでも嘆いたり憤ったりすることはできない。『自分にはその資格はない』と、無難な笑顔しか選べない。
私がナラクトから感じたのは、そういった憔悴した心の名残――
「違うな。勝手に疲れている風に語るな。その辺の有象無象がそうであっても、お前は別だ」
「……え?」
思わず変な声が出そうになった。遠目で見ている私の心とか読んでいるのかと思ったじゃない!?
「そもそも何故、お前と他の鬼魅族との間に溝があるか分かるか?」
「それは……うちが皆の希望を奪ったから、それで……」
「いいや、溝を作っているのは鬼魅族の連中ではなく、お前自身だ」
「……うちが?」
「簡単な話だ。ナラクト、お前は自らの器を見誤っている」
「器?」
カークァスさんは歩きながら、近くに転がっていた集落の長の首を拾い上げると、それをナラクトの目の前へと放る。
「お前はその首を見ても、怒りも悲しみも沸かないのだろう」
「……いやいや、思うてるよ。酷いことするなぁって――」
「そう判断しているだけに過ぎない。お前の判断基準は全て、村娘として育てられた理性によって選ばれているに過ぎん。お前の本能は、些事としか捉えていないはずだ」
「そんなこと――」
「お前は化物だ」
ちょおおい!あの方、なんてこと言ってやがりますの!?ナラクトの強さは確かに並の魔族とは比べ物にならないほどの強さですけども!乙女に向かって言い放つ言葉ではないですわよ!?
「化物……まあ否定はせんよ?」
「そこだ。お前は自身が化物であると肯定しておきながら、村娘としての、ナラクト=ヘスリルトとしての在り方で物事を考えようとしている。そこが問題なのだ」
「うちはうちやろ。何が悪いん?」
「わからないのか?ただの化物と、村娘のフリをした化物。気味が悪いのはどちらだ?」
「――っ」
言いたい放題じゃない。うちの弟だってもう少しやんわりとした伝え方するわよ……。
でもカークァスさんの言葉はあながち間違いじゃないかも。
恐れはあってもその強さに憧れたり信頼を寄せてくれたりすることはある。私やガウルグラートも、戦闘面ではドン引きされることなんていつものことなレベルだけれど、それでも才能ある化物として振る舞うことで、人望を集めることはできている。
ナラクトの態度はちょっと気さくな村娘。彼女が過去にそうであったように振る舞っているだけなのでしょうけれど、鬼魅の者達から見れば『鬼磨の儀に割り込み、代表たちを皆殺しにした』化物。
そんな彼女が村娘の装いで接してくれば、異質にも映るだろう。何かの拍子にあの惨劇を起こした化物に戻るのかもしれないと、忌避したくもなるだろう。
「己が内に問うてみろ。鬼磨の儀を妨害したのも、本来領主となるべき者達を皆殺しにしたのも、育ての親を煩わしいという理由だけで叩き潰したのも!お前にとって、取るに足らないものだからこそ!不快だからという理由だけで砕いたのだろう!?」
「そんなこと……は……っ」
「他者に倣った尺度で自身を測れると思うな!化物は化物らしく、その醜き本性を全て曝け出してみせろ!」
「違う、うちはそんな在り方、求めてなんか――」
ナラクトの表情は依然変わらず。けれど、明らかに声色に変化が見える。カークァスさんの言葉が、彼女の奥底にある本能を揺さぶっている。
「ナラクト、孤高を恐れるな。鬼魅の中にいなくとも、今ここに、お前の目の前に化物はいるのだぞ」
「――っ」
空気が変わったのを感じた。私だけではなく、この戦いを遠目に見守っている鬼魅の者達も感じ取ったのでしょう。
ただそれは、未知のものに対する感情ではなく、かつて見た悪夢を思い出したかのような、そんな表情。
そして空気以外に変わったものがもう一つ。ナラクト、彼女がまとっていた魔力の質が変化しつつある。
彼女の特異性、腕だけに纏っていたはずの魔力。それが全身に顕れ始めている。
「目覚めの気分はどうだ?」
「……最悪やな。こんなん、カー君に求めてたわけやないのにね」
「いいや、求めていただろう?お前は最初からそうだった。俺と戦いたいと、俺を喰らいたいと、この地に俺を誘った」
「――あー……そうかもしれへんね。うん。もう、それでいいわ。だって――」
ナラクトが一瞬で距離を詰めた。足を上げ、その踵をカークァスさんへと振り下ろしている。速い……いえ、速度はあまり変わってはいないけど、動きに無駄がなくなっている。
けれどその程度の奇襲なら、私の方がまだ速い。カークァスさんは苦もなく回避し、空振りに終わった踵は地面へと突き刺さり――
「(ちょっ!?)」
周囲の大地が砕けた。先ほど見せた『我が御手への接触を禁ず』による地面破壊の威力よりも数段上。
威力の向上よりも、驚くべきは蹴りで特異性を発動させたという事実。いえ、ナラクトは全身に同様の魔力を纏っている。つまり今彼女の全身は触れるもの全てを砕くことができるということ。
ってちょっと待って、なんかナラクトの腕再生してない!?牙獣族でも切断されたらそう簡単には再生しないのに、そんなに簡単に新しい腕を生やせるの!?
「普段は殺してしもたら悪いなぁって、思ってるんよ。本当のとこはどうかはさておきね。けれど今はシンプルな想いだけがふつふつ湧いてくるわぁ」
「言葉にせずとも、伝わってきているが……あえて聞こうか。その愛の告白を」
「アッハハッ!せやね、愛の告白と変わらんよね!うん、カー君!君と殺し合いたいわぁ!」
これまでの飄々とした笑みではない。まるで鏡写しのような光景。互いに今から殺し合いを始めようというのに、心の底から嬉しそうな狂った笑顔。
鬼魅族領主、ナラクト=ヘスリルト。その本当の姿が曝け出された。