鬼の戯れ。
ナラクトはシンプルな強者。
彼女の特異性、『我が御手への接触を禁ず』は原理こそ不明だけれど『砕く』という結果を生み出す。
その魔力効率は非常に良く、その手を叩きつけた衝撃の強さに比例してさらに効果的になる。彼女の身体能力、魔力量からして、特異性を利用した防御手段以外は全て紙以下と考えて良い。
厄介なのは『触れたものを砕ける』という性質だ。僕の呪いが彼女の体を介してその特異性に触れようものなら、なんとその呪いが砕け散ってしまう。
毒や呪いは全身に巡るもの。だけど特異性を発動中のナラクトは勝手にそれらを打ち砕いてしまうわけだ。
しかも酷いことにその効率は対象の硬度を判定基準としている。要するに硬度なんてほとんどもたない呪いや毒なんてものは、彼女からすればどれほど強くても関係なく打ち砕けるということ。
加えてその天性の肉体だ。特異性の力を使い、多重の強化を施したジュステルに素で匹敵しかねない身体能力。
こちらの呪いはほとんど通じず、相手の一撃は必殺級。身体能力の差は歴然。
「ま、その程度がなんだって話なんだけどさ」
戦闘が始まっておよそ三分。ナラクトの消耗は三割といったところだろう。対するこちらの被害は皆無。順調と言えば順調だ。
「……驚いた。ヨドっちはこういう一対一は得意じゃないと思うてたのに」
「得意じゃないよ。この前も不覚を取ったばかりだし」
「旧神の使者やったっけ?」
「ちなみに率直な感想を言うとね。速さや力だけなら君の方が遥かに上だよ。君の場合特異性もあるしね」
「せやったら、なんでこうも攻め難いんやろ――なっ!」
ナラクトが距離を詰めようと前に出る。だけど彼女が僕を間合いに捉えるまでの間、そこには僕の呪いが大気中に充満している。
当然ナラクトは自身の特異性、『我が御手への接触を禁ず』でその呪いを払いながら前へと出る。彼女の手が触れた呪いはその場で構築が崩され、無力な魔力の残滓と成り果てていく。
「攻め難くしているからに決まっているだろ」
ナラクトの突進の速度が落ちる。彼女が払った呪いは消えたけれど、それは大気中に漂わせていたもの。彼女の膝よりも低い位置、空気に混ざらず重い、別種の呪いを大地に展開してある。
効果は呪いに触れた箇所の筋肉を麻痺させるもの。部位的なものだから即効性はあるし、体を巡って彼女の手まで呪いが届くこともない。
ナラクトほどの肉体と魔力量が相手だと、この程度の呪いでは完全に動きを止めることはできない。それでも体が予期せぬ強張りを起こすことでその動きは確実に鈍る。
「こんの――っ!?」
それでもと強引に前に出たナラクトの膝を足で踏みつけるように止める。彼女は咄嗟にその手で反撃を試みるが、その時には僕は彼女の顎をもう片方の足で蹴り上げながら距離を取っていた。
そのまま僕がいた場所で圧縮していた呪いが吹き出す。ナラクトが仕掛ける前から圧縮していたものが、僕が離れたことで一斉に解き放たれたのだ。
ナラクトは溢れかえる呪いをその手で払い除けていくも、その衝撃は完全に殺しきれずにジリジリと肌を焼かれている。普通なら肉まで溶けるレベルの呪いなのだけれど、頑丈だこと。
「この現状を予想外だと本気で思っているのなら、興醒めだね」
「なんでやの?」
「君の特異性はコストパフォーマンスに秀でているけど、その存在感から奇襲には使えない。僕の呪いも幅広い用途があるけれど、既知のものに限られる以上絶対的な威力を持たない。僕も君も、基本的には格下に強いけど、同格以上となると特異性で優位を取ることが難しくなる立場だ」
「それはそうやね。でもそれが――」
「対領主戦を想定とした引き出しくらいあって然るべきでしょ」
ナラクトの後方に漂わせていた二種類の呪いを接触させる。それぞれの呪いの質は大したものではないけれど、相反する構築を持つ呪い達は混ざり合うことで互いを激しく拒絶しあい、そして炸裂する。
ナラクトはその衝撃を受け、前へと転倒する。距離が縮まった分だけ、僕は後ろへと下がる。
手に触れれば呪いも、その衝撃すら砕かれる。それでも手より先に他の部位に届きさえすれば衝撃は伝わるのだ。
無数の小規模な呪いを大気中に分散させ、ナラクトの視界に映るものを優先して動かす。そうすれば彼女は自らの特異性で備えようとする。手を上げれば下から、前に出せば後ろから。その手を誘導してから攻撃をすることでこちらの攻撃は問題なく届くのだ。
「いっつぅ……。普通に魔法拳士の戦い方やん……。ヨドっちらしくない戦い方やわ……」
「僕らしさを語るのなら、そもそもこの場に僕がいることを考えるべきだよ」
「どゆこと?」
「勝てない喧嘩を吹っ掛ける馬鹿じゃないってことさ」
「なるほどなぁ」
ナラクトが領主になるまで、その道を阻む者達との戦闘の情報は想像以上に容易く入手することができた。
鬼魅族達は誰かがナラクトを排除できればと期待し、過度な情報統制を避けていたのだろう。だから他の種族にまでこうして手の内が知れ渡ってしまう。
彼女が領主となってからの情報についてはある程度の規制が入っていたけれど、その質も甘い。彼女が領主になってから今に至るまでの成長過程も把握済みだ。
「そりゃあ君は強いよ。僕よりも格上なのは誰もが認める事実だろう。だけど僕も領主になるまでに色々と積み上げてきているんだ。ナメてくれるなよ」
「それはゴメンなぁ」
「謝る必要はないさ、その分後悔しろ」
周囲の呪いを炸裂させながら、さらなる呪いを展開していく。
ナラクトと槍の潜伏者、どちらが強いのかと聞かれればナラクトだと僕は答えるだろう。だけどどちらと戦いたくないかといえば後者だ。
どれほど強くても不確定要素のない相手ならばいくらでも対策は思いつく。そもそも熟知している相手ならば、戦わない選択肢すら選べるのだ。
こうして戦っている間も、想定と現実の誤差を微調整している。行動の癖から思考の傾向まで、徹底して分析を続ける。
カークァスさんはロミラーヤの紫電の一撃を放たれる前から見切っていた。そんな芸当に比べれば、見えて鈍って読めている相手の動きを分析して見切るくらい造作もない。
「ちょっ!?近っ――」
「君だけが飛び込めるわけじゃないんだよ」
ナラクトが動き出すよりも先に、彼女の間合いへと飛び込む。彼女の右腕が上がるよりも速く、手にした短剣をその右肩へと突き立てる。
短刀を手放し、空いた手でナラクトの肩を掴む。無理のない方向へと重心を傾け、足を払って転倒させる。
闇雲に振り回される左腕の一撃を回避しながら、その左肩にももう一本の短刀を突き刺し距離を作る。
「こんなもん……っ!?」
ナラクトは起き上がろうとするも、その両腕が上がらないことに驚きを隠せていない。
呪いや魔法の類ではなく、短刀を使って関節を外したのだ。格下相手なら掌底とかでも狙えるのだけれど、流石にナラクトの肉体は鋼に近いからね。こういう小道具を魔力強化でもしないと関節に細工するのは難しい。
「流石にご自慢の手でも脱臼は砕けないようだね」
「関節砕けたらそれはそれで嫌やわぁ。いやぁ、感服やわ。小細工ばかりでここまでできるなんてなぁ」
「もう少し準備が整っていたら、小細工だけでも殺せているんだけどね」
「アッハハッ!鬼魅の皆もヨドっちみたいに徹底していれば、うちを殺せたかもしれんかったのになぁ」
ナラクトは足と腰の反動だけで飛び起きた。そして肩に刺さっている短刀を口で銜えて引き抜く。
傷はすぐに塞がっているけど、外れた関節はそのまま。両腕はだらりと下がった状態だ。
気味の悪さは抜けない。確かにダメージは入っているし、追い込んでいるのはこちらだ。
それでもナラクトはいつものように笑っている。彼女の余裕を完全には奪いきれていないのだ。
「ま、今日は殺さないよ。カークァスさんの獲物を横取りしたら、次は僕が獲物になるかもだし」
「んーそっちも急がないといかんのよね。下手をしたらカー君やロミやんとも戦うことになるわけやし……仕方ないなぁ」
ナラクトが少しだけ姿勢を低くした。仕掛ける気なのだろうけど、今彼女に使えるのは足と首くらいのものだ。
半端に踏み込んでこようものなら、今度は足場ごと崩してしまえばいい。腕が使えなければ高確率で転倒し、大きな隙ができる。いや、あの姿勢は――
「ぬ、んっ!」
「っ!」
ナラクトは思い切り大地を踏み抜いた。デタラメな魔力強化から繰り出された衝撃で彼女の正面の大地が隆起し、その一部が宙へと舞う。
その光景に驚く必要はない。これはただの小細工、目眩ましだ。その証拠にナラクトは今、『我が御手への接触を禁ず』を解除している。
姿が隠れていても、特異性を発動している彼女の位置は常に特定できた。それができなくするのは奇襲を狙ってのことだろう。
まあ元々特異性に頼らなくても、通常の肉弾戦だけで僕を倒せるのだから必要ないと悟ったのだろう。そういう割り切りは嫌いじゃない。
どの死角を狙ってくる?こういうことも想定して、大地の中には事前に呪いを十分に流し込んでいた。どこかに触れようものなら、すぐに場所を特定して――
「どっ……せいっ!」
「うえっ!?」
ナラクトの掛け声と同時に、隆起していた大地が爆ぜながらこちらへと飛んでくる。その隙間から僅かに見えたナラクトの姿から、何をしたのかは判明した。あの馬鹿女、足で捲り上げた大地を頭突きで飛ばしてきやがったよ。
だけどこっちもすぐに動けるように備えていたんだ。呪いを一気に放出し、空中へと避難する。もちろんそこを狙わないナラクトじゃない。必ずこの瞬間を狙っている。
「呪いで飛ぶとか、ホント器用やね」
「そうだろう?だから――っ!?」
ナラクトは既に肉薄していた。そこまでは読めていたし、繰り出された蹴りも完全に回避してみせた。
しかしその瞬間、激しい衝撃と共に僕の体は地面へと叩きつけられた。すぐに呪いを放出し、追撃を防ぎながら起き上がる。だけど追撃の方は杞憂に終わった。彼女は僕に一撃を入れた後、そのまま地面に着地していたからだ。
「よぅし!やっと一発いれたわ!」
「っ、強引なやり方だなぁ……」
僕に命中したのは彼女の腕。体を捻り、その反動から生まれた遠心力で外れた腕を振り回してきたのだ。僕が作った優位を、奇をてらう手段に利用したわけか。やるね。
特異性の一撃ではないにせよ、中々に重たい一撃だった。骨も数本折れているし、踏ん張る足にも少し力が入らない。
でもこれくらいは問題ない。元々最高速度を出す場合、呪いを放出する感じで動くわけだしね。
「じゃ、うちはこれで」
「……は?いやいや、まだ終わってないでしょ」
「だってもうカー君の宿題は終わったからね」
「宿題って青い花――っ!?」
胸元を見ると、マントに装備していた隠密魔法の起点となるブローチがない。あの一撃のついでにもぎ取っていたのか。
いや、それよりも普通に両腕が動いてない?腕を振り回しながら肩を無理やりはめ込んだの?力技が過ぎないかな、それ。
「続きなら、また今度ね。その時はもうちょっとヨドっちの対策も考えとくわ」
駆け出していくナラクト。追いかけられないわけじゃないけど、あまり特異性を使った戦闘は続けたくない。
鬼魅族の集落にまで呪いをばら撒く光景をお届けしたら、言い訳もあったものじゃないし。
それに小出しとは言え、呪いを連続して出しすぎた。これ以上続けていたら隠し玉まで披露してしまうことになる。
戯れの場で全てを曝け出すのは流石に馬鹿だ。カークァスさんと戦う時でさえ、奥の手を隠していたジュステルを見習わないとだしね。
「あのブローチ、後で返してもらえるのかな……。ハルガナに弁償するかぁ……」