鬼の里。
「そんなわけでロミラーヤを連れてきた」
「説明してないのに説明を済ませた雰囲気を出さないでもらえます?」
「ダメか」
「ダメです」
今日はカークァス……さんが鬼魅族の領地を視察する日。この視察には領主であるナラクト=ヘスリルトとその領民達との関係改善の足掛かりを見つけるという目的があり、弟やヨドイン=ゴルウェンは領主という立場上、干渉を行うと種族間の問題になりかねない。なのでその両名を除き、内政に強い者として私が選ばれた。
自分が適任である自覚はあるし、牙獣族が命運を託した方のサポート。ぶっちゃけこの戦闘狂に解決させたくないという気持ちもある。あるのだけれど……。
「八牙最強の金狼って聞いてたけど、かわいいメイドさんやん」
「付き人として相応しい格好であるべきだと、ヨドインが用意した服らしい」
だからってこんな格好をさせられるなんて聞いていたら受けなかったのに!
確かに牙獣族最強集団の筆頭として顔を出せば、余計な圧力を相手に与えてしまう可能性はある。それでもなんで領主の姉である私がメイド姿にならねばと!?
……まあ今更憤っても仕方ない。そもそも私にも落ち度はある。私が用意されていたメイド服に対し苦情を言った際、カークァスさんが『別に来なくても良いぞ?』と言うものだから、つい勢いで着てしまったのだ。
……本当何をやっているのだろうか、私は。というかなんでこんなにサイズがピッタリなのよ。他領主の姉のスリーサイズまで調べてるって、おかしいわよ、黒呪族。
私の格好を見て吹き出していた弟を壁に埋め込んだおかげで、ある程度の溜飲は下がっている。比較的心が穏やかなうちにとにかくやるべきことをさっさとやってしまおう。
「コホン、ナラクトさん」
「ガウやんのねーちゃんなんやし、呼び捨てで構わんよ」
それで良いのか鬼魅族領主。まあこの場にいるのは私とナラクト、そしてカークァスさんだけなのだから、変に取り繕う必要もないか。
「ではナラクト。弟から部下との関係が悪いという話は聞きましたが、具体的にはどのような感じなのかしら?」
「んー冷え切ってるというか、なんというか……まあ実際に見てみるのが早いかもね」
「私達が貴方に同伴していたら、相手も態度を変えたりするじゃない」
「アッハハッ、関係ないんよ」
「……?」
魔王城より転移紋を使い、鬼魅族領主の館へと転移する。私達の館は石造りだけれど、ナラクトの居住は木造の建築物。ただ一般の領民達と比べればその規模は遥かに大きく、些細な場所にまで技工が凝らされている一級の建築物だ。
転移した場所には転移紋以外何もなく、周囲には誰の気配も感じない。呼吸音を除き、只々静寂で耳を圧迫してくる寂しい部屋だ。
「ほい、到着っと」
「領主の部屋と転移紋のある部屋を分けているの?どこの領主も同じようにしていると聞いていたのだけれど……」
「ん?ここうちの私室やで?」
「……は?」
もう一度部屋の内部を見渡す。床に年季の入った転移紋がある以外、何もない。本当に何もないのだ。
魔王に仕える者として、有事に備える為に領主たちは転移紋のある部屋を私室として利用する。弟は隣に寝室を設けつつも、転移紋のある部屋を普段から私室として利用している。
転移紋のある部屋は魔王を招く応接室でもあるのだ。それ故に相応の調度品を配置することが普通のはず。
しかしここには何もない。個人が生活するにあたって存在すべき家具が一切存在していないのだ。
応接室を別に用意しているのだろうか。だが確かにここにはナラクトの匂いが染み付いている。彼女が長い時間この部屋で過ごしていることは確か……いや、それにしてもだ。
「就寝はどうしているのだ?」
「隣の部屋でやっとるね。なんやカー君、うちの寝床興味あるん?」
「そうだな。少しある」
思わずカークァスさんを二度見したが、その目には邪な感情なんてあるはずもない。この方はただ淡々と確認を行うとしている。
ナラクトは少しだけ恥ずかしそうにしつつ、私達を隣の部屋へと案内した。
そこは先の部屋とほとんど同じ。転移紋の代わりに布団が一組置かれているだけだった。
「な……」
「ふむ。良い布団を使っているな」
「せやろ?寒い日でもとっても暖かいんよ。入ってく?」
「あいにくと快眠だったからな。今のところ眠くはない」
確かに質は良い。正直私や弟が使っているものよりも良いものだと思う。だけどこれはそういう話ではない。
「ちょっと待ちなさい!箪笥は!?化粧台は!?テーブルや椅子はないの!?」
「ないよ、そんなもん」
「これだけ良い布団があれば十分そうではあるな」
「せやろ?」
「着替えとかはどうしているのよ!?」
「湯殿にいけば、これと同じ新品の服が置かれてるんよ。んで脱いだ服は勝手に処理してくれる感じやね」
それならまだ……理解はできるのかしら?着替えを常に用意してもらえるのであれば、私室に箪笥は必要ない。多少浪費家というだけ……でも同じ服?ナラクトは違う服を着たりはしないの?
部屋の状態はかなり綺麗。日々しっかりと掃除がされているのがわかる。それでも、何かが妙に感じる。
「他に私物はないのか?」
「ないなぁ。うち特に物を集めんし、執着とかもないからね」
「そうか」
「そうかって……カークァスさん、貴方はこの部屋を見て異様と思わないのですか!?」
「良い布団を使っているなとは思う」
「布団しか見てませんわね!?」
確かこの人、質素な弟の私室を見ても豪華だとか言ってたって聞いたわね……。今度寝具をプレゼントしたら喜ぶんじゃないかしら……ってそんなことは後回し!
この違和感の正体を確認しないことには話が――
「建物から他者の気配がしないのは、何か理由があるのか?」
「っ」
カークァスさんは私が聞こうと思っていたことを尋ねていた。いや、私が言葉に出てこなかった答えを口にしたのだ。
そう、この建物からはナラクトの匂いはする。だけど他の鬼魅族の匂いが全くしないのだ。新しい衣類を届けたり、各部屋の掃除をしたりしているのだろうが、そういった者達の匂いがまるで残っていない。
「あー、うん。うち……というよりはこの領主の屋敷やな。その面倒を見るもんは身を清め、特注の着物を着て作業をしとるんよ。それでやろね。匂いも残らなければ、魔力の残滓もない。この場所に存在して良い鬼魅族はうちだけ……って感じなんよね」
否定の言葉を投げそうになり、口を噤む。各領主の居住に転移紋があることは共通でも、種族によってその認識の違いは確かにある。
牙獣族にとって領主とは皆を導く群れの長。共に歩む同士としての認識が強い。だけどそれは牙獣族だからだ。
種族によっては領主そのものを神格化するものもいると聞いている。それこそ違う生き物として扱うのだと。
「……領主の仕事はどうしていますの?私の事を知っているのであれば、それなりに情報を得る機会があるのでしょう?」
「そやね。領地を案内する前に、うちの仕事を見せてからにしよか」
そういって案内された部屋にはテーブルと椅子が一組だけ置かれていた。テーブルの上にはいくつかの巻物、紙と筆が置かれており、そこからはやはり他の魔族の匂いは漂ってこない。
「これは……」
「鬼魅族のもん達からの報告書のようなもんやね。読んでみる?」
少しだけ気が引けたけど、直接見てみないことには話は進まない。巻物の一つを手に取り、その内容を読んでいく。
それは鬼魅族の現状が淡々と記されたものだった。事故や事件、集落に置ける活動、領地内で起こった事実が書かれており、どのような結果、どのように対処をしたのかまで丁寧に記されている。それだけではなかった。他の領地や人間界側で仕入れた情報なども記されている。つまるところ、間者達の報告なども含まれているのだ。
読み進めていく中、思わず言葉が口に出る。
「……全て報告だけで済まされているのはどうしてですの?」
他の巻物を流し見しても、全てが同じだ。誰がどのように対応し、解決した、そういった報告が淡々と記されているだけ。何一つ領主に対する伺いの文面など存在しない。
「内政はそれぞれの専門家が対応しておるからね。うちの仕事は誰が何をしているのかを正しく把握すること。あとは他の領主にナメられんように、腕を磨くことくらいやね」
「……そう。これが鬼魅族の領主のあり方なのね」
魔界の領主として、強くあることは避けられない条件。戦闘に秀でた者が領主となれば、内政面に問題が出ることは仕方のないこと。
専門家達に任せるのは一つの手法として間違ってはいない。間違ってはいないのだけれど、弟と一緒に夜中まで本を開いて勉学を積んだ日々を否定されているような感じがして、嫌な気分になった。
「あ、せや。もう一個仕事あったわ。ちょっと待ってな」
そういってナラクトは紙の上に筆で文字を書いていく。あまり上手ではない文字で、『次期魔王候補のカークァスと牙獣族のロミラーヤ=リカルトロープを連れてきた』と記した。
「それは?」
「うちからの報告書やね。魔王城で起きたこととか、そういう情報はうちからしか入らんやろ?こうしておけば、カー君やロミやんの夕飯も用意してもらえるはずや」
「ロミやんて……」
「あ、泊まってく?流石に三人で一つの布団は狭いから、もう一組用意させるよ?」
「どういう組み合わせにさせるつもり!?」
「え、そら……どういう組み合わせが良い?うちはどのパターンでも大丈夫やで」
「そこは三組用意させてくださいませ!?」
「いや、二組で良いぞ」
「カークァスさん!?それはどういう意味ですの!?」
カークァスさんの方へと視線を向けると、彼は読んでいた巻物を机の上へと放り投げながら部屋の外へと出ていくところだった。
「俺はここで眠るつもりはない。食事も不要だ。自前で確保する。視線が目障りなのでな、暫く一人で見て回るから、ロミラーヤは案内してもらえ」
「え、ちょ、待っ――」
私が追いかけて部屋の外へと出ると、既にカークァスさんの姿はなく、そこには静寂だけが残っていた。
え、本当に何も残っていないのだけれど!?匂いも辿れないってどういうこと!?あの方転移魔法とか使えたっけ!?
「おお、流石やね。もう建物からいなくなっとるわ」
「あ……あの方は一体何がしたいんですの!?」
「アッハハッ!多分監視されてるのが嫌やったんやろな」
「監視っ!?」
周囲を見渡すけど、なんの気配も感じない。確かにカークァスさんは『視線が目障り』と言っていた。それは私やナラクトのものではなく、別の人物のもの?
「領地内でのうちの動向は常に監視されとるからね。遠見の魔法でここの様子も見られとるよ。でも流石やね、遠見の魔法の視線に気づくとか、虫の知らせとかそんな次元やのに」
この場所に来てから妙な違和感はあった。どこか不快になるようなこの感覚の正体はそれだったのか。牙獣族の私でもこのくらいにしか感じないのに、視線と気づいて行動するって……。
「常に監視って……そんなことを許しているの!?」
「え、許してるよ?だって、そうしないと皆不安になるからね」
「……どういうこと?」
「んー、実際こうなってるのはうちの自業自得なとこもあるからね。ま、歩きながら話そか」
そういってナラクトは歩きだし、朗らかな笑顔のまま私に自身の半生を語り始めた。