なおその当人は。
「へくち」
「おや、風邪ですか?」
「いや……体調は良好ではあるのだが……」
「あーこの倉庫は少し埃っぽいですからね。そのせいでしょうか」
今日は副業として商人の保有する貸倉庫へと足を運んでいる。普通彼らに物を売りつける際には商館に足を運ぶのだが、魔界産の装備のように近くに置いておくだけでも嫌疑を掛けられてしまうようなものはこのような場で取引を行う。
この場所に足を運ぶのは四度目。最初は独特の雰囲気に飲まれそうにもなったが、今となっては慣れたものである。
「そうかもしれないな……。とりあえず検品の済んだものはここに置いておけばいいか?」
「はい。それにしてもこれほど質の高い装備をこんなにも……。一体どんなツテを使っておられるので?」
「ええとだな……」
手帳を取り出し、ページをめくっていく。
隠されていた膨大な量の装備を見て絶句していた私に、アークァスはこの手帳を渡してきた。この手帳に書かれた事象が起きた場合、指示に従えば最悪の事態は避けられるとのこと。
ええと、数回目で入手経路について探られた場合はっと……あった、あった。
「……その手帳は?」
「そのツテから渡されたものだ。何か言われたらこの手帳の指示に従うようにとな。ええと……『優しき雨を望む者』と言え……?」
「っ!?さ、先程の言葉は忘れてください……」
商人の顔が青ざめているのが分かる。顔色を偽る彼らが表情に出すほどのことなのだから、今の言葉に相当な意味があるのはわかる。
「言っておいてなんだが、どういう意味なんだ?」
「符丁……合言葉ですね。特定の組織等だけが知っている言葉の組み合わせで、自らの立場の証明にもなります。符丁を知らずに詮索することは、その組織に対する挑発行為と取られますので、一介の商人にとっては『関わるな』という脅しにもなります」
「なるほど。知らず知らずのうちに私には後ろ盾がついていたということか」
「……踏み込もうとしたお詫びとして、一つ忠告を。これらの商品を流した先で、貴方のことを探ろうとしている者がいます。中には私に依頼をしてきた者もいます」
「えっ」
「質の高い魔界産の装備ですからね。出処を探ろうとする者は出てきますよ。犯罪の有無を確かめたり、自らもその美味い汁を吸ったりしたいわけですから」
「そ、そうか……。だが何故わざわざ忠告を?」
魔界産の装備の出処を知りたい者が出てくることは想定内だ。だがそれを自ら明かすメリットはないはず。今彼が行っているのは贖罪ではなく、恩を売ろうとしている行為だ。
「符丁を尋ねる言葉には、それだけである程度の組織の規模を示唆するような内容になっています。例えばパフィード内の符丁ですと『闘技場煎餅』とかがあります」
「ああ、あれは美味しいよな」
「グランセル規模ですと『ナゼリアの花』や『クラリアの川』といったものになります」
「ナゼリアの花はグランセル地方に生息する花で、クラリアの川は近くにある川の名だったな。なるほど、完全に秘密主義というわけではなく、ある程度の自己紹介にもなっているわけか。……んん?」
では今私が使った符丁、『優しき雨を望む者』という言葉は何を示唆しているのだろうか。優しき雨といったものは地名を指し示してはいない。そもそも一個人を連想しそうなワードだ。
「分かりやすく分からないといった顔ですね。特定の地名を指し示していないのは、世界に渡って影響力を持つ組織であること、更に個人を連想する言葉はその組織のトップに関わる符丁です」
「……なるほど。だから迂闊に踏み込むだけで顔が青褪めてしまったと」
「ははは……そういうことです」
ただ一介の冒険者であるアークァスが、日常的にそういった組織の符丁を使っているとは思えない。そうなるとこれはアークァスの師匠、セイフ=ロウヤに関わる組織の符丁なのではないのだろうか。
世界規模で指名手配されている大詐欺師、セイフ=ロウヤ。こういった犯罪者が個人の力だけで動くということはない。各地に協力者がいても不思議ではないだろう。
アークァスはそんなセイフの直弟子。そんな繋がりを平然と使わせてくれるあたり、意外と私って信用されているのだろうか。
「色々と勉強になった。返答の仕方にも複数あるようだし、符丁とは思った以上に複雑なのだな」
「――それ、うっかり漏らさないでくださいね。組織によってはそれだけで命を狙われる理由になりますので……」
「そうなのか……」
アークァスの異質さを考慮すれば、そういった物騒な組織と関わっていても不思議ではない。
それにしても装備を市場に流してからそう経っていないというのに、もう私に探りを入れている者がいるのか。
目立ってきたら別の都市に売ろうと計画していたのだが、これはもう少し慎重に行動すべきなのだろうか。
「情報屋とかも動いていますから、お気をつけください」
「え、そうなのか?」
「はい。マリュアさんの現在の住まいくらいまではもう探られていると考えて良いですよ」
「……そこまで?」
「ちなみに私に依頼した者はこれくらいの前報酬を渡しています」
うわ、今住んでいる賃貸、余裕で買い取れる額だ……。私が取り扱っている魔界の装備は、特に破損もなければ手入れも丁寧な品であることには違いないのだが……金銭面の話だけではないのだろう。
「ちなみにその依頼人については……」
「異様に金払いが良く、決して素性を明かそうとしない相手だったとだけ」
「そうか……」
うん。これ私凄いところに目をつけられているな。国のお偉方とか、多分そんなところ。本名で動いていたから、下手をすれば既にヴォルテリアの方に問い合わせがいっている可能性も大いにある。
まあケッコナウ様に迷惑を掛けることについては微塵も負い目はないので問題なし。リリノール騎士団の皆に対しては……あの子等逆に喜びそう。
「もっと早く符丁を聞かされていれば、私の方でも専用の対応ができたのですがね」
「専用の対応?」
「はい。情報の流出が起こらぬよう、細工するのも商人の務めですから」
そんなサービスもあるのか……。この人の反応から見てこの符丁が絡む組織は相当な規模のもの。そこに恩を売るのも商人としての処世術なのだろう。とりあえずこの人から私の情報が漏れることは心配しなくて良さそうだ。
商品の受け渡しを終え、金銭をもらって帰路へ。これまでは特に気にしていなかったが、意識してみれば確かに見られている感覚がある。
はした金で雇われた素人もいるが、それを隠れ蓑に巧妙に潜んでいる者もいる。私が気付かないだけで、それ以上の使い手もいるのかもしれない。
「どうしたものか……」
数日前からこの状況らしいし、今更何かをする必要があるのだろうか。
装備についてはピリトの近くに分割して隠されているのを都度回収しているから問題はない。金については私自身が持っているから大丈夫。
気にすべきはアークァスに金銭を渡す際に、彼のことを知られることだろうか。彼が次期魔王候補として活動している事実は世間一般に知られて良いことではないだろう。
「お困りのようですね」
「その声は……女神ウイヒョゥッ!?」
背後からした声に振り返ると、鼻がくっつきそうな距離に女神ウイラスがいた。
「ウイヒョウってなんですか」
「び、びっくりさせないでくれ……。っていやいや、今私は――」
「誰かに監視されていることなら問題ありませんよ。今の私は貴方以外に見えないように調整していますので」
「……流石女神といったところか」
「はい。なので周囲には貴方が突然奇声を上げ、独り言を呟いているようにしか見えません」
「少しも良くないな!?」
いかんいかん。とりあえずは心を落ち着かせよう。夕飯の買い出しも終えていることだし、とりあえずは借家に戻って話をしよう。しかし喋らずに家に招くにはどのようにジェスチャーをしたものか。
『あ、念話できますよ』
『えぇ……』
そんなわけで彼女を借家へと案内する。家の中を軽く確認したが、特に荒らされている痕跡はない。
「アークァスの家よりも良い感じですね」
「値段も数倍以上するがな。いや、あそこの家賃が異常なだけなんだが」
アークァスの借家の家賃を聞いたが、辺鄙な田舎でもそこまで安くないだろうと言いたくなる価格だった。いわくつきという話だが、一体何があればあそこまで安くなるのだろうか。
ウイラスは家の中を歩き回り、簡易的な魔法陣を刻んでいる。私はその作業を眺めながらお茶とお菓子の準備をした。
「――はい。とりあえず声が外に漏れないように結界を張っておきました」
「ありがとう……。しかし急に現れたな」
「アークァスから貴方の面倒を見て欲しいと頼まれまして。そろそろ周囲に監視や尾行がついており、当人も気づく頃だろうと」
「こうなることをわかっていたのだな……」
「わかっていなかったのは貴方だけだと思いますよ?」
ぐうの音も出ない。なんか妙に割の良い仕事だなと喜んでいた自分を叱りたい。
ただこの状況になることを知って話を持ち掛けてきたアークァスもアークァスなのではないだろうか。
……いや、こうして助けを寄越してくれただけ感謝すべきなのだろう。正直外部に音が漏れないようにしてもらえるだけでも、かなりありがたい。
「酷い環境に追い込まれているのに、時折優しさを見せられて縁を切れずにいるダメな女ですね」
「言ってくれるな……。しかし多方面に渡り、目立ってしまっているようだが……」
「そうですね。大御所だとグランセル本国が探りを入れていますね」
「自国で他国の騎士団長が魔界の装備を流通させているしなぁ……」
仕方ないと言えば仕方ない。自国で魔界の装備が流通していれば、私でも調べるべきだとケッコナウ様に進言するだろう。
ただ捕捉が予想以上に早い。装備の流通が常時監視されていたのではと思えるほどだ。
「あとはその装備の本来の持ち主ですね」
「えっ」
「黒呪族領主、ヨドイン=ゴルウェンにも貴方の名前が知られています。良かったですね。有名人ですよ、貴方」
魔界の領主の一人、ヨドイン=ゴルウェン。その名前は以前に渡されたリストで確認済み。現在はアークァス……いやカークァス派の一人として彼と協力関係にある人物らしいのだが……。
「……人間界の流通だぞ!?早すぎないか!?」
「アークァスも驚いていたそうですよ。彼曰く、『各国の商人に魔族が紛れ込んでいる可能性がある』とのことです」
アークァスが魔族として活動しているのと同じように、人間のフリをして諜報活動を行っている魔族もいるということか。しかし各国の商人に紛れ込んでいるとなると、人間界の情報はどれだけ筒抜けになっているのだろうか……。
いやいや、今は自分のことを考えるべきだろう。ここが人間界だとしても、魔界の領主の一人に目を付けられた事実は確かなのだ。
「アークァスは他になんと?」
「適度に気をつけつつ、残りの装備の売却を頼むと」
「続けろと!?潜めとかではなく!?」
「はい。貴方の名前が魔界側で出てすぐ貴方が姿を隠すと、関係性を疑われますから。少なくとも八割は売り捌いて欲しいとのことです」
「……いやいや、現段階で監視されているような状態だぞ!?その中に魔族も紛れているというのに、悠長にやっている場合か!?」
「魔族の方については、そこまで心配せずとも大丈夫ですよ。貴方が本物のマリュア=ホープフィーであることの裏付けが済めば、変な手出しはしてこなくなります」
「そんなこと――」
いや、一理ある。アークァスの手に入れた装備は彼が変装し、ヨドインの隊を奇襲して奪ったもの。その際に彼は自身の魔力を光属性に変換するといった変装をしていたと聞いている。
光属性の魔力を保有するような人物、それは勇者のような女神ウイラスの恩寵を受けているような存在だ。
私が、ヴォルテリアの騎士団長のマリュア=ホープフィーがその協力者と分かれば、相手もその前後の情報を手に入れようとするだろう。しかし――
「まあ油断すれば捕まって、拷問の一つでも受けるでしょうけど」
「そうだよな!?」
「ただそこは大丈夫だと思いますよ。ヨドインはアークァスに相当なトラウマを植え付けられていますから。下手な行動は身を滅ぼすことになると慎重になっているようです」
魔界の領主にトラウマを植え付けたって、いったいどんな襲い方をしたのだろうか。知りたいような知りたくないような。
気分を切り替える為にお茶とお菓子を口へと運ぶ。こういう時はあまり深く考えないようにするのが良い気がする。
「油断しなければ……か」
「はい。臨時収入が手に入ったからと、鼻歌混じりでスイーツ片手に普段使わない路地裏を近道に利用したりしなければ大丈夫ですよ」
「んっふ!?み、見ていたのか!?」
「私もアークァスも目撃していましたよ。ご機嫌そうだったので見なかったことにしましたが」
二回目の売買の時、資金面的に当面は余裕ができそうだと安堵し、ついつい浮かれ気分で街を歩いていた。そういう気分の良い時に限って、寄り道とか普段通らない道を通りたくなるんだ……。
「忘れてくれ……」
「善処します。また『人間界側の方も、そろそろ符丁を使っている頃だろうし、符丁を使えば大丈夫だ』とのことです」
「ん、ああ。今日その符丁を使ったが、相手の商人にとても効果的だったな」
「どうして一介の冒険者が商人達に効果的な符丁を知っているのやら」
「彼の師匠のセイフ=ロウヤ関連の符丁なのではないか?」
「なるほど。ちなみにその符丁というのはどういったもので?」
「ええと……『優しき雨を望む者』だったな」
その符丁を聞き、女神ウイラスの動きが止まった。表情に変化の乏しい彼女だが、明らかに反応をしているように見える。
ただ商人のように恐怖や動揺があるようには見えない。どちらかと言えば、誰か知人を連想しているような様子だ。
「ウイラス?何か心当たりが?」
「――いえ、ただ雨が好きな者を思い出しただけです」
「そ、そうか。風情を楽しむ者だったのだな……」
少しだけ踏み込むかどうか悩んだが、直ぐに結論は出た。ただその場にいてもどうしようもない事実を突きつけてくる相手に、好奇心で踏み込んでしまうのは心の安寧を失うだけだ。
アークァスやウイラスが思わせ振りな行動を見せても、絶対に気にしてはいけない。それが私の中で出た結論だ。
「清々しいレベルで割り切っていますね」
「もう自分の意思で背負いたくないんだ……」
「女神の私でも哀愁を感じる背中ですね」
色々と背負ってしまうのは私の宿命のようなものなのだろう。どのみち背負ってしまうのであれば、私自身を責めるような形にはしたくないのである。
「ひとまず当面の間は夜道に気をつけつつ、装備の売買を続ければ良いということだな?」
「そうですね。金銭のやり取りは私が行いますので、アークァスのところに寄る必要はないですよ」
「それはありがたい。彼がどうだとか言うつもりはないが、イミュリエールとの約束がある以上、あまり彼の家に出入りするのは憚られるからな」
「そうですね。イミュリエールがアークァスに会うためにリュラクシャから脱走していますし、いつ遭遇するかわかったものではないですからね」
「……え」
思考が止まる。言葉の意味は理解できても、その事実を受け止めることを頭が否定している。
ええと、ええと、そうだ。私は今お菓子を食べていたんだった。うん、お茶に合って美味しいなぁ……。
「笑いながら泣くとか器用ですね」
現実逃避のプロ。