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ちょっと領主やってみませんか。

 後悔する点などいくらでもあった。先ずは全身を虫の体液で汚した人間の女……イミュリエールの異常な姿や、ソウネスカのマイペースさに冷静さを欠いていたこと。

 誘いの砂漠は魔物達の精神に干渉し、餌として招き入れようとしてくる。その力の発端はその奥地に潜む巨大な虫にもあるのだった。

 その返り血……体液を浴びていた彼女は既に夥しい呪詛を身にまとっていた。それは警戒心を奪う魅了の呪い。

 イミュリエールがその血を洗い流し、服を着替えて姿を見せた時に私は彼女を招き入れたことを完全に後悔した。

 彼女から感じられる気配、それは完全なる絶望だった。武術を学んだ者がその頂きの高さを知るのと同じで、己の練度が高ければ高いほどに、彼女がどれほど先にいるのかを明確に理解させられた。

 私が招き入れてしまったのはジュステル様すら霞む武の化身。その事実が私の心を容易く狂わせてしまった。

 今側にいるのは全てを台無しにしてしまう不条理の権化。こんな存在を鋼虫族の領地に置いておくわけにはいかない。

 別の領地へと移動させるか、人間界の方へと帰さなければならない。

 絶望感と使命感、その両方に押し潰され、私は一人で暴走してしまった。

 結果同僚に不審がられ、事を大きくしてしまった。最も恐れていたこと、ジュステル様の耳に届き、関わらせてしまい、最悪の結果を招いてしまった。


「き、貴様ぁっ!」


 結果が起きたことで全てが終わるわけではない。こうして後悔している間にも、世界は次へ次へと進み続けている。

 目の前で領主であるジュステル様が殺された。我等が未来とも呼べる方を失った怒りを顕にし、恐怖に飲み込まれながらも武器を構える同胞達。そんな殺意を前にしても、イミュリエールは動じていない。

 一歩を踏み出そうとした同胞達の首が飛ぶ。剣はおろか、その軌跡すら見えない。ジュステル様でさえ一瞬で殺されたのだ。この場の誰が敵うものか。

 同胞達の首が飛ぶごとに、恐怖が皆の怒りを塗りつぶしていく。それでも皆は行動を行おうとしている。

 敵わない相手であることも、逃げることもできないことも、皆本能で理解しているのだろう。

 だが怒りと恐怖で麻痺した心は、皆に行動を行わせてしまう。

 彼らが動けば、死ぬことになる。肩についた埃を払うのと同じ程度で、私達はあっけなくこの場から存在しなくなるだろう。

 止めなければならない。だがどうやって?私は誰も止められなかった。この結果に何一つ意義のある行動を示せなかった。それなのに――


「っ、これは……」


 手にはコアを砕かれ、塵となってしまわれたジュステル様の亡骸がある。だがそれだけではなかった。握りしめていた感触の残りと思っていたそれは、確かにあったのだ。


「――皆鎮まれっ!」


 体の内にある使命感が、その特異性を発現させる。気づけば右腕に握られていた旗を大地へと突き刺し、その恩恵を皆へと届ける。


「っ!?サロナイト……その旗は……ジュステル様のっ!?」

「――ジュステル様は今際の際に、私に言伝を残してくださった……この特異性と共に」


 特異性はその能力の一部を他者に託すことができる。特異性とは個が持つ才能。普通ならば与えられたとて、満足に扱うこともできない。それどころが当人の才能を大幅に制限してしまう行為でもある。

 それでもジュステル様は必要なのだと、私に『我等が不変なる志』を託してくださった。そうしなければ今目の前にいる御方、イミュリエールによって皆が殺されてしまうことを理解しておられたのだ。

 散々暴走した私が言葉を発しても、皆は決して止まらなかっただろう。だがこの旗はジュステル様の意思であり言葉でもある。


「皆、武器を降ろすんだ。今武器を手に取ることは、あの御方が救おうとした命を無下にすることと等しい」

「サロナイト……」


 鋼虫族の誰もがジュステル様の威光を知っている。だからこそ、この旗を私が握ることの意味はすぐに皆に受け入れられた。

 旗を握りしめ、イミュリエールと向き直る。私が皆を止めたこと、そして右手に握られたジュステル様の旗……。その程度は彼女にとって然程興味を引くものではない。それでもこの場にいる者達の中では一番マシだったのだろう。

 彼女は静かに私を見ている。敵意や悪意などは微塵も感じない。すべきことを行っただけ、それが全てだと言わんばかりに、事の流れを待っている。


「……今、貴方が斬られたのはジュステル=ロバセクト。私達鋼虫族を束ねる魔界の領主のお一人です」

「そう、それで?」


 彼女にとっては自らにとっての価値が絶対。言葉を間違えれば皆殺しにされる。きっと私の言葉を告げれば私の首は宙を舞い、残る皆も同じ運命を辿るのだろう。

 だけど今私の手の中にはジュステル様の意思が握られている。あの方は私に自らの記憶と見解、そして語るべき言葉を残してくださった。


「その御方の記憶を預かっております。貴方が知りたい情報を提供せよと。贖いきれずとも、自らに代わり、私に可能な限り贖罪を行って欲しいと」


 皆からの動揺を感じる。理不尽に殺された方が贖罪を申し出ることなど前代未聞だ。それでもジュステル様はそれを願った。

 今目の前にいる御方、イミュリエール……様こそ、ジュステル様が焦がれた理想の強者。唯一仕えたいと願った方。その方の機嫌を損ねた以上、自らの死は当然であり、可能な限りの贖罪をするのは自然のことなのだと。


「……わかった。聞くだけ聞かせてもらうわ」


 空気を塗りつぶしていた恐怖が薄れていく。それでも彼女から感じる絶望が鳴りを潜めることはないが……ひとまずは皆の命は繋がった。

 屯所内にある来賓室へとイミュリエール様を案内する。まともな者では近くにいるだけで正気が失われていく御方だ。同伴者はソウネスカだけを選んだ。

 ソウネスカは元々諜報員としての希望を出していたが、定員割れでこの砂漠の見張りに配属された新兵だ。

 読唇術などの細かい芸はあっても、戦闘能力は一般の民に多少色がついた程度。だからこそ彼はイミュリエール様を直視しても何も感じずにいられる。

 今はその事実だけがひたすらに頼もしい。もっとも流石の彼も目の前でジュステル様が殺されたことで異常さだけは理解している。当初に比べれば明らかにイミュリエール様を警戒していた。


「お、おねーさん。お茶っす……」

「ありがとー」


 それに反して、イミュリエール様は出会った当時と変化がない。朗らかな笑顔で淹れられたお茶をすすっていた。


「……ジュステル様は少し前にある男と戦闘を行っていました。その男の名はカークァス。創始の女神ワテクア様が次期魔王候補として連れてきた者です」

「カークァス?アークァスじゃなくて?」


 ジュステル様の記憶を元に、カークァスの出で立ちやその者が現れてからの経緯を説明する。

 外見は仮面を付けている以上、一致することはないのだろうが、それでも彼女の興味を引くだけの話の内容は存在していたようだ。イミュリエール様は首を傾げながらも真面目なっ様子で聞いていた。


「名前の響き、そしてその異様な剣術の冴え……恐らくは偽名を名乗った貴方の縁者なのではないかと言うのがジュステル様の出した結論です」

「うーん。剣についていた血の匂いは確かにアークァスのものだったし、あの子って咄嗟の嘘って結構雑なのよね」

「ちなみにそのアークァスという方は、貴方の――」

「弟よ。血は繋がってないけどね」

「同じ人間ではあると?」

「それは確かね。でも、あの子ってばなんで魔王になろうとしているのかしら?」


 仮にカークァスとアークァスが同一人物だとして、その場合まるで捻りのない偽名を名乗ったことになるのだが……領主達が集う場で正体を隠すべき人間がそんな風に嘘を付くものなのだろうか?

 考えられるのは自らの存在を知るものに、自身の正体を伝えようとしていた……?領主達の中に人間界に繋がっている者が存在している……?

 特異性と共に備わったジュステル様の知恵や経験が、私自身では思いもつかない想像を構築していく。これが領主の思考……ここまで視野を展開できるものなのか。


「それはなんとも……。カークァスと名乗った者は創始の女神ワテクア様によって選ばれた者です。何故あの御方が人間を魔王候補にしたのか……ジュステル様の記憶を辿っても結論は出ておりません」

「ワテクアって魔界を創った邪神の名前だったかしら?」

「……はい。人間界からすれば邪神と呼ばれても仕方ないのかもしれませんね。ですが我々からすれば創始の女神であり、旧神ウイラスに世界を独占させない為に奮闘してくださっている御方なのです」

「そっか」


 女神の話題になってもイミュリエール様は大して興味を示していない模様。この方にとっては身内のアークァス以外に興味の対象となるものはないのかもしれない。


「ジュステル様の知る情報は以上です。知らずとは言え、イミュリエール様の縁者に刃を向けたことをあの御方に代わり謝罪させていただきます」

「別に許す許さないの問題じゃないから、謝罪はいらないわよ?弟を斬ったから斬っただけ。それだけだもの」

「……それでもジュステル様は最期に貴方様の剣技に焦がれ、尊敬の念を抱いて逝かれました。そして少しでも貴方のためになることをなせと、私に命じたのです」

「殺されたのに?」

「はい。殺されたからこそ、です」


 当然ジュステル様がイミュリエール様に抱いている感情も受け取っている。

 領主として生き続けてきた中、様々に感じていた葛藤や悩み。魔王として相応しき者の格、あるべき姿、それらに対し一閃という完璧な答えを示したのがイミュリエール様であるということ。


「変な領主さんだったのね」

「貴方が言いますか」

「言うわよ。もちろん貴方にもね。私が憎いとかはないの?」

「あります。ですが今は私個人の想いよりも、ジュステル様の想いの方が勝っております。ですから今は貴方のためにできることをと」

「いつか憎しみが勝るかもしれないのに?」

「その時はジュステル様と同じように、貴方に殺してもらうのも良いかもしれませんね。ははっ」


 自然と出た言葉と笑いに驚く自分がいた。サロナイトという雑兵上がりの一魔族からは決してでない言葉と態度。きっとジュステル様から受け継いだ意思が私を塗り替えているのだろう。あの御方はここにいる。それを実感できることが何よりも嬉しかった。


「先輩……なんか変わったすね」

「ソウネスカ。イミュリエール様の身辺の世話は当面お前に任せたい。ジュステル様を倒した実力に恐れを抱いていても、それ以外の感情を抱いていないお前ならできるはずだ」

「……うす」


 ジュステル様が亡くなったことですべきことは山積みとなっている。あの御方の意思がある限り、対処は可能だがそれでも時間は掛かるだろう。


「それで、私はアークァスに会いに行きたいんだけど。魔王城に行けば良いのよね?」

「そこなのですが……魔王城に入るには各領主の館にある転移紋を利用する必要があります。そしてそれを利用できるのは各種族の領主だけなのです」

「歩いてはいけないの?」

「大まかな方角は分かりますので、理論上は可能かと思います。ただ地図がありません」

「どうして?」

「魔王城近辺の地図を持つことは、魔王への背信行為ですので……」


 地図を手に入れるということは、それを利用する意図があるということ。人間が人間界から侵攻してきたとしても、各領地で押し留めれば良いだけのことなのだから魔王城近辺の地図を持つ理由にはならない。

 魔王城のある地帯を飛行することも同意義と取られる。それ故に魔王城付近の地図は存在しないこととなっている。


「地図なし……かあ……」

「失礼ながら、イミュリエール様。貴方様は方向音痴ですよね?」

「うぐ」


 人間界の地図を使い、十二魔境を抜けて魔界に入るような御方だ。間違いなく徒歩で魔王城に辿り着くことはできないだろう。


「徒歩で辿り着くことは絶望的かと。私達が飛行して探索することも手段の一つではありますが……現状」

「うぐぐ」


 さらに言えば魔王城は魔王と領主達が集う場。そこに魔王が住んでいるというわけではない。辿り着いても数ヶ月単位で待ちぼうけを食らう可能性がある。魔界の最奥で水も食料もない場所での待機は流石に無謀だろう。


「イミュリエール様。多少時間は掛りますが、確実に魔王城に辿り着ける手段があります」

「本当!?」

「はい。イミュリエール様がこの鋼虫族の領主となれば良いのです。領主として認められれば、領主の館にある転移紋から魔王城へと転移することが可能になります」


 イミュリエール様は目をパチクリとさせながら、私の言葉の意味を頭の中で再確認しているのだろう。ソウネスカの方はやや驚いた顔でこちらを見ている。


「私が……領主?」

「ええ。ジュステル様が亡くなり、鋼虫族では新たな領主が必要となります。そこに貴方を推薦します」

「推薦……」

「ジュステル様の特異性を託された私には、ジュステル様の意思として皆に意見を言うことができます。当然反対意見も出るとは思いますが、貴方様なら問題なく捻じ伏せられるでしょう」


 各領地の領主達は皆歴代でも最優と言われるほどの傑物達、その代わりはそうはいない。ジュステル様を失った以上、鋼虫族は誰が領主となっても衰退するしかない。

 ならば鋼虫族でなくとも、ジュステル様以上の存在を領主とすれば良い。それこそジュステル様が魔王として相応しいと焦がれた御方だ。


「うーん」

「仮初でも構いません。カークァスと接触し、その正体を確認できれば貴方様の目的は果たされるわけですから。その時には適当な者に領主の座をお譲りいただければ結構です」

「打算、あるのよね?」

「はい。勿論です。これは私個人の打算も含まれております」


 隠すようなことはしない。イミュリエール様は武の化身、生半可な嘘は本能的に見破られてしまうだろう。

 ジュステル様の意思にはそこまでの指示はなかった。ただこの方に誠心誠意尽くせと、それだけだった。だけどあの御方が最期に見た幻想、それを少しでも形にしたいという欲が出たのだ。


「どんなこと?」

「怖いもの見たさです」

「……随分と酔狂な意思に取り憑かれちゃったのね」

「おかげさまで」


 どれほど強かろうと、私が真に尊敬していたのはジュステル様だったのだ。イミュリエール様に対し思うところはあるし、その奥底にはよりどす黒い感情も眠っていることだろう。

 だけど同時にジュステル様のことを理解したことで、好奇心も顕になったのだ。

 この最凶の方がもしも領主となれば、その先を目指すことになれば、この魔界にどのような変化をもたらせてくれるのかと。


「んー……他に良さそうな手段も思いつかないし……」

「どちらにせよ、弟様のために行動できますよ」

「どちらにせよ?」

「カークァスと名乗る者が貴方様の弟君であった時、次期魔王候補の座にいることが当人にとって望んだことなのか、望まぬことなのか、どちらにせよ干渉することができます」


 創始の女神ワテクア様の意図が介在していることは事実。されどそこにカークァスの意思はどれほど尊重されているのかは謎だ。

 どちらにせよイミュリエール様が干渉すれば、ことは大きく動く。剣から弟の血の匂いがしたからと、問答無用で相手を殺すような御方だ。弟を巻き込んだこの騒動で穏便にことが済むことはあるまい。


「そっか……。そう考えると結構良いサプライズよね、この案。上手くいけばアークァスのお手伝いもできるわけだし……」

「そのへんの匙加減はおまかせします。私からのお願いとしては、なるべく早くこの領地の領主となっていただきたいということです。暫くは混乱続きとなるでしょうから……」

「わかったわ。私も早くアークァスに会いたいし!」


 この御方は言葉選びさえ間違えなければ、動かすことは容易だ。ただその動く先の結末が最善か最悪か、予想もつかないというだけ。

 ジュステル様がそうであったように、イミュリエール様を見れば他の領主達にも変化が現れるだろう。

 ああ、私は今正気なのだろうか。魔界の未来がとんでもない方向へと向かっている実感があるというのに、何一つ恐れを感じていない。只々、心が踊り続けている。




一般兵サロナイト君の物語はここからはじまる……のだろうか。

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― 新着の感想 ―
[一言] この姉と弟が居れば人類側普通に勝てそうな件
[一言] これはなかなか面白い一手であり、間違ったら盛大なマッチポンプ全バレの綱渡りな結果でもあるのね お姉ちゃん的には弟のそばにいられるから不満なさそうなのがある種の救い?だってこの人行動と思考が直…
[良い点] アークァスと激闘を繰り広げたジュステルの退場は残念でしたが、こうやって意志が紡がれていくのは良いですね! そしてお姉ちゃん領主! 今後の展開が全く読めません! 楽しみにしています!
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