剣は空より抜かれる。
戦場を駆ける勇猛さ、万人をも支配する恐怖、絶対であると語られる才能……領主となる者達の噂話を聞く都度に、果たして何を持ち合わせていれば、魔王と呼ぶに相応しいのかと考えていた。
自身が得た答え。魔王は力のみに在らず。各地の領主を束ね、魔界の未来を背負い、創始の女神ワテクア様の期待に応える者なのだ。
存在するだけで空気が澄み、周囲の者達が息を呑んでしまうような、至高の在り方。それが魔王として身につけるべき格である。
決してこのような、血塗れになりながらも口を歪めて笑うような狂気ではない。
「この期に及んで特異性ではなく、奥義だと?」
「……」
カークァスはもう口を開こうとしていない。構えたまま、その狂気に満ちた瞳で私を真っ直ぐに見据えている。
武人としての経験が告げている。この男は身体能力では私よりも下だが、武においては私よりも先の領域にいる存在だと。
構えから動かないことから、奴の奥義は十中八九返し技だろう。しかし返し技で上段に構える意味はあるのだろうか。普通ならば上下の動きに対応できるように中段、移動のし易さを考慮して下段に構えるのが普通だ。
……あの構えに意味があることは重々承知。一笑に付して攻めることが愚行であると、体が思考を求めている。
既にあの男の戦い方は分析できている。魔法ではなく魔力操作の応用を活かす純粋な戦士。魔力を体の仕組みとして熟知し、妙技とも言える高難易度の技を扱うことができる。
加えて異常とも言える集中力と判断力。アレに処理のミスという結果は存在せず、あるのは完全に部位が破壊されることによる行動不能からの詰みだけ。
何も問題はない。止血こそしているようだが、傷の治療はまるで行えていない。勝機を焦らず、力の差を最大限に活かしながら相手の消耗を待つ。それだけで相手は回避する術を失っていくのだ。
「……っ」
あの剣の特性についても問題はない。あれは握りの内部から刀身へと魔力が流れやすいように細工が施されている。鞘の中で魔力を満たすことで、自らの魔力を潤滑油として滑らかな抜剣が可能になるというだけの仕組み。
通常使用でも、カークァスの魔力操作において勝手の良さを向上させてはいるのだろうが……こちらが対処できぬような特異な力を持ち合わせているというわけではない。
なのに……何故私の体はこれほどまでに重い?これだけの分析では足りないと直感が警戒をしているのか?あの構えから繰り出されるのはそれほどの奥義だというのか。
一度だけ強く呼吸を吐き、自らの肉体に活を入れる。仮に直感が正しかったとして、ここで退く理由にはならないのだ。
分身体へと指示を出し、連撃の備えを行う。カークァスの対応能力は高く、そこから繰り出される反撃の一手ならば確かにこちら側へと刃を届かせてくるのだろう。
ならばその刃を分身体へと受けさせれば良い。仮にそれで一体の分身体が倒されようとも、高水準の戦闘能力を維持するための三体展開であって、魔力容量だけならばまだ余裕はある。
残り七体、倒されたとしてもこれだけの分身体と特異性を再展開できる。それまでに奴の奥義とやらを見切りさえすれば、完全に詰みだ。
「いかなる技であれど、関係なし!正面から捻じ伏せてこその誇示よっ!」
分身体と共に突進を行う。一体目は只管に一意専心の一撃を、二体目以降はその合わせ及び情報収集のための観察力強化も施す。
一体目で仕留められれば良し、それでダメでも二体目、三体目、そして私自身の追撃で多少なりとも損壊を与えられれば良いのだ。
脳裏にそれぞれの分身体の視点からの情報が送られてくる。カークァスは全体を見据えるようにこちらを見ており、どこかに意識を集中しているような感じではない。
一体目の斬撃が間もなく届く……感覚を強化、刹那を引き伸ばす。これまでならば、この時点で奴は回避行動へと移っていた。なのに今はまだ静かに構えたままだ。
更に距離が縮まる。既に回避は不可能。武器による弾きが辛うじて間に合う程度。そこまで迫ってようやく奴に動きが見えた。
重心を下げ、剣を僅かに動かしていく。それは斬撃ではなく、位置の調整。恐らくはこちら側の初撃を剣で受け流すか、弾くための角度調整なのだろう。
だがその動きは今までに比べ遥かに遅い。その速度ではこれまで通り、巧妙に衝撃を受け流すこともできないはずだ。
剣と剣が混じり合う。奴の剣が僅かに前に動く。一体目の剣は既にカークァスの肩へと斬り込まれる直前、それに対し奴の剣はようやく振り始めたばかり。無論先に相手の体へと刃を届かせるのは――
「――っ!?」
境地へ踏み込むことで引き伸ばされた時の中、カークァスの動きが加速し、視界から消える。
困惑の感情が湧き上がるのと同時に、脳裏へ分身体達からのありえない情報が流れてくる。
一体目は目前にいたカークァスが完全に消えたという情報。
二体目は一体目の体が両断されている光景。
三体目は一体目と二体目の体が両断されている光景。
そして今、私の視界には分身体全ての体が両断されている光景だ。
意識に反して体が沈む。よもやと思い、自身の体へと視線を向けると、分身体と同様に私の体も両断されていた。
何が起きた。分身体達からの情報を可能な限り再現し、再検証を行う。記憶をさらに引き伸ばし、カークァスの動きを追う。
剣と剣が混じり合い、触れ合った瞬間に奴はありえない加速で消え去った。その箇所へと記憶を巻き戻し、より詳細に分析を行い……判明した。奴の奥義の仕組みを。
「――奥義、『空抜き』」
まるで補足するかのように、後方でその技の名を告げるカークァスの声。そう、奴は空から剣を抜いたのだ。
抜剣術、鞘から抜き一撃を当てる工程のみを突き詰めた技。突然の襲撃、暗殺の方面で活躍していたと記憶している。
それを奴は行った。鞘から剣を抜いた状態で神速の抜剣を行ったのだ。
「私の……斬撃を……鞘に……」
仕組みを理解しておきながら、理解ができない。どんな原理でそうなるのか、どうすれば理論上として可能になるのか、何一つ理解が追いつかない。
だがそれでもはっきりと分かることがある。奴は私の魔力強化、速度を自らに加算した抜剣術を放ったということ。
騎兵の攻撃に騎馬の速度が加わるのと同じ。奴は分身体の斬撃へと着地し、その速度を奪い、自らの速度を加算した。
私の斬撃の内から、抜剣したのだ。その結果、私の最高速度を零とした神速の斬撃が放たれた。
◇
奥義『空抜き』ですか……あれは魔力を掴めるほどに魔力操作に長けた彼と、魔力を潤滑油として滑ることのできる鳴らずの剣があってこその技ですね。
刃を斬撃へと押し当て、一気に滑らせることで生み出される斬撃。ジュステルは目視することすらできていませんでしたが、放たれた斬撃の回数は四。直前に全体を見据えるように観察していたのは、起点となる場所を見極めていたのでしょう。自らを紫電として駆けるロミラーヤ=リカルトロープ、彼女の攻撃の際に行うルート設定に類するものですね。
ロミラーヤの時にはアークァス本人はそのルートを先読みできていましたが、あのように全体で観察され、脳内でルートを決定されては視線や挙動から動きを読むのは難しいでしょう。
後は敵の斬撃の上を発射台とし、自らの体と共に鳴らずの剣を放ち、その間にあったジュステルとその分身体の体を両断していった……といったところですかね。
音速で滑空する飛竜の爪も、その飛竜に飛び乗ればただの爪でしかない。
相手の速度を自らのものにすれば、そこに自らの速度を乗せた分だけ相手を凌駕することができる。
ならば相手の斬撃を鞘として抜剣すれば、相手の斬撃の速度をそのまま返せるのではないか。
そのような子供のような妄想を、結果にしてしまった。そこに魔法や特異性の特別な力なんて何一つ存在しないというのに。
惨殺の断崖の暴風、それらは言い換えれば全てがその身を斬り裂く斬撃。その中に巻き込まれながら編み出した新たな奥義……。
アークァスは消えていくジュステルの分身体と特異性の旗を見届けると、私の方へと歩み寄り、地面に倒れているジュステルを指しました。
「ワテクア、勝敗は決した。アレの治療を頼む」
「――良いのか?」
魔王カークァスとしては、ジュステルは自らの地位を脅かそうとする敵。アークァスとしても人間界を護る上で排除しておきたい相手のはずです。
彼は小さく笑い、承諾の意を示します。
『心は折れなかったからな。表立って対立してくれる顔になってくれた方がありがたい』
『なるほど』
戦闘不能となり、敗北を受け入れつつあるジュステルですが、カークァスを魔王として認めているかは別の話。自らの命が消えそうな状態でも、その葛藤が続いているのは流石というべきですか。
ここで命を救っても、ジュステルはカークァス派に加わることはないでしょう。ですが様子見が多い領主達の動きを考えるに、ジュステルが表立って動いてくれた方が他の領主達の動きを抑える役割を狙えそうです。
魔法を使い、両断されたジュステルの体を移動させ、簡易的に接着。多少の治療魔法を施せば、領主クラスならばあとは自力で治癒できるでしょう。
「それではこの戦い、決着とする。これにより二ヶ月、カークァスの試用期間を延長するものとする」
真っ先にその場を離れたのはアークァス。他の領主達は少しばかりその場の余韻を味わいつつ、各々のタイミングでその場を離れていきました。
魔王控室へと戻ると、アークァスは鳴らずの剣を壁へと立て掛け、ベッドの上に倒れ込んでいました。
「治療いりますか?」
「頼む」
気合で再生できる魔族と違い、人間は簡単には治りませんからね。魔法で傷を丁寧に縫合していきます。
ジュステルとの戦いで、彼は全身に無数の切り傷を受けています。全てが致命傷を避けたものですが、これだけの数を受ければ普通に失血死してもおかしくない傷です。
ですがそれ以上に酷いのは、奥義『空抜き』の反動ですね。自らよりも遥かに高い身体能力を持つジュステル、それを凌駕するほどの神速の抜剣術。それを都合四回、瞬間に魔力強化を強めていたとしても体に掛かった負担は相当なものです。
もしも生身のままであの奥義を放っていれば、初撃の段階で腕が引き千切れていたのでしょうね。
「最初から放っていれば、特異性を使われる前に倒せたでしょうに」
「それじゃあ欲が生まれないだろ」
「……そうですね」
アークァスは手を抜いていない。ジュステル相手に特異性を使わせ、その猛攻を受けきった上で奥義を持って倒してみせた。
特異性を使用せずにジュステルを倒したことは、他の領主達にとっては驚異的なことですが……彼等にとってアークァスが絶対的な存在に映ることはないでしょう。
度重なる負傷、傷を治癒できない、奥の手を躊躇なく使用する。近接戦においては挑む気も減ったでしょうが、純粋に倒すと言うだけならば勝機を見出した領主も少なからずいることでしょう。
カークァスに勝ち目がないと判断し、それでも配下にならない場合、領主達は各々で人間界への侵攻を考えてもおかしくありません。それが可能であると理解している者達が多い状況ですし。
ですが二ヶ月後には自分が魔王になれるかも、そう思うことで少なくともその二ヶ月の間はその領主を大人しくさせることができます。
「いやぁ、良かったなぁ……」
「ジュステルは強かったですか?」
「ああ。ヨドインから鳴らずの剣を貰って、惨殺の断崖で空抜きを編み出してなけりゃ、かなり不味かったな」
「相手の斬撃を鞘として放つ抜剣術。本当にでたらめな奥義ですね。剣術を極めたと言っても過言ではないのでは」
「過言だっての。剣術を極めたってのは、姉さんみたいな人のことを言うんだよ」
「あれは……少し違うような気もしますがね」
そういえばそのイミュリエールですが、聖剣を盗んで村を出てしまったとの報告があったのですよね。聖剣が村から離れることは一度や二度ではありませんし、そもそも勇者も誕生させていない現状、気にすることではないと放置していますが。
一応言っておくべきでしょうか?まあアークァスを求めて村を出たわけですし、放置していれば勝手に合流するわけですから、言わなくても良いですね。
「はい、終わりましたよ。傷が見えなくなるように治療しましたが、完全には治っていません。暫く鍛錬は控えめにしてくださいね」
「ん、凄いもんだな」
「女神ですから。もっと褒め称えても良いのですよ」
「ああ、皆に余計な心配をさせずにすみそうだ。ありがとう」
「……もっとこう、態度で示してほしいものですが」
面と向かって礼を言われるとやはり気恥ずかしく感じるものですね。とりあえず茶化したくなったので、ハグを要求。
「怪我人にハグさせるなっての。夕飯でも奢ってやるよ」
「それは良いですね。貴方の質素な家庭料理は中々味わい深いものがありますから」
着替えを済ませ彼の家へと戻ると、ちょうど来客があったのか、彼の家の扉を叩く音が鳴り響く。
互いに少しだけ目配せをし、アークァスは玄関へ応対に、私は彼のベッドの上に寝転がることに。
「いや、寝転がる必要はないよな?」
「寝室でじっとしているのも暇なんですよ」
「別に女神だってことをバラさなきゃ、問題にはならないだろ」
「それもそうですね」
多分彼に密かに想いを寄せている冒険者ギルドの受付嬢とかなら、涙目になって逃げ出すことになりそうなのですが、そこは触れないことにしておきましょう。
「ノックの音からして、女性だな。割と体を鍛えていて、そこそこ身長も高い。ただマリュアにしてはノックの仕方が荒い。軍人というよりは一般人だろうな。んー街の外からの来訪者か?」
「特定し過ぎでちょっと気持ち悪い」
「お、やんのか」
アークァスが玄関の扉を開くと、そこにいたのは確かに女性でした。スポーティなショートヘアにアークァスと同じくらいの背丈、全身無駄なく引き締まっており、冒険者かそれに類する戦闘経験者のような風格です。
「アークァス!かなり久しぶりなのにすぐに分かったよ!大きくなったなー!」
その女性はアークァスの姿をみるや、嬉しそうな表情でアークァスに抱きつきます。大丈夫ですかね、この人。そんなことをすれば、アークァスは問答無用で投げ飛ばそうとしてくるのですが――
「ネル姉!?うわぁ、久しぶりだなぁ!」
アークァスの方も嬉しそうに軽めではありますが抱き返しています。あれー?
ネル姉ということは、姉?いえ、アークァスの姉はイミュリエールただ一人のはずですが、そうなるとご近所とかそういった感じでしょうか。
ネル姉と呼ばれた女性はアークァスを抱きしめながら、彼の全身を撫で回しています。
「へっへっへ、良い感じに育っているじゃないのさ!でも実戦向けの付け方だなぁー」
「そうやって人の筋肉撫で回すのは止めなよ、ネル姉……」
「良いじゃん、減るもんじゃなし。私の腹筋も撫でてみる?」
何者なのでしょうか。私が同じことをしたら家から蹴り出されるくらいのことを平然とやっているのですが、アークァスはほとんど困っているようには見えません。
「いや、遠慮しておくよ。撫でたら倍撫で回されるし」
「へっへっへっ、おなごの腹筋は倍の価値があるからね。って、そっちの人は?もしかして彼女!?」
「そんなところです」
「うぉい」
『下手に説明するよりそう言った方が早くないです?』
『あー……うん。まあネル姉だし、いっか』
「え、違うの?」
「いや、限りなくそんな感じ」
「そうなの!?今謎なアイコンタクトしてたよね!?」
戦闘経験豊富そうなだけはありますね。今の一瞬で私やアークァスの視線の動きを完璧に捉えていたようです。
「ああ、知らないようだし、説明しておくか。こっちはネル姉ことネルリィ=ファクスター。関係としては姉さんの親友……近所づきあいのあったお姉さんってところかな?」
「そりゃ知らないでしょうよ。アークァスも隅に置けないねぇ、こんな女神様を彼女にするなんて……ってあれ、女神ウイラス!?」
「ダメじゃん、秒でバレてるじゃん」
あれ、おかしいですね。神気は確かに抑えているはずなのですが……。って、あ、思い出した。
「そういえばこの人、昔間違えて夢で神託を授けてしまったことがありますね」
「そうそう、昔夢に出てきて『あ、間違えました。忘れてください』って去っていったウイラス様じゃないですか!流石に覚えていますよ!」
「なに間違えてるんだよ、お前」
「いえ、そのことについては弁明をさせてください。リュラクシャに住む者達は使命感を持って聖剣を護っています。古き伝統を護り、村の発展よりも使命を重んじる。その姿勢を私としては少なからず評価するべきであると思っているのです」
「それは知っている」
アークァスもリュラクシャ出身ですからね、村の在り方なら私と同等以上に知っているのでしょう。
「ただ時間の流れというものは残酷でして、特に勇者や魔王が誕生していない期間ではそういった使命感は薄れてしまいがちなのです」
「それはそうだろうな」
「そのことが原因で、村で亀裂が生まれる光景も珍しくはありませんでした。なので定期的にリュラクシャの村長に簡易的な神託を授けるようにしているのです」
「女神ウイラスからの神託があれば、信仰心と使命感を維持しやすいと」
「はい。ですからリュラクシャの村長には代々私に対して強い信仰心、聖剣を護るという強い使命感を抱いた者が選ばれているでしょう?」
アークァスとネルリィは互いに顔を見合い、コクリと頷く。
「私が夢で神託を授ける際、夜の村の中から村長を探す必要がありまして。その際、強い信仰心と使命感を目印としていたのです」
「つまり、ネル姉が村長よりも強い信仰心と使命感を持っていたってことか?」
「えー、でも私そんなにウイラス様一筋ってわけじゃないですよ?」
「女神に対して素直過ぎませんかね、この人。まあ実際にその通りではあるのですよ。ただこの人の信仰するものが別物だったという話です」
「……ああ、筋肉か」
納得したアークァス。そうなのですよ。私がネルリィの夢に入り込んだ時、この人は夢の中で無数の筋肉質の男に囲まれ、謎の儀式を行っている夢を見ていました。
その際に目が合ってしまい、『あ、間違えました。忘れてください』とその場を後にしたのです。
「つまり、私の筋肉に対する信仰心は、長老のウイラス様への信仰心よりも上と」
「もの凄い不服なのですが、そうなのですよね」
「いやぁ、夢の中で私主催の筋肉隆起大会を開いていたら、場違いな美人さんが現れたから、長老に容姿を説明したらそれはウイラス様に違いないって言われたのを覚えていたのよ!」
「たまにいるんですよね。長老よりも強い信仰心や使命感を持つ人が。まあそれが筋肉に対してというのは前代未聞でしたが」
「にへへー」
リュラクシャって変人しかいないのでは。いや、でも長老とかは比較的普通だったはずなのですがね……。
「ネル姉は変わらないなぁ」
「アークァスの方はいい男になったじゃん。でも筋肉がねぇ……自然体過ぎて足りないわ。もっと魅せる筋肉を身に着けなきゃ!」
「そう言いながら人の尻を撫でるの止めてもらっていい?」
アークァスが強引に引き剥がそうとすると、彼の眼前に真面目な顔を近づけるネルリィ。
「仕方ないのよ。リュラクシャには大人の男性はいないでしょ?そして私は初めて村の外へと出て、大人の男性の筋肉を見ることができたの!初めて見る実物、そりゃもう愛でたくて仕方ないの!」
「仕方なくないよ」
「だけど見ず知らずの男の尻を撫でたら逃げだすじゃない?じゃあ知り合いの尻を撫でるしかないじゃない!」
「俺も逃げたいよ」
「もう、私の方も撫でていいから!」
「絵面が酷くなるから嫌だって」
あのアークァスが圧されていますね。いや、アークァスでなくてもこんな変人相手に強気に出れる人間なんてそうそういないと思いますけど。
「仲がよろしいですね、お二人さん」
「まあ気は合う方だな。異性としてはなしよりのなしだが」
「こいつぅ。でも私もアークァスはちょっとね。こういう戦うことしか考えてない筋肉は愛でにくいし。そんな腹筋じゃ枕にもならないわ!」
「人を腹に乗せて寝たくはないな」
何が凄いって、お互いベッタベタにくっついているのに、本当に異性としての意識が皆無なのですよね。これ受付嬢が見たら凍りつきかねない光景だと思うのですが。
ああ、そうか。既視感を覚えていたのは、戦闘時にハイになるアークァスのソレですね。この人異性の筋肉に対して親しいテンションになっています。つまりは愛でる対象が違うだけで、同類と。
「それで、ネル姉はどうしたのさ。あ、姉さんは元気?」
「ああ、それそれ。イミュリエールが村から聖剣を奪って出て行っちゃったのよ」
「えぇ……。尻を撫でられながら聞きたい話じゃない……」
「逆に尻を撫でられながら聞きたい話ってあるのでしょうか」
長老相手には比較的マシに見えたのに。
ちなみに今のネルリィですが、町中で男の筋肉を見て、戦闘中のアークァスのようなテンションに近い状態です。