後出しジャンケンの「血統」
少年漫画の黄金期を支えた「友情・努力・勝利」ですが、この三本柱の衰退に代わって表舞台で活躍しだしたのが「血統」です。というより黄金期に既にあった「血統」要素。これを大きく前面に出した、といったところでしょうか。
少年漫画だけでなく、青年漫画、ライトノベルの主人公を思い浮かべてください。大抵は強力な親の存在があるのではないでしょうか?そう、どこもかしこもサラブレッド並に血統信仰があるのです。
しかしながら、この優秀な親の存在を開始早々から着目させる作品はあまり見ません。恐らくですが、書き手の方々は連載開始時にはまるで意識していなかったのではないのでしょうか。このことは後に不都合を、というよりご都合主義を生むことになってしまいます。しかし、初期構想の段階で親のDNAを頼る主人公にしようとは、確かに考えないですね。
むしろ主人公のライバルが「良血」として描かれることが多いでしょう。そこへ挑む姿勢に読者は入れ込む。これが序盤の構図となるはずです。
そう、当然ながら「血統」は生まれもったものです。明白です。だから「良血のライバル」のように最初からの描写が正しいのです。しかしパワーアップツールとしての「血統」は、基本的に後出しジャンケンで登場します。
話が進み、主人公がどうにもしがたい困難に陥った時、彼らは自身の特別な「血統」から「覚醒」を遂げて見事に敵を打ち砕くのです。当然、描き方によって違いは出るのでしょうが、基本的には寒いものになってしまいます。
「こんなこともあろうかと―――」と言って急に現れる科学者と大差ないです。そこで持ち込まれた最新化学兵器を使って難敵を撃破!これと同じです。いやあ、めでたくない、めでたくない。少なくとも私が望んでいたものとはかけ離れています。
一体なんだってこんな事態になるのでしょう?
原因はだいたい同じで、パワーインフレです。
強敵を倒すと、さらなる強敵が出現して、そいつにギリギリのところで勝利すると今度は・・・これを繰り返していくと「努力」や「チームプレイ」といった、手持ちのカードをどんどん切っていくことになります。そうして、もはや手札がなくなってしまった時。そこで「生まれ持っていたもの」を懐から出すのです。おおよそ公平ではないですが、「主人公補正」には一度くらい目を瞑らなくてはいけないでしょう。
そして、良いのか悪いのか、この時点で、「主格」と「凡夫」の区別がされます。これ以降は修行イベントがあっても習得するモノには圧倒的な差がつくでしょう。「覚醒」も同じです。「凡夫」には無縁の言葉となっていくのです。
「血統」を忌み嫌うわけではありません。下級戦士から生まれて地球で育った孫悟空が初めて超サイヤ人に覚醒する展開は今でも熱いものがあります。「良血」であるベジータの「お前がナンバーワンだ」という台詞だって「血統」が絡んでいなければ出てきやしません。
パワーインフレの総大将である『ドラゴンボール』がこれほどまでに上手く「血統」を使っているのです。その後発組が場当たり的に描き散らかしていいはずがありません。
後出しジャンケンにもやり方があります。
この事は決して軽く扱ってはいけないのです。