「努力」という曖昧模糊とした概念
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
ボクシング漫画『はじめの一歩』の鴨川会長のセリフです。
力強く、妙に説得力のあるこの言葉は様々なところで引用されています。漫画を読んだことない方でも一度は目にしたことがあるのではないのでしょうか。
しかし、どうなんだろう。
このセリフは鴨川ジムの鷹村守が世界ジュニアミドル級タイトルマッチへ挑む際に投げられた言葉です。今では竹原慎二と村田諒太がミドル級で世界王者になっていますが、『はじめの一歩』の時代背景は80年代であり、中量級ボクシングにおいて日本人が世界戦で活躍することはまるでありませんでした。
つまり、ひとつボクシングの方向へ踏み込んでみれば「努力した者が全て報われるとは限らん」はちょっとした言い間違いなのです。正しくは「努力した者が全て報われていない」なのです。
また、鴨川会長は鷹村と出会った頃を思い出して「磨く必要のない原石」と称しています。さすがにこれは日本王者レベルで語っているのでしょう。ただ「ある程度の成功」ならば努力せずとも得られるということを鴨川会長自身が理解していたはずです。
そういった経緯を読んでいるので、切り取りされた鴨川会長の言葉を見かけても、乗り切れないところがありました。
最近私が「これ、いいな」と思った、努力に関する言葉があります。ゼロ年代の格闘技ブームを牽引してきた魔裟斗さんのものです。
「努力は必ず報われますよ。報われるまでやるのが努力なんだから。」
報われないようなモノは努力とカウントされないのです。リアリストの極地みたいな発想ですが、個人的には好きです。こう、息をするかのように努力を積み上げる人っていますよね。「よーし、努力するぞ!」ってタイプでは勝ちようがない。
「どんなに才能の差があっても努力でカバーしてみせる!アイツの2倍、駄目なら3倍の練習をするんだ!」
どの作品の誰の台詞か分からないほど色々なところで見かけます。おかしいでしょ。まず、相手はどれだけ練習してない人間なの?仮に一日一度しか練習しないとすれば3部練で3倍にできますけど、相手に2部練されたら6部練するのですか?24時間は平等なんですよ?
3倍練習マンには非常に有名なフロイド・メイウェザーの言葉を送らせてもらいます。
「お前が休んでる時、俺は練習をしている。お前が寝ている時、俺は練習をしている。 お前が練習をしている時、もちろん俺も練習をしている」
こんなのが相手ならどうでするのですか?3倍とはいかなくても、2倍でもいいですよ。1.5倍でも構いません。うん?どうですか?
「友情・努力・勝利」が廃れても、努力が消えることはありません。
しかし「俺だけの努力」は時代に合わなくなったのでしょう。
まあ、突き詰めると「今まで手を抜いていました」になってしまいますしね。