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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第一章 リッチのリチャード
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単調な子守唄

 レヴナントのレヴィは、それから入り組んだ坑道を中心に動くようになった。

 人気なく不気味な坑道は大空洞と比べるとあまりに殺風景であったが、再び恐ろしいグリムリーパーに遭遇したらと考えると、戻る気にはなれなかったのである。


 飢えも乾きもなく、折れている足も痛まない。心臓は鼓動を失い、熱はなく、呼吸も必要としない。

 自分の身体が、神父の説教に聞くアンデッドのそれであることはなんとなくわかっていたが、彼女自身はそれに特別な忌避感を抱くことはなかった。

 それは彼女が慈聖神を信仰していなかったということもあるし、もう二度と飢えや渇きに苦しまなくても良いという身体は生きる上で都合が良かったからであろう。


 坑道内で、レヴィは何度か不死者たちと遭遇することがあった。

 グリムリーパーのこともあったために最初こそ驚き逃げていた彼女だったが、出会うアンデッドのほとんどはスケルトンかゾンビであり、会話どころかレヴィの存在すら認識できていないように見える。

 そのことに気付いてからは、レヴィも彼らを特別避けることはせず、たまにそっと跡をつけては観察するようになった。


 坑道をさまようアンデッドたちは、時折奇妙な動きを見せることがある。

 彼らは時折立ち止まり、苦しむように頭を押さえて悶え、逃げるように道を引き返してゆくのだ。


 苦しむ姿を見せる際には必ず、彼らの前に彫像やレリーフが存在する。


 不恰好な坑道内には、アンデッドを苦しませる芸術品で溢れていたのである。


「……怖い」


 レヴィも時折、足を止めてそれをじっと見つめることがある。

 アンデッドが本能的に嫌うその芸術作品のほとんどは、レヴィにとっても恐ろしいと思えてしまうものであり、中には数秒と直視できないようなものまであった。

 反面、いくら観察してみても、どの角度から眺めても一切の恐ろしさを感じない作品と出会うこともあるのだが、レヴィの他のアンデッドがそれを極度に恐れる場面に遭遇したことも多い。

 そのことからレヴィは、アンデッドによって好き嫌いが違うのだろうと考えた。グリムリーパーが自分を無視して逃げ去っていったのもそういうことなのだろうと納得しているし、そのことが間違っていないという確信もあった。


「……私、これからずっとここにいられるのかな」


 不死者は飢えない。呼吸も必要ない。

 水汲みも、説教も、労働もない。レヴィの現状は、孤児院にいた頃よりもずっと穏やかだった。

 皮肉な話だが、彼女は死後になってようやく落ち着いた時間を過ごせるようになったのだ。


 それでも坑道の作品をゆったりと見て回っているうちに、考えてしまうのだ。

 今の自分の穏やかな時間は、果たしていつ終わってしまうのだろうかと。


 形あるものはいずれ必ず壊れ、崩れてゆく。

 レヴィはアンデッドとして二度目の生を受け、不死者となったが、しかし不死者であっても永遠の存在ではない。

 恐ろしい作品たちはそのことを淡々と語り、突きつけてくる。


 事実、グリムリーパーのような凶暴なアンデッドに襲われてしまえば、レヴィの終わりはすぐにでもやってくるだろう。

 レヴィは自身の終わりが恐ろしかった。


「お兄ちゃん……」


 死が恐ろしい。そして、今の孤独も同じくらい恐ろしい。

 自分の人恋しさは不死者たちと触れ合うことで癒される予感があったし、大空洞にひしめく彼らの中からはもしかすると兄が見つかるかもしれない。

 だが大空洞にはグリムリーパーがいる。自分が死ぬのは恐ろしい……。


 レヴィは何日も何日も、死の芸術たちが語る終焉を聞かされながら、孤独と戦っていたのである。




「……?」


 ある日、レヴィは見慣れないアンデッドを見かけた。

 スケルトンやゾンビとは違う、不安定な歩き方をしないアンデッド。

 杖をつき、罪人のローブを着込んだ奇妙な白骨。


 最初こそその珍しいアンデッドを警戒し遠目に見つめるだけだったが、やがて長い孤独に負けて決心したのか、レヴィは一度だけ強く頷くと、そのリッチのあとを追いかけることにした。


 リッチは坑道を歩き、時折立ち止まる。

 他のアンデッドとは違い、彼は作品の前で立ち止まることがない。

 彼は常に何もない壁面や岩の塊の前などで静止する癖があった。

 そしてそれを様々な角度から観察したり、撫でたり、揺らそうと掴んだりする。

 一言も言葉を発さない静かなアンデッドだったが、レヴィにはその寡黙な姿に確かな知性を垣間見ていた。


 やがて、リッチは傍に杖を静かに置くと、ローブの懐から一本のノミと、小さな槌を取り出した。


 そして何度か岩の塊の表面をノミでなぞった後。

 彼は岩に刃物を突き立て、作品作りを開始した。


「あっ」


 その姿は間違いなく、芸術家か職人のそれ。

 レヴィは目の前にいるリッチが坑道の不気味な芸術品の主人であることに気づくと、思わず声をあげてしまった。


「あ……」


 レヴィの漏らした声を聞き取ったのだろう。リッチは……リチャードは振り向いた。

 彼は岩陰にひっそりと半身を隠したレヴィをしばらく見つめた。その間彼は何も言葉を発することなく、ただ思案するようにじっと沈黙しているのだった。


「あ、あの……私、レヴィっていいます……」


 レヴィは何をどう言い訳すればいいのかも分からず、とりあえず名乗った。

 リチャードはそれに対して、自分の歯列の前に人差し指を立てることで応えた。


「え……」


 シー。静かに。黙れ。

 リチャードがそうジェスチャーで示すと、レヴィは口を噤んだ。

 しばらくレヴィが両手で口を覆っていたが、やがてリチャードは満足したように一度だけ大きく頷いて、再びノミを握りしめた。


 そして槌を振るい、岩を削る。

 狭い坑道に破砕音が反響し、一定間隔で小気味よく続いていく。


 その無機質な、しかし人の手により生み出された音の連続は、岩を削るということ以上の意味を持っていない。

 だがレヴィにとってその音は、自分以外の誰かの日常がすぐそこにあることの証明であり、不思議と心が落ち着く鼓動のようにも感じられた。


「……」


 レヴィは行き止まりで彫刻作業を続けるリチャードを視界の片隅に留めながら、しばらくは穏やかな心地で作業音を聴き続けていたのだった。




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