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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 ノーライフキングのノール
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嘆き

 殺さなければ。


 パトレイシアの中に残った思考はそれだけだった。

 恐怖は当然あったが、魔法士としての経験がただ立ち竦むことの愚かさをその魂に焼き付けていたのか、ノールの威圧に屈することはなかった。


『“マギ・ロウタス”!』


 パトレイシアの足元に魔力が蓮の花を形成され、勢いよく回り始める。周囲で眠れる魔素を目覚めさせ、術者の魔法行使を補助するものだ。

 相手が同技術を扱う魔法使いであれば逆利用される戦法だったが、パトレイシアはノールが魔法使いでないことを知っている。


『“アトラ・メイルザミア”!』

「補助魔法に防御構築魔法。なんともまぁ消極的な戦術よ」

『!』


 ノールは魔法を扱えない。それは正しい。

 だが知識として無いわけではない。彼は己に扱えないとわかっていても尚、魔法については学んでいた。


「宮廷魔法士が聞いて呆れるわ。クカカカカ……やれ」


 指をさして、その一言だけだった。


 たったそれだけで、ノールの背後より蠢いた影は鎌首をもたげ、即座にパトレイシアへと襲いかかってきた。

 悲鳴すら上がらない衝撃。霊体にすら及ぼされる激痛。


「避けたか。しぶとい奴よな」

『……ドラゴン、ゾンビ……!』


 魔法障壁を一撃で突き破ったのは、玉座の背後で臥せていた巨大な竜の骸であった。

 黒く爛れた顎先には霊体化したパトレイシアの右腕が咥えられ……それは今まさに、彼女の目の前で噛み砕かれた。


 防御をものともしないドラゴンという種としての暴力。

 幽体に干渉できる圧倒的な魔力。

 そしてそのドラゴンゾンビがノールに忠実に従っているという事実。


「生きていた頃は枷を無しには手のつけられん馬鹿な奴だったが、死してようやくペットらしくなった。これもノーライフキングとしての力を極めた恩恵よ」


 虚ろな眼窩の腐れ果てた竜が、パトレイシアの生み出した蓮の花に食らいつく。

 濁ったよだれを滴らせながら魔法の蓮の葉を喰らい尽くすと、ドラゴンはじっとパトレイシアを見つめた。


「さて、次はどうする? ん? 攻撃魔法でも唱えてみるか? どんな手を打つ?」


 勝てない。

 パトレイシアの中では既に、戦うという選択肢は残っていなかった。


 事前準備が足りなすぎたのだ。

 やるならばノールが目覚める前に、ドラゴンゾンビを操れるようになるよりも先に力をつけるべきだった。

 自我を得た瞬間から無慈悲に民を殺して回り、レイスとしての力を蓄積し続ける他に手立てはなかったのだ。


 時既に遅し。

 逃走経路は咄嗟に脳裏に浮かんだが、パトレイシアには逃げ切れる気もしなかった。


『やめてください!』


 玉座の間に声が響いた。

 パトレイシアのものではない、女性のように高い青年の声だ。


「……他にもいたか」

『パトレイシアさんに手を出さないでください……!』

『エバンスさん!』


 階段を登りきったエバンスは、一部始終を見て状況を察していた。

 深く考えるまでもない。かつての狂王が再び力を振るい、人を傷つけているということだろう。

 それはエバンスのすぐ後ろにいるレヴィからも明らかだった。


「エバンス。ああ、“あのエバンス”か……」

『もしこれ以上パトレイシアさんを傷付けるのであれば、僕は全力で叫びます』

「やれ」

『え——』


 間髪入れなかった。

 躊躇も交渉の余地もない。


 ノールが機械的に発した命令はドラゴンゾンビの巨躯を動かし、一瞬でエバンスの胴体に食らいついていた。


『ガッ……!?』

『そんな、やめて!』

「本気で叫ぶ。つまりはバンシー。音の速さで人を殺める化け物も、人並みに初動を躊躇すればこの程度よな。仮に叫べたとして、我が傷を負ったとも思えぬが」


 ドラゴンゾンビに噛み付かれたエバンスが、ノールのすぐ近くにまで運ばれる。

 エバンスは既に体から霊子を散らし、重体であることが伺えた。


「や、やめ……エバンスさん……!」

「そこのもう一人は……雑魚か。後で我が直々に処刑してやろう。……さて、どうするパトレイシアよ。貴様の働き如何では、こやつの死に方を選ばせてやっても良いが?」

『ぁ、ああああっ……!』


 腐臭の漂うドラゴンゾンビの顎が、少しずつエバンスの矮躯を押しつぶす。

 幽体に食い込む竜牙の激痛は凄まじく、エバンスは叫びたくとも腹に力が入らなかった。


『私に……私にどうしろというのです!? ノール!』

「抵抗することなく我が支配を受けよ。貴様の力はそれなりにあるし、幽体は便利だ。使い道はいくらでもある……我が支配を受けるのであれば、この小僧を楽に死なせてやっても構わんぞ?」


 それは選択肢のない交渉だった。

 ノールは元より生かすつもりはない。苦しみが付随するか、奴隷に成り果てるかの違いばかりだ。特にエバンスなどは殺すことは確定している。


「下等な芸術家を生かすつもりはない。当然こやつもな? カカカカ……助命は許さぬ。さあ、選べパトレイシア。どうする? ん?」

『歌、を……!』


 それでもまだ、エバンスの目は死んでいない。

 彼はすぐ近くのノールを睨みつけ、荒い吐息と共に声を発していた。


『歌は、芸術は、止められは、しません……! 劇団長も、言っていた……誰かが殺しても、焼き捨てても、良いものは絶対に、受け継がれるんだ……!』

「……」

『けど、悪いものは続かない……滅びるんだ、いつか必ず……!』

「死刑」

『——』


 ドラゴンゾンビの顎が勢いよく閉ざされる。


 エバンスの体はその一撃で散り散りになり、煙のように呆気なく消えた。


「……え……」

『ぁあ……!』


 一瞬のことだった。レヴィは何があったのかも理解できず、パトレイシアも目に涙を浮かべる以上のことはできない。


「歌。詩。劇。くだらぬ。芸術などくだらぬ。統治を妨げる最たるものよ。国賊どもが流布するそれらに一体何の価値がある?」

「——いやぁあああああっ!」


 レヴィの叫び声が玉座の間に木霊する。






 “……うるさい。”



 玉座の間へと続く大階段の下で、リチャードは反響する嘆きを聞き取った。


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