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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 ノーライフキングのノール
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一人目ではない革命家

『“アトラ・カダル・アクレイシア”』


 銀色の波動が薄く引き伸ばされ、宙を駆ける。

 平地から150cmの高さで発動したそれは、射程にある存在を鋭く切り裂く魔法の斬撃だ。


 敵や味方を選別できる類のものではない。

 しかし、レヴィの背丈を知るパトレイシアはこの魔法によって彼女の身が傷つくことがないとわかっている。


 結果生まれるのは頭部を切断された不死者の群れ。

 アンデッドとして生まれ変わっても尚受け継いだ弱点を両断され、遺骸は力なく地面に倒れ込んでゆく。

 ほぼ万全な状態で残った胴体は後続の不死者たちの歩みを阻害し、行く手を阻んだ。


『パトレイシアさん……』

『大丈夫です』


 もう何百体の不死者を倒したかわからない。

 パトレイシアの魔法の力は既に人の領域になく、レイスという種族に収まるものですらなくなっていた。

 終わることのない不死者の葬送。パトレイシアはその処理について、考えることを放棄しつつある。


『! レヴィさん……!』


 そんな最中に、目的の彼女の姿を見た。

 虚ろな目をした少女がおぼつかない足取りで歩き、こちらに近づいている。


 不死者を何体も斃している間、パトレイシア達の中では“既に先に玉座に到着しているのではないか”という疑念に苛まれていた。

 だがそれは杞憂だった。レヴィはまだ殺されていない。


『レヴィさん! お気を確かに!』


 パトレイシアが不死者の群れに並ぶレヴィのもとに飛び込み、華奢な肩を掴んだ。

 莫大な魔力量は霊体をより確かなものに変え、既にパトレイシアは自らの意志で実体を持つことを可能としている。

 掴み、揺さぶる。だがレヴィの返事はない。


『あっ……』


 それどころか、強引に身を捩って抜け出されてしまった。

 いくらパトレイシアが実体化の力を高めていようとも、強化されたレヴナントの抵抗を妨げるほどではなかったのだろう。


『レヴィちゃん! ダメだよ、そっちに行ったら……!』

『止まってください!』


 レヴナントは使役されるアンデッドである。

 支配者の最たるものであるノーライフキングとの相性は最悪であり、下された命令はそう容易く遮ることはできなかった。


「ぁあ……あぁあー……」

『レヴィさん……!』


 不死者の本能で動き、止まることのないレヴィ。

 もはや立ち止まらせるためには拘束する他に手段はない。パトレイシアは素早くそう判断した。


 四肢を凍てつかせれば動きを封じることは容易だろう。それから岩石でも何でも使えばひとまず無力化はできるはずだ。決して難しいことではない。


 しかし、それをいたいけな少女相手に。

 そう考えた時、パトレイシアはどうしても魔法を放つことができなかった。




『──さあ、ともに唱おう 盃を持ち、薄めたエールを飲みながら……』


 階段を登るレヴィの背に向けて、エバンスがささやかな歌声を響かせた。

 それは引き裂く力を持つバンシーの乱暴な絶叫とは程遠い、理性的で、文化的な歌である。


『──塩を舐めればそれでいいのさ 明日はもっと美味い飯が食える 明日の俺たちはもっと幸せだ』


 少なくとも劇場に響き渡るような、聴く者を感動に打ち震わせる類の曲ではない。

 華美な服に身を包む貴族達の間で流行した、国を代表する曲でもない。


『──だから今はもう一杯だけ、ともに飲んで唱おうか 今の幸せは明日に無いから 明日をより良くするために 今を泣かずにいるために……』


 エバンスは歌という芸術に携わる人間であり、その歌によって魂を揺さぶる力はリチャードと通じるものこそあったが、決定的に違う部分がある。

 それはリチャードが彫刻によって芸術を生み出す創造者であることに対し、エバンスはあくまで既に存在する曲を発信する表現者であるという点だ。


 エバンスは曲を作り出すことはできない。あくまでも自分が持ち合わせている曲を表現する芸術家だ。

 だからエバンスは今歌うべき最適な歌を知らない。操られたレヴィを引き止めるための最適な歌などわからない。


 だから彼はこの曲を歌ったのだ。

 かつてレヴィが聞いてくれて、拍手してくれた貧民街の流行歌を。

 それから事ある度に遠慮がちにリクエストしてくれた、きっと彼女のお気に入りであるはずのこの歌を。


 それ以外に引き止めるための手段()は知らない。

 エバンスにとっては一か八かの賭けだった。


「――……あ、ぁあ……あ……?」

『……レヴィちゃん!』

「エバンス……さん……?」


 だがレヴィは歩みを止めた。

 立ち止まり、虚ろだった目に微かな光を取り戻し、振り向いた。

 何があったのかと不安そうに呆けているが、人間らしい表情を見て、エバンスは胸にこみ上げてくる感情を堪えきれなかった。


『良かった……!』

「……エバンスさん、どうしたんですか……?」

『大丈夫だよ、もう大丈夫! 良かった、無事で……!』


 幽体の身体ではレヴィの肉体に干渉できないことを承知で、エバンスは彼女の頭をそっと抱え込む。

 チリチリと肌に触れる幽体のこそばゆい感触にレヴィは擽ったそうに目を細めた。


「……泣かないでください、エバンスさん」

『うん、ごめんね……でも本当に良かったよ……!』


 レヴィは未だに何が起きているか理解していなかったが、安心感に表情を綻ばせた。


『……ご無事で何よりです、レヴィさん』


 結局、パトレイシアは力になれなかった。

 洗脳されたレヴィの心を取り戻したのはエバンスの歌声で、魔法による力ではなかったのだ。

 自分が役に立てなかったのは少し悔しくもあったが、レヴィが救われたことは素直に喜ばしい。


 しかし、まだ終わってはいない。パトレイシアは実体化した身体でレヴィを抱きしめられるほど悠長な思いは抱けない。


 ノーライフキングはいつでも指令を下せるのだ。

 その気になればまたレヴィを操ることもできるだろう。そうなれば再び洗脳され、エバンスの歌が必要になる。エバンスが近くにいなければそれこそ次は力づくで拘束しなければならなくなる。


『……ノールを、討たなければ』

『! ……パトレイシア、さん?』


 パトレイシアの視界に映るのは、人間性を取り戻した大切な二人の臣民。

 そして床に散らばる無数の不死者。かつてのバビロニアの民であり、己で手を下した犠牲者たち。


 既にパトレイシアは数え切れないほどの不死者を滅ぼした。

 もはや立ち止まることはできない。多くの犠牲の上に手にした力を、せめて正しく振るわなければならない。


 平和的では決して無い。

 かつて夢想した血の流れない革命は、幻想であった。


『私はノールを殺します。ノールを殺し、この地に平穏を取り戻してみせます』


 それを成すための力は既に手中にある。


 思いがけず手にしてしまったのか。

 それとも、心のどこかでその力をずっと求め続けていたのか。


『……必ず成し遂げます』


 パトレイシアは己の内心を深く追及することをやめた。


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