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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第八章 ノーライフキングのノール
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芸術の壁

 黒き魔剣に魔力を込める。

 ルジャ唯一の遺品は今、リッチの持つ莫大な魔力の流入を受け、淡い青色を纏っていた。

 単純な切れ味だけで見るならば、その剣はスケルトンソルジャーが振るうものよりも鋭い。

 周囲にはゾンビを中心とする不死者の群れ。一度剣を振るえば、脆い肉体を持つアンデッドなど数体纏めて膾切りにできるだろう。


 しかし響くのは槌の音。

 広く頑強な壁面に魔剣を押し当て、柄をハンマーで叩く音だけが、廃墟の町並みに木霊する。



 “良い切れ味だ。”



 リチャードは魔剣を鏨に壁を削っていた。

 彫り込む図案はこれまで培った不死者への理解。

 アンデッドのための死想芸術(メメント・モリ)


 他者が死んだ。人間が死んだ。名もなき化け物が死んだ。仲間が死んだ。

 抵抗する者、託す者、物言わぬ者、誇り高き者。


 人だった頃と変わらない。多くの者は死に、この世から去っていく。


 ここは土の中の異世界(モルド)だとネリダ(人間)は語った。

 ミミルドルスの腹の中。生き埋めにされた者の果ての果て。


 ならばその先は?

 ここでの死の先にも、更なる次があるのだろうか。


 リチャードはなんとなくだがわかっている。

 ここより先はないのだと。



 “何もかもがいつか、必ず死ぬ。”



 悲観でもない。諦観でもない。それは感情の介在することのない概念である。

 しかし奇妙なほど感情と結び付けられることの多い摂理だ。


 だが、本来死と感情は無縁なものだ。

 リチャードの作品は往々にして見るものに“恐怖”を齎すが、それは作品そのものの本質ではない。恐怖がそのまま死であるということではないのだ。


 血まみれの裸婦を彫れば恐ろしさは表現できるかもしれない。題材として“死”という名をつけても頷かれるかもしれない。

 だがリチャードは、作品の中から意図的な感情を排することによって、見る者に自然そのままの無垢な死を伝えることこそが至上であると考えていた。


 未だ、リチャードの作品はその次元には到達していない。

 似たような作品を仕上げたことはあっても、受け取り手は極々限られていた。


「ァ……ウグァ……」

「ガァ……」

「ォオァアアア……」


 だが、今この時、リチャードが通りの壁面に刻み込んだ作品には、強い“死想”が宿りつつある。

 無味乾燥な死。生の滅び。それを曖昧なモチーフだけで表現するための技術と素養は、長年の不死者としての暮らしの中で育まれてきた。


 通りを歩むゾンビたちの呻きの色が変わる。

 引きずるような歩みが遅くなり、整然としていたはずの行軍が乱れ始める。


 壁面に現れ始めた山地のようにも見えるレリーフ。

 それを視界に入れたゾンビたちは僅かに反応し、進むことを躊躇う。


 反応は作品が完成に近づくにつれて強まった。

 歩みが遅かっただけの行軍は、壁面を避けるように大きく歪み。

 やがてゾンビたちは頭を抱え、苦しみ出し。

 それは数分もしないうちに、来た道を引き返す個体が現れるまでになっていた。


「タスケ……タス……ケ……ゥァアア……」

「イヤ……イタイ……」

「オチル……コワイ……ダレカ……」


 ゾンビたちの呻きが言葉となる。

 頭を抱える彼らは壁面から逃げるように逆流し、やがてその流れは膨大な量の行軍を押し返すにまで至った。


 理性を取り戻しかけた者はいるが、完全に人としての理性に覚醒した者はいない。

 引き返す道があったからだろうし、あるいはノーライフキングによって操られているせいかもしれない。

 それでもリチャードの作品は大きな効力を発揮し、玉座を目指す人の歩みを完全に変えたのだ。


 その時だった。



 ――どうやら我らの領土に反乱分子が混じっているようだ。



 空から声が響いた。

 大きくはない。だが、どこまでも突き抜けるような存在感のある声だ。


 声はリチャードの身体をも貫き、魂を揺るがす。

 だが強靭な魔力を持つリッチとしての魂は支配を受けず、意識を遠ざけるにも至らなかった。



 ――バビロニアの民よ。再び動け。列を、我が法を乱すな。



 支配者による絶対命令。それは埋没殿の斜塔全域に響き渡り、弱き不死者を再起動させる。

 やってきた道を苦しみながら引き返そうとするゾンビたちは、再びの命令によって列を作り直す。

 そしてまた玉座へと向かって歩み……。


「ァアアア……ダシテ……」

「イ……ヤダ……」

「クルシイ……オモイ……」


 再び、作品によって苛まれる。


 ノーライフキングの命令は有効だった。自我を取り戻しかけた不死者たち全てを洗脳し、再び操るほどに。

 だがリチャードの作品はそこにある。通らねばならぬ道に鎮座するその芸術は、何度でも洗脳の靄を晴らすほどの鮮烈さを持っていたのである。



 製作再開歴18年、リチャード作。


 “旅路”。



 自分の作品がそれなりの効果を発揮したことを見届けて、リチャードはそこそこ満足そうに頷いた。

 物言わぬ聴衆は反応こそすれ、無駄口を叩かない。彼にとっては素晴らしい、まさに理想的な観衆に近いこともある。出来は会心に近いと言っても良いだろう。



 “……さて。”



 作品はバビロニアの民を足止めしてくれるだろう。

 であれば、ここはもう問題ない。後は先に進み、パトレイシアに追いつくばかり。

 そしてレヴィを見つけ、引き止めなければならない。


 リチャードにとってレヴィは助手であり、貴重な観衆の一人だ。

 そして彼女はもはや他人でもない。


 彼に友人と呼べる者は少なかったが、地下世界で自我を取り戻して十八年。レヴィとはそれほど長い付き合いになっている。リチャードの生前でも、それほど長く付き合った相手は数えるほどしかいない。

 それに。



 “無駄に殺されるのは寝覚めが悪い。”



 リチャードから見て、ただ力を獲得するためだけに行われるノールの“屠殺”は、あまり面白いものではなかった。

 殺して力を得る。それは良い。だが、埋没殿のアンデッド達は邪魔者も多いが、それぞれが作品の閲覧者でもあるのだ。

 生前は故郷を同じくするバビロニアの民。彼らの感性を根絶やしにするのはあまりにも惜しい。



 “助け出そう。”



 リチャードは罪人のローブを翻し、先へと進んだ。


 遥か遠い先からは、バンシーの泣き声が微かに響いている……。



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