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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第七章 デュラハンのラハン
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騎士の夢

 誰よりも先に走り出したリチャードは、ステッキで道を遮るアンデッド達を打ち据えながら大通りを駆け抜けてゆく。

 エバンスとパトレイシアはそれを追う形だが、リチャードの打撃は頚や腰を効率よく破壊するもので、ほとんど足を止めることなく走り続けている。

 いつもは作業に耽って動くことのないリチャードが闘う姿に、エバンスは内心で驚いていた。


『次の大階段はあちらです……! エバンスさん、ついてきてください!』

『……ルジャさんは!?』

『……今は、彼の意志を尊重すべきです!』


 一対一でデュラハンを倒す。それはあまりにも非現実的な試みだ。

 呪いを大きく軽減できるアンデッドの身であっても、そもそも種族としての差が大きい。何よりデュラハンは鎧と一体になったアンデッドであり、首も存在しないために弱点が少ないのだ。

 リチャードの作った魔剣は頑強だが、相手の鎧も相応だ。デュラハンの強力な呪いが付与されているともなれば容易く打ち破れるものでもないだろう。どう思い返しても、ルジャの攻め手は皆無であった。

 だからこそ、パトレイシアも咄嗟に諦めたのだ。絶対に勝てない相手を前にしては、決断も早くならざるを得ない。


『ルジャさんが時間を稼いでいる間に、我々は一刻も早くレヴィさんに追いつくべきです。それがあの方の望みでした! 殿の想いを無駄にしてはなりません!』

『……わかり、ました……!』


 ルジャはよく喋る男だった。明るく、剽軽で、しかし人が不愉快になるような軽挙には出ない。きっと坑道にいた誰よりも場を和ませることに長じていたに違いない。最も付き合いの短かったエバンスにもそれがわかるほどには。


 だがパトレイシアの表情を見れば、現状がそう簡単なものでないこともわかる。


『僕が一番足を引っ張っている……僕が悩んでちゃ駄目なんだ……!』


 バンシーが最も鈍足であり、チームの重しとなっている。その己が判断を鈍らせていてはいけない。彼は思考を入れ替え、パトレイシアの影を追った。


『! リチャードさん、そちらではありません! 階段はあちらで……!?』


 その時、リチャードが急な動きを見せた。

 階段めがけて大通りを走っていたのが突然、横道に逸れたのである。

 パトレイシアは声をかけるがリチャードは聞く耳を持たないし返す言葉もない。


『何故……』


 だが耄碌したわけでもない。リチャードは何を考えているかわからないが、限りなく無駄を嫌う人物だ。パトレイシアはその場に滞空し、思考した。


『パ、パトレイシアさん! どうしますか!』

『……!』


 エバンスの声に反応するように、リチャードがステッキで階段を指し示した。


 “向こう”。目的地はあそこだ。しかし、彼自身は道を逸れたまま戻ろうとしない。前に現れた何体かのゾンビを相手に戦い、押し通ろうとしている。


 リチャードはこの先に、何らかの目的があって進んでいるのだ。


『お待ちを……』


 この先にあるものは。パトレイシアが過去の記憶を掘り下げていくと、さほど時間をかけずに思い当たるものがあった。


『まさか、いえ。あれしかない。……エバンスさん、階段へ! 私達は先を急ぎます!』

『はい!』


 リチャードはきっと“それ”を狙っているに違いない。

 どのようにやってのけるかは不明だ。徒労に終わることだってあり得る。だが、パトレイシアは彼の冷静な判断を尊敬し、自分もそれに賭けることに決めた。


 リチャードはなんとかしてみせるはず。ならば、自分達は自分達の役目を果たすべきだ。




 リチャードは貴族街で暮らしたことはないが、いくつかの施設を訪れたことはある。

 特に芸術に関係する場所には最低一度は訪れているし、今向かっている場所はかつての仕事の関係上もあり、そこそこ縁のある施設だったのだ。


 半壊した大きな扉の壊れかけの方を蹴り破り、リチャードが踏み入る。

 高い天井からは崩れた穴から微かな光が入り込み、内部を微かに照らしている。人間には見えない闇の中のわずかな光の帯が、リチャードの目には確かに見えた。


 足元には無数のガラス片が散らばり、倒れ込んだ燭台や石柱が散らばっている。リチャードはそれらを避けて、前へ前へと進んでゆく。


 広大な空間の最奥部に、それはあった。

 破局的な崩壊に巻き込まれてもなお、半分ほどの形を起こした美麗な芸術品。


 人々の祈りの場、聖堂に相応しい偉容をもつ神の偶像が、そこに立っている。


 慈聖神フルクシエルを信仰する神殿はバビロニア内に数多くあるが、ここは貴族街だけあって像にかけられた費用も膨大だったらしい。

 埃被ったフルクシエルの微笑みは壊れかけてもなお、リチャードに向けられている。

 肌を突くように感じるピリピリした空気は、破局後の長い年月であっても損耗しきることのなかった深い信仰の証。


 その手には、不死者だからこそわかる危険な清浄さの込められた儀礼剣が、掲げられたままの姿でそこに納まっていた。



 傷を癒やす慈聖神信仰は古くより続き、安寧を願う人々の医療として深く根付いてきた。

 平民よりも長く生きることを望む貴族街の人間にとっても、その恩恵は決して無視できるものではなかったのである。


 バビロニア歴332年、エアリス作。

 “光剣を掲げる慈聖神”。


 それはかつて信仰のための尊き芸術であったが、今のリチャードにとって必要なものは石像の右手に握られた儀礼剣であった。


「……!」


 リチャードは床に落ちて砕け散ったシャンデリアから小さな燭台の絡まった鎖を探し出すと、それを拾い上げ、振り回しながら像に投げた。


 不安定な重心を揺らしながら飛んだ鎖は、石像が伸ばす右腕に絡みつき、手首を二周する頃には燭台がぶつかって、軽やかな破砕音を立てる。

 フルクシエルの右腕が砕かれて、地に落ちたのである。


 リチャードはすぐさまその剣に近付き、拾い上げようとした。

 だがわずかに剣の柄に触れようとしたその一瞬で、薬指の骨が脆く砕けて砂へと変わる。儀礼剣に込められた信仰は未だに強く残されており、それがアンデッドたるリチャードの手を焼いたのだ。


「……」


 少しだけ驚いたが、リチャードの中に確信がうまれた。これならばいける。


 リチャードはフルクシエルの右手ごと、儀礼剣にシャンデリアの鎖を縛り付けて、しっかりと固定した。

 彼はそのまま罰当たりにも床を引きずるようにして剣をカラカラと引っ張りながら、来た道を引き返してゆく。


 音は聞こえる。鋼と鋼がぶつかりあう戦いの音。かつて自分でも見たことのある戦場の聲。

 執刀団の人間として、その当事者として只中にいたことも珍しくはない。


 だからこそリチャードには、その音に向けて物を放り投げることにも覚えがあった。剣を括り付けた鎖を振り回し、勢いをつけ……投げ放つ。


 不死者達を殺めることで増し続けていた身体能力は、通常の人間では成し得ない大距離の投擲を可能とした。




「――……」


 だからその刃の煌めきは、ルジャの目にも届いた。

 今にも振り下ろされようとしているデュラハンの凶剣の後ろより迫る、いわば聖剣とも呼ぶべき代物が。


「う、ぉおおおおッ!」

『ッ!』


 ルジャは咄嗟に飛び上がり、左手で聖剣を掴み取った。そのまま振り下ろし、デュラハンの大剣を迎撃する。


『グァアアアッ!?』


 その効果は、絶大だった。

 信仰を纏う聖剣はデュラハンの呪いを一瞬で切り払い、闇の性質を帯びる大剣と相手の腕ごと切り裂いてみせたのだ。


「は……ありがてえ、なぁ……! 聖剣まで、握れるなんてよ……!」


 代償は、ほんの一瞬だけ柄を握り込んだルジャの左腕だ。

 アンデッドを滅ぼす聖剣の力は当然ルジャにも作用し、ほんの一撃だけで肩から先が砂へと変じてしまった。


 だが得られたものは大きい。デュラハンは自身の根幹でもある呪いが斬られたことで慌てふためいており、大きな隙を晒している。


 悩む時間も、理由も無かった。


「なあラハン! 一緒にいこうぜッ!」

『……――』


 デュラハンに眼は無い。


 だが彼は視た。


 目の前の色黒な男が、気さくでいつも自分を支えてくれた男が。


 残った右腕に聖剣を握り、それを己の胸元に突き刺す光景を。


『ァア……』


 呪いが砕け散る。

 不死者としての本体が引き裂かれ、意識が遠のいてゆく。


 それはルジャも同じだった。彼もまた、強く握り込み過ぎた右腕から崩壊が始まり、それは胴体から頭部にまで伝播しつつある。


 黒い靄の掛かり続けていた思考がほんの僅かに晴れ、その微かな自我で、ラハンは安堵していた。



 自分は物事を考えられる頭のない脳無しの愚図であったが。


 ルジャが一緒だと言うのであれば、きっとそこで間違いないのだろう。


『ル、ジャ……』


 呪いの晴れた白銀の鎧が膝を付き、次第に艶のない砂となって崩れ落ちる。

 大きな砂山の前には既に、それよりも小さな塵の山が積もっていた。


「……」


 リチャードが大通りのそこへ戻ってきた時には、まだ僅かな清浄さを残す儀礼剣だけが、そこに横たわっていた。

 戦場の音は、もう聞こえない。



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