脳無し
ラハン。第六征伐騎士団団長。
大剣を棒切れのように軽々と扱う彼の剣術は、その恵まれた体格によってオーガと真正面から競り合えるほどの爆発力を持っている。
屈強な肉体。日々の地道な鍛錬をこなす強い精神力。
当時のラハンはまだ年若かったが、団の中でも突出した彼の武勇は、すぐさま長へと成り上がるに十分なものであったと言える。
ルジャが第六征伐騎士団に配属された時、ラハンは既に雲の上の人物だった。
鍛錬場で素振りしているだけでもはっきりと分かる音の違い。誰よりも真面目に職務に励む姿勢。団長の名を背負うにあたって十分な素質を持っているのはひと目で理解できる。
が、ラハンは決して人望ある団長というわけではなかった。
むしろラハンの団内での評価は高いというよりは侮られているくらいだろう。
彼の剛剣や真面目さは本物だったが、度々陰で笑われているのをルジャは目にしている。
ラハンは団員から“脳無し”と呼ばれていた。
鍛錬はこなす。命令も守る。外へ遠征に出れば戦果も上げる。
しかしラハンはそれ以外のことはからきしであり、部下たちと世間話をすることもほとんどない男であった。
軽く町での話題を投げかけられても、ラハンは困ったような顔でうろたえるだけで、すぐに答えに窮してしまう。軽い冗談や軽口も通じず、ユーモアセンスも皆無と言っても良い。不思議なことに仕事にいくら忠実であっても、有能な大男にケチがあればそれを目ざとく見つけて貶すのが人間の醜さというもので、ラハンがそれを知っていても尚注意できない人柄なこともあってか、陰口を叩く気風は留まることなく広がり続けていたのだ。
ルジャはその空気感は嫌いだった。団員の軽挙さもそうだが、何も言い返せず野放しにしているラハンにも呆れてしまう。なぜ強いくせに何も言ってやらないのか。
ルジャが副団長となった際には“規律が乱れすぎる”という理屈で抑え込んだが、それ以降もラハンを侮る空気が完全に消えることはなかった。
ルジャにとって、ラハンは友人ではない。
ラハンはユーモアに欠ける男で、それはルジャが側に居たところで変わることはなかった。元々の人柄なのだろう。
だが、ラハンにとって最も親しい団員はルジャであった。
ラハンが仲間と一緒に慣れない酒場についてきて、案の定誰とも話さず酒と食事だけをひっそりと楽しむことになった時。ラハンが隣の席のルジャに、ひっそりと零した言葉がある。
――ありがとうな、ルジャ。いつも迷惑をかけている
不器用で無愛想な男である。融通はきかないし人望もない。外だけ見れば立派なものだが、内から見れば悪いとこばかりが目につく典型のような男だ。
それでも、人の心がないわけではない。
酒を一杯だけ飲んだラハンは、僅かに涙ぐんだ目でテーブルを見つめていた。
ルジャはそんな彼に目を向けないようにして、冗談めかすように笑う。
――ほんとだよ。真面目過ぎる団長さんの世話は大変だぜ、全く
何もかもが遠い日の思い出だ。
オレンジ色のランプの光と陰と、列を成す銀色の照り返しと、嘲笑と、横一文字に結んだ口と、丘陵を吹き抜ける風と、……喧嘩別れのような最後でさえも。
「脳無しって言われて、悔しかったんだろうが。てめぇは」
ルジャが黒い魔剣を構える。
対するデュラハンはそれよりも長く幅広の大剣を片手に握り、ゆらりと距離を詰める。
ラハンに意志はなかった。
デュラハンそのものは魔力に対する耐性の高いアンデッドだったが、彼は完全にノールの声に支配されていた。忠実すぎる融通の効かない騎士団長は、王命にほんの少しも抗うことさえできず、手駒と成り果てたのである。
「本物の脳無しになってどうするんだよ」
ルジャは前に出た。
エバンスとパトレイシアに下がるように手早く指示を飛ばし、一人で闘う旨を告げている。
スケルトンソルジャーとデュラハン。それはあまりにも無謀な闘いであった。
『ルジャさん!』
「皆は先に言ってレヴィを頼む。こいつは俺の……ダチみたいなもんだ。俺が相手しなくちゃならねえ奴なんだ」
魔法を駆使するパトレイシアは相性が悪い。エバンスの音響攻撃も効かないわけではないだろうが、動きの鈍いバンシーはすぐさま狩られるだろう。リチャードは既に道を大きく迂回し、距離を取っている最中だった。
「そう、それでいい。俺が時間を稼ぐ……」
『ルジャさん……!』
「良いからいけエバンス、レヴィに追いつけ! あの子を殺すな! あの子は……!」
デュラハンが跳ねるように動き、剛剣が振り下ろされる。ルジャは咄嗟に受け止め、重厚な剣に似つかわしくない高速の二撃目、三撃目も防いでゆく。
「国民を守るのが、俺の役目だ! さっさと行けぇッ!」
『……!』
『エバンスさん、お早く!』
エバンスは最後まで葛藤していたが、必死な様子のパトレイシアに促されて戦場を後にした。残されたのはルジャとラハンのみ。
呪いを帯びた不吉な大剣は人間だった頃よりも遥かに速く力強い振りで、その防御をする度にルジャの腕の骨は悲鳴をあげた。
「く……てめ、ラハン……やっぱつええよお前……!」
それでもルジャは、今までに何体ものアンデッドを殺している。
今やルジャの内に秘められた力はスケルトンソルジャーの枠に留まることはなく、防ぐだけならばほぼ対等に渡り合えるほどであった。
とはいえ、防戦一方であることに変わりはない。リチャードが作った魔剣ではなく普通の剣であれば二合目で剣ごと斬り殺されていただろう。今こうしてラハンをその場に縫い付けていられるのは、軽い奇跡と言っても良かった
「ははは……! 俺、お前とこんなに長く打ったの、初めてかもな……ッ!」
『ゴ、ゴゴゴ』
「お前と渡り合えるほどの力を身につけて、うちらのお姫様を救い出すための盾にさえなれる! しかも手には魔剣ときたもんだ! なあ、俺は死んでから一体いくつの夢が叶っちまったんだろうなぁ!?」
騎士団の流派にはない粗暴な蹴り上げが、ラハンの重鎧を僅かに打ち上げ、距離を広げる。それでもダメージは皆無に等しい。ただ距離をわずかばかり稼ぎ、闘いの仕切り直しをしたにすぎない。
だが既に何十も、何百も剣を交わした。長期戦によって、魔剣はともかくルジャの白骨の身体の方に早くもガタが現れている。
対するデュラハンは鎧に傷こそあれど無傷。動きが鈍った様子もない。デュラハンを覆う黒い呪いのオーラが、あらゆるダメージを軽減しているようであった。
仕切り直しだが、状況は最初とは比べ物にならないほど悪い。
「……殺してやれなくて悪かったな、ラハン」
デュラハンが再び剣を振り上げ、煌めく刃がルジャの頭蓋へ振り下ろされた。




