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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第一章 リッチのリチャード
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不死者の感性


 アンデッドは生者の気配や負の魔力に惹かれて動く。

 ほぼ全てのアンデッドに自我と呼べるものはなく、その動きは初心者が作ったゴーレムのように単調だ。

 全てのアンデッドが一定の秩序じみた習性に従って動くので、自然とアンデッドたちの群れが形成される


 リチャードはそんなアンデッドの群れから距離を取るようにして、作品の製作に取り掛かったのだった。


 死の底はかつて採掘場だったので、劣化はひどかったがいくつかの採掘道具は難なく見つかった。

 道具と材料さえあれば作品作りに困ることはない。

 リチャードは行き止まりの空間に広がる平らな壁面を拠点とし、そこに錆びついたノミを突き立てた。


 坑道を採掘する音が小さく地底に響く。

 何百年ぶりの採掘の音を思い出せる不死者はもう、ここには一人も残っていない。奴隷だった頃に嫌という程聞き続けた音だったが、磨耗しきった魂ではその意味を受け取ることもできなかった。ある意味で、それは幸せだったのかもしれないが。




 作業は三日三晩、あるいは十数日と続いた。

 アンデッドに休息や睡眠は必要ない。リチャードは作品作りに都合の良い身体に最初こそ感動していたが、壁面を掘っていくうちに違和感を蓄積させていった。


 やがてその違和感が無視できないほど大きく膨れ上がった時、ようやくリチャードの手は止まった。壁面の巨大彫刻が八割型の完成を見た時である。


 “これは、人間だった頃の死想に過ぎない”


 作品の前でしばらく感じ入って、リチャードはそう結論づけた。


 “人間だった頃の私の感性ならば、これにある程度の死を感じていたかもしれない。だが今の、アンデッドたる私の感性は、目の前のこれに焦燥を感じない”


 それは不死者になったことによる感覚の差異。

 人間であった頃とは異なる死生観が発現したことによる、作品の不成立。


 死想。メメントモリ。そういった作品の要は、死を記憶させること。

 見る者に強く死の印象を刻みつけることこそが重要なのだ。


 だが今リチャードが掘り上げた壁面の作品には、それがない。

 もちろん出来栄えは良いはずだった。しかしそれはリチャードが人間だった頃に温めていたテーマを緻密に再現してみせたものに過ぎず、だというのにリチャード自身に感銘を与えることはできなかった。


 “これでは駄目だ”


 リチャードは悩んだ。

 人間であった頃の感性が通用しないとなれば、今の自分は一からテーマを手探りしなければならなくなる。

 人間の価値観を捨て、アンデッドの価値観を模索しなければならない。大きな方針の転換が必要だった。新たなテーマは心躍る響を持っていたが、億劫に感じたのも事実である。


 しかし、リチャードはひたむきで、根気強かった。


 “模索するしかない”


 もはや自分は人間ではない。

 人間だった頃の感性のほとんどは不協和を起こし、不死者としての感性だけが残っている。


 “ならば、不死者の感性で作るだけだ”


 それは一度死んだ者のための芸術。

 死せる者に死を想わせるという、前人未踏の新たなテーマだ。


 “死んだ甲斐があったかもしれない”


 リチャードは失敗作が刻まれた行き止まりに背を向け、新たな行き止まりを探すことにした。

 一つの場所に固執する必要などない。

 幸い、壁なら幾らでもあるのだから。




 それから、リチャードは自身の“アンデッドの感性”を震わせる作品作りに没頭した。

 最初は手探りだ。覚えのあるモチーフを彫って並べたり、記憶にある物事を抽象化して自身の心の波を注意深く監視することもあった。


 “アンデッドは不死者だ”


 アンデッドに寿命はない。それ故に何十年でも何百年でも地下を彷徨うし、それはエルフを上回る不死性を感じさせる。

 骨だけになっても動き回り、理性なく生者に襲いかかる姿はありきたりな恐怖の象徴だ。


 “だが、アンデッドにも終わりはある”


 それでもアンデッドは完全無欠の不死ではない。

 聖水の一杯で、身体を全壊させることで、灰に還るほどの炎で。アンデッドはその偽りの生を容易く終えてしまう。

 それは不死者というよりも、生にしがみつく老人のようですらある。


 “アンデッドは死を恐れないが、それは自分の死を考えるだけの自我がないせいだ。磨耗した魂では、死を恐れることもできないのだ”


 テーマが固まるにつれ、ノミを打つ手に力が篭る。

 作品が形作られるにつれ、無感情だった壁面にアンデッドの本能をざわめかせるような恐怖が形成されてゆく。


 “見えてきた”


 不死者は恐ろしい。

 だが、不死者にも恐ろしいものはある。

 リチャードは自身の異形の感性に従い、作品を仕上げていった。




 やがて、一体のスケルトンが行き止まりの道へと迷い込んできた。

 ケタケタと顎を鳴らしながら、ふらふらと坑道を歩く不死者。比較的損耗の少ない真新しい白骨にリチャードは首を傾げたが、些細な疑問よりも気になるのはスケルトンの反応だ。


 スケルトンは観察するリチャードを無視して、行き止まりの部屋にたどり着く。

 そしてスケルトンは、自我のない眼窩で壁面を見た。


 視界に広がるのは、抽象的なレリーフ。

 骨らしい部品を基本のパターンに、壁一面に広げ、外側にいくにつれて崩れてゆく。

 入り口からは密集した骨しか見えないが、部屋に踏み入った瞬間にその“崩壊”が視野いっぱいに広がる構図であった。


 スケルトンは部屋に踏み入った瞬間に足を止めた。

 壁を見上げ、そこに広がる不死と、果てにある終わりを前にして、確かにその個体は固まったのである。


 不死者は思考しない。あるのは生者への恨みだけ。そう考えられてきた。


 だが実際は、そうではなかったのだ。

 不死者には不死者の感性があり、価値観がある。あまりにも希薄で、生者とは異なっていたために人間が気付かなかっただけなのだ。


 やがてスケルトンは何かに怯え、何かから逃げるかのように、足早に部屋を出ていった。

 急ぐ後ろ姿はまるで、いやそれこそまさに、どうにか死から逃れようと足掻く生者のようであった。


 “生者も不死者も変わらない”


 終焉は、死は、おそろしい。それは、アンデッドも同じだった。


 “ならば、私の芸術は通用する”


 死を記憶せよ。そのテーマが通じると確信するや、リチャードは再びノミを握りしめて歩き出した。

 再び作品を作るために。より、不死者の心を揺るがす芸術を作るために。


 瘴気に溢れる死の底で、彫刻の音が響き渡る……。





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