獣の哨戒
無響室製作のための素材集めが始まった。
必要なものは大きな布に発泡体。理想的な素材は考えの上では挙げられるが、閉鎖的な埋没殿では贅沢も言えない。妥協ありきの素材集めである。
スカルベの群生地を追っていけば、発泡体の主原料となる彼らの巣は簡単に見つかった。
人間の頭蓋骨を仮宿として蠢くスカルベたちは当然ながら人間の死体を好む。それなりに体が大きいこともあって、巣は遠目からでも目立っていた。
灰色の埃に包まれた窪地がそれであろう。近くにいるスカルベを入念に砕いて回れば、掃討には一時間もかからなかった。
「結構量があるんだな。何回か往復することになりそうだ」
ルジャは大袋いっぱいに詰め込まれた石綿を見て、満足そうに頷いた。
袋をいっぱいにしても重さはさほどでもないが、何かしらの容器に入れなければちょっとした空気の流れで飛ばされる。運び甲斐のない荷物であるが、大袋を使っても何往復もする必要があるらしい。
『うわ、巣穴の底で何か小さいのが蠢いてる……』
「ひっ……あ、あまり深くまで取るのはやめませんか」
「……小さな虫入りじゃかえってうるさくなりそうだ。そうしようか」
レヴィたちはアンデッドを見てもなぜか生理的嫌悪は浮かばないが、不思議なことにスカルベに対してはおぞましさを感じる。
人間の頭蓋骨を依り代とする不吉な生態は、アンデッドにとって天敵にも当たるのかもしれない。
パトレイシアは単独で哨戒にあたり、危険な外敵の偵察に力を入れていた。
道中では通りすがりのクロスゴーストなどを魔法で撃ち払い、大きな布材を回収することも忘れない。
彼女は魔物を倒し続けるうちに、わずかではあるが霊体で物体に干渉できるようになったのだ。
『……やはり、倒せば倒すほど強くなる。使える魔法も、思い出すように増えていく……』
最初はレッサー・フレアしか扱えなかった彼女も、今ではそれなりの中級魔法まで放てるようになった。
魔力の底も引き上げられ、今では何十発撃っても飛行能力に差し支えはない。
喜ばしい変化ではあるが、これは同時にパトレイシアの危機感をざわつかせる傾向でもあった。
『アンデッドが共食いで力を高めるのは既知だったけど……岩壁に槍を突き立てたネリダさんの膂力は、説明がしにくいわね。体格も筋力も平凡なそれ。彼女は戦士でもないのに、それだけの力があった……』
他の生物を殺せば殺すほど強くなれるのではないか、という仮説。
それが、最近のパトレイシアの中に芽生えた疑念だった。
グリムリーパーが他者を殺して負の力を吸収するのはわかる。しかし、レヴィのようなレヴナントがスカルベを駆除して強大な力を得るというのは聞いたことがない。
いよいよもって、ここが単なる地底ではない異世界であることが現実じみてきた。
そして世界の構造の変容は、パトレイシアに一つの懸念を齎した。
いや、それは懸念ではない。まず間違いなく現実であろう、憂慮だ。
『……アンデッドの同族殺しで力がつくなら、人間同士の殺し合いでも当然、力はつくわよね』
殺せば殺すほど力が蓄えられる世界。
それは穏やかな統治を目論む為政者にとって、悪夢のような世界の仕組みだ。
それはつまり、暴力こそが正義であるというある種の真理を、どうしようもなく補強してしまう仕組みだからだ。
まず間違いなく、世界は荒れるだろう。
『埋没殿の外は、大丈夫なのかしら……』
大きな布を掴んだパトレイシアは、ぼんやりと光る瘴気の空にため息を零した。
リチャードは部屋の拡張に精を出していた。
広間を更に大きく削りあげ、無響室の基礎を作るためである。
部屋は最初は拡張性を重視して円形に近かったが、その角を深く彫り込むことで今は四角い空間が出来上がっている。
縦にも深く掘り下げられており、広間は一回りも二回りも大きく見えた。
“……”
リチャードは部屋の中心で工具を打ち合わせ、金属音を鳴らした。
音は岩壁にぶつかり、戻ってくる。岩に囲まれたこの地下室は音が良く響き、一度なにかがなり出せば、後は数秒も世界に居座り続けるだろう。煩わしい響きだが、リチャードにとっては聞き慣れたものだ。とはいえ、意味の薄い残響音を聞くのが好きかというとそんなことはない。
真の静寂は、この跳ね返り続ける騒音が消えるのだという。
まるで屋外のようだが、そこには風の音も虫の声もない。
その世界を、リチャードは見たかった。空間が生み出す静寂の妙を、体験してみたかった。
リチャードは何度か金属音を打ち鳴らし、その響きをなんとなく覚えると、やがて坑道の外へ出て、空を見上げた。
埋没殿。今は曇って見えないが、向こう側には豪奢な塔の名残が聳えている。
長年暮らし続けた塔であったが、あそこには今自分が求めてやまない無響室もあったのだろう。構造や材料を聞く限りでは崩壊で跡形もなく潰れてしまったことだろうが、きっと今でもあの塔には無響室の残滓が残されているのだ。
リチャードは政治に興味はないが、素直に凄いと思った。
死しても尚、自分の知らない世界はあまりに多い。
人は一生学ぶものだとクラウスも話していたが、まさにその通りだ。
鈍く曇った空の上のどこかで、カチカチと金物がぶつかり合うような音が聞こえた。
リチャードは不意に響いたその音の発生源を見上げたが、遠くには霧がかる外壁が見えるだけ。
普通なら気にもしない些細な音だったが、リチャードは嫌な予感がして、そのまま静かに体を地面に横たえた。
うつ伏せになった死体そのもののリチャードだが、彼の内心は至って真面目である。
「ゥロロロロロ……」
虫のように壁にへばりつき、歩く。そんな異形の怪物が現れた。
「ロロロロロロ……コカカカッ」
おおよそ人間。病的に色白。服はなく、全裸。だというのに手足には傷らしい傷もない不可解な容姿だった。
顔は醜く灼け爛れ、目は白濁し、何も映していない。
灼け爛れて皮膚を持たない口が開くと、そこにあるのは異様に長い犬歯だ。
怪物は剥き出しの歯を見せつけるように顎を開き、甲高い異音を立てる。
怪物は音を辺りに振りまくと、やがて同じように壁を伝って去っていった。
“……”
リチャードは怪物が去った後もしばらく、その場に伏せたまま動かなかった。
 




