水と油
「ガミ~! なんでも良いから食べるガミ~!」
――蛮神ガミガミガイダル
リチャードはクラウスのもとへやって来て、墓守となった。
墓守の仕事として、リチャードは主に墓碑の銘を刻むことを任されることとなった。
これはリチャードがやってきた初日に見出された才能である。思いつきでやらされた彫り物の出来栄えが美しかったため、すぐに任されることになったのだ。
墓碑の彫刻を専門とする石工も長く霊園に勤めていたが、リチャードの刻む文字はそれよりもずっと整然としており、何より出来が早い。
この刻む作業はとにかく時間がかかるので、客側は何日も待たされることが珍しくなく、実際クラウスの霊園では墓石の完成を待つ家族が多かった。
そのため、リチャードの彫刻の才能は歓迎され、遺憾無く発揮された。初心者とはいえあまりにも緻密な彫り具合であったので、クラウスが試しに花の紋様を刻ませてみれば、それも文句のつけようのない出来栄えになる。
『天賦の才というやつかな。リチャードさん、あなたが来てくれて良かった』
こうして、リチャードは墓守として、主に墓碑を刻む石工としての仕事に精を出すことになったのである。
墓守の仕事は執刀団と比べればかなり穏やかなもので、忙しくなることもほとんどない。彫刻の作業も慣れれば慣れるほどに必要な時間が少なくなってゆくので、リチャードは暇を持て余すようになった。
緩やかな日々は、寡黙なリチャードを思慮深くさせてゆく。特に、死について考えることが多くなった。
リチャードはそれまでの人生で、数々の人間の生と、死を見てきた。
孤児院で暮らす子供。祈る人々。
治療される人。治療の甲斐なく死に絶える人。
戦場を駆ける騎士。魔物にやられる兵士。
そして死んで、墓石の下で眠る亡骸。それに涙する人々。
リチャードにとって不思議だったのは、墓場にたどり着いた遺体がもたらす精神的な作用だ。
霊園に辿り着く遺体というのは死から随分と時間が経っているはずなのに、その死を目撃したであろう人たちは、数日経って再び故人の死を思い出し、涙する。
あるいは墓石の前に訪れた人が、数年ぶりの死を想い、泣き崩れることもある。
リチャードはそれまで、死はその直後こそが最も鮮烈で強烈なのだと思っていた。凶暴な魔物によって撒き散らされる血漿の広さこそが、死の大きさなのだとも、漠然と思い込んでいた。
だが死とは、思い起こされることがあるらしい。死を目にした時の強い感情の揺れは、ふとした拍子に再燃するのだと。
こうして墓守として勤めているうちに、死に対する想いが変化している。また、自分が見聞きしてきた様々な人の死について、考えることが増えた。
死とは何か。死を想うとは。
リチャードはその日、運搬に失敗して角のかけた墓石を譲ってもらった。
どうにかうまい具合に削って整えられるならそれで良し。あるいは好きに削っても構わないと。
彼はその日始めて、自由な彫刻に着手した。
それがリチャードの始まり。死想の彫刻家リチャードとしての、第一歩。
『……これは、なんと……恐ろしい、のだろうか』
彼の第一の作品を目にした時、クラウスは戦慄した。
同時に、確かに予感したのだ。このリチャードという寡黙な男は、間違いなくこの方面で大成するのだと。
『……お墓、あるんですね』
エバンスは坑道の入り口にある墓石を見て、瞠目した。
そこについさっき摘んだばかりのような、美しい白い花が供えられていたので。
「ああ。そうだな、あれは墓だ。人間の……それについても、エバンスには色々と話しておくことが多い。最初だしな」
『そうですね。ここでの暮らし方、埋没殿に多く潜む危険なもの……そして、私達の目的についても。少し長くなるでしょうが、しっかりと話し合っておく必要があるでしょう』
ルジャは全身白骨のスケルトンソルジャーだが、不思議とその姿を見ても恐ろしくは感じない。
喋り声も気さくで、どことなく兄貴分のように頼りたくなる男だ。
パトレイシアは見るからに貴族然としたハーフエルフで、エバンスには少し畏れ多い。それでも親身であろうとする丁寧さや優しさは、言葉や仕草の節々には現れている。
「……椅子、作ってもらわなきゃ」
そして三人の後ろを歩いているのは、レヴナントらしき少女のレヴィ。
彼女は少々物静かだが純朴で、無垢な子供である。
他二人も優しく親しげであったが、エバンスは初対面でのこともあり、彼女には最も心を許していた。
『レヴィちゃん、椅子って何かな?』
エバンスが腰を屈めて目線を合わせるように訊くと、彼女はその問いを待っていたように顔を綻ばせた。
「えっと、リチャードさんの。彫刻の職人さんが、私達の分の椅子を作ってくれるんです。とっても座り心地が良くて、しっかりした椅子」
『へえ、職人さんもいるんだ……あ、ひょっとしてあの墓石も、そのリチャードさんっていう人が?』
「はい。リチャードさん、なんでも作れるんです」
『リチャード……あれ、彫刻家のリチャードって……』
その名は有名だ。エバンスも人と話す機会は多かったので、もちろん耳にしたことはある。
「ああ、そのリチャードさんで合ってるぜ。……まぁ、ちょっと……いや、大分変わった爺さんではあるが……」
『ルジャさん。リチャードさんは50歳ほどであったかと』
「えっ、そんなもんなの? 意外だな……けどまぁ、もう何年もここにいるみたいだし、爺さんってのも間違いではないだろう」
『そんなことを言っては私はお婆さんになってしまいますよ』
「……パトレイシアさんは、俺の中ではいつまでもお嬢様だぜ」
『あら、正しい返し方を学んでいただけたようですね。嬉しいです』
耳をすませれば、坑道の中からは断続的に石を砕く音が聞こえてくる。
採掘にしては細やかで、ただ叩いているだけにしては鋭い音。
『……僕、歌しかできませんけど……皆さんと仲良くなれるように頑張ります!』
エバンスから見て、彼ら三人はとても良い人間であるように思えた。
聞けば、自分を目覚めさせてくれたのも彼らあってのことらしい。
だからエバンスは彼らの善性を疑っていなかったし、リチャードとも仲良くやっていける気がしたのだ。
彼はバンシー特有の不自由な足でのろのろと坑道を走ってゆき、入ってすぐそこで地面に細い穴を開けているアンデッドを見つけると、息を吸った。
『あ、あの。はじめまして! 僕はエバンスといいます! これから……』
“うるさい”
『えっ、あ、あの……』
そのアンデッドは歯列の前に指を立て、苛立たしげにエバンスを見ている。
『よ、よろしく……お願いします……』
リチャードは返事を返すことなく、作業を続けるのだった。




