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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第五章 バンシーのエバンス
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芸術性の違い


 大空洞の岸壁に、ベーグルという名の採掘者が槍で縫い付けられている。

 顔面を貫くようにして縫い止められたその男は、しかし近くに動くものの気配を察知すると、暴れ始める習性があった。

 彼はすでに真っ当な人間ではない。ヴァンパイアによって隷属されたグールなのだ。


 リチャードは作業をひと段落させると、ベーグルの封じられたそこへ足を運んでいた。

 罪人のローブがそよ風に小さくはためき、やがてしとしとと降り始めた雨に濡れる。

 雨が降り始めると、決まって塔の上のドラゴンゾンビが咆哮を上げる。

 大声量に埋没殿は騒めき、グールもまた本能的に両腕を振り回し、暴れ始める。


 やがて通り雨だったらしいそれが降り止むと、途端に音は弱まり、グールの癇癪も鳴りを潜める。単純なものだ。


 リチャードはベーグルの貫かれた顔面を観察したが、その奥に見えたのは鼻から目にかけてを豪快に陥没させられた、実のところ男か女かもわからないベーグルのような顔だ。

 目がやられたのではリチャードの作品を見ることもできず、そうなればリチャードの作品はあまりにも無意味であった。


 事実、声を出さないリチャードの存在など、ベーグルには一切感知できないのだろう。

 彼の世界に自分はおらず、これからも交わることはない。


 “グール、か”


 リチャードはグールに詳しくない。

 というよりも、ヴァンパイアに詳しくなかった。

 執刀団にいた頃も、墓守だった頃も、遭遇したことがなかった故に。


 ヴァンパイアは都市部にて人間社会に寄生することを好むアンデッドだ。その生態は不死者の中でも特殊なもので、数も少ない。

 だがこうしてグールを観察してみても、ゾンビとの違いはさほどないように見える。

 目新しさは、無かった。


 無かったのだが。


 “……”


 リチャードはローブの懐から、一本の細い水筒を取り出した。

 アンデッドに水分は必要ない。それでも何故、リチャードがそのようなものを持っていたのか。


 恐らく、興味本位だったのだろう。

 あるいは、素材として何らかの利用価値があると考えたのか。

 ともあれ、リチャードはその水筒の栓を抜き、中身の一部をベーグルの周囲に振り撒いた。


「グガッ、グガッ!」


 反応は、劇的だった。

 普通の雨には乱雑に暴れるだけ。しかし、今水筒より撒き散らした水には強く反応する。


 振り撒いた後もそうだ。水滴の音だけならばまだしも、その後もずっと、滴り落ちたそれに対して執着するように暴れている。


 “反応はある。やはり、眷属として集める本能があるのか。”


 リチャードが水筒に収めていたもの。それは、人間の血液だった。

 ネリダの死後、遺体から抜き出したものである。火葬をするのに水分が邪魔だったので、リチャードはネリダの血抜きをして、それを甕に移していたのだ。


 何より、血液は顔料にもなる。死をテーマとした作品作りをするにあたって、リチャードは何年も前から欲しがっていた素材だった。

 実際にこの血液はつい最近仕上がった象牙の彫り物に、その溝に擦り込むようにして使っている。撒いたのはその余りの一部だ。


 “仮にこの血液をグールに渡したとして、奴はそれをどうするのか。自分で啜るのか。それとも、己の主人に届けようとするのか。”


 やがて、遠くの方から騒々しい気配が近づいてくる。

 見やれば、坑道に向けていつもの三人が戻ってきているようだった。


 リチャードは無事に戻ってきた三人を見て、自分もステッキをつきながら戻る事にした。

 作業が終わったので、人の話でも聞こうかと思ったのである。


 ルジャがバンシーを始末できたかどうかも気になったので。

 もっとも、あまり期待はしていないのだが。




『奇跡の少年エバンス、というのをご存知でしょうか』


 リチャードは自分の期待が早々に崩れ去るのを予感した。

 名前だけならどこかで聞いたことがあったし、なんとなくその人名が今回のバンシーと結びついたからだ。


「あーまあ、見たことはないけど、隊でも有名だったぜ。歌の凄い上手いっていう、天才の」

「わ、私は知らないです」

『今回私たちが見つけたバンシー。あれは、そのエバンスさんで間違いありません』

「はあ?」


 ルジャが素っ頓狂な声を上げた。


「どう見ても女だったが。いや、エバンスって奴が女みたいだって話は聞いてたけど」

『元々は孤児で、男娼として見込みがあると引き取られた方のようですね。そのまま教育を施されるうち、歌の才能を見出され、そちらの仕事を受けていくうち……劇団でも指折りの歌手になったとか』


 とにかくその少年は話題性があった。

 孤児出身、男娼、酒場の歌手、そして舞台へ。本に書かれるような彼の人生の軌跡は、それだけで歌以上のドラマを持っていた。

 事実その麗しい見た目と細く高い歌唱力は本物であったので、彼がバビロニアの話題を独占することも一度や二度ではない。ともすればそれは、リチャードよりもずっと名高いものであった。

 製作者の顔など気にもしない彫刻芸術より、人前に立って歌う美人に惹かれるのは当然のことではあったが。


「孤児……だった人、なんですか」


 レヴィはぼそりと呟いた。

 立場の違いはあれ、自分の境遇と比べずにはいられないのかもしれない。


「しかし、なるほどな。そりゃあれだけ見た目が良けりゃ男娼に売られるだろうよ。男でも女でも、物好きな買い手はいくらでもいる。そんな中で歌でやっていけたのがすげぇよ」

『だからこそ奇跡なのでしょう。人は、奇跡が好きですから』


 だが、そんなサクセスストーリーも唐突に終わった。

 バビロニアが崩壊し、全国民が瓦礫に潰されたのだ。そこに奇跡はなかった。


『彼の歌を身近で聞いて、感じました。あの歌声は非常に強力なものです。きっと、いえ、必ずや我々の力になると思います』

「ああ、確かにそうだよな。あの歌声だけでアンデッド達が心を揺さぶられていた。俺たちもだ。……一応、歌とか音楽も芸術だろ? リチャードさんはそこのところ、どう思う?」


 リチャードは無言だが、実に面倒臭そうな緩慢な動きでルジャに向き直った。


「ほら、同じ芸術家としてさ。何か気にならないかなーと」

 “……”


 リチャードは無言で木片に文字を書き記し、それを見せた。


 “私がこの世で嫌悪しているものが三つある。”


 美しい文字の羅列。ルジャはなんとなく踏んではならないものを踏み抜いたことを察した。


 “音と、声と、芸術を語る連中だ”





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