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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第五章 バンシーのエバンス
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魂の嘆き

「やっちまった」


 大空洞を哨戒中のルジャは、一人骨の丘の上で呟いた。

 今の彼はレヴィもパトレイシアも連れ立っていなかったが、果たしてそれは良かったのか、悪かったのか。


「見てる……よな? あー、見てるなこれは」


 彼は未踏の地を彷徨いつつ、資材のありそうな場所を見繕っていた。

 可能であればそこを坑道以外の遠征拠点とし、行動範囲を広げたくもあったからだ。

 食料も睡眠も必要とはしないルジャであったが、見つけたものを集積できる倉庫のようなものがあると何かと便利だし、敵対的なアンデッドから身を隠す手段も欲しかった。


 なので、今日は単独行動をしていたのだ。


「ケタタタタ」


 そんな彼の姿を、遠くから見つめるアンデッドがいた。

 鎌のように折れ曲がったロングソードを手にした、近衛服のアンデッド。

 レヴィやパトレイシアからさんざん気をつけろと言われていたグリムリーパーである。


「さて、参ったな」


 グリムリーパーはルジャの姿を認めると、ゆったりと余裕を持って歩み寄ってきた。

 右手に握った折れ曲がった剣をひらひらと見せつけながら、酔っ払いのような足取りで上機嫌そうに近付きつつある。

 走ろうとはしない。あくまでもまだゆらりと歩き、狩を楽しもうという動きだ。


 逃げることはできない。坑道に戻れば他の皆を危険に晒す。

 ならば立ち向かうしかないか。といえばそちらもかなり難しく、ルジャは遠目に見えるアンデッドとの勝率は低いように思えた。


 グリムリーパーもスケルトンソルジャーもアンデッドだが、決定的に種族が違う。

 種族とは強さの格を示す大まかな指標だ。歴戦のネズミが決して生まれたてのドラゴンには勝てないように、生まれ持つ格の差はあまりにも大きい。

 少なくともルジャはそう考えている。


「可能な限り引き離すかね」


 結果として、ルジャはゆったりとその場を離れることに決めた。

 逃げ切れるとは考えていない。ただ、少しでも坑道から距離を取ろうとはした。そうすれば自分が殺された後も、少しは坑道も安全になるかもしれなかったから。


「おうそうだ、こっちにこいよ」


 ルジャはゆっくりと歩きながら、時折盾と剣を打ち鳴らし、グリムリーパーを誘導する。

 頭の中ではいかにしてこの最凶のアンデッドと戦うかを考えているが、グリムリーパーの纏う魔力は基本的に神秘を知覚できないルジャであっても察せられるほどに濃密で、恐ろしい。

 騎士の頃の盾も持ってはいるが、それがどこまで相手の攻撃を耐えるかはわからない。


「それでもまあ、やってみるしかないんだが……!」


 障害物の多い場所までやってくると、ルジャはようやく剣士らしい構えを取った。

 グリムリーパーはそれを見てつまらなそうに一度だけ顎を鳴らすと……彼もまた剣を構えた。


 グリムリーパーは残虐だ。

 目の前にいるルジャを獲物としか認識していない。

 だがルジャは毅然と構え、逃げ出そうとはせず立ち向かおうと剣を取っている。


 グリムリーパーの楽しみは一方的な狩だ。

 決して戦士同士の崇高な決闘などではない。


「グカカカッ!」


 先に動き出したのはグリムリーパーだ。

 彼はそれまでの弛緩した動きを裏切るように、機敏に踏み込んで曲がった剣を振り切った。


「っぶね」


 ルジャは咄嗟に身を引いて避けていた。元々最初は様子見だったのだが、今の一撃は想定よりも明らかに速い。

 何より、対人に特化した剣であった。


「クソ、これだから憲兵は嫌いなんだ!」


 ぼやきながらも、盾を使いながら打ち合って行く。

 しかし僅かに曲がった刀身は盾に思わぬ角度からの衝撃を与え、思うように受け流せない。

 ルジャは早くも押し込まれる形で後退を始めた。


 そもそも、ルジャは騎士であったがその仕事のほとんどは人外を相手とする闘いであった。

 敵国の兵たちとやりあうことも幾度かはあったが、ルジャが騎士として活躍していた頃は既に諸外国との情勢も決まりきっていたので、仕事内容は専ら魔物退治か、盗賊狩りである。


 対するグリムリーパーは近衛の服を着ている。

 これは国内の治安を維持するための完全な対人特化の職であり、その点において制圧力はルジャを上回る。そこにグリムリーパーとしての膂力が加われば、ルジャが最初から生存を諦めるのも無理はない。


 しかしそれでも。


「俺はな……死にたいわけじゃねえんだよッ!」

「グゴッ」


 脚力を乗せた前蹴りがグリムリーパーの体勢を崩し、距離を作る。

 その間にルジャは近くの高い瓦礫を引き倒し、ぶつけた。


 ルジャは既に死んだ。しかし二度目の死を恐れるだけの人間性はある。

 アンデッドとして堕ちた事実は外聞は良くないし教会が見れば激怒するだろうが、それでもルジャは、人生は生きてこそであると考えている。

 そのためならば騎士としてそぐわない汚い戦法だって、いくらでも使うのだ。


「喧嘩剣術は不得手かい? エリートさんよぉっ!」

「カカカカッ……!」


 ルジャは盾と剣を併用するが、周囲の障害物を使うのも上手かった。

 蹴り技は経験によって最適に飛んでくるし、投げるものは目くらましレベルではない、アンデッドに対しても効果のある悪辣なラインナップばかりだ。

 彼は純粋な剣術一本でも相当に手練れであったが、何より力を発揮するのはその総合的な戦闘力にあった。


「お、こいつは敵対的なやつか! よしきた、いけ!」

「グモォオオ」


 専守防衛。防御に徹し、撤退を続ける。

 その最中に見つけたものはたとえアンデッドであっても利用する。

 崩れた階段の遺構を昇り立つ、バーサクゾンビを押し倒してぶつける。

 グリムリーパーにはそれさえ一刀の下に斬り伏せられる時間稼ぎにしかならなかったが、それでもグリムリーパーを怒らせるには十分効果を発揮していた。

 冷静を失ったグリムリーパーは動きが荒くなり、どんどん距離を離されて行く。一歩踏みとどまって冷静になるという行動に出ないのが、アンデッドの特徴のひとつであった。

 そういった点において、ルジャは明らかにグリムリーパーを凌駕し、翻弄さえできていた。


「あーでも、やべえ……」


 しかし、結局のところは時間稼ぎだ。

 今ルジャは物陰に隠れてはいるが、苛立たしげに顎を打ち鳴らすグリムリーパーは彼の隠れ潜む場所に大まかな見当をつけている。

 グリムリーパーには魔力の痕跡を追うことのできる優れた嗅覚が備わっているのだ。

 一時は翻弄し距離を稼げても、完全に逃げ果せることはルジャでも難しかった。


 何より、単純に接近戦において勝ち目が薄すぎる。

 何度かルジャも致命傷を与えようと奮戦はしたのだが、グリムリーパーの持つ剣術の前では一矢報いることも難しかった。せいぜいが嫌がらせである。

 対するルジャといえば、剣も盾も摩耗している。リチャードが見れば黙って装備を奪って研ぎ始める程度にはオンボロだった。


 備えは全く万全ではない。

 それでもグリムリーパーは着実に近付いてくる。


 やがてその曲がった剣は、ルジャの首を刈り取るだろう。


 いよいよ覚悟するべきか。

 ケタケタと鳴り響く顎の音を聞きながら、ルジャは静かに死を悟りつつあった。



『──ああ、愛しき白鳥よ 入江に浮かぶまばゆき妖精よ』


 その時、歌が聞こえた。

 女の声。美しく響き渡る、愛の歌。


『──あなたは水を弾いて空へと消えた ひとつの羽根さえ残すことなく』


 ルジャは呆然と空を見上げ、音源を探る。だが、歌声はあらゆる物や地面にぶつかって反響し続け、出どころがわからない。


 いや、それよりも。

 その歌声は美しかったが、ルジャの心に強い衝撃を与えていた。

 それは聞いたこともない曲であったが、不思議と歌い手の心が自分の中に染み入るかのようだったのだ。


「グ……ガァアアアア!」


 同じ感覚を、グリムリーパーも味わっていた。

 彼は天を見上げ、どこかもわからない音源に向かって吠え、苛立たしげに走り去って行く。


 先ほどまで追い詰めていたルジャを気にかける様子もない。

 それほどまでに心を、感情を上塗りするような歌であったのだ。


『──どうかここへ戻ってきて 私も空へ連れて行って……』


 物悲しいフレーズを最後に、歌は終わった。

 残されたのは大きな悲しみと、喪失感。


 しばらくの間ルジャは、歌の最中から他のアンデッド達が騒いでいたことにも気付かず、ただただ心を奪われていた。


「……この感じ……」


 自分の掌を見て、白骨のそれを握りしめる。

 今はちゃんとそこにある、自分自身の主導権。それが曖昧になり、奪われ、ひとつの意思によって掌握されるかのような感覚。


「似てた、な……」


 その歌声は、リチャードの作品に通ずるものがあった。




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