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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第四章 グールのベーグル
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蠕動する世界

 朦朧とした意識が僅かずつ覚醒してゆく。

 渇きに苦しみながら死ぬ筈だった自分が、どうにかその死を免れる感覚。

 飢えは渇きと同列にされがちだが、いざ直面してみると全くの別物であると、ネリダはぼんやりと思った。

 飢えと渇きでは苦しみの早さがまるで違う。もちろん今もまだ空腹で死にそうな倦怠感を味わっているが、少なくともすぐに死ぬことはないだろう。


「……」


 自己分析している間に、ネリダはようやく自身の置かれた状況に目を向けた。

 寝ぼけていた半眼はようやく辺りを観察し、探る。


 仰向けに横たわるネリダのすぐそばには、少女がいた。


「……起きた?」


 少女は血色が悪かった。青ざめた肌色に、死んだ眼。血の滲む爪。

 心配そうにこちらの顔を覗き込む姿には人間味があったが、それは見るからにゾンビやグールに近い姿をしていた。


「……!」


 仕留めなければ。そう思ったが、身体は動かない。全身は鉛のように重く、上体を起こすには自分の持てる力を総動員する必要がありそうだった。

 その労力は、目の前の無力そうなアンデッドに対抗するよりもずっと困難であるように、ネリダには思われた。


「?」


 すぐさま起きるのは諦めた。しかしよく見れば、アンデッドの少女は皮袋を抱えている。それはどうやら管に繋がれ、自分の防護服と繋げられているようである。


「あ……水です。これ……」


 喋った。しかも、おそらく自分に水を与えている。


 アンデッドが敵対的でない? 自分を助けた? 

 ネリダは訳がわからなかったが、防護服の中から自分の口元に伸びる管を見つけ、一口飲んだ。


 腐ったような味はしない。極々普通の、水の味がする。


「……ここは?」


 ネリダは目の前にいるそれが無害であると仮定して、会話を試みることにした。

 グールにされた仲間を槍で仕留めた時、既に自分は地獄行きだと悟っている。

 奇想天外な状況の一つや二つ、受け入れる覚悟はできていた。




『ご無事で何よりです』

「仲間を……いや、グールをやったのもあんただろ? 大変だったな」


 死は覚悟できていたが、わらわらと多種多様なアンデッドたちが集まってくるとは考えていなかったのだろう。

 ネリダは自分の寝台を取り囲む骨やら幽霊やらに戸惑っている。


「……ここは、どこなんだい?」

『ここは埋没殿。地底に沈み、滅んだバビロニアが眠る死の底です』


 答えたのは美しい幽霊だった。

 青白く発光する、この世のものとは思えない美貌を持つ精霊族の令嬢。


「ああ……」


 ネリダは高貴そうな彼女に見惚れそうになったが、語られた言葉には落胆を隠せなかった。


「……大穴の底か」


 救助されたのならばあるいは地上か、とも考えたが、そう上手くはいかないらしい。


「あんたたちは? アンデッドだよね……」

「見ての通りだ。おっと、だがあんたに害を加えるつもりはない。だからそう緊張しないでくれよな」

「……」


 ゾンビらしき少女や美しい幽霊はともかく、明らかに白骨体である男の姿は、本能的な恐怖を感じさせる。

 だからであろうか。それを理解した上で、ルジャは相手の緊張を解こうと普段以上に明るく振舞っていた。


「俺の名前はルジャ。こっちの綺麗なお人はパトレイシアさん。んで、さっきまであんたの世話をしてたのがレヴィだ」

「……自我があるのか」

「あー、その話をすると結構長くなるというか、複雑な話になってくる。ひとまず俺たちはあんたの敵じゃないってことを覚えておいてほしい」

「ああ……わかった」


 不死者の考えなど理解できる気がしなかったので、ネリダは素直に頷いた。


「私はネリダ。ドルシア採掘団の……最後の生き残りさ」

「ネリダさんな。わかった、ネリダって呼ばせてもらうよ」

「好きにしておくれ。……どうせ、私はもう長くないんだろ?」


 ネリダは自嘲するように笑い、自分を取り囲む不死者たちを眺めた。

 三人は顔を見合わせ、沈黙している。


「わかってるさ。何年もやってきたんだからね……この地下じゃ食料は絶対に見つからない。それに、このマスクに詰め込んである薬草だって、そう長く効果を発揮するわけじゃない……」


 ネリダはマスクの中で咳をして、ため息をつく。

 防護服のガラス越しに見える彼女の目元は、毒の影響のためか黒く変色しかけていた。


「水をくれたんだよね。ありがとう……私にできるお礼なんて少しもないけれど、聞きたいことがあれば言ってくれ。最近の街の馬鹿話くらいだったら、聞かせてやれるからさ」




 坑道のアンデッドたちは防護服の女、ネリダを救助した。

 しかしそれも一時的なものでしかない。

 埋没殿には例外なく生者の食料となり得るものが存在せず、たとえパトレイシアの水魔法で渇きを防ぐことはできても、飢えに対してはどうすることもできなかったためだ。

 そして防護服に仕込まれた解毒用の薬草フィルタもまた、効力に時間制限がある。当然ながら埋没殿にそれらの薬草は自生していない。

 アンデッドたちはそれぞれ頭を悩ませ解決法を模索していたが、彼女を助ける手立てを見つけ出すことはできなかった。


「ごめんなさい、お姉さん……」

「はは、お姉さんか。ありがとう、レヴィだっけ。あんた、優しいね」


 ネリダは自身を取り囲む不死者たちの素性など知らなかったが、彼らが悪でないことはなんとなくわかった。

 悪ならば今こうして、痛ましそうな顔を作ったりもしないだろう。


『……ネリダさん。いくつかお聞きしてもよろしいでしょうか』

「ああ、なんでも聞いておくれ。話相手になってくれるなら、私も嬉しいよ」

『ありがとうございます。……ネリダさんは、このバビロニアが埋没してからどれほどの時間が経っているか、ご存知でしょうか?』

「……バビロニアっていうのは? 建物か何かかい?」

『……いえ、国です。正確には巨大な塔の国です』

「ああ、そういうことか」


 大国であるバビロニアを知らない。そんな反応にパトレイシアとルジャは訝しんだが、ネリダは彼らが困惑する理由に思い当たるところがあった。


「あんたたちはひょっとすると、バビロニアって国で生きてた人たちなのかな?」

『……はい。……バビロニアが通じないとなると、一体どれほどの時間が……』

「ああ、そうじゃないんだ。多分あんたたちは思い違いをしている。……手っ取り早く説明すると、今あんたたちがいるこの世界は、そのバビロニアって国があった世界とは少し違うんだ」


 アンデッドたちは顔を見合わせて沈黙した。


「この世界は、モルド。そう呼ばれている。生き埋めにされた奴らが、地底の巨大なミミズに呑まれて辿り着く世界。ここじゃあ場所も時間もぐねぐねと捻れてるから、元いた時代を知る相手を探すことも難しいって言われてるよ。……普通は一人や二人がぽつぽつと迷い込むもんだが、どうやらあんた達はバビロニアっていう国ごと迷い込んできちまったらしい。珍しいもんだね」


 レヴィはネリダの語った話の中に、なんとなく覚えているフレーズを思い出した。


「地中の大きなミミズ……ミミルドルス……」

「そうだ。私は元々モルドで生まれ育ったから知ってるけど、あんたら迷い人の世界でも信仰されてた神様なんだろう?」


 それは大地を司る迷いの神。

 大洋を司る巨影神ノーレ・ノーストルと対をなす地中の怪物。


「ここはミミルドルスの腹の中さ」




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