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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第四章 グールのベーグル
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速やかな救いの手

 リチャードが執刀団に所属して10年ほど経った頃。

 彼はその時既に執刀団でも名高い人物として頼られ、また同じくらい恐れられていた。


 常に団長のデイビットの横で彼を補佐し、あらゆる苦難が待ち受ける現場にも同行する命知らず。

 弓矢や魔法が飛び交う戦場の中を無感情な顔で踏破し、死にかけの兵士を治療し、あるいは将校の遺体を回収する彼の姿は、感情など持たない人形であるかのようにも見えたという。


 リチャードは妻子を持たなかった。

 理由は語らず、また聞かれることもなかった。

 当時のリチャードの給金は妻子を持ち中層に家を構えることさえ難しくはなかったが、既にその時のリチャードは、己の職務を通じて惹かれるものがあったので、豊かな生活には興味がなかったのである。




 そんな時、団長のデイビットがある日突然、死んだ。

 なんということはない。近隣の戦場跡でいつものように不死者退治をしていたところ、あまりにも運の悪いことに首なし騎士のデュラハンに遭遇してしまったのだ。


 魔法を弾く強力な呪いを身に纏う、接近戦では最強とも語られるアンデッド。

 普通であれば遠目に見かけた時点で大きく避けるべきアンデッドだが、小高い丘の裏で待ち伏せていたかのように佇んでいたデュラハンの存在に、不運にも斥候は誰一人気付けなかった。


 不意に遭遇した代償は執刀団の半壊。

 呪いの剣を腹に突き立てられたデイビットはそれでもどうにか持ち前の聖水爆弾によってデュラハンを追い払い、それ以上の被害拡大を防いだが、呪いの剣を受けた時点で彼の死は確定していた。


 死の間際、彼はリチャードに語った。


『遺書がある。読んでおけ……』


 今際の際、彼が残せた言葉はそれだけだった。

 ただそれだけを血に溺れた声でどうにか吐き出して、“死なない男”とまで呼ばれた彼は、あっけなく死んだのである。


 リチャードは微かに震える手で彼の脈と呼吸が消えたのを確認すると、デイビットから何度も教わった通りに、彼の頸椎を砕き、頭蓋を砕き、適切な処置をした。


『……なぜそんなことができるんだ』


 他にも生き残っていた誰かが、執刀団として模範的な行動を示したリチャードに対し、呆然と、非難するような声で呟いた。

 リチャードは言った。


『慣れればできる』


 デイビットが教えた時と同じように。





「……脚が折れてる。服越しに触ってみた感じ、腫れてるだろうな。どこかから落ちて、そのまま無茶して動いてた感じだ」


 坑道の中はにわかに騒々しくなっていた。

 ある日レヴィが運び込んで来た荷物が全ての原因である。


 それは彫刻用の素材でも不死者でもない、生きた人間。

 未だ壁際に縫い止められているベーグルと同じ防護服を着た、若い女性のようであった。


 突然の拾い物に、当然ながらルジャとパトレイシアは慌てた。

 生きた人間と接触できるとは、さすがの二人もほとんど予想していなかったためである。

 しかし目の前にある半死半生のそれは紛れもない本物の人間だ。

 新鮮な情報源である以上、死なせるわけにはいかない。二人はどうにか女性の救命を行おうと、慌ただしく動き回っている。


『水が必要です。人間は水なしでは生きてゆけません。しかし、埋没殿に溜まる水は瘴気を含んだ毒を持ち、同じく空の霧を抜けた雨も有害でしょう。……私の魔法を使えば、少量ですが水を作れます。それをどうにか飲ませたいのですが』


 飲み水は用意できる。

 パトレイシアは基礎的な水魔法を扱えるからだ。

 ただ、水が用意できてもそれを安全に飲ませることは難しかった。


「マスクを外せないのか?」

『……短時間であれば問題はないでしょう。息を止めてもらい、袋詰めした水を防護服の中に収納し、服の中で飲んでもらえば……しかし、僅かでも瘴気を吸い込んで、果たして問題ないものか……』


 防護服の女は弱り切っていた。

 生きてはいる。しかし呼吸は荒く意識も朦朧としており、今もこうして不死者が取り囲んでいるというのに驚いた顔のひとつも見せていない。

 そんな状態では受け答えもできず、息を止めておけとも言えない。

 弱った状態で荒くした息で瘴気を吸えばどうなるか。

 やってみないとわからないことではあるが、人の生き死にがかかっている以上、軽率な行動は難しかった。


「あ……」


 臨時的な救護室となった部屋には、いつの間にかリチャードの姿もあった。

 先程から騒がしくしていたので、坑道のどこにいても気配は伝わっていたことだろう。レヴィはそのことに気づくと少しだけばつが悪そうにしたが、リチャードは構わず防護服の女性に近づき、片膝をついた。


『リチャードさん……?』


 リチャードは防護服の生地を確認するように撫で、摘み……それだけやって、部屋を去っていった。


「……なぁパトレイシアさん。部屋の瘴気を一時的に追い払うことはできないのか? 炎とかで、こう」

『瘴気を……ええ、できなくはありません。炎は瘴気を変質させ、完全に消滅はできませんが大きく無害化はできます。ただ、それには部屋を可能な限り密室に近くしなければならず……何より空気が薄くなります』

「ぐ、それは、参ったな。……なんとか水を飲ませてやりたいが」


 女性は脱水の兆候を示していた。水筒らしきものは背中側に備え付けられていたが、既にそれも空になっている。

 何日間地下をさまよっていたのかはわからないが、彼女は既に限界だった。


「はぁ、はぁ……」

「お姉さん……」


 レヴィは渇きに喘ぐ彼女の苦しみ方を知っていた。

 その辛さも、その先に待つ死の距離もなんとなくわかっている。

 レヴィはただ手を握り、励ましてやることしかできない。


『あ、リチャードさん……?』


 そんな中、リチャードが部屋に戻ってきた。

 彼はその手に皮袋といくつかの道具を持っていた。

 リチャードはそのまま道具を女性の傍にばら撒いて座ると、すぐさま木片に文字を書き記した。



 “この皮袋に水を満たせ。”


『! ……わかりました。すぐに!』


 指示を受け、考えるよりも先にパトレイシアが動いた。

 リチャードが広げた皮袋の中に魔法で水を注ぎ込み、あっという間に満たしてゆく。


 水でいっぱいになった皮袋の口を窄め、僅かに水と中に残った空気を吐き出す。そうして水だけになった皮袋を、リチャードはルジャに手渡した。口をしっかりと閉じさせるようなジェスチャーをしてみせたので、ルジャは何度も頷いた。


 次にリチャードは木製の細い管のようなものを取り出して、袋の口に紐で取り付ける。紐をきつく縛り、袋と管を一体化させると、それはストローのついた袋のような姿になった。


「おおそうか、これで! ……これでどう飲ませるんだ?」


 ストローのついた飲み物。しかしその後がわからない。

 防護服を外せない以上はどうしようもないとルジャは考えていた。


 だがリチャードの手法は至って簡単だった。

 手に錐を持った彼は、女性の防護服の鎖骨あたりをブスリと刺したのだ。


『ええっ』


 すぐさまそこに管を突っ込み、先端を口元に導いてゆく。


「……!」


 女性が縋るような表情でそれを咥えたのを見るや、リチャードは手持ちから松脂のようなものを取り出して、穴の空いた防護服の隙間をペタペタと埋めてゆく。


「なんとまぁ……そういうやり方かぁ」

『なるほど……』


 穴を開けてストローを刺し、水を飲ませる。

 それは実に単純な救命措置であった。


「……良かった」


 力なく、しかし一口ずつ貪欲に水を飲み始めた女性を見て、レヴィはほっと表情を崩した。






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