地下世界の敵と味方
『全身を覆い尽くし、外気に触れさせない……防護服、なのだと思われます』
「やっぱりそうか」
明くる日、坑道の面々がベーグルのもとに集められ、全員で現場の検分と意識の共有が行われることになった。
以前のスケルトロールの死骸も記憶には新しいが、今回はあらゆる意味で事の大きさが違う。
それは、今まさに彼らの目の前で蠢くグールが示していた。
『……首元に文字が書かれています。一部の形は異なりますが、読みは……おそらく“スミス032”、でしょうか。何らかの団体か、製造番号か、チームの所属を示すものでしょうね』
グールは青白く光るパトレイシアに両腕を振り回すが、それが彼女を傷つけることはない。グールは幽体を傷つけるだけの魔力を持たないためだ。
なので、パトレイシアは安全にベーグルの装備や人相を検分できた。
『瘴気か、それに類する過酷な環境内で活動するための装備なのだと思います。しかし、肩の咬み傷を見るに……ええ、グールにされています。間違いなく』
「やっぱりか」
ルジャは無意識に剣を強く握りしめていた。
グール。それはバビロニアでも何度か発生する脅威であったが故に。
対して、レヴィはよくわからない風に首を傾けていた。
『ヴァンパイアに噛まれ、負の力を注ぎ込まれた人間はグールとなります。……レヴィさんは、ヴァンパイアはご存知ですか?』
「うん。……血を吸うの」
『はい、よくご存知ですね。……ヴァンパイアはほとんど人間と変わらない見た目を持ったアンデッドです。知能を持ち、人間と遜色なく対話できるのも特徴ですね。何よりも、他のアンデッドとは違い、独自の系譜を持つことでも知られています』
ヴァンパイアはアンデッドの中では異色の存在だ。
まず、ヴァンパイアはほとんど自然発生しない。というよりも、その発生原因が定かでない。
一説には真祖と呼ばれる最初のヴァンパイアが死者より発現することで、そこからヴァンパイアの眷属が作り出されることにより広まるなどと言われることもある。
他には魔法によって人間が真祖のヴァンパイアへと変貌する、などといった説や、そもそも真祖は魔物であり、人間がそれに噛まれることでヴァンパイアになるなど様々だ。
確かな説は未だに確定していないが、間違いないのは自然発生することがほとんど見られないという点であろう。
『バビロニアが崩壊し、埋没殿が生まれ……人々は多数のアンデッドに成り果てました。しかし、やはりそこにはヴァンパイアの姿はほとんどありません』
「だが、ここにグールがいる。ヴァンパイアが人間を噛んだ証拠だ」
『はい。まぁ、もともとバビロニアにヴァンパイアが潜伏していた可能性もありますが……だとすれば長期間吸血できずに死に絶えているはずです。なので、このヴァンパイアは外からやってきた存在なのでしょう。そしてこのグールもまた、同じように』
見慣れない真新しい防護服。
埋没殿にいるはずのないヴァンパイアの痕跡。
それらは間違いなく、埋没殿の外からやってきた存在であることを示していた。
『装備からして、埋没殿の存在を知った上で調査か……バビロニアの遺品を取りにきたのでしょう。……金品はあちこちにありますから、欲目が出るのも無理はありません』
「滅んだ大国の財宝を取り放題、か。まぁ気持ちはわかるな……だがヴァンパイアはどういうことだ?」
『……ヴァンパイアも系譜は違えど、瘴気を好みます。推論でしかありませんが、もしヴァンパイアが地下に巣食っているのだとすれば、埋没殿そのものの住環境に惹かれたのかもしれませんね』
ヴァンパイアは陽の光を嫌い、瘴気を好む。
その点、常に分厚い瘴気によって陽光が阻まれる埋没殿はヴァンパイアにとっては最高の環境だ。
吸血対象たる人間が少ないというデメリットもあるが、こうして金目当ての訪ね人が多くいるのであれば、それも無視できるかもしれない。
「……ヴァンパイアって、悪い人……なんですよね?」
レヴィはおそるおそる訊ねた。
子供にとって、ヴァンパイアは有名な存在だ。夜闇に紛れて生者の血を啜るそれは夜更かしする子供を怖がらせるのに最適だったし、何よりバビロニアでも発生しうる事から身近な脅威として認識されていたのだった。
『悪い人、ですか……そうですね……』
脅威である。しかし、既にアンデッドとなった自分たちにとってはどうだろうか。
生身を持つレヴナントのレヴィですら、鮮血は通っていない。ヴァンパイアに吸血される心配はないだろう。
ヴァンパイアに襲われる直接的な理由は無いように思われた。
しかしヴァンパイアは人を襲う。現に、この防護服の人間は肩を噛まれている。
彼は墓荒らしだ。褒められたものではない。だが人間である。
『……人間を襲う以上は、悪い人。かもしれませんね』
結局、パトレイシアはそう答えるしかなかった。
人間だった頃の価値観をなぞっただけの、経験の延長線上にある理念。既にアンデッドとなった自分がその結論を出すことに何の意味があるのかと自問したくなるが、レヴィの手前それは押さえ込んだ。
「このベーグル君は、きっと仲間の手で仕留められたんだろうな。吸血鬼に噛まれ、グールになって……んで、槍で頭を一突きって感じだな。鼻と目を巻き込んで串刺しにされ、無力化されたと判断され放置ってとこか」
他にも仲間はいたのだろう。
ベーグルは仲間の手によって現状のように縫い付けられたのは間違いない。
そこから始末されなかったのは、仲間の温情か。憐憫か。
「なあリチャードさん。このベーグル君から話を聞ければ、外の話もわかると思うんだが……あー、目の潰されたアンデッドでも作品鑑賞ができたりとかは……しねえよな、うん」
リチャードは無言で首を振っていた。
視覚かそれに類するものがなければ感銘の与えようは無い。頭部を潰されたグールを呼び覚ますことは難しいだろう。
「……他にも人、いるのかな……」
『可能性は高いですね。会えれば地上の情報が得られるかもしれませんよ』
「……もう、死んでるのに……優しくしてもらえるかな」
その言葉に思わず思考が止まる。
自分たちは既にアンデッドだ。対する向こうは人間。
意思の疎通は出来ても、果たして友好的な関係を築けるかどうか。
相手は墓荒らしだ。アンデッドの王国と渡りをつけにきた親善大使ではない。
そう考えた時、パトレイシアもルジャも、先行きは極めて辛いような気がしてならなかった。
ヴァンパイアは人の血を啜り、時にグールとする。極めて危険で敵対的なアンデッドだ。
しかしそのヴァンパイアがいなければ、ここにいるベーグルは人間としての倫理観を振るい、地底に害を及ぼしていた可能性もある。
彼らの槍は滑稽なことに自らの顔に突き立てられているが、それは紛れもなく持ち込まれた類の武器である。
次に彼らと出会った時、それが自分たちに向けられない保証などはどこにも存在しない。




