死体を踏みつけて
リチャードは木彫りの途中で作業を中断し、坑道の外に出た。
向かう先はスケルトンハウンドの吠え声が響く場所。足場の悪い道をステッキを使いつつ進めば、数時間程度でたどり着けた。
崩れた大階層の地盤が小高い崖となるそこは、見晴らしが良い。
リチャードは眼下に広がる景色の中に、絶えず蠢く白い群れを見つけた。
群れ、襲いかかるスケルトンハウンド。
そして、対するは盾と剣を構えたスケルトンソルジャー。
スケルトンソルジャーは見事な動きで相手の攻撃をいなしつつ、堅実な退却戦を繰り広げている。
荒れた足場を利用して多対一を避け、攻撃の際には仕留めを焦らず、牽制に重きを置いている。
盾の使いこなしを見て、リチャードはすぐさまそれが王国騎士団のものであることを看破した。
王国に敵対するものから民を守る、バビロニアの誇り高き兵士。
しかしその実態は塔の外に送り出される侵略の戦士であり、守る為の盾ではなく、攻める為の剣であった。
リチャードも執刀団にいた頃は、彼ら騎士団と行動を共にすることは多かった。
彼らは身なりこそ常に白銀に煌めいていたが、団に所属する者のほとんどは平民か貧民あがりの粗暴な男たちである。バビロニアが塔の外の危険地域に送り出す者は一部を除けばほとんどが貧しい者たちばかりで、それは騎士団であっても例外はなかった。
それでも騎士団という名が、白銀の鎧の誇りが、出世への微かな希望が、粗暴な男達を辛うじて騎士団として纏めている。
多くの騎士は夢を見ながら死んでゆく。塔の墓地にすら帰ることなく、戦場に遺棄された。
そしてリチャードは、そうした無念の騎士のアンデッドを、何体も討伐したことがある。
晩年、執刀団団長のデイビットは語っていた。
“俺たちが治してやらなくても、連中は勝手に起き上がって戦い続けるんだからやるせねえよな。不死者になって戦ったところで、名誉は得られないってのによ。”
リチャードは工房に戻り、再び木彫りと向き合っていた。
思い出すのは執刀団にいた頃の日々と、そこで出会った騎士団の顔ぶれだ。
騎士団の多くは死ぬ。
死んでもほとんどの遺体は回収されない。
死して屍となり戦い続ける。それもまた良い事とされていた。遺体を塔に運び上げるのは金がかかり、集団埋葬地に入れることにも金がかかったからだ。なので貧乏な騎士達のほとんどは死体を戦場に置き去りにされることを望んだ。そう自ら望む事が騎士道である。そういった風習や空気は、数百年前より完成されていた。
しかしリチャードは知っている。
死んだとしても故郷に帰りたいと語った、男たちの泣き姿を。
終末治療に当たっていた自分になけなしの金を握らせ、故郷での埋葬を願った余命幾ばくもない若者たちを。
死して尚、騎士たらん。
だが、そうは思わない騎士もいる。
スケルトンハウンドの群れに立ち向かうあのスケルトンソルジャーは、防戦を繰り返していた。
自我の稀薄なアンデッドだ。無意識的なものであろう。
だがその無意識は、アンデッドの何気ない行動に表出する。
その剣技は長年の研鑽。その専守防衛は微かに残された理念。
強く、しかし盲目的な勇猛さに縋ることのない柔軟な騎士。
カイトシールドに描かれていた塔の数は旗なしの三。
それは、副団長に匹敵する手練れの騎士の証であった。
“……騒々しい”
戦闘音もさることながら、遠くから甲高い歌声まで響いてくるのが不愉快だったので、リチャードは早々に場を後にした。
きめの細かい泥岩が見つかり、ノミのいくつかは切れ味を取り戻すことができた。質の良い刃物は、何年後でもその本来の切れ味を取り戻せる。
鋭い刃は木材を美しく削ることを可能にし、リチャードの彫刻の幅を大きく広げた。
石材では表現できなかった緻密な細かさを再現できる。
毛皮を、布地を、老いた肌を、歴史を語る目元の皺を。
やがて作業も終盤に近づくと、通りかかったレヴィがその作業をじっと見るようになり、同じようにしてパトレイシアも引き込まれた。
小さく削り、羽根箒で木屑を払う地道な繰り返し。だがそれによって生み出されるものは、どうしてかアンデッドたちの目を惹きつけてやまない。
仕上がった作品は、騎士の像。
歳の若い騎士であり、階級も低い。男はボロボロになった装備を着込み、俯いていた。
彼は足場の悪い場所に立っているように見える。だが、目を凝らせばそれは足場ではなく、人であることがわかる。
若き騎士は、アンデッドと化したかつての仲間を踏み砕いていた。
階級は高い。それが若者とどのような関係なのかはわからない。
事実なのは、それが騎士の実態であるということだろう。
製作再開歴13年、リチャード作。
“遠征”。
『……リチャードさんは昔、塔の外で軍として活動していたことがあります』
仕上がった木彫を見ながら、パトレイシアが語る。
リチャードはこの場にいない。彼は作品を仕上げると後は興味を無くしたように出て行き、今はまた別の何かを削っているらしい。
音からして、罠の増強を図っているようだった。
『騎士は煌びやかに見えるでしょうが……実態は過酷なものだそうですよ。終わらない戦い、どこまでも続く戦線……塔の外の世界は、恐ろしいのです』
パトレイシアは目の前の木彫を見て感じ入るものがあったようだが、レヴィは不思議そうに首を捻っている。
塔の外や騎士のあり方は、彼女にはあまり伝わらなかったようだ。
『ふふ、難しい話をしてしまいました。ごめんなさいね、レヴィさん』
「……ううん」
レヴィにとって騎士とは遠い世界の存在であり、身近にあったこともない、空想上に近い職業であった。
あるいはそうした貧民と距離を置くことこそが、長年に渡って騎士団の幻想を下層民に見せていたのかもしれない。
『削られて重さは減ったでしょうが……レヴィさん、持てますか? 無理なら運び込んで来たように……』
「大丈夫です」
レヴィは仕上がった木彫を持ち、胸の前に抱え上げた。
『だ、大丈夫なのですか』
あまりにも軽々と持ったものだから、パトレイシアは感心するよりは先にレヴィの身体が心配になってしまう。
対するレヴィはどうということもなさそうに首肯する。無理をしているようには見えなかった。
『でしたら、良いのですが。……ふむ……』
時が経つにつれ、レヴィの体力は上がっているように、パトレイシアは感じている。
しかし自分の方は魔力もほとんど上がらず、かつて使えた魔法を取り戻せる感覚もない。
アンデッドは共食いをすることで、相手の負の力を取り込める。
レヴィは日頃から罠にかかったスカルベを仕留めているので、それによって力が増しているのではないか。パトレイシアはそんな仮説を立て始めていた。
仮説だが、日に日にその説が有力であるような気がしてならない。
アンデッドを倒せば倒すほどに強くなれる。
だとすれば、レイスである自分もより強くなれるはずだ。
しかし、強くなるためにはアンデッドを倒さなければならない。
生前の頃ならば危険な魔物相手なので躊躇など無かっただろう。だが今は自分もアンデッドであり、アンデッドが自我を取り戻せることを知ってしまった。
戦える力は欲しい。いつかそんな日が来るからだ。
しかし、ここにいるアンデッドはかつてのバビロニアの民だ。それをどれだけ倒せば、力が得られるというのだろう。
パトレイシアは苦悩することが増えた。




