リチャードの処刑
“死の底”。
それは天高く聳え立つバビロニアの地下深くまで続く、旧時代の坑道である。
バビロニアの基礎として岩盤まで無数の大穴が穿たれた際、膨大な規模の鉱脈群が発見されたのが始まりであったという。
鉱脈は各地から集められた奴隷たちによって採掘され、バビロニアに莫大な富をもたらした。
しかし劣悪な労働環境に無茶な採掘計画は、同時代の事業と比べても遥かに多い死者を生み出した。
崩落と火災が起こらない日はなく、水没や生き埋めの被害に遭った使い捨ての作業者達は救助されることもない。
労働資源は物として消費され続け、やがて長大な坑道内には作業者たちのアンデッドが犇めくようになり、不死者の数と勢いは幾度もの討伐計画をもってしても押し返せないものとなった。
やがて、坑道は資源が枯れるのを待たずして、厳重に封鎖されることとなる。
古来より封印され続けてきた不死者の巣窟。
それこそが、バビロニアの直下に広がる“死の底”であった。
バビロニア最下層の貧民窟より、磨耗した古い石階段を降り、六つの施錠された鉄門をくぐり抜けた先に、その大穴はあった。
かつてそこにあったらしい作業者搬入用の昇降機は大昔に取り払われ、今は漆黒の穴がそこに広がるばかりである。
直径は40メートルほどもあるだろうか。
万が一にも不死者が這い上がれぬよう縁には滑らかな石材が使われ、目に見える限りではほぼ垂直であるように見えた。
落ちれば、縄や鉤を使ったところで容易には上がれるものではない。文字通りの深淵。
「うっ……なんと、おぞましい瘴気……!」
何より、大穴より立ち上る濃厚な死の気配。
下へ降りるまでもなく肌で理解できる不吉な気配は、未だに死の底で不死者が蠢いている証であろう。
どこまで続くかも知れない大穴を無事に降りていけたとして、下で待つのはおぞましい不死者達による歓迎だ。
死体は清められることなく、魂は浄化されることもない。
処刑の見届け人として来た大神官は、自身でも初めて目にする死の底の恐ろしさに身震いした。
「クカ、クカカカカカッ! この底で餓死をしたいとは、いや、実に面白い。果たして、餓死などしている時間があるだろうかなぁ? ん? クカカカカカッ……」
今宵、死の底にて異例の処刑が行われる。
罪人はリチャード。その罪は“騒乱罪”。
死を想起させる作品を意図して作ったことが罪であるという。
見届け人は王自身と大神官、親衛隊、その他大勢である。
顔ぶれは様々だが、誰もがその顔を蒼白にしていた。
王による処刑は珍しくない。見せしめのように殺すことなど日に何度かあっても不思議ではなかった。
しかし今回処刑されるリチャードという男はバビロニアでも有名な芸術家の一人であり、彼の作品は高い評価を得ていたし、貴族階級の中でも愛好家は大勢いた。いわゆる成功者の一人だったのだ。
そんなリチャードが、取ってつけたような罪によって殺される。名も顔も知らない相手ならばまだしも、有名人が何の予兆も無しに死罪を宣告されるというのは、上流階級の者達であっても身近で、恐ろしい出来事であった。
しかし、その当人はさほど恐れていないように見える。
「フン……」
眇の狂王ノールにとって、この期に及んでも恐怖に歪まないリチャードの澄まし顔は面白くなかった。
「ただ岩盤に打ち付けられて死ぬのも、亡者に食われて死ぬのもつまらんな。望みの通り、餓死をして貰わねば困る」
背の小さな王は枯れ枝のような指を鳴らし、親衛隊の一人に道具を用意させた。
長いロープと、一本のステッキである。
「ロープを使って下に降りるがいい。亡者に襲われたならば、ステッキでも振り回して抗うがよかろう。クカカカカカ……せいぜい暗闇の中、亡者に齧り殺されぬよう励むといい」
ノールは邪悪に嗤い、下からリチャードの顔を覗き込んだ。
しかしそこに映る表情はやはり、何もない。
「つまらん。やれ」
「ハッ!」
リチャードの体が縛られる。
細い体は右腕以外がきつく拘束され、抜け出すことを禁じられた。
右手にはステッキ。石突きには鉄を用いているようだったが、武器として扱うにはあまりにも頼りない。
こうして、リチャードの処刑は整った。
「……かの罪人、リチャードの魂に安らぎがあらんことを」
大神官の嘯きと共に、彼は大穴へと送られたのだった。
岩にぶつけて殺してしまわぬよう、ゆっくりとロープが伸ばされる。
リチャードは暴れることもなく、粛々と下降しているようだった。
三人がかりでロープを送る処刑人たちは、早くこの胸糞悪い仕事に終わりが来ることを祈っている。
作業は10分続いていた。
「!」
ある時、ロープが急激に軽くなる感触があった。
切れたのだ。
同時に、深い大穴の底から何かがぶつかり合うような音と、この世のものとは思えないナニカの叫び声が響いてきた。
「ひ、引き上げろ! 亡者を釣り出しては危険だ!」
引き上げたロープはリチャードがいた直前のところで荒々しく切断されていた。
大穴からはまだ、ぶつかり合う音が鳴り響いている。
死の底にはやはり、なにかがいた。数百年の時を経ても、何かが住み着いているのだ。
「……つまらん」
ノールはリチャードから押収した彫像を大穴に放り捨てると、やがて全ての興味を失ったような顔で階段を登り始めた。
こうして、リチャードの処刑は完了したのであった。
大穴の底ではまだ、物音が響いている。