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埋没殿のサイレントリッチ  作者: ジェームズ・リッチマン
第二章 レイスのパトレイシア
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通りすがりのお嬢さん

 座り心地の良い椅子を作ってもらった。

 ただそれだけのことだったが、たったそれだけのことはレヴィの原動力となった。

 働きにはそれに対して真っ当な、あるいはそれ以上の報酬が支払われる。そのような経験はレヴィの生前にも、その知識にもなかったことだったからだ。

 もはやレヴィはリチャードを疑うこともなく、生前の神父に対するそれ以上に素直に従っていた。


「……?」


 ある日、土管の連なる下水道跡地を歩いていたレヴィは、遠くの方から旋律が響いてくることに気が付いた。


 それは歌であった。文明を感じさせる、孤独を薄れさせる芸術の一つ。

 たしかにそのはずだったのだが、遠くから微かに聞こえてくる旋律はあまりにも恐ろしく、物悲しい。

 距離も遠いために歌声の意味なども拾いきれなかったが、レヴィはその声がどうしても好きになれなかったので、道を引き返して行くことに決めた。


 その道中で、彼女は偶然、それを見つけたのだった。


「わ、ぁ……」


 倒壊した家屋の内装が散乱する荒野。

 レヴィはその荒野の上に、ぼんやりと仄かに光り、浮かび上がる人影を見た。


 それは、美しい若い女であろう。

 細い身体つきと、滑らかな長い髪。

 そして話でしか聞いたことのないような、見るからに高そうなドレス。


 レヴィは貧民街から出たことのない少女であったが、確信した。

 その青白い華美な人影が、腰より下が煙のように薄ぼけていようとも、間違いなく貴族で、きっとお姫様という存在に違いないのだと。


「綺麗……」


 レヴィは暗がりの中に浮かぶ貴族令嬢の幽体に、ぼーっと見とれた。

 貴族令嬢は眠気まなこのようなぼんやりとした面持ちのままゆったりと宙を過ぎ行き、やがて魔金柱の合間にすっと消えて、それきり見えなくなってしまった。


「ぁ……」


 残るのは、近辺では珍しくもない人魂やスケルトンばかり。


「あっ」


 そしてレヴィは、未だ託されたおつかいをこなしていないことに気付き、慌てて探索を再開するのだった。




 それからレヴィは、探索のたびに荒野へ赴く事が多くなった。

 荒野には大きな燭台が何本も突き立っており、時折さまようウィスプがそれに宿って妖しい明かりを灯している。

 そんな荒野の上を、例の美しい貴族令嬢が通りかかるのだ。

 目にする機会はそう多くなかったが、貴族街の面影を残す瓦礫の上に浮かぶ美しい彼女の姿を見かけると、レヴィはなぜか満たされるような気分になれた。


 美しく着飾った女性への憧れ。生前に果たす事の叶わなかったそんな感情を、刺激していたのかもしれない。


「なに考えてるんだろ……」


 今日も貴族令嬢は、どこかへふわりと流れていった。





 リチャードは壁面を削りながら、悩んでいた。

 彫刻を施せる地下空間に際限はなく、自らの習作をそこに刻むことはいつまででも可能であったのだが、ここにきてひとつの壁にぶつかっていた。


 “やはり限界がある”


 細かな細工を刻もうとノミに小さな力を込めたが……しかし、壁面は意志とは別に、大雑把な砕け方をする。

 彫刻を施す岩石の質が良くない。それこそ、リチャードが直面した問題なのであった。


 最初こそテーマに悩むことは多かったが、いくつか作り、観衆の反応を見ることでおおよその方向性は掴んでいる。

 しかしここにきて材料の質という、非常に現実的な問題が露出した。

 生前も材料の調達に苦心することは多かったが、まさかアンデッドに変容した後も同じことで頭を悩ませるとは、リチャードも思っていなかった。


 とはいえ、解決策はある。

 簡単なことだ。材料は取りに行けばいい。


 “問題は、危険なことだな”


 大空洞の中心にそびえ立つ斜塔。

 バビロニアの唯一の面影が残る悪趣味な塔の周辺でならば、良質な素材はいくらでも手に入るだろう。

 上層は建築資材からして高級品を扱っているのだから、それを独占する貴族がいない今となっては、習作でも手慰みでも使いたい放題である。


 しかし塔の周辺にはあからさまにアンデッドが多く、遠目から見ても危険な個体が多かった。何より塔の内部から溢れる不吉な瘴気。内部は更に上位のアンデッドで満たされているに違いない。


 ひとまず、大空洞。その比較的安全な場所で、それなりの素材を入手したいところではある。だがそれも完全無欠に安全ということはない。活発に動き回るグリムリーパーが厄介だった。


 “さすがにレヴィにやらせるのは可哀想だ”


 リチャードは無愛想だが、ちょっと前から自分の周りをうろつくレヴナントの存在については、そこそこ憎からず思っていた。

 最初こそ不用意に作業の邪魔をすることもあったが、今はそのようなこともない。むしろ立体作品のための素材集めを積極的に引き受けてくれるほどだった。

 また、彼女を引き連れて作品への反応を見ることは、己のテーマの選定にそれなりの指針を示してくれるので、そういった意味でも貴重な人材である。

 彼女を粗雑に使い潰すことは憚られた。


「ただい……あっ」


 考え事をしているうちに、レヴィが戻ってきたらしい。

 レヴィはノミを手にしたリチャードを見て作業中だと思ったようだが、リチャードの方は脆い石材と向き合う気持ちが萎えていたところだったので、ノミを置いた。

 するとレヴィはぱっと顔を明るくするのだが、その反応はそれはそれで、芸術家のリチャードとしては複雑なところである。


「あの、これ。これ拾いました。置いておきますね」


 今や大腿骨も多く手に入るようになった。

 近頃はレヴィも目利きができるようになったのか、良質な素材を選り好みしているようにも見える。

 今日持ち帰ったのは、いかにも苦労したことのなさそうな滑らかな質感の貴族の骨である。愛嬌のない骨だが、組み合わせる分には使い勝手が良く、便利な骨だった。


「あと、えと。それと。……今日は、綺麗な女の人を見ました」


 綺麗な女の人。

 リチャードは芸術家なだけに、綺麗と言われれば気にもなる。

 しかもアンデッドの言う綺麗だ。その感覚にも興味があった。


「お貴族様で、ドレスがふわふわで、とっても綺麗で……でも、幽霊だったんです」


 貴族の霊。ドレス。全体像がはっきりとしており、綺麗とわかる程度には顔も見える。

 それは通常のゴーストではあり得ないし、もちろんウィスプなどでもない。

 であればその幽体は、おそらくはレイスの一種なのではないだろうかと、リチャードはあたりをつけた。


 “そういえば、まだ幽体アンデッドについては詳しくないな”


 坑道内はスケルトンやゾンビ系統が多く、霊の類は少ない。

 バビロニアが崩れた際に大空洞が生まれ、多くはその吹き抜けを好んでいるものと思われた。


 なのでリチャードは未だほとんど、霊からの反応を見ていない。

 自分の作品はアンデッドにも通用するが、幽体にまで影響が及ぶかどうかは未検証であった。


 “興味深い”


 ゴーストやウィスプの反応は読み取り難いが、表情や身体のあるレイスならば反応もわかりやすいだろうか。

 彼は黙々とそう考えていくと、次第に自身の中で創作意欲が膨れていくのが自覚できた。


 悔やまれるのは、ただただ材料不足である。



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