92. 地
新章、潰滅の章を始めます。
涙ちゃん視点の再開です。
あぁ、流海、流海、私の流海。君は一体どこにいる。
見つけるよ、大丈夫。
帰ろう、帰ろう、帰ろうよ。
綺麗で汚いこの場所から、私達の家に帰ろうね。
柘榴先生と猫先生も見つけて、受け止めて……帰ろうよ。
「――退け」
メリケンサックをつけた右手で、抑制部署の職員を殴り飛ばす。顎を殴れば脳が揺れる。鳩尾を殴れば呼吸が変則する。
いつもいつも、実働部隊の後処理どうも。終わって現れるお前らなんかに負けないよ。
警棒を躱して目を細める。白い廊下に響く足音も、息遣いもどうでもいい。
私達が戦えるのは、お前達が蔑んでくれたお陰だよ。
私は職員の腹部を殴り、後ろでは樒が狼牙棒の血振りをする音がした。
「弱いなぁ、大人ぁ」
「なってませんね、戦い方が」
意識朦朧としたヘルスの胸倉を掴む。男は私に嫌悪の目を向けるから、私も軽蔑の瞳を向けた。
「私の片割れはどこだ」
ヘルスは瞼を下ろして深い呼吸をする。答えるか否か早急に決めろ。お前に割く時間など無いんだから。
動作の遅いヘルスに苛立ってしまう。返事しないなら次だ。
私がヘルスを離そうとした時、掠れた声で吐かれる。その言葉は、私の胸を通り抜けた。
「……おまえたちさえ、いなければ……ヘルスは、幸せに、なれるのに」
ヤマイがヘルスを嫌いなように、ヘルスもヤマイを嫌悪する。
それがアレスだ。私達は一生かかったって相容れない。お互いがお互いを嫌って、嫌いから歩み寄ろうともしないのだから。
ただ一人、柘榴先生だけは違ったのに。あの人を奪っておいて、その口はまだ無様な意見を吐くのだな。
私はヘルスの襟を離し、倒れた相手は物同然だと判断した。
「聞き飽きましたよ、無能共」
血が付いた銀色のメリケンサックを指から抜く。痛んだ右手の骨を無視して、手当した傷が開かないことを願って。
無表情の樒はこちらを一瞥してから歩き始める。私は彼女の元に行き、冷えた手に武器を付け直した。
「ぎゃはは、世界でも改革する気かよ涙ちゃーん」
「なにを寝惚けたことを」
改革なんて小さな一人のヤマイに出来るわけないだろうに。改革とは人望があり、多くの同志と共に世界の指針を変える行為だろ。
私はそんなの望んでない。大それた望みはない。私にあるのは、流海と、先生達と、ただただ生きることだけなんだから。
この過程では何も生まない。何も芽生えない。喪失していくだけだ、崩壊していくだけだ。
後に残るのが何かだなんて、私の知ったこっちゃない。
「私に出来るのは、ヤマイらしく壊す事だけですよ」
「なーるほーど、ね!」
樒が勢いよく研究室の扉を壊す。中には誰もおらず、代わりに警報が鳴り始めた。
「ちょっと、樒」
「こっちの方が私達に視線が向いて、朔夜と永愛が動きやすくなるっしょ」
樒は側頭部を叩いて「なぁ樒ぃ」と、男の自分に声をかける。私には聞こえないが、何か皇の方と話しているんだろう。
皇樒がパナケイアへ来たのは、恐らく柘榴先生の為だ。
かつて抱いた淡い想いだとか、泡沫の記憶だとか私は興味ない。それはこの金髪達の感情で私が口出す所にはないのだから。
「分かってるよぉ相方、大丈夫だって。私に任せなさーい」
樒は狼牙棒を手足のように回す。女性らしい体躯からは考えられない行動を見つめ、私は廊下の先から走ってくる警備員も見た。
「よっしゃー、ぶっころーす」
「任せましたよ、樒」
「あれ、涙ちゃんも一緒にじゃねぇの?」
「勝手に呼んだのは貴女でしょ。全員譲りますよ。メリケンサックと狼牙棒だと互いの邪魔をしかねませんし」
「本音はぁ?」
「流海が最優先」
「素晴らしい! いってらしゃーい、生きても死んでもどっちでもいいよー。死んだら樒と一緒にゲラゲラ笑ったげるぜぇ」
「そりゃどうも」
私は警備員がやって来る方とは反対側へ走り出し、背後では狼牙棒が振られる音がした。
暴力があれば、樒は水を得た魚のように目を輝かせる。赤い瞳は生き生きとしており、彼女に巻き込まれるなど私は御免だ。
勝手に自分に引き付けて、勝手に伊吹と竜胆が動きやすいように画策すればいい。
――売ってよ、流海の為だ
耳の奥で嫌な声がする。
私は薬を入れた鞄の紐を握り、金髪の姿を頭から遠ざけた。
パナケイアの東側にある研究室や治療室は大概見た。西側にいたら伊吹か竜胆から連絡が入るはず。どうやら私のスマホは防水だったらしく、見ればきちんと画面が点灯した。
さて。
私は渇き始めた髪を耳にかけ直し、パナケイアの地図を思い浮かべた。
上から見た形はカタカナのロ。一階が定期検査などを受けさせられる階。二階以上が主に研究に関する場所、五階が実働部隊に関する階。私がいるのは三階だ。
今まで見た部屋を思い出す。実験室に、研究室。治療室、休憩室、シャワー室に転移室。検査室。
「……あれ、」
私は角を曲がって足を止める。
思い出せど、思い出せど……思い出せない。
――隔離室へ搬送。再経過観察段階に移行します。順次薬液投与の準備
「……隔離室なんてあったか? ここ」
流海が連れて行かれたのは先生達とは違う。
先生達は実験室。流海が運ばれたのは隔離室。しかし私は今まで、隔離室などと言う部屋は見たことが無い。
ヤマイの状態を確認するのは実験室。
マッキ後の体調確認など、ヤマイの身体を確認するのは検査室。
治療室はその名の通り実働部隊や、研究中にヤマイによって怪我をした研究員を手当てする場所。
研究室は研究員それぞれの資料置き場でありほぼ私室。
シャワー室や転移室、資料室や薬品室は文字通り。
隔離する場所。誰を隔離する為の場所だよ。マッキは見つけ次第その場で対処する。手の付けられないヤマイを隔離する? それは実験室で事足りるだろ。
私は館内地図を頭の中にもう一度出す。疑い始めてから見られる場所は全て見た気がするのに。
まだ見てない場所。私の知らない場所。何かを隔離しても問題ない場所。
私は前髪を掻き、ふと足元に目を向けた。
誰かを閉じ込めても、見つからない場所……。
「……地下」
呟いて、私は伊吹に電話をかける。つい先ほど連絡先を交換したばかりだが、早々にかけることになった。彼は数コールで出てくれる。
「もしもし」
「もしもし伊吹、いま話せますか」
「あぁ、どうした?」
「パナケイアに地下ってあります?」
「地下?」
伊吹が暫し黙って、私は取り敢えず走り始める。横目に見る部屋の名前にやはり隔離室はなく、伊吹の声は疑問を混じえていた。
「俺は知らない。永愛もだ」
「そうですか。仮定なんですけど、パナケイアに地下があるとしたらどこに階段等があるんでしょう」
「急に言われてもな……取り敢えずあるなら一階だろうけど、なんで唐突に地下なんて発想になってんだよ」
「パナケイアの見取り図を思い出しているんですが、どうにも覚えがないんですよ。流海が連れて行かれたであろう隔離室って。伊吹は心当たりあります?」
電話の向こうで伊吹が思案する空気が伝わる。微かに奥ではヘルスの呻き声が聞こえたが、気にしないことにした。
地図に記載せず、隠さなければいけない地下があるのならば。それはどこに作る。どこから入る。
「普段は見えない場所だよな、そういう機密性のある場所の出入口としたら」
「ですね。なら……」
階段の踊り場に着き、こめかみを押さえる。気になる場所は今まで無かったと思うが、自然過ぎて私が見落としている可能性の方が高い。
眉間に皺が寄った時、不意に床が揺れた。
地震、違う、違う。この揺れ方は地面が揺れたのではなくて、建物が揺れたんだ。
――大人しくなんて、してないから
そう、そうだよね、流海。
私は口角を上げて、熱くなった目頭は無視していた。
「ッ、涙、今揺れたのってお前のせいか?」
「まさか、きっと流海ですよ」
「あぁ……お前らって、ほんと」
「誉めて良いですよ」
「あー凄い、凄いよ、ほんと」
「心がこもってないですね、それでは切ります。お時間ありがとうございました」
伊吹の言葉を待たず、私は揺れの元を探してスマホを切る。階段を走り抜ければ揺れはもう一度響き、館内には警報が木霊した。
悪いな、入院しているヤマイ達。ヘルス達には謝らないよ。プラセボ見つけてくれてどうも位の感情も抱きたくない。
私は一階まで駆け下りて、廊下の電気が点滅している様を確認した。
床にヒビが入ってる。避難する受付担当達を見て、私は彼らがやって来た方へ向かった。
逃げるのは元に何か危険があるから。ならば私はその危険に飛び込む道を選ぶよ。
ヘルスにとっての危険は私達だから。ヘルスとヤマイは、一生同じ方向には進めない。
玄関正面、パナケイアの顔とも言える受付のカウンター内に飛び込む。いつもここで身分証を出して入っていた。その奥、内側は知らない。私達が見る必要のない場所だと思っていたから。
私はヒビの深い床に着地し、傾いた体に一瞬思考を止めかけた。
あ、床、落ちる。
もっと損壊レベルを確認しておけばよかった。馬鹿だな。
崩れる足元を理解して、それは地下がある証拠だと受け止める。
私は咄嗟に床を掴もうとしたが、時すでに遅かった。
指先が瓦礫を掠めて、薄暗い地下に落下する。
高さが分からない。膝を曲げるタイミング。流石にここで骨折は駄目だ。
私が息を止めた時、上に伸びていた腕を思い切り掴まれた。
反動で肩が軋み、目を白黒とさせてしまう。視界外、予想外の出来事は普通に驚くだろ。
揺れる私の足先と、必死に掴む手に気づく。
ヘルスは私を助けない。何か私に対する目的があったとしても、怪我をした方が捕らえやすいだろ。
だから今、私を掴むのはヘルスではない。研究員ではない、ならば誰なのか。樒はおそらく上階だし、伊吹や竜胆が来たとも考えにくい。手の感触からして流海でもない。
私は暫し足先を見つめた後、答えの分からない相手を見上げた。
「ッ、るぃ、さん!」
見えたのは、雨に濡れた紫がかった黒髪。緩いウェーブは頬に張り付き、額からは雨粒か汗かも分からない雫が流れている。
冷えた指先は私の腕を縋るように掴んで、震えている。
私は紫の少女、朝凪いばらの姿を理解して、目を見開いてしまった。
「朝凪、どうして」
「い、ま、それ、ちょっと、話せな、」
朝凪の体が私と一緒に下がっていく。
駄目だ、このままだと朝凪まで一緒に落ちる。
私は背筋に嫌な汗をかき、朝凪の手首を空いている手で掴んだ。
「朝凪、離してください。大丈夫です。私の目的は元々この地下へ行くことなんです、だから」
「でも、こ、のままだと、涙さん、落ちて、怪我、しちゃいますから!」
朝凪の顎から雫が落ちる。歪んだ彼女の表情を見ていられなくて、私は直ぐに下を確認した。
高さ的には一階分。途中に瓦礫が重なった部分がある。そちらに体を揺らせば平気。鉄筋が出ていることもなく、恐らく怪我はしない。痺れはするだろうが最小限でいける。
「聞いて下さい。朝凪から見て右側に瓦礫が重なってる部分があります。私はあちらに飛びます。二人一緒に落ちるよりマシです。だから腕を私に合わせて振って頂くことは可能ですか。三回目で飛ぶので離してください」
「は、はい!」
「では、いきます」
私は体を揺らし、朝凪が歯を食いしばった音を聞く。
足を大きく揺らして、朝凪から見て右から左へ。互いの肩や筋肉が痛む気がして、私は三回目で声を張った。
「手を!」
「はい!」
朝凪が手を離して、私の体が浮遊感に襲われる。落下する独特の感覚に息を止め、私は両手足を曲げて猫のように着地した。
――猫だなぁって思った
棗の言葉が脳裏を走る。猫、猫か……こういう所が、猫なのかな。
私は脹脛と両前腕に痺れを感じ、心臓を落ち着かせる。暫く同じ体勢で止まっていれば、近くに階段を発見した。
私は両手と足を振りながら瓦礫から飛び降りる。見上げれば私が着地したせいで受付の床の一部が崩落しているが、階段は無事らしい。
「涙さん、大丈夫ですか!?」
「平気です! ありがとうございます、助かりました!」
穴から見下ろしている朝凪は見るからに安堵した顔つきになる。彼女は笑いそうだと判断して視線を逸らし、私は声を張り続けた。
「近くに扉のようなものはありませんか! 地下に続く階段の入り口です! 朝凪から見て左側に少し進んだ所に階段があるんですが!」
「扉、ですか……探してみます!」
「お願いします!」
立ち上がった朝凪を見て、私は肩から力が抜ける。階段を上れば横開きの扉があるのだが、IDをかざす端末が合って開けることは出来なかった。これだと外からでも開けるのは難しいかもしれない。
私は階段を下って、左腕に指の感触が残っていると気が付いた。
「……朝凪」
どうして貴方は来てしまったのか。
あれほど困った顔をしていたのに、つらそうな顔をしていたのに。
ここに来て、貴方は自分を嫌いになりませんか。
この場に居て、貴方は傷つきませんか。
私は唇を結んで、周囲を見渡した。
地上の建物と同じような廊下が伸びる景色。明かりは受付の近辺は壊れて消えているが、奥は点滅や点いている場所がある。
私は天井の亀裂を追い、事故が起こったであろう方向を特定した。
「涙さん、多分なんですけど、入り口らしき場所が壁にありました! でもIDカードがないと開かないらしくて……」
朝凪の声が萎んでいく。私は顔を上げて、少しだけ言葉を考えた。
地下に流海がいた場合、この階段が唯一の脱出口である可能性が高い。その時は扉が開かないと困るからIDカードが欲しい。私は上には行けないから朝凪に頼みたい気持ちもあるが……IDカードを盗んで欲しいと頼むのはハードルが高い。高すぎる。
私は口にする前に案を切り捨てた。朝凪を頼ろうとするな、自分で考えろ。彼女にどの面下げてって、それは樒と桜、伊吹にも言えることなんだけれども。なんなら実働部隊全員に言えるんだけど。
私が口を結んでいれば、朝凪は決めたように顔を上げていた。
「IDカード、盗って来ます」
彼女の言葉に耳を疑う。
踵を返した朝凪を見る。
私は思わず、上擦った声で彼女を呼び止めてしまった。
「朝凪!」
止まった彼女の目がこちらを向く。紫がかった瞳は、揺れることなく私を見下ろしていた。
彼女は優しい。きっとここにも、何かを深く深く考えて、決めたから来たんだろ。だから理由なんて聞かないけど、どうしてなんて問わないけど、これから貴方がしようとしている行為は聞きたくなった。
私は、朝凪を心配してしまったんだ。
「貴方は、自分を嫌いになりませんか」
直ぐに自己嫌悪してしまう貴方が何かを盗むだなんて想像もできない。それは私の知っている朝凪いばらは出来ない行為だ。
朝凪が少しだけ息を止めた気がする。
かと思えば、彼女は眉を下げて、微笑を我慢してくれた。
「涙さん達の為に動けない私こそ、私は嫌いになりますよ」
吸った息が、震えてしまう。
私は左胸を掻き、朝凪は拳を握っていた。
「行ってください、涙さん。私を待たなくて良いんです。追いつきますから、何回でも、何度でも!」
言葉に背中を押される。
足が勝手に走り出す。
私は天井のヒビを追って駆け出し、朝凪の言葉は背中に乗り続けてしまった。
きっと、朝凪は私を友達だと思って、仲間だと思ってくれているのに。
私は、私はね、朝凪。貴方に言えないことをしたんだ。
流海を巻き込んで、背を向けることを選んだんだ。
――悪いヤマイになってよ
煙のように、呪いのように、嘉音の声が私にこびりつく。朝凪の言葉を覆っていく。
私は勢いよく床を蹴り、薄暗い地下で声を上げた。全てを掻き捨てるように、大切な目的を見つける為に。
「ッ、流海!!」
私の声は、静かな地下に反響した。
知る筈のなかった場所へ飛び込んでいく。
***
次話は水曜日に投稿予定です。




