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貴方が笑わない世界がいい  作者: 藍ねず
ヤマイ編 苦杯の章
83/152

83. 髪

 

「俺達の目的は流海の奪還と、猫柳さん、霧崎さんの安否確認でいいのか」 


「それが今は最善です。猫先生と柘榴先生の状態を思うに、パナケイアから連れ出すのは得策ではありません。勿論、状況を確認した時に残す方が悪手だと分かれば変更しますが」


「流海君の容態は?」


「……良くはありませんが、黙って待ってる質ではないんですよ、あの子」


 暗闇の中、涙達はパナケイアの第四十四支部の近辺に辿り着いた。路地に身を潜める四人は息を整え、今後の行動を確認する。


 涙は冷えた指先を握り込み、少女の横顔を樒は凝視している。赤い瞳は感情も考えも読み取らせず、丁寧に後輩達へ指示をした。


「なら二手に分かれましょ。朔夜君と永愛君で猫柳さんと霧崎さんを。私と涙ちゃんで流海君を探すわ。場所が分かり次第連絡を取りましょう」


 灰色と蜂蜜色、黒色の瞳が互いを見て頷き合う。そのまま四人は二手に分かれた。永愛と朔夜は共に西側へ回り、東側には涙と樒が走る。


 暗い路地を迷うことなく進む涙を見た樒は、声を掛けずにはいられなかった。


「涙ちゃんはぁ、なにがなんでも壊したい相手っているわけ?」


 樒からの藪から棒な問いに涙は目を瞬かせる。少女の黒い睫毛からは雨雫が滴った。


 樒は狼牙棒の持ち手を伸ばし、手元のスイッチによって棘を出現させたる。華奢な彼女が握った狼牙棒は皇が持つよりも大きく涙には見えたが、金髪のヤマイは無表情のままだった。


 涙は樒の問い掛けを頭の中で反芻させ、律儀に答えを返す。


「朧ですかね」


「うわぁ、予想通り過ぎて面白味ねぇなぁ」


「面白味なんて求めないでくださいよ」


 呟く涙は自分の手にウォー・ハンマーがない現実を見下ろす。彼女の武器は家の鞄の中であり、それはナイフも一緒であった。


 拳を握った涙を見て樒はポケットを漁る。彼女はおもむろに銀の武器――メリケンサックを取り出し、涙に投げ渡した。黒髪の少女は反射的に武器を受け取り、冷たい金属に掌の熱を奪われる。


「無いよりマシっしょ。私の隠し武器を贈呈してやろう」


「……助かります」


 涙は無難な言葉を返し、パナケイアの真東に当たる場所に辿り着く。少女は息を整えながら武器に指を通し、樒は金色の前髪を掻き上げた。


 涙は慣れない武器をつけた両手を何度か開閉させる。そのまま、何の気なしに問いかけた。


「貴方にはいるんですか、絶対に壊すと決めた人」


「あぁ? 私?」


 樒は頬を掻いて空を少し見る。頬を流れ落ちていく雨粒は、ヤマイの肌から熱を奪っていった。


「人じゃなくて、関係だったよ」


 樒が口角を上げて鼻で笑う。


 涙は彼女の表情を見ることなく言葉の奥を汲み取り、樒は狼牙棒を肩に担いだ。


 不毛な青春を思い出して、藻掻いた相方を嘲笑って。


 ヤマイとして生まれ、疎ましさしか知らなかった少女。そんな自分に初めて触れてくれた黒髪の人を、樒は瞼の裏に浮かべていた。


「……結局、壊せなかったけどな」


 * * *


 皇が一人走り回っていた頃、拠り所の無い少年の手当をしたのは柘榴だけだった。


 いつも狼牙棒を持って血だらけになり、生気のない顔をしたヤマイを彼女は放っておけなかった。一人のヤマイではなく、一人の少年を大人として気にかけたのだ。


「君はいつも怪我ばかりだね」


「……態とじゃねぇっす」


 中学三年生になった皇はその日も柘榴に頬を手当される。少年はアテナの戦闘員に傷つけられることはそう無かったが、狼牙棒を振り回すせいで周囲を壊すことが多かった。その二次災害による怪我は耐えることがなく、柘榴は眉を下げてガーゼを切っている。


「そうだね、態とじゃない。でも、もっと気を付けなさい」


 ガーゼを止めるテープを柘榴が伸ばし、皇の頬に押し付ける。少年は口を尖らせながら明後日の方を向き、柘榴は仕方がなさそうに救急セットの蓋を閉じた。


「霧崎、皇は来てるか、て……来てたな」


「猫柳か、今ちょうど手当が終わったんだよ」


「そうか」


 柘榴の研究室にやって来たのは抑制部署所属の猫柳ねこやなぎれん。彼を見た瞬間に皇の眉間には皺が寄り、蓮はヘアバンドを掻いていた。


 太いヘアバンドで前髪を上げている蓮は、無表情だと圧が増す。そのため柔らかい表情に努めようとしていたが、成果が見られることはなかった。


 皇は柘榴が貼ったガーゼに指先で触れる。前髪の下で顔をしかめた皇は、柘榴の隣に並んだ蓮を睨んでいた。


「なんすか」


「頼みごとに来たんだよ。皇が戦闘員の相手をしてくれるのは本当に有難いんだが、如何せん周りへの被害が多すぎる。もう少しどうにかならないか?」


「無理っすよ。俺は俺を守るので精一杯なんすから。戦闘員とかヘルスへの被害まで考える余裕ないんで」


 つっけんどんな物言いで顔を逸らす皇。彼は腰かけている丸椅子を遊ぶように回転させ、柘榴に手当された手首の包帯を見下ろした。


 回る視界に柘榴と蓮が順番に映る。二人は顔を見合わせて肩を竦めており、皇は口の奥で舌打ちした。腹の底で煮える感情は、皇に嫌味を吐き出させる。


「よくせー部署も大変っすよね。俺みたいな問題児の後片付けしなきゃいけないんすから」


 皇は皮肉を込めて口角を上げる。


 蓮が所属する抑制部署の仕事は実働部隊(ワイルドハント)の後始末とヘルスの対応。実働部隊(ワイルドハント)が活動することによって発生する破壊行為や人的被害。それらに付随して巻き起こる目撃情報などを「抑制」するのが蓮の仕事だ。


 その日も彼は皇が壊したビルの後始末を同僚と共に行い、襲われたヤマイへの事情説明から、目撃したヘルスに緘口令かんこうれいを敷くところまで奔走した。皇が実働部隊(ワイルドハント)に所属するようになって蓮の仕事が増えたことは言わずもがなである。


 皇は自覚している通り、実働部隊(ワイルドハント)の問題児であった。


 他のメンバーとの交流を取ることもなく、一人で戦い一人で勝つ。周りの影響など度外視して。


 彼は周りが己に掌を返す様を見た。教師もクラスメイトも、実の親でさえも、皇樒がヤマイであれば認めない。遠ざけ蔑み、勝手な悲観に暮れてみせる。


 だから皇は一人を求めた。一人でいれば誰に幻滅することも、突き放されることもないのだから。それは結果的に皇樒が求める平穏に繋がっていく。


 言葉を選ぼうとする蓮は少し黙り、その間に皇は喋り続けた。


「俺は壊すしか出来ないんすよ。戦闘員の頭を叩き壊すのも、建物や道を破壊するのも、学校の治安壊すのも、家族の仲を壊すのも、ぜーんぶ俺っす」


「皇」


「だから諦めてくださーい」


 勢いをつけて皇は立ち上がる。彼はそのまま姿勢悪く部屋を出て行き、廊下にあった鏡に手を突っ込んだ。


「変わるぞ」


 了承を得ないまま皇と樒が交代する。引きずり出された少女は頬に貼られたガーゼを指先で掻き、サイズの合っていない皇の服を掴んでいた。


「自暴自棄」


 樒は鏡に映る皇に悪態を零す。少年は樒を見つめ、何も言い返すことなどしなかった。


「次、戦闘員が来たら私が出るからね」


『それはタイミング次第だろ』


「アンタばっかり暴れてずるいつってんだよ」


 樒は目を細めて口角を上げる。樒にとっては暴力だけが感情を生む原動力であり、実際に破壊衝動が強いのも樒の方だ。


 彼女は暴力の楽しさを覚え、暴力だけが己を肯定する材料だと信じ、暴力だけで自分を構成しようとしている。


 皇は映る立場として樒と同じように口角を上げ、己の相方に近づく人影に息を詰めた。


「皇」


「霧崎さん」


 樒は微笑んで振り返る。去年の事件以来、樒は微笑と愛想の良さを学びつつあったから。暴力を求めて暴力を愛するからこそ、それを得続ける為には土台がいるとヤマイは学習した。


 窮屈だと思うが、皇に自由がなければ樒の自由も確立されない。それならば努力はしてやろうと割り切ったヤマイは、柘榴に対して微笑み続けた。


 柘榴は脱いだ白衣を樒の肩にかけ、ヤマイは赤い両目を瞬かせる。


「着替えてくるまで羽織っていなさい。着替えは持っているね?」


「はい。ありがとうございます」


 柘榴は鏡の中にいる皇と、目の前で微笑む樒を確認する。ヤマイは人懐っこく笑い続けており、だからこそ柘榴の手が樒に伸びた。


 白い手で金髪を撫でた研究員。彼女に対し、ヤマイは笑顔を固めてしまった。


 柘榴は時折、悪意なく樒に触れる。傷を撫でて、身を案じ、年相応の子どもとして扱おうと歩み寄って。


 それが樒には理解できない。ヤマイである自分に触れるヘルスが、樒の肺に感情を蓄積する。


 樒は心地よい息苦しさを吐き出したくて、柘榴に質問した。


「なんですか? これ」


「あぁ……思わずね」


 白い手が樒の頭を撫で続ける。笑みを硬直させている樒は首を傾けて、鏡の中の皇も同じ反応を映していた。


 柘榴は二人の様子を確認し、困ったように目を伏せている。


「頑張る君達を、猫柳は責めたい訳じゃないんだよ」


 樒の眉が動く。


 皇の呼吸が一瞬だけ止まる。


 柘榴は穏やかに、微睡みに誘うような優しさを込めて告げていた。


「あの男は口下手なんだ。二次災害をよく起こす君達が心配で、怪我を増やして欲しくないから、もっと減らせないかと相談したんだ」


「……ふーん」


 樒は答え方を知らない。空っぽで内部形成が出来ていないままの彼女は、あまりにも暴力がお似合いすぎる。


 だから胸に浮かんだ温度が理解できない。胸を掻き毟りたくなる衝動が分からない。


 柘榴は樒から手を離し、困ったように微笑んでいた。


「伝えるのは難しいね、やはり」


「受け取る側が空っぽである分、尚更ですね」


 樒は当たり障りなく微笑を崩さない。柘榴は壁のある少女の姿に、家にいる小学生の二人を重ねていた。


「空っぽならば、これから埋めていけばいいだけの話だよ」


 柘榴の指が樒の前髪を整える。鏡の皇は自分の前髪にも触れられている気がして、背中に走るむず痒さは樒の感覚だと言い聞かせた。


「怪我をしたら私の所においで。手当するから」


「手間なことしますね」


「手間なもんか」


 樒は分からなかった。どうして柘榴が自分を構うのか。ヘルスの癖にヤマイを気にかける姿は、決して優越感を得ているものではない。


 霧崎柘榴はヤマイを相手に、いつもいつも誠実に、一人の人間に対する接し方を貫いていた。


「霧崎さんって、物好きなヘルスですよねぇ」


「そうかい?」


「普通ヘルスはヤマイを嫌いますよねぇ。もしくは放っとくものです。だからヤマイに構う霧崎さんは物好きだと思います」


「あぁ……」


 柘榴は言葉を濁らせて横腹を摩る。それは自分を安心させるような動作であり、柘榴は直ぐに微笑んだ。


「私だって、最初はヤマイに何も思っていなかった訳ではないんだ。それでも猫柳と……良い先輩達に出会えたから。ヤマイへの偏見なんてもうないよ」


「猫柳さんと、良い先輩達」


「そう、恋人同士の先輩達だったよ。元々実働部隊(ワイルドハント)にいたんだけどね。結婚して辞められた」


「おやぁ、そりゃ良いですねぇ。今も幸せに暮らしてるんでしょうか」


 樒の言葉に柘榴は微かに視線を下げる。その姿に微かな違和感を覚えた少女は、微睡みに身を任せようとしない相方を笑っていた。


 柘榴は黒い髪を耳にかけると、泣き出しそうな顔で笑っていた。


「二人とも、亡くなったよ」


 柘榴の言葉に樒は何も思わない。空っぽの彼女に情緒は皆無だから。


 しかし皇は動揺する。柘榴の寂しそうな顔を初めて見たから。彼は温度のない幾何学の世界で、感情が分からない相方の行動を見守っていた。


 樒は口角だけを上げて、白衣の裾を握っている。


「それは、悲しいですか?」


「悲しい、なんて言葉では表しきれない程にね」


 皇の視界に、樒を通した柘榴が映る。憂いを帯びた彼女の顔から、樒は視線を逸らさなかった。


「そんな感情があるんですねぇ。しかもそれって、パナケイアに勤めていたら思い出してしまいません? 良い先輩たちの事」


「思い出すこともあるよ」


「なら辞めたらいいのに」


「辞めないね。ここに勤めていれば、大事な子達の為になるかもしれないからね」


 柘榴の言葉に樒は首を傾ける。少女の反応に苦笑した研究員は、家にいる黒髪の双子を思い出していた。


「私、先輩達の子を引き取って育てているんだ。双子なんだけど、二人共ヤマイでね。パナケイアで働いていた方が力になれる気がしてる」


 その言葉に衝撃を受けたのは、樒ではなく皇だ。


 幾何学の世界で目を見開いた少年は、視界が暗くなる感覚を抱く。


 子どもがいる。養子がいる。彼女には慈しんでいる相手が二人もいる。しかし彼女の左手に指輪はない。だからこそ、子どもを育てているなどとは思ってもいなかったのに。恋人も旦那もいないと踏んでいたのに。


 樒は頭の中で挙動不審になっている皇を笑う。黙って笑い続ける樒に柘榴は不思議そうな顔をし、金髪少女は確認をした。


「お一人で子育てって大変では?」


「あぁ、一人じゃないから大丈夫だよ」


「おやおや?」


 柘榴は、子ども達との距離感を測りあぐねる蓮を思い出す。


 体躯が大きく笑顔の下手な蓮を見た時、流海が泣き出したのは残念な記憶だ。流海が泣けば涙が心配し、二人が揃えば柘榴と蓮は顔を隠さずを得ない。


 毎日毎日、傷ついた双子に保護者として何が出来るのか。親ではなく、保護者としてどう接するべきか。


 四苦八苦してしまう自分が不甲斐ないからこそ、柘榴は蓮が共にいてくれて良かったと思わずにはいられなかった。


「猫柳と一緒に、頑張って育ててるんだ。毎日反省と勉強ばかりだけどね」


 彼女は知らない。自分の言葉に樒の体が固まる理由を。皇のこめかみで血管が切れたことを。


 樒は目一杯口角を上げ、廊下に木霊するほど大きな声を発した。


「そぉぉぉだったんですねぇぇぇぇぇッ!!」


 歪な言葉は、叫べない皇の代弁。


 今にも発狂しそうな少年の怒号。


 柘榴は肩を揺らして樒の奇行に驚き、少女は笑顔のまま逃げ出した。


「ぎゃはは! 何この感情きっもちわっっるッ!!」


『クソ、クソ、クソッ、クソが!!』


「今なら戦闘員全員ぶっ殺せるなぁぁぁ!!」


『戦闘員じゃなくてもいい、ヘルスでもいい。なんなら猫柳でいい。殺す、殴る、潰すッ 俺ばっかじゃねぇかクソがッ!!』


 樒は頬のガーゼを剥ぎ取ってゴミ箱に捨てた。そうすれば皇の頬からもガーゼは消え失せ、乱れ散らした感情が噴火し続ける。


 その日から、皇は蓮を見つける度に限度なき暴力に走った。


「ねっこやなぎさ~ん。なーぐらーせて!」


「いや、嫌だが」


 仕事中の蓮に向かって狼牙棒を振り回すのは当たり前。


 廊下で見かけたら殴りかかり、帰宅間際に発見すれば飛び掛かる。


 その度に蓮は困った顔で最低限の相手をした。端的に言えば負かした。どうして自分が皇に怒られているのかは分かっていないまま。


「なんで俺はお前に嫌われたんだ? すまないが全く分かってないんだが」


「全く分かってねぇのにボコるんすねー。大人の風上にもおけねぇ」


「いや、流石にただで殴られるのは困る」


「あーあーそーですかー。結婚指輪も渡せねぇ甲斐性なしが」


 顔や腕に青あざを作った皇は、笑って恨み言を吐く。蓮の頭上には疑問符が飛び、皇から回収した狼牙棒を肩に担いでいた。


「なんだ、結婚指輪って」


「誤魔化さないでくださいよー。霧崎さんと、結婚、してんでしょー」


 言葉にして皇は胸が締め付けられる。樒が脳内で爆笑を始める。


 蓮は暫しの沈黙を挟み、頭上に疑問符を浮かべたまま困惑した。


「いや、俺と霧崎は結婚してないが?」


「隠さなくていーっすよ。子ども引き取って二人で育ててるって聞きましたよー」


「いや、確かに育ててるが本当に結婚はしてない」


「はぁ? なにそれ、まだ籍入れてないってやつ? ならまだ恋人期間?」


「いや、恋人でもない」


「……あ?」


「霧崎は良い同居人だ」


 瞬間。


 皇の堪忍袋の緒が切れる。


 樒の腹筋が捻じれる。


 その日の少年は後にも先にも見ない程に暴れ狂い、最終的には蓮に関節技を決められて意識を落とされた。


「君、なんでそんなに猫柳に喧嘩売ってるんだい?」


「べっつに~。ムシャクシャした俺が殴りかかっても壊れないの猫柳さんくらいなんで? 八つ当たりでーす」


「だ、そうだよ」


「それは、そうだな。うん、頼られて嬉しいと言っておこうか?」


「頼ってねーし」


 柘榴の研究室で手当される皇は、ヘアバンドを外す蓮を見る。いつも隠れている彼の額には切り傷の痕が残っていた。


 皇はその痕を凝視し、蓮は直ぐにヘアバンドをつけて前髪を上げる。蓮の視線は柘榴に向き、視線が合った彼女は綿に消毒液を浸していた。


「その髪型も見慣れたものだね」


「まぁな。最初は似合わないと思っていたが」


「似合っているよ。前髪を上げている男は強く見えていいと思う」


「そりゃどうも」


 蓮はヘアバンドを押さえて苦笑する。柘榴は可笑しそうに眉を下げ、擦れて赤剥けになった皇の腕を消毒した。


 少年が消毒液による痺れより、柘榴の言葉に痺れているとも知らずに。


 皇は赤い目にかかりそうな金の前髪を見る。息を拭いて毛先を遊んだ少年は、高校に進学する頃にワックスを買った。結局、蓮には一度も勝てないまま。


「っし、」


 皇は両掌にワックスをつけ、いつも下ろしていた前髪をオールバックにする。赤い瞳がよく見えるようになり、樒はぼやけた意識の中で笑っていた。


 性別の都合上、二人の髪型までは反映されない。鏡に映しても皇に自分の顔は分からなかったが、開けた視界のおかげで気分は上がった。


『霧崎さんのこと避けてるくせに、バッカだよねぇぇぇぇぇ』


「だぁってろ相方」


 ブレザーを着た少年は学校帰りに戦闘員が来たと連絡を受け、入学数日で制服を汚すことになる。


 彼はパナケイアから報酬に貰った治療道具で手当を終え、廊下を歩く。その先の角からは柘榴が現れ、皇は進行方向を百八十度変えた。


「あ、コラ、皇」


 小走りに近づいてくる音も、自分の前に回り込んだ柘榴にも嫌になる。


 皇は崩れた前髪を手癖で上げ直し、柘榴は彼の目元にある絆創膏を確認した。


「なんだ、手当はきちんとしていたんだね」


「まー、俺も高校生ですしねぇ。それくらい出来ますって」


「なら良かった」


 柘榴は満足したように微笑んで皇の制服姿を見る。彼は居心地悪そうに視線を中庭の方に向け、柘榴は資料を持ち直していた。


「制服も、その髪型も似合っているね。大人っぽくなった」


 皇の背中にむず痒さが走る。


「でも無茶はしないように。高校生と言ってもまだ子どもに変わりはないんだから」


 樒は微睡みの中で笑っている。


「返事は?」


 うなじを掻いた皇は、柘榴の顔を直視できないままだった。


「……っす」


 柘榴は呆れたように「反抗期かな」と笑い、皇から離れていく。仕事に戻る彼女は白衣を揺らし、皇は彼女の気配が無くなった所でしゃがみ込んだ。


「……」


『不毛過ぎて爆笑』


「だぁまれぇ」


 皇は壁に側頭部を打ち付ける。しかし残念ながら、痛んだのは皇自身の頭だった。


 少年は吐けない感情を武器に乗せた。自分を害する相手に向けた。己の明日を脅かしかねない敵に叩きつけた。


 平和が欲しい。普通が欲しい。平凡が欲しい。


 欲しい欲しいと強請ねだって暴れる少年は、自分が今一番欲しい者は諦めた。


 きっと手に入れることなど出来ないと知っていて。自分が入る隙など無いのだと理解して。


 皇樒は平穏を求めて戦った。ヘルスでは経験できない非日常に体を浸けて、疲れた体を鏡に入れて。


 ヘルスだった頃の日常なんて戻らない。欲しくも無い。


 彼と彼女は、自分達だけの平穏が欲しいと願って、それを求めることは正しいと言い聞かせて武器を握り続けた。


「皇さん、一人で仕事をし過ぎではないですか?」


「るっせぇぞ新人」


「新人ではなくひいらぎ葉介ようすけです」


「新人に変わりねぇだろうが」


 先日実働部隊(ワイルドハント)に所属し始めた少年――柊葉介。生粋の真面目気質な彼に辟易している皇は、お堅い言葉を右から左へ聞き流した。


 中庭に柘榴がいる姿を見て、彼女に話しかける桜色も知って。


 皇は自分の隣で足を止めた新人を見て、青い目が見つめる者に息をついた。


「お前、なんで実働部隊(ワイルドハント)入ったんだよ」


 葉介は皇に視線を向ける。それから直ぐに中庭に青い目を向けて、淀みなく告げた。


「大事な人を支え、守り続ける為です」




自分を確立する為の暴力を振るい続けたい。


***

次話は水曜日に投稿予定です。



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