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貴方が笑わない世界がいい  作者: 藍ねず
ヤマイ編 苦杯の章
82/152

82. 鏡

ヤマイ編・苦杯の章、開幕。

こちらは全てを通して三人称とします。


一人目――鏡に魅入られた少年の話。

 

 雨脚が強くなる暗闇を四人の少年少女が駆け抜ける。


 先頭を走るのは空穂うつほるい。追随するのは伊吹いぶき朔夜さくや竜胆りんどう永愛とあ


 最後尾を走る女のしきみは、朝凪あさなぎいばらが同行していないことに自然と納得していた。


 これは正義感だけで動けるような事項ではない。誰も彼もが絶対的な信念を持っている訳でも、怯えぬ強さを持っている訳でもない。


 だから樒は思うのだ。今この瞬間、いばらが走れなかったことは「仕方がない」のだと。


(悩み、不安で、怖気づく……それはどんな味なんだろうねぇ)


 樒は口元を流れた雨雫を舐めてみる。味のない雫は彼女の体に打ち付けて、視界を悪くするだけの障害だ。


 金色の髪が重くなる。頭の中には譫言うわごとのように言葉を繰り返す相方――すめらぎがいる。


『頼む……頼む相方、お願いだ。あの人は、あの人だけではどうしても、あぁ、頼む、頼むよ』


「分かってるわよ、相方」


 口の中で樒は呟く。そうすれば皇は黙り、決して他人には見せない弱さを仕舞い込んだ。


 皇という男は懇願などしない。救えない者はあると割り切り、自分に関係のない所から切り捨てていくことが出来る精神を持った男だから。


 そんな彼は、樒にだけは弱音を吐いて愚痴を零し、祈るように目を閉じた。


 樒の手の中で短くなった狼牙棒が回される。


 ヤマイとして生まれた少女は、己の存在を揺るがす組織に向けて駆け続けた。


 * * *


 ――皇樒は、鏡に映った異性の自分と入れ替わるヤマイである。


 主たる存在は男の皇。女の樒は後づけされた存在であり、彼女が涙に告げたように中身など何もない。見た目だけをそっくり写し、中身は空っぽのまま生まれてしまったヤマイそのもの。樒には感情も経験も存在せず、生まれた時にあったのは体が覚えている日常的な動作程度だった。


 皇が初めて樒を認識したのは十三歳、中学二年の夏のこと。


 蝉の声が反響する、階段の踊り場でのことだ。


 生まれつき金色の短髪に、鮮やかな赤い瞳。個性ある色素が溢れるアレスの中でも皇の容姿は目立つ方だろう。物心ついた頃から、彼は鏡に映した自分を見てなんとも派手な見目だと呆れていた。


 金色の髪は母譲り、赤い瞳は父譲り。何の変哲もない、家族三人ヘルスとして育ってきた皇。成績は中の中、運動は上の下。適度に遊んで適度に勉強し、適度な温度で生きる中学生だ。父とゲームや漫画の話で盛り上がって母に「勉強しろ」と注意されるのは日常茶飯事である。


 皇は何も疑っていなかった。このまま普通の日常が続いて、ダラダラと青春を終えて、よく分からないまま大人になるのだと。それなりに幸せで、それなりに家族や周囲に恵まれて、それなりな日々を過ごしていくのだと。


 しかし、日常は容易く崩れるものだから。


 熱の溜まった踊り場にある大鏡は、成長途中の皇を映してはいなかった。


 彼が写るべき場所に立つのは一人の少女。


 皇より少し低い背丈に、肩近くまで伸びた金髪。赤い瞳は感情を乗せておらず、皇は思わず呼吸を忘れた。


 樒は少年を見つめている。彼が抱えた教科書とノートを持って、着ているのは男子の制服。その裾や肩幅は体躯に合っていないせいでズレていた。


 樒は生まれた意味も動機も見当たらないまま、鏡の中から皇を認識した。


 光と闇が織り成す幾何学の世界から、ヤマイの少女は自分の相方を静観する。漂う空気のように不安定で、微睡むような心地の中で。


 彼女は慌てることも驚くこともせず、目を見開いた皇を見つめ続けた。


 対する皇は明らかに狼狽えた。目に見えて驚愕した。


「な、は!? なにッ」


 皇は異様な光景から距離を取る。左足を下げて、手から筆箱を落としながら。


 そうすれば少女も足を下げ、手から筆箱を落としていた。


 遅れることなく揃った二人の動き。皇の耳の奥では血液が濁流の如く流れていく。爆発しそうな音量で心臓は動き、喉からは絞められた呼吸音が零れていた。


 生まれたての樒には彼の感情が理解できない。映るだけの彼女は皇の動きに支配されている。


 皇が教科書を落とせば樒も落とし、皇が後ろに尻もちをつけば樒も寸分違わず座り込んだ。


 そこで、皇は察してしまった。理性や思考よりも先行して、本能が理解を示したのだ。


「ぉ、まえ……」


 座り込んだ皇は、樒の赤い双眼を凝視する。少女はどこか夢心地で、理解した少年の声に答えていた。


『お前だよ』


 それが樒の初めて発した言葉。皇の脳に直接響いた音を〈発した〉と表すべきかは誰にも判断できないが、樒が初めて意思を持って口にした事柄に違いは無い。


 皇は指先を痙攣させる。少年にしてみれば、目の前にいる存在が危険でないことは本能的に分かってしまったから。


 彼は感じている。鏡に手を触れなければいけないと。


 それは脳からの命令。本能がさせる生存本能。そうしなければ自分に悪いことが起こると、彼は直感的に知っていたのだ。


 熱くなった皇の手が動く。教科書もノートも、筆箱も拾えないまま。


 熱を持った少年の指先に合わせるように少女も動く。


 どちらが操っているとも言えない。互いに操られているとも言える。それはヤマイが起こさせる拒否できない行動。


 二人は鏡を隔てて手を合わせ、皇の体が沈んだ。


 その日、その時、その瞬間。普通だった少年は――ヘルスからヤマイに変わった。


 揺蕩う微睡みの温度を知って、己のもしもの姿を受け入れながら。女の樒を拒絶することもなく、納得することが正しいと皇の体も頭も知っていた。


 皇に樒を受け入れない選択肢はなかった。拒否できる心などなかった。誰しも最初から自分が嫌いである筈がないだろう。生まれた瞬間に自己否定から入る生物などいないだろう。例え姿形が違ったとして、それが「自分」であるならば。


 皇樒は、新しい皇樒を受け止めた。


 しかし、周囲が受け入れるかどうかは別問題である。


「ぇ、あれって、」


「マジ……?」


 入れ替わった樒が最初に向かったのは職員室だった。頭の中でぼんやりと意識を持っている皇が指示したからだ。まずは先生に相談だ、と。


 樒は無表情のまま彼の言葉に従った。すれ違う生徒が何やら囁いても特に感想を抱かず、初めての歩行に感動もしないまま。奇異の視線が体中に刺さろうとも、樒にとっては空気同然であった。


「失礼します」


 教師に対する挨拶が正しかったかどうかも少女には分からない。だが、体は職員室に入る時の挨拶と動作を知っていた。


 職員室の空気が一気に凍り付く。担任は入室者が誰か一瞬では判断できなかったが、目立つ金髪と赤い瞳が皇樒を彷彿とさせた。


 かと思えば、残る大人達の対応は早い。


 即座にパナケイアへされた連絡と検査依頼。樒は生徒指導室で一人待たされ、次に見た大人は黒衣を纏った抑制部署の面子であった。


「はじめまして」


 そう樒が挨拶をしても、大人は誰も返事をしない。少女も無感動なままパナケイアへ連行された。


 早々に行われた問診と検診により、樒はヤマイによって生まれ出た外見だけの人形だと判断される。


 彼女の左手の甲には肌に染み込むインクで印数が押された。


 皇樒に刻まれたのは印数二のサイコロ。


 樒は黙って左手を見下ろして、皇が脳内で少しばかり狼狽えていると感じていた。


「どうしたの」


 空っぽの樒は分からない。どうして皇が呻っているのか。


『……明日から、学校どうすんだよ』


 皇は眠りそうな感覚のまま愚痴を吐く。入ったこともなかった幾何学の世界に不思議な居心地の良さを覚えたからこそ、再び樒と入れ替わった時の学校の対応が不安だったのだ。


 樒を異質として見ていたクラスメイトや、顔色を悪くした教師陣の態度を皇も見ている。覚えている。


「分かんない」


 しかも、同一人物である筈の樒は全てに無頓着である。皇の不安は増長され、ふと思ってしまうのだ。


『母さんと、父さんに……会いたい』


 幾何学の世界で皇は膝を抱える。


 自分を叱ることが多くても、ずっと見守ってくれた母ならば。


 自分と同じ目線で物事を考え、大らかに包んでくれる父ならば。


 自分が抱えきれない不安を払拭してくれると、皇は信じていた。


 樒は首を傾けてパナケイアから外へ出る。


「なら帰ろうよ」


『帰ってくれよ』


「いちおう道案内して」


『俺、今すっげぇ頭がフワフワしてんのに?』


「でも出来るだろ」


 皇は深く息を吐く。樒は彼が溜息を吐いた意味も拾わないまま、相方の声を参考に帰宅した。


 両親はパナケイアに迎えに来なかったが、恐らく連絡は入っているだろう。帰れば相談に乗ってくれる。自分ではないが、それでも自分である樒を分かってくれる。一緒にこれからのことを悩んでくれる。


「ただいま」


 皇が浮かべる期待と困惑を聞きながら樒は帰宅した。少し汗ばんだ袖を折って、当たり前の動作として靴を脱いで。


 彼女はそのままリビングに入った。


 その先で――泣いている両親と対面するとは予想もせずに。


「はじめまして。お父さん、お母さん」


 樒は挨拶をした。彼女にとってしてみれば知っていても初対面の相手であるから。


 眠りそうな意識を繋ぎとめた皇は両親の様子に不安を膨らませ、樒は感情のこもっていない声と瞳で両親を見ていた。


 瞬間。


 泣いている母の平手が飛ぶ。


 皇樒と同じ金色の髪を振り乱して、女は子どもの頬を打つ。


「私の子を、返しなさいよ……ッ」


 よろけた樒の制服を母は握り締める。彼女が息子の為に買い、息子の為に与えた制服を、突然現れたヤマイが纏っている。


 そんなことを許せる筈もなく、母は息子だけを想って泣いたのだ。


 その声が息子に届いているとも知らずに。


 裏返った愛を叩きつけながら。


「私は、ヤマイになる子なんて産んでないのよッ!!」


 再び平手が飛んで制服のボタンが一つ飛ぶ。樒は無表情で床に倒れ、腫れた頬に生まれた熱を感じていた。


 甲高く噎び泣いている母の声を聞く。


 樒の目を通して現状を見つめている皇は、腫れていく頬と相反して体が冷えていった。


 指先が冷える。頭が冷える。意識が冷える。心が冷える。


 皇は樒を通して、母を抱き締めた父親を見つめていた。


「部屋に行け、早く。その姿で俺達の前に出てくるな」


 赤い瞳が鋭く樒を睨みつける。


 聞いたこともない、地を這う声が皇に刺さる。


 嫌悪と拒絶を受けた樒は、その感情が負に部類されるとは分かっていなかった。


「分かった」


 樒はただ一言を口にして皇の部屋に入る。彼女は電気をつけて鞄を投げ、制服のままベッドに倒れ込んだ。


 頭の中では、皇の震える呼吸が反響している。


「泣いてる?」


 樒は一人の部屋で問いかけた。頬は酷い熱を持ったままだ。


『……うるせぇな』


 皇は幾何学の鏡面世界で、幻のような危うさに沈んでいた。


 頬の腫れが皇の頭を叩いている。


 嫌悪の視線が少年の体を貫いている。


 それは、彼にとって予期せぬ非日常。望んでいなかった対応であるが、覆しようのない現実。


 樒は床に投げた鞄を見つめて、印数の刻まれた腕を握った。


「悲しいから泣いてる?」


 皇は頭を抱える。鏡に映ってさえいなければ、お互いに自由に体は動かせるのだと知りながら。


 少年は固く目を閉じて、流れた泪は制服のズボンに染みを作った。


『違う』


 皇の普通に亀裂が入る。


 望みを伝える前に突き放された事実が残る。


 母に叩かれるなどとは思っていなかった。


 両親に泣かれるなどとは思っていなかった。


 父に拒絶されるなどとは考えていなかった。


 教師の表情が変わった。クラスメイトの目が変わった。一生関わりなど無いと思っていたパナケイアに一人連れて行かれた。


 これからが不安だった。明日が不安で一杯だった。未来に不安しかなかった。


 だから彼は今までの普通に縋ったのに。それだけを希望に帰ったのに。親だけは違うと思っていたのに。


 何故なら家族だから。


 今まで育ててくれた人達だから。


 自分に普通の平和を与えてくれる人達だったから。


 だからこそ、十三歳の皇は――


『――幻滅したんだ』


 両親も所詮他人なのだと、頬の腫れに証明された。


 それは小さな歪の始まり。


 確かな捻じれの発生。


 その日から、親が皇樒を見る目が変わった。


 教師の見る目が変わった。


 目を変えたクラスメイトは、面白がって皇を鏡に押し込んだ。


「離せよッ」


 皇は好機と興味と好奇心で弄ばれる。


 数日前まで適度に仲の良かった者達が、掌を返して嘲笑う。


 印数を見て笑う。ヤマイを知って笑う。面白がって顔を喜色に歪める。


 彼らの顔を見る度に皇のひずみは大きくなった。


 感情が膨れ上がって、膨れ上がって、膨れ上がって。


 無理やり連れ出された樒は、無言で男子生徒達を見上げていた。


「うわ、ほんとに女になった」


「服はそのままじゃん」


「しかも結構可愛いとか」


「ウケる」


 更衣室に響く笑い声に樒は何も感じない。感じているのは鏡の世界に押し込まれた皇であり、少年は白目を充血させた。


 樒を通して見るクラスメイトに反吐が出る。遠くで他人事のように笑っている女子生徒に怒りが込み上げる。


「これ、脱がしてもやっぱ女だよな?」


 笑うな。


「写真撮ろうぜ、うちの学校初めてのヤマイ!」


 笑うな。


「一生の記念だよな」


 お前らが、俺を、ッ


「ヤマイなんてカワイソ~」


 ――笑うんじゃねぇッ


 その日、皇の感情が爆発した。


 溢れて、弾けて、落胆する。


 ヘルスからヤマイに変わった瞬間、自分を畏怖する周囲にも。自分を笑い者にする奴らにも。


 どうして話もせずに拒絶する。どうしてヤマイだからと言うだけで下に見る。


 皇は、己を笑う者達に失望した。


『好き勝手させるなッ、そいつらに俺達を下に見させるなッ!!』


 微睡みそうな鏡の世界で、皇は腕に爪を立てて意識を保つ。


 樒は自分の襟を持つ男子生徒を見つめている。


 どうして笑っているかは知らないが、自分の相方の叫びは聞こえるから。


『殴れ、突き放せ、許すな、許すな、ソイツらを許すんじゃねぇッ』


 叫びを聞いて、樒は自分を掴んだ生徒の手首を握る。


 それが、彼女の本体の叫びだから。


『やられる前に、殺ればいいんだッ!!』


 それは感情に任せた言葉であっても、樒には何でもなかった。


 何も持っていない樒は何でも掴む。


 皇以外に受け止めてもらえなかった少女は、何も蓄積していない。


 嫌悪が普通。蔑みが日常。邪見が茶飯事。


 皇は言った。そんなものを受け入れなくていいと、慣れなくていいと。


 だから樒は知るのだ。普通を壊す方法を。日常を変える手段を。茶飯事を砕く一撃を。


 樒の拳は躊躇なく男子生徒の顔を殴り飛ばす。


 普通であれば、人間は暴力を振るう時でさえ頭の片隅にリミッターが存在する。経験や育ち方から相手を殺してはいけないと埋め込まれているからだ。


 しかしそれは樒に適応されない。


 少女は何も知らないから何でも出来る。


 皇が殴れと叫べば殴り、皇が倒せと唸れば倒した。


 拳を握って頬を殴る。掃除用具入れから箒を持ち出し振り下ろす。足に力を込めて踏みつける。


 樒は、生まれて初めて暴力を覚えた。自分を嘲笑っていた者達の感情と表情を壊し、怯えて逃げる様へ変える感覚。


 樒は別段、自分を笑う者達を恨んでいた訳では無い。その行動の理解が出来ない為にされるがまま傍観していただけだ。


 皇の突き動かす声に反応したのもそのせいである。言われたからしてみた。そうすれば、恐ろしい程に暴力が樒に合致した。


 少女の拳に血がついた。


 男子生徒の前歯が飛んだ。


「はは、」


 そこで初めて樒は気がついた。


 自分は生まれて初めて――笑っていると。


 そこから樒が止まることはなかった。限度を知らない少女は暴行を続け、騒ぎを聞きつけた教師によって取り押さえられるまで暴力に走った。


 血だらけになった更衣室は、数年経った先でも立ち入り禁止の場所となっている。


 ヤマイによる暴行事件は各方面の新聞で取り上げられた。マスメディアはヤマイという餌に反応し、加害者が被害者に転じ、被害者が加害者に変貌した。


 両親は皇も樒も「我が子ではない」と拒絶し、パナケイアが提案した保護観察書類に迷うことなくサインする。


 皇は、そんな家族の姿を見つめていた。


「……ヘルスじゃねぇと愛せねぇのかよ」


 荷造りをする皇は呟いて、頭の中で笑う相方が返事をした。


『ヘルスだったから愛されてたんだよ』


 その言葉に、皇は嫌に納得してしまう。


 金髪の少年は荷物をまとめて、泣いている両親を横目に家を出た。


 それは樒が生まれて、たった十日目のことだった。


 ヤマイを発症したことによって皇樒の日常は大いに変化した。


 パナケイアでどの程度なら交代しなくてもいいのか検査した際、六時間を超えたところで酷い不安感に襲われた。


 自分がこちら側にいるのは正しくないと頭が信号を送り、動悸は激しく目眩がする。実験室に倒れ込んだ皇は、無我夢中で鏡の中に入り込んだ。


 交代した樒もそれは同様で、彼及び彼女は六時間ごとの交代が自分達を守るのだと学んだ。


 皇は転校先の学校で煙に巻かれ、パナケイアからは実働部隊(ワイルドハント)の話を聞いた。


 ただ皇は普通に平和に過ごしたいだけなのに、己を害する者が存在する。


 それは酷く皇を落胆させた。


 社会は皇を弾き出し、世界はヤマイを嫌悪する。


 それは皇樒という個人の否定であり、彼が受け入れた者への冒涜だから。


「入ってやるよ、実働部隊(ワイルドハント)


 彼は自分だけの平和を求めて武器を取った。


 照準や威力など何も考慮せず、ただ力一杯相手を殴れて痛めつけられる武器として狼牙棒を選んだ。


 初めて他人を殺したのは樒が現れて僅か半年後。


 冷えきる冬に、樒の手は血で染った。


「お前が悪い」


 そう言って皇は武器を振る。


「お前らが悪い」


 ヘルスも戦闘員も考慮せず、自分を害する者を砕いていく。


「俺は、何も悪くない」


 焼けるような痛みも、武器を向けられる感覚も慣れきって。


 皇は武器を振った。己の為に。己の平穏の為だけに。


 それは結果的にヘルスを守ることにも繋がった。


「……反吐が出る」


 雑に手当した腕を摩って、報酬だと言われたメディシンは受け取り拒否をする日常。


 メディシンを投与すると樒の体調が崩れ、必然的に皇の体調も崩れるからだ。


 疲れきった皇はパナケイアの中庭にあるベンチに腰掛ける。


 天を仰いで脱力し、平穏は程遠いと自分を嘲て。寒空に鼻を赤らめて。


 皇樒は、空想のような平穏を追い求めていた。


「……君、どうしたんだい」


 そんな少年は突拍子もなく出会ってしまう。


 皇が見たのは深い黒。


 結った黒髪を肩口から前に垂らし、白衣を纏った細身の女。


 皇の前には、パナケイアの研究員――霧崎きりさき柘榴ざくろが立ち止まっていた。




普通が欲しい。


***

次話は日曜日に投稿予定です。


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