56. 疑
マッキになる原因が分かれば、流海の為になる気がした。
それは可能性の範囲だけれども、火の無いところに煙は立たない。疑わしいならば動いて白か黒か見極める必要があると私は思う。
今は流海が通信高校の課題をしている時間帯。片割れはきっとパナケイアの談話室でイヤホンとパソコンを装備しているだろう。私の病室でしてもいいと言ったのだが、授業を受けている姿をまじまじと見られるのだけは嫌らしい。
――流海の真剣な表情を観察しときたいなぁ
――……可愛い可愛い涙のお願いでも、それだけはなぁ……
流海は私の元からすり足気味に消えた。そのいじらしい可愛さを誰かに自慢したいような、私だけの秘密にしたいような感情には満足感を抱いてしまう。
時間は夕方の四時を過ぎた。私は暫し考えた後、スマホを操作して車椅子に自力で乗る。
「柊、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだ、藪から棒に」
電話を繋いだ相手は柊葉介。今日はいつもより声が渋い気がしたので、実年齢よりも経った状態なのだろうと予想した。見た目が何才だろうと中身が柊であるならば問題ない。
「いくつか教えて欲しいことがあるんです」
「俺である理由は」
「実働部隊と補助員の中で、流海以外の連絡先は貴方しか知らないので」
「マイナス五十点」
「事実を述べただけなんですけど」
文句に事実を返しながらスマホを肩と耳に挟む。本日はメディシンを投与されていないので移動が楽だ。流海はアテナに行けていないことを謝ってきたが、謝るのはこちらの方である。
最近の私は全くアテナに行けていない。流海の為に動けていない。そんな私の為に流海がメディシンを提供するなんて、本末転倒もいいところだ。
君の方が危ないんだから。流海の方を治したいんだから。
私は動かなくてはいけないんだ。
車椅子を操作して、私はエレベーターの前に行く。一階から上ってくる表示を見つめつつ、私は柊の声を聞き続けた。
「それで? お前は唯一の連絡相手である俺に何を望んでる」
「知識と経験と裏作業」
「最後の一つが不穏すぎだ、却下」
「そんな殺生な」
エレベーターの扉が開く。そこには伊吹と小夜が制服姿で並んでおり、私は少しだけ思案した。
「こっちは足が六……いや、四本あるので逃げても直ぐに捕まえられるかと」
「お前はいつからキメラになった?」
「今ですね」
伊吹がエレベーターの扉を押さえている。喜々とした雰囲気の小夜は口を結び、車椅子を押してくれた。私は二人に会釈をし、柊に念を押しておく。
「道具室に向かってますから」
「……それは俺が今いると分かって向かっているのか?」
「貴方が必ず寄る場所だと考えてですよ。予想が秒で的中するなんて素晴らしいですね。では」
通話を切って伊吹兄妹を見上げる。伊吹達も道具室のある階に向かっており、これ幸いというやつだ。
「伊吹、小夜、ありがとうございました。助かります」
「いや、空穂も道具室に行くのか?」
「道具室にいる柊に会いに行くんですよ」
「なら車椅子押してもいいですか? 押したーい! です!」
「押して頂けるのは助かりますが、いいんですか?」
「勿論です!」
エレベーターの扉が開き、小夜が車椅子を押してくれる。その動きはまるで、エレベーターの扉の幅も廊下の広さも見えているようだ。
少女の両目は包帯で隠されていると、確認しなければ信じられない。彼女は平然と、自然な動きをするのだから。
「小夜、いつも思っていたんですが……貴方、見えているんですか?」
「いいえ、何も? でも見えてるように振舞えてるなら嬉しいです!」
小夜の言葉はいつも素直だと思う。上機嫌な空気の少女は、弾んだ声で教えてくれた。
「涙さんにはまだ言ってませんでしたよね? 私のヤマイは「視界にあるものを瞬きの間に凍らせるヤマイ」なんで、瞬きしないようにいつも目を閉じてるんです。でもやっぱり開きそうになることもあるので、包帯を巻いてるんですよぉ」
「……へぇ」
まず思ったのは、瞬きで発症するヤマイとは驚いた、である。
その後にきたのは微かな申し訳なさ。予期せずして小夜のヤマイを知ってしまった事に、軽率だったと感じたからだ。
「ごめんなさい、深入りをして」
「え、大丈夫ですよぉ、隠してるわけでもないですし! 見えなくても動けるようにたくさん練習をしたので、不思議に思ってもらえるのは嬉しいんです」
小夜は廊下にあった台車を避ける。車椅子を押してくれる彼女は、歌うように説明をくれた。
「どこに何があるか、聞いて、聞いて、感じて、察して、目以外のもの全部を使って分かるようにしたんです。ね、お兄ちゃん」
「そうだな」
少し後ろを歩いていた伊吹が車椅子の隣に並ぶ。表情を変えない彼は穏やかな空気で妹に答え、私は言葉を探してしまった。
簡単に、たった数個の言葉で説明された努力。それは彼女にとって、血の滲むような思いで得られた力ではないかと思うのに。
努力で得た力は、周りから見れば当たり前のように見えるから嫌になる。
私は小柄な小夜を振り返り、灰色のおさげを視界に入れた。それでも言葉は出てこない。私の持ち得る語彙では、彼女に伝えたい思いは表せない。
「……駄目ですね、何と言ったらいいものか」
「なにかお悩みですかぁ?」
「小夜の努力に見合う言葉を探したんですが、見つかりませんでした」
車椅子の移動速度が落ちる。伊吹の歩幅も狭くなり、気づけば私の移動は停止していた。
「頑張ったんですね、では軽すぎる。貴方は凄いですね、では伝えきれない。尊敬します、では誇大過ぎて薄っぺらくなってしまう。だから困ったんです。小夜の努力に見合うだけの返事を、私は知らなかった」
淡々と、自分でも感情が見えない喋り方だと思う。それでも考えを吐露すれば、小夜も伊吹も黙ったままだった。
駄目だな、やはり私は伝えるのが不得手らしい。だから言葉を付け加えた。
「人を罵るのは簡単なのに、人の努力を凄いと伝えるのはこんなにも難しい。下手をしたら嫌味に聞こえるし、軽視しているようにも伝わるでしょう。だから、うん、困ります」
「涙さんハグして良いですか?」
「え、流れが急すぎて乗り切れてないんですけど」
正面に回り込んだ小夜に抱きつかれる。それは一体なぜなのか分からず、私は車椅子の肘置きに腕を置いたままになった。
……あ、そう言えば。
「小夜、すみません。先日は可愛い雪兎をくださったのに、騒ぎの中で落としてしまいました」
「も~~、涙さん好き~~」
「私と小夜で何か会話がズレてます?」
若干困惑をしながら窓の外を見る。今日は雪が降っていない、快晴だ。雪兎は作れないな。
小夜が飽きるまで抱きつかせておこうと考えていれば、伊吹に頭を撫でられる。手袋をつけている男は無表情のまま私の頭を崩し撫でるから、私には伊吹兄妹が分からなくなった。
なんだコイツら、情緒不安定か?
車椅子が動かせないので移動はできない。道具室は目と鼻の先なのだが、この間に柊は逃げていないだろうな。
考えていれば道具室の扉が開き、普段よりもしっかりした顔つきの男が出てきた。壮年と言っていい風貌の彼、柊は私達を見つけてため息を吐く。ため息を吐きたいのは私もだよ。
「……お前も根は良い奴なんだろうな」
「なんですか気持ち悪い。鳥肌が立ちました」
「前言撤回する。愛想ゼロのブラコン女、俺に何の用だ」
柊がこめかみに青筋を浮かべる。私は首を傾けて、まずは伊吹兄妹に離れてくれるよう願い出た。
* * *
「それで? お前は何が知りたい」
同階の備品庫前にて。いつもより高い身長の柊は、眉間に皺を寄せたままだった。伊吹兄妹とは道具室で別れた現在、廊下には私達二人だけの声がする。
私は天井に設置された監視カメラを一瞥し、会話を始めた。
「監視カメラに集音機能はありませんよね」
「無いが……お前、ほんとに何考えてる?」
「マッキとアテナの関連について、ですかね」
腕を組んだ柊を見る。彼は青い瞳を見開いて、脱力するように壁に凭れかかった。眉間の皺は深くなるばかりだ。
「柊、これは仮説にもなり得ていない想像の話です」
「……言ってみろ」
「マッキを引き起こしているのがアテナの戦闘員である、という可能性はありませんか」
青い瞳を見つめる。揺らぐことなく、いつも前だけ向いている双眼を凝視する。
彼は長い沈黙を挟み、癖のように眼鏡のブリッジに触れた。
「……どうしてそう思った」
「自分の体験と猫先生の証言によって想像しました。実働部隊を辞めていく理由としては、マッキになる恐怖に負けてしまうからだと聞いたんです。そして実働部隊を離れると、マッキにならなくなるのだとも」
「それで?」
「これだけ聞けば、アテナに行くことが何かしらの要因になっていると思ったんです」
柊の目が私の頭を覗くように細められる。それに臆さず、私は自分の想像を語り続けた。脳裏に浮かんだ嘉音は、私に刃を向けている。
「でも、アテナの戦闘員は言ったんです。主な殺し方は理性を捨てさせることだと。そして同時に、私は理性を捨てても戻ってきたと言いました」
「……」
「柊、貴方は知りませんか。実働部隊に所属して、マッキになって抑制しきれなかった人を。街中でマッキとなって救えなかった人達の情報を」
「知ってどうする」
「確認するんです。マッキになった一般のヤマイや実働部隊のメンバーが、過去にアテナの戦闘員に襲われていないか」
足の寒さに苛立った路地裏を思い出す。嘉音が指折り数えたのは、私と会話ができる残り回数。
アイツはヤマイが進行した私をアテナで襲わなかった。岩山から崩れた瓦礫の下敷きになる私を見ていただけだ。
あの行動が引っかかっていた。私を殺したいと蔑み、死ねばいいと信じる男が、あの状況下で私を見過ごすことが。
あれは見過ごしたのではなく、私に手を加えなくても良いと考えたのであったのならば。
「襲われていたら何だと言うんだ」
「マッキは自然な進行ではなく、誘発されたのではないかと考えたんです」
「方法は」
「私達がマッキを抑制させる時と同じです。私達が武器にプラセボをつけて体内に入れるように、アテナの戦闘員も武器に薬を仕込んでいたら?」
「……その考えに至った根拠は」
「私がマッキになり、先に実働部隊になっている朝凪や竜胆はなっていない。その差異はどこから来たか」
柊の眉尻が微動する。唇を一瞬だけ噛んだ男は、直ぐに思い当たる差異を浮かべたようだ。
私と彼女達との違いとは、それしかない。
「――傷を負った数か」
出された回答に頷きを返す。柊は額に手の甲を当てて暫し間を置き、不意に車椅子を押し始めた。
「柊、」
「このまま話すぞ」
男は散歩するような足取りで廊下を歩く。私は口を噤んで前を向き、柊の声に耳を傾けた。
「……お前の想像は仮定になり得る」
「思い当たる節があるんですか」
「あぁ。まず、今の実働部隊と補助員の中でマッキになったことがあるのは二人。棗と小夜ちゃんだ」
予想していなかった二人の名前に喉が詰まった気がする。鳩尾にある不快な感覚に唾を飲めば、柊は朗読するような言葉を続けた。
「元々棗はアテナにも行っていたが、そこで怪我をすることが多かった。ペストマスクをつけて戦うことに慣れなかったんだ。それに加えて報酬のメディシンを全て椿に分けていた。椿には内緒でな。そして、所属して数カ月後にマッキとなり、アテナには行かなくなった」
――隠し事はいつか零れて、誰か傷付いちゃう気がするし、私も傷つく気がするからねー! 素直が一番!
棗の声が耳の奥で再生される。お互いに惜しみなく好意を伝える彼女と椿が瞼の裏に浮かんだが、私が知るのはその姿だけだ。
今の二人が出来上がるまでの、過去の二人を私は知らない。その過去があるから今になっているのだと思えば、彼女達は好意を伝えていなければ不安になるのではないかと思ってしまった。
「対して小夜ちゃんはマッキになったことによって実働部隊のことを知ったんだ。それで兄の伊吹が実働部隊に入った。聞けば、小夜ちゃんはマッキになる前にアテナの戦闘員に襲われて、瀕死の重傷を負っていたよ」
頬が微かに痙攣する。黒いペストマスク達は小柄な小夜を追いかけ回し、命の瀬戸際で理性を壊させた。
アテナで浴びた血飛沫を思い出す。私はあの時、誰か一人でも殺しただろうか。アイツらは生きているだけのヤマイに危害を加える癖に。
私は、どうして路地裏の嘉音のマスクを剥がなかったんだっけ。
――涙
あぁそうだ、私は悪い人になりたくなかったんだ。
お母さんを思い出して、私は「良い子」でいたかったんだ。
滑稽だった自分に苛立って、私は灰色の兄妹に目を伏せた。
「伊吹は当初、我武者羅にアテナへ行き、アレスでの対応も行った。それでも大怪我をして帰った時に小夜ちゃんが泣いたから、怪我をしたら直ぐに戻るようになったんだ」
――泣かせるぞ、いつか、弟を
血だらけになった日、輝くγの木の下で。伊吹が私に向けた言葉を思い出す。
思い出せば思い出すだけ私の喉の奥には煙が溜まるから、私は別の方向も確認した。
「かつての実働部隊のメンバーについては、何かありますか」
「……今の第四十四支部では皇さんが最年長だか、その前にも年上のメンバーはいた。その中で俺が知ってる人もいるが、一人は一度マッキになってパナケイアを去った。一人は三回目であとが無くなって別のパナケイアの補助員になった。一人は……マッキを鎮静できず、処分の命令がおりた」
柊が少しだけ言い淀んだ。その声は微かに小さくなったから、私は目を伏せてしまう。
ここに来た日、実働部隊は汚れ仕事だと後ろにいる男が教えてくれた。私が汚れていくように、この男もまた、汚れてきたのかと想像する。
柊は深く息を吸った後、車椅子の持ち手を握り直していた。
「プラセボを作っているのはパナケイアだ。そこが鎮静ではなく処分の決定を出してプラセボを出さなければ、殺すしかない。そうしないとこちらだけでなく一般のヤマイやヘルスも危険だから」
無慈悲な話を嫌いな機関の中でする。
滑稽だとも思える私を、柊は静かに連れ回した。
「これ以上の話はパナケイアでするな」
「何でですか」
「……頭が良いのか悪いのか」
「ハッキリ言ってくれます?」
「考えてもみろ。お前が戦闘員から回収したというナイフ、お前の仮説が正しければ……問題ない筈ないだろ」
――そちらはアテナの武器と言う事で確認が終わったばかりですわ
桜の声が蘇る。私に青刃のナイフを返してくれた彼女は、ナイフが解体待ちだったと知らされていた。だから私も何も思わずに受け取って使ってきた。
自分の憎い相手にやり返したくて、その気持ちを忘れない為に握り続けた。
けれどもその刃に、隠された何かが付いていたのだとすれば。
「お前の仮説が事実だった時――パナケイアを信用できるか?」
心臓が痛くなる。掌が少しだけ汗ばんで、私の内臓で感情が煮えた。
シャッターが下りた窓を知っている。猫先生と柘榴先生の声を閉じ込める奴らを知っている。ヤマイを化け物として印をつけ、ヘルスだけを守る機関だと知っている。
「パナケイアを信用したことも、信頼したことも、一度もありません」
「……そうか」
柊が私の車椅子を押し続ける。窓の外はやはり、憎らしくなる程の快晴だ。
「お前が言う裏作業はつまり、マッキになった者とアテナの戦闘員との繋がりを確認しろということか」
「それが貴方の信念に反しないのであれば」
「俺の志は決まっているから安心しろ。だがしかし、その前に一つ確認だ」
不意に、後ろから私の首に手が回る。
それは殺意の無い悪意だ。
私を脅し、判断する為に添えられた道具に過ぎない。
柊は、潜めた低い声で問いかけた。
「空穂、お前は誰の味方だ」
「……その真意は」
「お前はアテナの戦闘員と話していた。それは俺から見たら異端になる」
気道を少しだけ締められる。
疑われているのだと分かって、アテナだけでなくアレスでも私の行動は外れていると示された。
それでも私は偽らない。私は、たった一人の為にペストマスクを被るのだ。
「私は流海の味方です」
パナケイアでも、アレスでも、実働部隊でもない。
私は流海の味方だ。
柊は私の喉を締め付ける。それは理解か、敵意か、私には判断しかねてしまった。
「柊、貴方は誰の味方ですか?」
パナケイアだと言えば私はこれ以上コイツと話せなくなる。
アレスだと言われても同等であり、実働部隊だと言われる予想はしていなかった。
柊の回答は消去法で見えている。いつも青い瞳で見ているのは、たった一つの桜色なのだから。
「俺は――お嬢だけの味方だ」
言葉も声も揺るぎなく。
男の答えに私は息を吐き、美しい弓使いを思い出してしまった。
「……そうですか」
考え続けろ、救う為に。
***
次話は水曜日に投稿予定です。
交錯の章も、あと少し。




