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54. 惑

 

 もしも私が嘉音達と取引をしたら、私は悪者になるのだろうか。


 流海の為になるかもしれない情報を貰えるのに。研究を続けているのは柘榴先生一人で、期限は刻一刻と迫っているのに。


 差し出された手を取るのは悪いことか。


 流海を想って、私の正義の名の元に行動するのは悪なのか。


 これは一体誰を裏切る行為なんだ? パナケイアを? ヘルスを? アレス自体を?


 私を救ってくれない者達を裏切ることは悪では無いだろ。


 それでも、私の一歩を妨げるものがある。


 実働部隊(ワイルドハント)のメンバーが、柘榴先生が、猫先生が――流海が、私の手を握っている気がする。


 困惑に浸る私は、黒いペストマスク達を見上げていた。


 コイツらは害悪だとする相手に教授を望んでやがる。私達ヤマイを悪だと言いながら、殺すことが正しいと教わって生きながら、踏み外しそうな自分達の修正を自分達の悪に頼ろうとするのだから。


 それは愚行であり、こちらへの愚弄であるのに。


 直ぐに断れない私が、確かに存在した。


 奥歯を噛み締めた私は、血が流れる左手を嘉音のペストマスクに触れさせる。


「……汚れますよ、貴方達」


「汚したのは君だろう」


「汚れることを望んだのは貴方達だ」


 私の血を嘉音になしりつける。それでも黒が苛立つ様子はなく、黙って私を見つめていた。


 私の背筋は冷えていき、不意に――切れていたスマホの通信が再開された。


「みんなごめん!! 北区の一人ヤバイ奴だった!! 私と鶯じゃ手に負えない!!」


「ッ、逃がした」


 つんざく声は棗と椿のもの。二人の戦闘員を、恋人達は追っていた筈だ。


 考える間に発砲音が響く。それはスマホ越しではない。この場で響いた攻撃の音。


 突然のことに私が驚くのと、嘉音の肩から血が舞ったのは同時だった。


「嘉音さんッ」


「ッ、あ゛ー……やられた」


 右肩を押さえた嘉音が素早く私から離れていく。私の顔には血飛沫が飛び、螢と空牙も距離をとった。


 雪を踏み散らして、屋上の柵に立つペストマスクを見ながら。


「――何してる、お前達」


 低い声から感じるのは怒気である。


 私は素早く起き上がり、数秒前に倒れていた場所には弾丸がめり込んだ。


 見る。


 黒いペストマスクに黒い装飾。左手で青刃のナイフを握り、右手で拳銃を構えた戦闘員。


 アイツ、まさかッ


 血が沸騰する思いで()()を観察する。相手は嘉音達に命令していた。


「ヤマイを殺せ。理性を捨てさせて駄目だった時こそ、俺達の仕事だろ」


「うるさいよ、俺達には俺達のやり方がある」


「個人のやり方なんて存在しない。俺達のやり方は殲滅団(ニケ)で統一されている」


 雪の勢いが増していく。吹いた突風は景色を白く染めたが、私は目を閉じなかった。


「お前――朧か」


 確信をもって問えば、銃口が私に向く。それは無言の肯定だ。


 心臓が強く脈打ち呼吸が早くなる。素直に好機と言えないのが悔しすぎるぞ、この野郎ッ


 左足を見るが地面を蹴るには痛みすぎる。ウォー・ハンマーもなければナイフもない。


 この状態で朧を相手にするにはどうしたらいい。どうすれば私は戦える。どうすれば目の前のペストマスクを――砕けるか。


 瞬時に思考して、発砲音に反応する。


 右足で地面を蹴って屋上を転がった。嘉音は肩を押さえて止血をし、螢と空牙は武器を構える。


 彼らの切っ先は朧に向くから、私はスマホを持ち出した。


 棗と椿に対して朝凪達の返事はない。彼らと繋がっているかは分からない。嘉音達と一緒にいる私と繋がってくれるかは分からない。


 それでも私は指を画面に滑らせて、どうか繋がれと、どうか答えろと願っていた。


「――桜!!」


 私が動ける唯一の手段。左足が動かない私が動ける、驚異の魔法ッ


「は、はい!!」


 上擦った桜の声を聞く。息切れしていることから、どこかを走っていたのだろう。


 そんなことを気にせずに、私は彼女に懇願した。


「私の名前を、呼んでくださいッ!!」


 桜が息を呑んだ音を聞く。


 朧が歩きながら私に発砲し続ける。


 私は息を切らせながら地面を転がり、震える少女の声を聞き届けた。


「――涙さん!!」


 桜のヤマイが発症する。


 私の体を突き抜ける。


 桜小梅のヤマイ――名前を呼んだ相手の被虐性欲マゾヒズムを格段に上昇させるヤマイ。


 口角を上げた私は、左足で地面を踏むこともいとわない。


「ありがとう、魔法使い」


 両足で地面を踏みしめて、立ち上がる。


 痛みは私の快感だ。


「ッ、もう暫くお待ちを。今向かっておりますので!」


「大丈夫ですよ、私はとても元気なのでッ」


 スマホを切って、黒いペストマスクを凝視する。流海と一緒に路地裏を進んだ日、ビルから落ちてきた生きたがり!


「そのペストマスク、ぶっ壊してやるッ」


 感情が一気に脳天を突き抜けて、私は朧と対面する。


 男は拳銃を私に向け続け、左手でナイフを回していた。


「毒に浸れ、朧ッ」


 少しだけ朧の拳銃が揺れる。


 その隙に私は嘉音が落としたリングダガーを拾い、朧に向かって駆け込んだ。


 穴の開いた左手から血が流れる。積雪を汚す赤すらも、私の走る源となった。


「ヤマイが俺の名を呼ぶな」


「うるせぇ諸悪の根源が!」


 理性など捨て去って、走るたびに痛む足が快感を広げる。


 気分は駆け足で急上昇し、私は朧に切りかかった。


 ――最低なヤマイになってよ


 そんな嘉音の言葉をかなぐり捨てて。


 自分が殺したい相手だけを見つめ続けて。


 屋上の柵を蹴り、斜め上から朧に向かって突撃する。拳銃を構えたペストマスクは、それでも引き金を引かなかった。


 それは一体、何に対する躊躇ちゅうちょだ。


 リングダガーを叩きつける。朧は片手のナイフで私を受けとめ、足元の雪を乱していた。


 体が一瞬だけ浮遊する。


 その隙を有効活用しろ、自分ッ


 足が地面に着く前に朧の腕を掴み、着地と同時に引き倒す。


 鳥頭は上着に雪を付けながら倒れ込み、私はギプスをつけた左足を振り上げた。


 砕け、砕け、目の前のペストマスクを砕き割れ!!


 背中を駆ける感覚が私の理性をなし崩しにしていく。


 煮える感情が私をどこまでも非道に突き動かした。


 ペストマスクに向かって踵落としを決める。響く痛みは脳髄を溶かすような悦となり、私の視界をより鮮明にした。


 見えたのは踵落としを腕で受け止めた朧の姿。


 奥歯を噛んだ私は、一瞬のうちに投げ飛ばされた。


 柵に叩きつけられた背中が痛む。それすら違う感情に昇華されるのだから、やはり桜は魔法使いだ。


 悪では無い、害悪では無い、ヤマイは決して悪じゃない!!


 太腿を弾丸が掠める。私の頭を叩いた感覚は口角を上げさせて、視線は朧だけを見つめていた。


「……表情が変わったな」


 低い声が私に届く。立ち上がった朧は銃口を確認し、機械的に歩き出した。銃を上着の中に仕舞い、私が拾ったものと似通ったナイフを回しながら。


「一体いつと比較してんだよ」


()()()()()


 私のこめかみで血管が三本ほど切れた気がする。


 コイツ覚えてやがった。


 覚えてやがった、覚えてやがった、覚えていながらその態度ッ


 煮えたぎる脳髄で考える。どうすればこの男の感情を動かせるか。どうすればもっと殺しやすくなるか。


「なぁ朧、私はお前の頭を砕きたいが、同時に感謝もしてるんだ」


 朧の足が止まる。私は鳥頭にナイフを向けて、獣の如く目を見開いた。


「流海を生かしてくれて、感謝するよ。お陰で私は生きていける。お前は一人のヤマイを逃がしたことで、二人のヤマイの命を救ったんだッ」


「俺はヤマイなど救わない」


 一気に距離を詰めた朧とナイフをぶつけ合う。


 心臓を狙えば弾き返され、逆に首を狙われた。私は青刃のナイフを叩くことで軌道を変えさせる。


 反射で動け、考えて対処しろ、反応して、対応して、苦しめる為の最短を狙えッ


「救ったっつってんだろ、お前が流海を逃がしたお陰で、私は今日も生きていける!」


 朧のナイフと何度も刃を交えさせる。金属音は雪景色の中に吸い込まれ、私は体を這うよろこびに笑い続けた。


 黒いペストマスクは私を見下ろし、蹴りや打撃も交えた攻撃を始める。私は防御もそこそこに、攻撃に徹した。


 傷は私の動きを加速させる。


 もっと傷つけろ、もっと怪我させろ、もっと、もっと、もっとッ!!


 朧の膝蹴りが私の鳩尾にめり込む。私は口角を上げて歯を食いしばり、鳥頭のくちばしを掴んだ。


 勢いよく引き寄せて頭突きをかます。自分の額が切れたことで血液が飛び、黒いペストマスクが赤く汚れた。


 あぁ、まだその仮面を砕けないか。


 私の左腕に銃口が向けられる。二の腕に衝撃が走ったのは、鼓膜が銃声によって麻痺させられた時だ。


 口の端から流れかけたよだれを右手で拭う。左の二の腕から飛んだ血飛沫と熱さは、私を怯ませたりしないから。


「お前、痛覚が無いのか」


「まさか。魔法使いのお陰だよ鳥頭」


 その時、笑う私の体に突撃してくる第三者がいる。


 それは右肩を撃ち抜かれたペストマスクだから、私の堪忍袋の緒が切れた。


「ど、けッ、嘉音!!」


 積雪に倒されて寒さが傷を覆っていく。嘉音は私の口を血だらけの手袋で覆い、嘴が鼻先に触れた。


「死に急がないでよ。涙がいないと、俺の正義は正されない」


 私達にしか聞こえない言葉が降ってくる。黒いペストマスクの目の部分、その奥にある灰色の瞳は、私だけを見つめていた。


「君を朧には殺させないから」


 黒い上着が私を覆う。嘉音の背後には銃を構えた朧が立ち、螢と空牙は動こうとしていなかった。


「何のつもりだ、嘉音」


「この子は俺が殺す。邪魔するなよ朧」


「ヤマイを殺すのは殲滅団(ニケ)の仕事だ。お前個人に標的は無いだろ」


「いいや、この子は俺の獲物だ。俺以外には殺させない」


「なら今殺せ。理性を捨てる方法は取らなくていい。今すぐに、俺の、目の前で殺せ」


 朧の声から苛立ちが伝わってくる。鳥頭の人差し指は引き金にかかり、嘉音の返答次第で引かれそうだ。


「今はまだ時が来てない」


「ッ、嘉音!」


 朧の怒声が響く。


 その時、朧の手首から血が舞った。


 嘉音が肩を撃ち抜かれた時と同様に、飛び散る鮮血が雪を汚す。


 意識が一瞬だけ散ったであろう朧は、その肩を矢に射抜かれた。


「涙さん、動かないでくださいねッ」


「手首貫通。行けッ」


 繋がったスマホから、息を切らした朝凪と柊の声がする。


 同時に塔屋の扉が勢いよく開き、複数の足音が聞こえてきた。


「――ぶっ殺す」


 地を這う声は塔屋の方から聞こえ、クロスボウの発射音が私の心臓を揺らす。


 荒々しく雪を踏むのは、私の愛しい片割れだ。


 見なくても分かる。確認しなくても知っている。


 視界の端ではサーベルを握った竜胆が螢に斬りかかった。


 空牙にはトンファーを持った伊吹が近づき、鉄の擦れ合う音が木霊する。


「涙さん!」


「ッの、馬鹿! どんだけ出血してんだ!!」


 竜胆と伊吹の声を聞き、銃とクロスボウの発砲音も響いている。


「……分が悪いな」


 呟く嘉音は私から離れていく直前、一つの囁きを残していった。


「時間をあげる。その怪我が治る頃、涙の答えを聞きに来るよ」


 体に乗っていた重さが無くなった時、私は後ろから抱き起される。


 構えられたクロスボウは、嘉音のペストマスクに向いていた。


「よくも、涙をッ」


 流海の声が鋭く響く。


 嘉音は朧の腕を掴み、砂時計を握った。


 流海が撃ち出した矢は、間に飛び込んだ螢と空牙によって叩き折られる。黒い二人は竜胆達と戦い続けず、嘉音を手助けすることを選んだのだ。


 片割れ君は奥歯を噛み締めて、その体は煮えた感情で震えている。


 私は流海のクロスボウを共に支え、朧の抗議の声を聞いていた。


「離せ嘉音!」


「帰るよ、時間切れだ」


 嘉音は朧に砂時計を握らせ、逆さにさせる。嘉音自身も砂時計を逆さにし、流海の矢と柊の銃弾は砂を撃ち抜く羽目になった。


 螢と空牙も砂時計を逆さにして身をひるがえす。二人は砂になりながら柵から飛び降り、屋上には静寂が返って来た。


「涙、涙……大丈夫? 涙、平気? ごめん、遅くなってごめん、ごめんなさい、ごめん、ごめんね」


 流海の体が酷く揺れる。微笑んで顔を上げれば、両目から大粒の泪を零す片割れがいた。


 私は体の向きを変えて流海を抱き締める。クロスボウを落とした片割れは、私を痛いほど抱き締めてくれた。


「泣かないでくれよ、片割れ君」


「泣くに、決まってるじゃないかぁ、片割れちゃん」


 可愛い流海を笑ってあやす。貫かれた左手は余り動かさず、その分右手を動かして。


 息を切らせた竜胆や伊吹が、塔屋の方からは桜と小夜が近づいてくる。


 パナケイアの各窓からシャッターが上がっていく光景も見て、私は空笑いを零してしまった。


 私の為に走ってくれたのは実働部隊(ワイルドハント)だけだった。


 パナケイアは救ってくれない。彼らはヤマイを助けてくれない。


 泣きじゃくる流海を、どことなく眠たい気分で抱き締める。


 そうしていればスマホから、疲労を隠せていない柊の声がした。


「……空穂姉弟、どちらか片方動けるようになった時で良いから、一階の封鎖された研究室に行け。猫柳さんと霧崎さんが暴れ続けているそうだ。警報が鳴り出した時からずっと……ずっとな」


 私の脳裏に猫先生と柘榴先生の姿が浮かぶ。


 右手は流海の服を握り締めて、震える呼吸を吐いてしまった。


 ――俺は涙にアテナの薬について情報を流してあげる、朧についても教えてあげる。だから代わりに、君はヤマイについて、アレスについて、君が所属する団体についての情報を頂戴


 耳にこびりついた嘉音の声を見ないふりして。


 柊に掠れた返事をした私は、泣き続ける片割れを抱き締めていた。


誰の為に選択する。


***

次話は木曜日に投稿予定です。

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