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37. 進

 

 暗くなった路地裏で一頻ひとしきり流海と戯れ、怪我を応急手当セットで治療する。嘉音の壮大な話も自分の中で落ち着いたし、気が向けば先生達にでも話せばいい気がしたのだ。


 大きすぎる話なんてどうでもいい。だって私の手には負えないだろ。


 私にとっては流海が中心で、流海が大切だから。それ以外なんてどうでもいい。朝凪達のこともそうだ。柊の言葉ではないが、優しさの奥に気持ちを配ったって疲れてしまう。実際私は既に疲れている。


 朝凪と竜胆は優しい人だ。柊や桜は良い人だ。伊吹もお節介焼きだが悪い奴ではない。猫先生と柘榴先生だって勿論、温かい人達だ。


 そう認めているからこそ、私は深く考えることを止めた。気にしないよう神経質になるからこそ疲れ果ててしまうのだと思って、それが流海に不安を与えるのだから。


 首筋についた歯型の数が片割れの不安を主張する。私の首の傷周りや肩口、鎖骨には流海から与えられた歯型がひしめいて、私は口角を上げていた。


 鞄を開けた私は傷と一緒に歯型が隠れる大きめのガーゼを貼る。流海の暗さが起こさせる行動すら可愛いと思う私は変に見えるだろうか。他人の感想なんてどうでも良いけどな。


「えぇ、隠しちゃうの?」


「こういうのは周りに主張しない方が良いと思う派だからな。先生達にもなんて言うんだか」


「涙は僕のですって宣言する為なのに」


「お互いしか知らない場所にあるからこそいきでは?」


「へぇ」


 流海が私の太腿に手を置く。流海でも傷だらけの素肌に触れさせることはそうないのだが。


 私は片割れの手を軽く叩き、眉をしかめた弟を笑ってしまう。流海は今にも私を押し倒して噛みつきそうな勢いだ。


「傷だらけだから、やめな」


「涙は綺麗だよ、とってもね」


「そりゃ嬉しい。でも外ではやめなさい」


「……はぁい」


 口を尖らせた流海の頭を撫でて手当てを終える。それから私はウォー・ハンマーを分解し、流海は路地に放っていたリュックサックにクロスボウを仕舞っていた。私も鞄にハンマーを入れ、片割れは上着のフードを目深に被る。今の時間は帰宅者が多く、道行く人波が分厚かった。


「パナケイアに行くか?」


「そうだね。武器を返さないといけないから」


 私は流海の手を取って路地裏を選ぶ。夕焼けに染められた大通りは私達には毒であり、暗い道が安全をくれるから。片割れは私にマフラーを巻いて擦り寄ってくれた。可愛い。少しは落ち着いたらしいな。


 流海に微笑みかけた私は、そこで初めて抱いた疑問を口にした。


「それにしても、どうしてここが分かったんだ?」


「あぁ、それはね……」


 流海がスマホの画面を向けてくる。そこには近辺の地図が表示され、片割れのポケットからは私の物ではないワイヤレスイヤホンが出てきた。


 私は足を止めて片割れを見つめる。目を見開いて口角を上げている顔はどう映っているのだろう。笑顔であるとは思うのだけれども。いやいや違う、今考えるべきは笑顔を維持できているかどうかだけではなく、流海が地図とイヤホンを持っていることだ。


 それが必要と言う事は、それが、お前の元にあると言う事は――


 私は流海の手を握り締めて、笑うのを我慢している片割れを凝視し続けた。


「――お待たせ」


 その言葉で、理解できたから。


 私の中には二つの感情が入り混じって、一気にぐちゃぐちゃになって、思わず流海を抱き締めてしまった。


 流海の腕が私の背中に回る。抱き締め返してくれる片割れは、私の肩口に顔を埋めた。


「ごめんね、涙に一人で怪我ばっかりさせて」


 あぁ、違う、違うよ流海。


「僕ね、涙がいない時も一人で訓練室に行ったり、夜中にパナケイアの周りをランニングしたり、色々してたんだよ」


 視界が滲んで奥歯を噛む。


 流海の努力を讃えてやりたいのに、駆け付けてくれたことに安堵したのに、その時が来たと分かれば我儘な私が叫んでしまう。


「握力とかも上がったし持久力もついた。本当は今日、退院日の報告をする時に伝えたかったんだ」


 目を閉じて呼吸が震えないように気をつける。流海の背中を掻くように引き寄せれば、顔を離した片割れが私の額に唇を寄せてくれた。


「涙はやっぱり、まだ反対?」


「……怖がりなだけさ。私が、どうしようもなく」


 ベッドでじゃれるように話した日を思い出して、私は怖がりである自分を認めてしまう。流海は私から顔を離すと、額を寄せて鼻先が触れた。


「大丈夫。僕は涙に守られるだけじゃない。自分のことも守るし、涙のことも守れるように頑張るよ」


「流海」


「一緒に生きよう。生きられるように努力しよう」


 流海が私の頬を撫でてくれる。気づけば私の心臓は落ち着きを取り戻し始め、肩から力が抜けていった。


 微笑んで瞼を上げれば、同時に瞼を開けた流海がいる。真顔の片割れは、私の体を引き寄せた。


「どこまでも僕達は一緒だよ。生きるのも一緒。幸せになるのも――死ぬのも一緒だ」


 ――お前達はお互いの明日が欲しいのに、どっかで生きることを諦めて、死んだ先に安堵を作って予防してやがる


 流海の言葉に溺れていたいのに、また伊吹の声が邪魔をする。片割れの言葉にノイズを入れる。


 私は脳裏を掠めた灰色を見ないふりして、私に追いついてくれた流海を祝福した。


「頑張ったな、流海。ようこそ――実働部隊(ワイルドハント)へ」


 * * *


「お前、報連相って言葉知ってるか?」


「知ってはいますが、報連相より流海との対話を優先しました」


「清々しい返事だな! 零点!!」


 路地裏で流海を讃え、他の戦闘員が帰還したとイヤホン越しに報告を受けた後。私と流海はパナケイアに辿り着き、道具室前に仁王立ちした伊吹と皇と鉢合わせた。流海は二人の姿を遠目に確認した時から視線を逸らし、私は息を吐いてしまう。


 伊吹は私のこめかみを両側から押さえつけ、皇には脳天を軽く叩かれた。聞けば私が一向に返事をしなかったことが不服らしい。いつもよりトゲトゲしい伊吹の雰囲気は私のせいだけでは無い気もするけど。


「お前はほんと、大概にしろよ。協調性を持て、協調性を!」


「ここまで来たらウケるレベルだよな」


「それは喧嘩売られてます? いくらで買いましょう」


「樒さん笑わないでください。空穂も易々と喧嘩を買わない!」


 声の感じや手の感覚からして皇は笑っている気がした。だから私は視線を下げて喧嘩を買う気はあると示しておく。気がしているだけで本当は笑っていないかもしれないが、予防は大切だ。


 伊吹はそんな私と皇を叱責し、金髪は手を離していった。灰色の男の言い草は私を同い年と見ていない気がして癪である。出会った時からそうだが、伊吹は時折お兄ちゃん風を纏うから苦手なんだよな。


 頭の上で会話する伊吹と皇の声を聞き流しておく。過程にうるさいお年頃かよ。


「結果的に実働部隊(ワイルドハント)に損害は出ていないのですから、良いではないですか」


実働部隊(ワイルドハント)に害はなかったが、追われていたヤマイに怪我人が出たんだよ」


「三人だったか? 雲雀と鶯が申し訳なさそうに塞ぎ込んでたな。まぁでも命に別状は無いんだから騒ぐことでもねぇよ」


「樒さん、水差すの止めてもらえますか。三人のうち一人は俺と樒さんが担当した方でしたよ」


「死ななきゃ安いだろ」


 伊吹が私のこめかみを押さえ続ける。頭に響く痛みに口を結んで、肩を落とした棗と椿を私は想像した。ヤマイに怪我を負わせてしまったのは痛手だな。ヤマイも今頃混乱していることだろう。


 伊吹の気が立っているのはヤマイに怪我をさせてしまったことを悔いてだろうか。皇は流海や私に怪我をさせても笑っていたような男だ。伊吹の心配など汲み取ってはくれないだろうに。


 私は他人事のように目を伏せて。こめかみの圧迫感だけを感じていた。


「樒さん、その言い方は賛成できないです」


「賛成される気はねぇよ。怪我したヤマイはペストマスクに襲われた事を口外しない契約をパナケイアと結ばされて、怪我は治療される。その後はいつも通りの日常へ戻されるんだ。俺達が気にかけたってどうしようもねぇだろ?」


「そうですけど」


「他人に心を削りすぎるなよ、朔夜。空穂姉くらいキッパリ大切なものを決めきってた方がよっぽど賢いと俺は思うぜ?」


 また皇に頭を叩くように撫でられる。お前に評価されても嬉しくねぇな。


 言い淀む伊吹の表情が少し気になって瞼を上げると、私の腕は後ろに引かれた。背中が温かな片割れに触れる。


 掴まれた腕の熱から分かる。頭に埋められた片割れの額から伝わる。今の流海は、とってもご機嫌斜めのようだ。


 だから私は口角を上げて、私達を視線で追った伊吹と皇を無視するのだ。


「流海」


 呼んでも片割れは返事をしない。そこで流海が皇と対面するのはリビングが壊れた日以来だと思い出し、私は微笑みながら皇の胸の中心まで視線を上げた。


「ありゃりゃ、弟君はご機嫌斜めか? 悪いなぁ姉ちゃん取ってて、そしてようこそ、実働部隊(ワイルドハント)へ」


 流海の機嫌がより悪化するのが肌で分かる。ほぼ垂直落下した片割れの空気は周囲を冷えさせ、私の目は顔を引きつらせている伊吹に向かった。皇は笑っている気がするから視線なんて合わせない。


「樒さん……」


「うん? この双子を煽るなって? いいじゃん、俺はあんまりこの双子好きくないし。あ、最近姉の方はマシになったけどな。mm単位で」


「僕も貴方が嫌いだ。涙に気安く接しないで」


 私の顔の横から流海の腕が伸びる。顔を上げないままの片割れはクロスボウを皇に向かって構えたが、その照準は少しだけズレていた。一体いつ鞄から出したのか、なんて無粋だな。


 私は流海の手首を支えて照準を固定する。皇の鳩尾に向かって。そこから上にある顔には笑みが浮かび続けている気がするから、それは勘違いだと頭の中で唱え続けた。


 今ここでヤマイを発症すれば流海も巻き込む。それは嫌だ。それはとても、嫌なんだ。


 流海は私を抱き締めて、今にもクロスボウの引き金を引きそうだった。


「おい、お前ら、」


「おーおー威勢が良いな。姉ちゃんは俺に謝る可愛げを見せてくれたが、弟は敵意剥き出しか。やっぱウケるな」


 皇の言葉に頬が痙攣する。この男は人を煽るのが上手すぎるのだ。


 私は解剖室のマジックミラーに沈んでいく男の皇を思い出し、自分が吐いた言葉に歯ぎしりした。


 ――殴りかかったことは……私に、非がありました……ごめんなさい


 ぐちゃぐちゃの感情で、譲歩して、譲歩して、譲歩して口にしてしまった謝罪。あれは間違いだったと自分を恥じて、流海を想うならば謝ってはいけなかったと塞ぎ込んだのに。皇は人の傷を抉る趣味でも持ち合わせているのだろうか。


 いや、コイツは知らないだけか。私が自分の謝罪をどれだけ後悔したかなんて。


 その顔にウォー・ハンマーを叩き込みたい気分になるが、それも我慢した。流海がいるから皇の顔を見てはいけない。私の最優先は流海の安全なのだから。


 流海は私を片手で抱き締めて、頭上からは奥歯が噛み締められる悔しさの音が聞こえてきた。


 私は流海のクロスボウを支え続け、皇が憎たらしい笑みを浮かべている姿を浮かべていた。


 その時、私の耳は窓硝子にヒビが入る音を聞く。


 流海は私の頭から顔を上げていない。片割れは誰の表情も見ていない。


 だからこれは――私の事故だ。


 頭が一瞬にして回答を弾き出し、私は流海の腕を振り払う。振り向いた視界には窓硝子が割れる光景が映り、私は流海の頭を抱き締めていた。


 流海が私の服を掴み、共にしゃがむ。二の腕や手の甲に走った痛みは慣れたものだが、私の心臓は別の意味で早くなった。


「うわ、」


「空穂、ッ」


「涙ッ」


「平気、顔あげるなよ流海」


 流海を抱き締めたまま床に膝を着く。


 私は切れた自分の手の甲を見て唇を結び、隣にしゃがんだ伊吹を見た。灰色の彼は歯痒そうに顔を歪めており、私は焦りを悟らせないように努めてしまう。


「問題ないですよ、いつものことです」


「いや、でもお前……」


 私は肩にかけた応急手当用の鞄からガーゼを出して傷口を押さえる。伊吹は私を見つめるから嫌になり、流海は私の腰を引き寄せた。


「何でもないんですよ」


「へぇ、姉は嘘が下手だな」


 皇の声が背後からする。私の顔は流海の胸に埋める形を取らされた。後頭部に添えられた流海の掌は少しだけ力が込められて、私は息を静かに吐く。流海の低く重たい声がした。


「何が言いたいの」


「分かってるだろ?」


 きっと皇は笑っているのだろう。流海が顔を上げた気がして、私は目を固く瞑る。


 私は傷口を押さえつけて、割れた窓硝子から室内へ吹き込む寒風に身を震わせた。


「なぁ、空穂姉」


「樒さん、今は黙ってください」


 伊吹が強い声で皇の言葉を遮る。そこで初めて皇の声が止まり、私の掌ではガーゼに血が染み込んでいった。


 私は目を固く閉じて、脳裏に響いた叫びに奥歯を噛む。


 嘘だと念じて、これは偶然だと言い聞かせて。


 ――おマえもィっジょに、ドげぢまえ!


 違う、違うよ違う。私はまだ大丈夫。


 私はまだ……大丈夫なんだよ。


 そう、私は私に言い聞かせた。


進展する恐ろしさ。


***

次話投稿は木曜日を予定しています。



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